2017年06月24日

俯瞰的観点からの現在地

 親というのは欲張りなもので、つい子どもに過剰な期待をしてしまう。私が子どもの時も、(こんなデキの悪い私ですら)おそらく親は期待をしただろうが、時にはその期待が鬱陶しく思えた。

 にも関わらず!親となった今、同じことを子どもに強いているような気がする。だとしたら、子どもはあの時の私と同じように、今の私を鬱陶しいと思っているのかもしれない。いや、思っているに違いない。結局のところ、親にやられて嫌だなと感じたことを、そのまま子どもにやっている。いかん、いかん。

 子どもへの期待は大切だ。時には本人に見せることで、子どものやる気度アップにつながる。しかし、一歩見せ方を間違えると、やる気度を潰しかねない。難しいなぁと思うコノゴロだ。

 しかし、残念ながら、出来ない部分ほど目についてしまうのだ。大人になった今だから出来る事が、自分が娘と同じくらいの時は、もっと不器用だったし、もっとできない事が多かった。なのに、比べているのは今の自分と今の娘。大人になり「もっとやっておけばよかった」と思うものの、つい、その反省を子どもに背負わそうとする。人の反省を押し付けられるんだから、鬱陶しくもなる。
 
 先日、隊長は雑誌の企画で地図読み講習会の講師役を務めた。生徒さんは若い女性だった。その時の印象を、隊長はこい言っていた。
「彼女は地図を俯瞰的に観ることができる。目の前に広がる地形を真上から見るとどう見えるのかが地図と照らし合わせて解るんだ。彼女、ちゃんと読図を勉強すれば、きっとすごいナビゲーターに化けるよ」
 物事を俯瞰的に観る、か・・・。言葉では簡単だが、自分はできているだろうか。目の前の事で手一杯になり、物事を大きく捉える余裕を失ってないだろうか。

 目の前の課題も重要ではある。面倒でもこなさなくてはいけないこともある。しかし、その目の前のことも、俯瞰的に観れば、もっと大きな事に繋がっているのだ。現在地ばかり見ていればと、自分が全体のどこにいて、どこに向かっているのかが分からなくなる。

 子どもへの期待もそれと同じ。できない事ばかりにこだわっていては、どこに向かっているのか、今はどこにいるのかが分からなくなってしまう。
 現在地が地図のどの位置にあるのか。そしてどこに向かおうとしているのか。大きく捉えなければ見落とすこともある。通過すべきポイントのひとつひとつには意味があり、そこがあってこそ進むべき方向を改めて整地することができる。ここはひとつ、地図も子育ても俯瞰的に観ようかと思う。

 隊長は言う。
「地図読みで一番いいのは迷うこと。迷い方にも人それぞれクセがある。迷うことで自分のクセを把握できる。失敗することで改善点を見出すことができる。だから失敗は大切。失敗を恐れず、挑んでください」

 子ども自身も、自分が間違っていることを分かればよいが、大人ほど気が付かない(大人でも自分の間違いに気が付かない人もいるけど)。だからこそ、大人がそれを教えてやるのだ。
しかし、単なるダメ出しは、そこを通過してきた人であれば誰でもできる。なぜダメなのか、どこが違うのかを相手に分かるように教えることが大切だ。

 そして、なぜ今これをやるのか、それはどこに繋がるのかを、本人が納得のいくように説明をする必要がある。ただ「今やっておかないと大人になって困るよ」では、子どもは、ちっともわからないし、叱ったところで、その場しのぎで「わかった」と答えるだけ。
「どうして分からないの!?」の理由はひとつ。教え方が悪いのだ。

 これは子どもだけではない。一般社会においても同じこと。「見て学べ」の職人業ならまだしも、そうでないなら、きちんと教えていくことが大切。相手の覚えが悪いと責め立てるよりも、相手が分かるように説明しないことにも責任があることを自覚したい。
 ことさら会社であれば目標が明確だ。企業として、団体として、人として社会に対してどんな貢献をしているのか、何が目的なのか、俯瞰的観点からの現在地を今一度教える側も把握しておきたい。


 な〜んてエラそうに言いながら、もう数年前に隊長が「必要だから」とポチッて買ったお花模様の一輪車に対し、いまだにネチネチ言う日々である。

 体幹トレーニングとでも言いたいのだろうか?脚力アップとでも言いたいのだろうか?どちらにせよ、どうしても一輪車だけは俯瞰的に観られません!


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2017年05月09日

努力は嘘をつかない

 ゴールデンウィークも過ぎ、新入生・新入社員も新たな環境に慣れてきた頃だろう。イーストウインドの母体でもあるアウトドアツアー会社「カッパクラブ」にも三人の新入社員が加わり、雰囲気も一層華やかになった。

 その中の一人がイーストウインドの新トレーニング生K。カッパクラブに来る前は登山用品店に勤め、更に前の大学時代はワンゲル部の主将を務めた、文字通り山男である。いくらイーストウインドの正規メンバーになるにはリバーガイドになることが義務付けられているとはいえ、山男が川で仕事をするのには、当然、不安もあっただろう。

 案の定、Kは苦労している。純粋にリバーガイドになりたくてやってきた二人とは、そもそもの動機が異なる。過去には「こんなはずじゃなかった」とイーストウインドのトレ生を去った人も幾人かいる。去っていった人たちを責めているわけではない。アドベンチャーレースに出るという夢とリバーガイドになるという現実にギャップがあっただけである。新入社員も然りで、夢を抱えて入社したが、実際は雑用業務ばかりという現実にギャップが生じて悩むことも解かる。
 でも、忘れないでほしい。どんな仕事であろうと、どんなに雑用であろうと、それは必ず身になる。そして、それが人の役に立ち、延いては自分の役に立つ。必ず。

 時には上から叱責されることもある。しかし川の上では、楽しさを伝えるのも、命を預かるのもリバーガイドの役目。些細なことを怠ることで命を落とす危険も考えられる。大変なことがたくさんあるし、慣れないこともしなくちゃいけないが、どんな些細なことでも疎かにせずにやっていってほしいと願う。

 カッパクラブは他社に比べてリバーガイドになる基準が厳しいと言う。それだけリバーガイドに求められるスキルは高度だ。また、リバーガイドにならなければお給料がもらえない。だから早くリバーガイドにならなくてはいけない。そのために、新入社員たちは日々努力を重ねる。
 思えば、今までも、カッパのリバーガイドになるために苦労に苦労を重ねたガイドは少なくない。そしてそんなガイドほど、しっかりとしたスキルを身につけている。それが不思議なことにガイドスキルだけではなく、人との接し方、瞬発力、推進力、環境適応力などなど様々な力が自然と身についているのだ。

 現在、リバーガイドになるために努力をしているK。「今が踏ん張り時。頑張ります!」と言う。思っていたこととは違うだろう。どうしても他の新入社員と比べてしまう事もあるだろう。
 でもね、Kくん。キミが今、しっかり受け止めて、逃げずに立ち向かっている事は、やがてあなたの支えとなり、力となる。そして何より、その努力の先にあるものは、キミが抱いている夢という「現実」だ。

 今回は南アに旅立つイーストウインドを見送る立場にいたけれど、この努力の先には、見送られるメンバーにキミがいる。

努力は嘘をつかない。それを信じて強くあれ。


カッパクラブのホームページ
http://www.kappa-club.com/

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2017年03月17日

呑気と心配性

隊長はマイペースである。それが先日のクレイジージャーニー(TBS)の放送で露呈した。もともと呑気な性格ではあるが、レースとなると一変する。では、なぜあの時一変しなかったのか。
その話しは来週のクレイジージャーニーを観ていただくとしよう。

さて、隊長と私は正反対の性格である。呑気な隊長と心配性の私。レースの準備にせよ、仕事にせよ、いつも私が「あれどうなった?」「これやった?」とまくし立てる。何事も早めにやらないと心配で仕方がない私に対し、「まだやってない」と気の抜けた返事をする隊長。これが日常会話。よくまぁこれで夫婦、相棒が務まったもんだ。

思えば陽希も私と同じ心配性。彼も早め早めにスケジュールを出し、それに沿って行動したいタイプ。レースでは陽希が、日常では私が隊長の尻叩き役だ。ところが、どんなに私らに尻を叩かれても隊長のマイペースはあまり変わらない。それどころか、あまりのマイペースさにイライラが募りに募り、こちらがオーバーヒートしてしまう。心配性がマイペースとチームを組むには、忍耐力が要るようだ。

しかし、隊長の感心するところは、最後はどうにかしてしまうこところにある。ほっとすると同時になんだか悔しい気持ちもあるが、あれは彼の天性なのかもしれない。


3月は様々な組織が編成されるシーズン。私も某組織役員(名義は隊長であるが、実務は私)をやっていたが、先日、任期を終えた。任期交代の総会が近くなり、それまでの事がちゃんとできているか、手抜かりはなかったか等々、いつものように在らぬことまで想像し、心配をした。それを見た隊長が一言。

「やるだけの事はやったんだから、自信を持てばいい」

要らぬ心配は無駄な時間を過ごす。やるだけの事をやってどうにもならなければ、またその時に考える。間違っていることに気が付いたら、そこで直していけばいい。そこを面倒臭がらないでやっていけば大丈夫。

レースに勝つためには、体力だけではなく、装備などの工夫も必要になる。しかし、わずかな工夫や確認を怠たっただけで時間をロスし、順位に繋がることもある。一見呑気でいる隊長だが、今までの経験から工夫や確認が生まれている。増してや起きてもいない事に対する要らぬ心配がレースにどんな影響をもたらすかを分かっているのだ。

先日発売された雑誌『山と渓谷』のコラムに隊長が書いた一部分。
「トレーニングをして筋力をつけると、発熱量が増えるから寒さに強くなる。結果、余分な保温着を持たなくてすむ」
寒さが心配なら普段からトレーニングして筋力を身に纏えばいい。

真摯に向き合ってきたのであれば心配することはない。胸を張ってドンと構えていればいい。

もしそこに困難な事が起きたなら、それは今、自分が次の段階に行くためのテストである。逃げずに立ち向かおう。クリアできないテストなど神様は与えないのだから。

と言いつつも、これからも陽希と私は隊長の尻を叩き続けるだろう。呑気な人にはそういう人が必要なのだ。そして心配症を鎮静化させる隊長は私にとっても必要なのだ。様々な角度からぶつかり合いながら前に進む。互いに必要な存在なのである。だから、まぁチームメイトとしても、夫婦としても、相棒としてもやっていけるんだろうな。

あ、でも山に行く時は、保温着を持って行くことをお勧めいたします。上記は、あくまでも一部分抜粋しただけであります。詳しくは山と渓谷4月号を。


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2017年01月19日

プラス・マイナス・ゼロの法則

 先日、久しぶりに結婚式に参列した。始終ニコニコ顔の花嫁さんと、始終泣き顔のお婿さん。とても良い結婚式だった。

 隊長と私は、このお婿さんにとてもお世話になっていて、言葉では言い尽くせないほど感謝をしている。彼は私たちが関係するイベントのGPSトラッキングの表示システムをプログラムしてくれている。
「ここをもっとこうしたい」
「ここをもっと見やすくしたい」
私たちのわがままな要求に対し、
「はいよ〜」
と、いとも簡単にやってしまう。ゆえに、ITに疎い私は、とんでもない勘違いをしてしまっていた。このプログラムってそんなに大変なことじゃないんだって。

 ところが、だ。

 このプログラムを普通に企業に依頼をすれば、とんでもない金額になるというのを後で知った。しかも、ここまでのプログラムを開発するには、恐ろしいほど時間と資金が必要となる。それを、このお婿さんは「はいは〜い」と、なんとも気軽にこなしてしまっていたのだ。
 レーススタート前に完璧に設定してくれたので準備万端!ところが、レースが始まってすぐに表示が動かなくなり、選手の動向を管理するポジションにいる私は大パニック!スタッフは全員選手を送り出しに出払っているし、真夜中ともあり、サーバー関係者は電話に出ない。私ではどうにもならない。そこですぐさま彼に電話をし(と言っても、この作業は彼の範疇ではなかった)、泣きついて相談をした。
「う〜ん、仕方ないから、こっちでやりますね」
と、速攻で新しくサイトを作ってくれたのだ。こうしてレースは無事に開催できた。
この時、「このシステム、こんな短時間で変更できるんだから、そんなに大変じゃないんだろう」と思い込んでいたおバカは私。まったくその逆で、これだけのことを、そんな時間でやることが、どれだけすごいことなのかを、その時は全く気が付かなかった。
 彼の気前の良さにすっかり甘えていたが、よく考えれば、彼は才能が秀でているだけではなく、人にそう思わせるほど、大きな器の人なのである。

 そんな彼は2010年にIT会社を起業した。簡単に「起業」とはいうものの、そこまでの道のりは、とんでもない苦労を重ねたようだ。前が見えない闇の中。苦しみのスパイラルに嵌り、もがけばもがくほど、クモの巣のように絡みつく。
 そこに現れたのが、花嫁さんだった。祝辞からは、彼女の行動はプランなしの様に言っていたが、彼女は「なんとかなる」ではなく、「なんとかする」人だというのもよく分かった。それは、その時の彼にとって極めて必要な起爆剤だったのだろう。前向きな彼女の原動力が支えとなり、凛とした会社に育てあげたことは、祝辞や参列名簿(肩書き)を観ればよく分かる。
 二人で越えてきた。我慢して、堪えて、そして、それをも楽しんできたようだ。

 祝辞を聞く中で、なんだったかの本に書かれていた言葉を思い出した。
「人生はプラス・マイナス・ゼロの法則で成り立っている」
自然界には朝があれば夜もある。太陽も昇れば月も昇る。光もあれば陰もある。人も自然界の一部だから、その法則に従えば良い事もあれば、同じだけ悪いこともある。仏教でいう布施は、先に辛さ(マイナス)を支払うことで、後にくる幸(プラス)を待つことを意味すると、その本にあった。

 その法則に従うならば、私たちはマイナスを受け入れなくてはならない。今、辛いことがあったとしたら、それはきっと、次に来るプラスのためのもの。時にはじっと耐えなければいけない。時には必死にあがくことを求められる。でも、必要な時に必要な人は現れる。支えてくれる人が現れる。その時こそ、物事がプラスの方向に動き始める時なのかもしれない。

 その日の花婿さんと花嫁さんは、強いプラスに作用していた。あまりにも強すぎて、周囲にいる私たちも、そのプラス波及を受ける。なんとも幸せな一日だった。
 彼らには、これからもプラスマイナスが起きるだろう。それでも、支え合う人がいることで、マイナスの苦しみは分散され、プラスの喜びは倍増していくのだろう。

 この日、たくさん泣いていたお婿さん。
「長い間、待たせてしまいました」
花嫁さんへの気持ちが、その言葉にすべてあるように思えた。シンプルだけれど、二人が抱えてきた事の凝縮された言葉。
 私たちもシンプルな言葉でしか表現できないけど、それでも精一杯の気持ちを込めて伝えたい。

「本当におめでとう」


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2016年12月30日

ありのままで 2016

 先日、世界選手権2016の報告会を東京で開催した。こういった報告会は、回を重ねるごとに選手の話がうまくなっていくのがわかる。もともと大勢の前で話をするのが得意ではなかった選手も、場数を踏めば踏むほど言葉数が多くなる。

 百名山一筆書きをしていた時の陽希は、常時テレビカメラに向かって話しをしていた。今では毎日のように講演で大勢の聴衆者を前に話をしている。百名山をやる前に比べたら、話しもまとまっているし、内容もかなり変わった。
 マチマチも最初の報告会と比べると、とても話がうまくなっている。彼女はカッパクラブ(アウトドアツアーカンパニー)で働く。日々お客様にセーフティなどの説明をしていることもあり、話しをする場数は少なからず踏んでいる。急に振られた質問でも、うまく答えることができるようになった。


 さて、来年は隊長と知り合って20年目となる。ってことは彼の話を19年間も聞いていたことになる。思えば、彼の話すスタイルは、この19年間で、かなり様変りをした。

 以前は冗談など言わなかった。自分を落とすような発言もなかった。周りに強いと見せたいわけでもないし、優れていると思わせたいわけでもない。過酷な環境ではあるが、男女混成、年齢差、体力差、考え方の違いの中でゴールを目指すアドベンチャーレースは、日常の社会生活と重なる部分が多い。なのに、それがどうにも遠いものに感じていた。至って真面目で、気の利いた洒落ひとつ言えない。話の内容は凄いなぁとは思うものの、なんだか面白みに欠けていた。無理もない。隊長は幼少期より人と話すことが大の苦手だったのだから。

 それでもアドベンチャーレースという目新しいスポーツを国内で知ってもらうためには、伝えていかなくてはならない。強制的に話をしなくてはいけない機会が増えた。口下手だった隊長にとっては悪魔の修練だっただろう。初めて講演のお話をいただいた時は二晩も徹夜で内容を考えていた。事によるとアドベンチャーレースで二晩徹夜するより辛かったかもしれない。

 ところが先日の報告会では、隊長の冗談めかしい言葉が、ドカンドカンと会場の笑いを誘っていた。厳しくて苦しいはずのアドベンチャーレースだが、隊長の話は「なんだか楽しそう」と思えてしまうほど。
 決して話術が長けているわけではない。それは「話すこと」と「レースをすること」の場数を踏んできたことで、その面白さや日常生活に近い場面を伝える余裕が出てきたようにも見える。

 隊長は、家庭内においても会話の面白さに磨きがかかってきている。
 結婚した頃は、アドベンチャーレースやアウトドアスポーツの事となると身を乗り出して話をするが、それ以外の事は聞いてるんだか、いないんだか、まったく会話にならないこともあった。レース関連以外のことは、ほぼ私一人が決めていた。

 しかし、今では私の事を慮ってか、いや、きっと恐ろしいのであろう、私に会話を合せてくれるようになり、しかも話しが続くようになった。我が家にとっては、えらい進歩である。
 時折「あの店で選ぶべきは味噌ラーメンか塩ラーメンか」で激論を交わす。内容のレベルはともあれ、一昔前に比べると、私が分かる内容で激論する。これは素直に楽しい。

 それどころか、今では隊長自身、自分を落とすことになんの抵抗もない。落としまくっては、笑いを誘う。落とすということは、自分の弱さを受け入れること。自分を落とすこと、つまり弱い部分を受け入れる事ができれば、人間はこの上なく強い。頑な意地やプライドもないし、虚栄を張る必要もない。自分らしくいられるのだ。

 私も自分を落とすことに抵抗はない。それは小学校4年生の時にイジメに遭った事が原因である。きっと生意気だったのだと思う。バカにされる事を嫌い、意地になっていた。意地になればなるほど、イジメはエスカレートした。やがてイジメを克服するために編み出したのが「自分を落とすこと」。バカにされてもいいや。それなら自らバカになればいい。凄い(と見せかける)自分である必要は一切ない。こうして自分の弱さを曝け出したのだ。そこからプライドや虚栄心が削られていき、イジメは収まった。決して卑屈になったのではない。バカにする子たちは放っておいて、同じく自分を落とせる子たちと面白い事を求めるようになったのだ。そして5年生以降は楽しい学校生活を送れた。その経験から初めて会う人にも虚栄を張らず、素直な自分でいろと脳が指示を出すようになった。

 長いこと一緒に暮らしていると性格や考え方が似てくる。同じ物を食べ、同じ物を観て、同じ場所にいて、その都度感じたことや考えたことを伝え合う。次第に似てくるのは、至極当然なことだろう。
 私たち夫婦も、同じ物を観て、同じ物を食べ、その時に感じたことを伝え合うことを繰り返してきたからだろうか、隊長も自分を落とせるようになった。つまり人前で自身の弱さを曝け出すようになったのだ。もちろん卑屈になったのではない。ただ純粋に「こんな事しちゃった」と、失敗を表に出し、素直に謝る。素直に「僕が悪い」と認める。そして、それがなぜか笑いになり、話しが身近に感じられ、アドベンチャーレースを更に面白くさせている。アドベンチャーレースが大好きな隊長は、ありのままでいられるようになった。

 そうこうしているうちに、飾らない面白い人たちが自然と集まってきた。虚栄だとか、社会的地位だとか、プライドだとか、そんなもの一切存在せず、ただ自然でいられる仲間が集い、とても心地よい空間を創り出す。いわゆる「友達」だ。

 今年も貴重な面白い人たちに出会えた。また、従来の面白い友と、たくさんの面白い会話を交わしてきた。今年出会った面白い友や、面白かった話しに敬意をこめて一言。
「ありがとう。また来年も面白い事を語ろう」


posted by Sue at 21:02| Comment(0) | 悪妻のボヤキ | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2016年11月21日

タスキの輝き

 「お母さん、これ出ようと思う」
10月の半ば、娘が学校から持って帰ってきたのは、町の駅伝大会の要項だった。カテゴリーは小学生男・女、一般男・女、混合。各チーム5人。
「クラスの女子で出たいの!」
自発的に挑戦したいと思う気持ちは、何より歓迎だ。翌日から娘のメンバー探しが始まった。

 まずは足の速い子で結成するのがベストだと思い、マラソン大会で上位だったクラスメイトに声掛けをしたらしい。しかし期待した通りの返事はもらえなかった。その上、その話が独り歩きし、出場したい子が増えてきた。誰が出るとか出ないとかで先生を巻き込んだ揉め事に発展。ふむふむ。これは私でも想定内。こういった揉め事には親が出てはいけない。子ども同士でちゃんと話し合って解決すべし。
「みんなが納得いくような解決法を話し合ったら?」
「う〜ん、どうしたらいいかなぁ。明日、またみんなに聞いてみる」
翌日、結論が出た。
「この話はなかったことになった」
どうやら一人の子が出ないと言ったら、次々に出場辞退が出たそうな。なるほど。親としては残念であるが、それが彼女たちの決めた解決方法なら尊重しよう。

 ところが、またその翌日。
「Tちゃんが駅伝出たいって。だから新たにチームを組むことにした!」
顔を赤らめて興奮気味に帰ってきた娘が言った。もう駅伝出場は無理だと思っていた娘にとって嬉しい情報だ。
 Tちゃんはクラスでも足が速い方ではない(そう言う娘だって速い方ではないけど)。マラソン大会も娘より後ろだった。そんなTちゃんの口からでたのは、まさかの出場希望発表だった。そこから事態は動いた。
「私も出てみたい」と、またもや出場希望少女Kちゃんが現れた。そこにクラスで一番足の速いSちゃんも「やりたい」と申し出てくれた。俄然やる気になった娘。募るメンバーは後1人。そこで4人で相談し、町内の他校に通う同学年のお友達Rちゃんに声をかけることに。「やってみたい」と即答(子どもの少ない狭い地域ゆえ、他校の子であってもほぼ顔見知り)。こうして5人のメンバーが揃った。

 さぁ駅伝まで1か月間しかない。同校に通う4人の子どもたちは毎日、休み時間に練習をすることに決めた。練習内容は子どもたち自身が決めて取り組んだ。ただ走っても面白くないからと、鬼ごっこを取り入れたり、校庭の階段を使って登り降りのトレーニングをしたりと、バリエーションも混ぜたらしい。面白いことを考えるものだ。

 ある日、練習場に誰も来ていなかった。娘がメンバーを探しに行くと、一人は図書館で本を読んでいた。疲れもあるし、一日くらいは休んでもいいかと、娘は踵を返した。それに気が付いたその子が言った。
「あ、ごめん!!今行く」
二人はすぐに練習場に出た。他のメンバーもお友達と遊んでいたが、練習場に出る二人に気が付き、すぐに合流。もう一人も練習場に来ていた。まだ上手く言葉を操れない小学校3年生だが、言葉なんて発さずとも気持ちがひとつになっていることに驚く。

 こうして4人は来る日も来る日も練習をした。そしてチーム名を「ファインズ」と決め、担当区間を決め、実際のコースを試走した。徐々に雰囲気は盛り上がっていった。
 この間、私は一度も「練習しなさい」とは言わなかった。こうして自発的に何かに取り組む娘たちの姿を、ただただ嬉しく思っていた。

 そして駅伝本番。朝方に会場を包み込んでいた煙霧は、選手たちの勢いに押されてか、一気に吹き飛び、最高の秋晴れとなった。会場にはゼッケンをつけた背丈の大きいお兄さん、お姉さんが勢揃い。すでに軽くジョグでアップしている。しかし、小学生の我チームはアップというよりも、必死になって追っかけっこをしている。走る前からこんなにキャーキャー騒いで大丈夫かな?そんな親の心配も余所に、子どもたちは楽しそうだ。そうしている間に刻々とスタート時間が近づいた。

 スタートは足の速いSちゃん。初めての駅伝大会だが、雰囲気にのまれることなく、スタートラインに堂々と立った。Sちゃんは少々大きめの黄色のタスキを肩に掛けた。これが彼女たち5人を繋ぐ。最初の選手として、とても立派だ。Sちゃんはスタート合図と共に、大きなお兄さんやお姉さんたちの中に紛れて走っていった。
 コースは周回。第2走者は準備に入る。ここはKちゃんだ。Kちゃんも走るのが得意な方ではないだろう。しかし、この1か月間、毎日仲間と一所懸命にトレーニングをしてきた。直前には咳に苦しんだが、この日はマスクを外していた。
 Sちゃんが戻ってきた。準備をするKちゃん以外の3人は、ランナーに近づいて良いギリギリのラインまで行き、併走する。声が枯れるほど声援を送る。よく見ると、みんなで併走しているのはウチのチームくらいだ(笑)。 SちゃんからKちゃんへと、タスキが繋がる。Kちゃんが出走。ここでも声が枯れるくらいに声援を送る。
 Kちゃんが戻ってきた。苦しそうだ。しかし止まらない。その姿を見て、またもや3人が駆け寄る。仲間の応援を受けながら、Kちゃんは最後の力を振り絞り、タスキを第3走者に繋げた。
 第3走者は他校のRちゃん。すでに第4走者となっているお兄さんチームの背中を追う。人見知りしないRちゃんの朗らかな性格にとても助けられた今回の駅伝。彼女が出てくれたおかげで、タスキはしっかり繋がる。そんな事を想っていると、Rちゃんが顔を赤くして戻ってきた。お約束通り、3人が併走しだす。そして第4走者のTちゃんにタスキが繋がった。
 Tちゃんはカラダが小さい。試走の時、途中で止まる事が幾度かあった。しかしその度に呼吸を整えては、すぐに走り出す。決して諦めない。
「Tちゃん、ものすごい粘り強いんだよ。雲梯も手が真っ赤になってもぶら下がってるの。痛くないの?って聞くと、痛いよって。だよね〜(笑)でも、ず〜っとぶら下がってるの。すごく強いんだよ」
自分の自慢のように話す娘。そのTちゃんからタスキを受け取った第5走者、アンカーは娘だ。娘も足は差ほど速くない。すでにほとんどのチームがゴールしている中、受け取ったタスキをゴールテープまで届ける役目をしっかり果たさなくては。みんなで繋げたタスキを肩に掛け、前後にランナーのいないコースに出た。やがて娘の姿が返ってきた。それを見た4人の仲間が走り出す。

ゴール!

 結果は後ろから2番目。しかし、とても素晴らしい駅伝だった。5人がとても美しいランナーだった。何より、数字で表す結果(順位)よりも、ここまでの努力が数字に表れない得難い結果を生み出す。それはきっと、これからのこと。
 それぞれが葛藤を抱えていた。それでもこうして5人が繋げたタスキの輝きは、私たち親にとっても、何よりも誇らしいメダルである。

 子どもたちの中に、何かが染み込んでいく。今は点のような物だけど、それは、ゆっくりと時間をかけて深く染みていく。いつか彼女たちが大人になった時、その染みたものが胸に湧きあがる日が、きっとあるだろう。

 がんばりを褒めようと子どもたちを見ると、今さっき走ったばかりだというのに、またもや必死で鬼ごっこをしている。彼女たちの中では駅伝そのものは、すでに過去のもののようだ。

 それでいい。これから大きくなるにつれ、それぞれの道を歩く。明日になれば、新しい何かが起こり、その事に夢中になる。それでいいのだよ。だって、あの黄色のタスキは、彼女たちの胸の奥深くにきっと色褪せずに輝き続けるから。





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2016年10月26日

リンゴ畑の中心で愛を叫ぶ

 夏日が続いた10月初め、リンゴ農園のお手伝いに行った。日頃お世話になっているHさんが所有する広大なリンゴ農園では、文字通り手作業でリンゴを育てる。

 お手伝いの内容は葉摘み。日光が実に当たるように周囲の葉を落とす。気をつけなくてはいけないのは、葉を落としすぎないこと。葉はリンゴの甘みを作る大切な要素でもある。「日光と葉」。どの葉を摘むか。そのバランスが難しい。

 リンゴは落葉することで秋を感じ、実を赤くするそうだ。農園によっては落葉薬を使うところもあるらしいが、Hさんちのリンゴ園は薬は使わず、すべて手作業。ひとつひとつのリンゴに陽が当たり、赤味と甘みを出すように気を配る。高木の上部に生る実は脚立を使って作業。大変だけれど、その分、リンゴへの愛着が増す。

 農作業は時間がきちんと決まっている。10時と15時はお茶の時間。程よい日光を浴びるリンゴの木の下で、温かいお茶を頂く。昼夜問わずにアクセクしている生活から見ると、規則正しいルーチンワークは実に心地よい。そもそも人間は、お日様が出ると伴に起きて、お日様が沈むと伴に眠り、空腹になったら食す動物である。  

 だが、現代の生活と言えば、空腹でもないのに時間が来たら食を摂り、真夜中まで起きている。お日様と共に暮らしてきたルーチンが崩れてしまったことで、我々は生活環境も考え方も性格までもが変わったのかもしれない。なんだか殺伐としている。

 Hさんのリンゴ農園では肥料は与えない。昔はドカドカと肥料を与えていたそうだ。そうしないと木はやせ細ってしまっていたとか。しかし、それではリンゴ自身が持つ力が育たない。そこで施肥をストップ。危機感を感じたのだろうか?リンゴは種の保存のため、自ら赤く熟し、甘みをつけ始めた。そんなリンゴたちを援護するかのように、それまでに施し続けていた肥料は土に還り、何も与えずとも肥沃な土壌となった。

 こうしてHさんちのリンゴは日光が作り上げた自然の甘さをたっぷり含んだ実となり、やがて寒さから自身を守るために『蝋物質』を出す(ワックスのようなベタベタした成分。これはリンゴ自身が持つ成分で、熟したサインにもなる。自然のものであり、もちろん害は無い)。自ら頑張っているリンゴだからこそ、私たちは敬意をこめて、手作業で葉を落とす。

 リンゴ育ては子育てに似ている部分もある。肥料をドカドカ与え続けなければ、いつかやせ細ってしまう。だが永遠と肥料を与え続けることはできない。世の順として親が先に逝くのだから。だからこそ今、「学びの場」である学校でしっかり身に着けて欲しいのだ。

 勉強ではない。人間関係や社会生活など、身に起きる多くの出来事から学んで欲しいのだ。人が集まればトラブルは起きる。そんなトラブルが起きた時こそ、学ぶチャンスである。きちんと寒さも受け入れ、そして自身を守る『蝋物質』を出すことができるよう学んでいく。逃げずに自分で乗り切っていかなければ良い実にならない。我が子には、しっかりと甘い良いリンゴになって欲しいと願うのである。

 さて親として私はどうだろう。子を過保護にしていないだろうか。逆に放ったらかしていないだろうか。時に日光となり、時に雨となり、時に葉となり、時に寒さとなっているだろうか。適格にできているだろうか。

 隊長はこう言う。
「人間が学ぶものは全て自然の中にある」
リンゴ畑の真ん中で、黙々と葉摘みをしながら、そんなことを考えさせられた一日であった。


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2016年09月07日

経験談は他人事

 小学校3年生の娘。夏休みも終わり、2学期が始まった。2学期は運動会やらマラソン大会やら、秋の祭典・スポーツイベントが待っている。楽しみで仕方ない!はずなのだが・・・。

 そもそもウチの娘は運動が得意ではない。今にしてアドベンチャーレーサーなどと肩書を持つ隊長だが、小学校時分、運動はそれほど得意ではなかった。足も遅かった。私と言えば肥満体。走ったら「地面が揺れる」とバカにされ、泳げば「津波になる」と苛められた。運動音痴の代表的存在だった。運動会の徒競走だって、いつだってビリ。父に順位を伝えると「またか」と、呆れられたのを覚えている。

 私が運動らしい事を始めたのは中学校に入ってバスケットボールクラブに入部してからだった。なぜそれに入部したのか忘れてしまったが、部活動では、ともかく毎日走らされていた。自発的に、ではなく、強制的に、だ。
 先輩方は、私たち後輩に気に入らないことがあれば、即座に外周5周ランを命令。部員の中で一番足の遅い私は、いつもドベで、その罰として、1周余分に走らされた。できない部員はとことん追い詰めえられた。きっと先輩方も、そのまた先輩方に同じように追い詰められてきたのだろう。当時の「先輩」と言えば、今でいう某国の将軍様だ。今はこの悪しき風習が消滅していることを願う。
 先輩はもとより、同級生の部員とも、とりわけ仲が良かったわけでもない。あまつさえ、足の遅い私にとって、かなりアウェーな環境だと感じていた。レギュラーには程遠かったし、クラブ自体に何の役にも立たなかった。
 しかし先輩からどれだけ苛められても、同級生に仲間がいなくても、部員としての存在意義がなくても、何故だか辞めようとは思わなかった。ここで辞めたらすべてが負けてしまうように思ったのだ。

 とは言え、この先輩からの冷酷な命令があったからこそ、毎日強制的に走り込み、やがて「肥満」が「標準」になった。それどころか、走力も付き、中学校3年生で市民マラソン大会に中学校代表選手として出場した(結果は覚えてない。程々だったと思う)。運動会のリレーの選手にもなった。ゆえに、あの悪しき風習も悪い事ばかりではなかったのかもしれない。
 逆に「良き経験」と言うべきかもしれない。社会に出てからと言うもの、あの時の非情な先輩方を思うと、どんな上司や同僚であっても温情のある優しい人たちに見えたし、その人たちのために出来る限り頑張ろうと思った。会社が楽しかった。今でも「私は常に良い上司、同僚、友達に恵まれている」と思えるのは、あの時の辛辣な経験があったからであり、受けるべき経験だったのだと思う。



 運動が苦手な娘は、「田中正人の血を引くのだから」とよく言われる。なんと残酷な言葉であろう。本当は運動が苦手だった隊長と私の子なのだから、周囲が言うように「血を引く」で比喩するなら運動ができないのが自然だ。しかし小学校低学年の甲乙は比べやすい運動結果で決めてしまうことがある。ゆえに、運動が苦手な娘にとって、差が明確に出てしまう運動会やらマラソン大会は、あまり歓迎したものではないのだ。
 親として期待がないわけではない。努力すれば、きっと良い結果が生まれる。しかし、それを子どもにどう伝えたらいいのだろうか。経験談はあくまでも他人事であり、結局は、その人自身が経験しなければわからない事なのだ。
 よくしたもので、神様はその人がその時に必要な経験を与えてくれる。辛くて仕方ないことであっても、いずれその経験が活かされてくる事を見越して。
 どのみち、これから成長するにつれ、子どもはたくさんの経験をする。ひょっとしたら娘は、私が経験したこと以上に辛い経験もするかもしれない。しかも、その経験が活かされるのは、ずっと後になろう。
 だからそれまでは、少なくともお家だけは、できないことを咎めて、努力を強いる場所より、できたことを認めて、褒めて、一緒に喜ぶ場所であるようにしたい。
 
 さて、小学校の運動会では、言うまでもなく、今年も娘は花形リレー選手から漏れた。足が遅いのだから仕方ない。仕方ない事は解っていても悔しかっただろう。けれど、それも経験。その悔しい経験は、いつか活きる。
 でもね、アキラ。悔しながらも、選手になったお友達を心底応援しようとするあなたの気持ちこそが、実は私たちをとても豊かにしてくれているんだよ。お父さんもお母さんも、ちゃんと解ってるよ、あなたの「真の強さ」が何であるかを。






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2016年06月23日

麗しき中高年の空気感

 日本海をスタートし、北アルプス、中央アルプス、南アルプスを抜け、太平洋を目指す。動力は一切使用しない。使うは己の脚のみ。その距離約415q。これを8日間内で走破するレース『Trans Japan Alps Race』。二年に一度のこの大会が、今年もやってくる。今週末はいよいよ選手選考会だ。

 このレースが始まったのが2002年。隊長がこのレースに出場したのが2004年(優勝)、2006年(リタイヤ)、2008年(優勝)。
 2004年は伊豆アドベンチャーレースの準備の最中だった。
「1週間ほど留守するから」
私ひとりを伊豆に残して自分だけさっさと富山(日本海)に行ってしまった。まだこのレースをよく知らなかった私は、ゴール寸前の隊長から「大浜海岸(静岡)まで下着を持ってきて」という電話にブチ切れた。とは言え、くっさ〜い服で戻られても困るから、知り合いの静岡大学のM先生に「100円ショップでパンツと靴下だけ買って大浜海岸に持って行ってやってください」と、やけっぱちのお願いをした。それも朝5時くらいに。驚くことにM先生は快く引き受けてくれた。M先生には感謝しつつも、そこまでの人の良さがいまだに不可解である。
「大学教授を顎で使うな!」
100円ショップ(だと思われる)パンツを履いた隊長に叱られたのは後の祭でホイサッサ。
 2006年は取材としてレースに関わった(記事はターザンに書かせていただいた。人生初のライター業)。直前までアメリカのアドベンチャーレースに出場していた隊長は、その影響か、中盤で足が動かなくなった。その年の完走者は2名。関門時間ギリギリ2位で完走した故・高橋香さんは、実は私の中のTJARヒーローである。あの穏やかな顔が、太平洋に近づくにつれ、増していく痛みと残りわずかな時間を相手に、どんどん歪んでいった。それでも足を止めない。ボロボロの脚を引き摺って太平洋を目指す。最後の最後、真夜中の大浜伊海岸で高橋さんを待つ数名の仲間を見た瞬間、歪んだ形相が収まり、いつもの穏やかな顔になってゴールした。
 2008年は、私がこの大会に関わり始めた年。当時はまだ公式サイトがないので、外部ブログを立ち上げて、レースの行方を日々アップしていた。24時間パソコンに張り付きの8日間。娘が生まれたばかりだわ、睡眠時間が極端に少ないわ、買い物にも行けないわの8日間。苦しかったけど、なぜか辛くはなかった。更なる苦しみの中でもがく選手の力走を見ると、俄然、力が湧いてきた。

 それまでは愛好者だけで運営していたこの大会だったが、以降、実行委員会が設立され、ウェブページも始動し、協賛企業も増え、テレビ番組でも放送され、チャレンジを熱望する人が急増した。TJARは、予想をはるかに超えて大きくなっていった。
 大きくなればはるほど、実行委員会の負担も大きくなる。やる事が莫大に増え、責任も怖いほど増える。選手たちが不眠不休で山を歩く間に、何が起きるかわからない。台風が来たり、落石があったり、落雷があったり、滑落だってあり得る。実行委員は神様じゃない。壮大なチャレンジのチャンスをお膳立てしているだけで、自然や選手自身の体調はコントロールできない。当然ながら命の保証はできない。選手は自分の身は自分で守るしかない。逆に言えば、それができる人しか、この大会のスタートラインには立てないのだ。

 こんな壮大なチャレンジだが、実行委員は8人だけ。皆それぞれ仕事と家庭を持っている。住むところもバラバラ、年齢もバラバラ。平均すると50代。胸を張るほどの若いパワーは持ち合わせていない。そんな熱き中高年8人が「TJARを成功させる」と言う士気だけを統一させ、この壁に挑んでいる(そもそも、その中に自分がいる事自体、大丈夫なのだろうか?と疑ってしまうのだが)。
 私を抜いて(ここは明白!)全員が精鋭。誰ひとりとして受け身はない。自分からすべて能動的に動く。だからイベントに対する疑念がない。互いに「この人、大丈夫かな?」という不安も不信感もない。あるのは敬意と信頼。だから安心してメンバーに仕事を任せられるし、自分の持ち場にも集中できる。
 それは「目的がひとつ」だからだろう。私たちは「TJARを成功させる」一点に集中している。自分の持ち場は最初から最後まで責任を持って行動する。言いっ放し(案だけ出して、後は何もしない)とか、責任転嫁のような無責任な言動がない。かといって仲良しグループとは違う。問題点は全員でシェアし、とことん論議する。一人でも納得いかいなら、納得いくまで話し合う。だからだろうか、その場にいると、とても気持ちがいい。空気感がスッと締まり、背筋が気持ちよく伸びるような感じ。でもって穏やかであり、優しくもある。
 しかし、切るべきところは切っていかなくてはいけない。時に周囲に対し、我々の判断がきついと思われる事もあるが、2年間すべてを費やしてきた選手の気持ち、山小屋の立場、そして応援者の立場も十分に理解した上での決議である。命のかかった挑戦に真剣に向かい合っていることを分かってもらえたら有難い。

 同じような空気を感じる場がもうひとつある。みなかみ町で行うキャンドルナイトだ。こちらは半日完結型のイベントだが、職種様々な町在住の有志が集まり、イベント会場をキャンドルで彩る。単にキャンドルを灯すだけではない。事前にキャンドルの仕込み作業をし、火が何時間もつかを確認し、どこに何個、どのようなレイアウトで置くかなど、細かい仕事がわんさかある。目立ちすぎてもいけないし、目立た無すぎてもいけないのがキャンドル。微妙な存在だからこそ、気持ちがひとつにならないと美しく彩れないのだ。
 キャンドルナイトの実行委員会も若いパワーはない。地元のおじちゃんやおばちゃん(私を含む)で構成されている。配置も担当箇所も決まっていない。ただ、スタッフが足りない、キャンドルが足りない、火が弱い、風が強い、など、自分が見つけた問題点は自分がそこに入って対処する。その時の空気感は、とてつもなく心地いい。この実行委員会に入って、この町を一段と誇りに思えるようになった。

 TJAR実行委員会やキャンドルナイト実行委員会も、首長がともかくよく動く。組織の中で一番汗を流し、プライベートや仕事を犠牲にしてまで、一銭も入らないイベントに力を入れる。TJAR実行委員会のI委員長は徹夜で書類を書き上げ、時間を見ては山小屋や関係省庁を回る。キャンドルナイト実行委員会のF委員長は重い荷物を運び、細かい作業も進んでやっている。この姿を委員たちは見ている。だからこそ、尊敬すべき首長の指揮に合わせて私たちも個々の楽器を奏でる。その一帯となる空気感は作ろうとしてできたものではなく、自然と生まれてきたものなのだ。

 さて、残念ながらイーストウインドに、その空気感に至っていない。至っているのかもしれないが、私はその空気を感じない。思うに、私情(感情)がその一体感を邪魔するのではないかと。目的(レース)があまりにも過酷だし、長時間だからなのかもしれない。準備も含めれば、かなりの時間をアドベンチャーレースに費やすこととなる。そうなるとプライベートの犠牲も多くなる。それがストレスとなり、やがて「私情(感情)」に、自分の都合のいいようにしか行動しない「御都合」が重なる。私情主義&御都合主義のチームになると、その空気は、北京の大気質汚染指標を上回ることとなる。チームワークが鍵となるアドベンチャーレース。すでに準備の段階からレースは始まっているのだ。

 では、TJAR実行委員会やキャンドルナイト実行委員会と何が違うのだろうか?
思えば中高年の実行委員会に比べ、イーストウインドは若いパワーが満載。その若さこそが、原因なっているのかもしれない。若い時は「自分はこれがしたい」という想いが強く出る(私もあったあった)。それは決して悪いことではないし、むしろ人生のモチベーションともなる。そこに社会経験が積まれ、どんどん受け皿が広くなり、やがて「これをより良くするためには、自分は何をしたらいいだろう」と言動を考えるようになる。こうして人は組織の中での自分の役割を見出していくのだろう。若い時に抱く「これがしたい」は、大切な取っ掛かりなのだ。

 アドベンチャーレースを見ていると、欧米選手は「個」を大切にするようだ。自分が強くなり、メンバーを引っ張っていくと言う意識が働いている。代々培ってきた遺伝子なのだろうか、それら「個」は、きちんと出来上がっている。だから「個」でレースをしていても、互いに通用しあえている。スーパーマンやバットマンのように一人一人がヒーローであり、さながら濃いキャラのピン・ヒーローたちが集まってレースをしているようだ。今の日本の若い世代は、この「個」の感覚に近づいているように思う。
 一方、日本人は「和」を大切にする。一人ではできなくても、仲間と一緒なら越えられると信じる。いや、災害時など、実際にいくつもの壁を越えてきた。人を信じること、思いやることができる民。欧米がスーパーマンなら日本は複数のメンバーで1人の敵に立ち向かう戦隊ヒーローたちであろう。無責任な他力本願では成し得ない。この「和」は、きちんと責任を持ち合わせた上に派生した信頼である。

 アドベンチャーレースを始めた頃の隊長は正論をぶちかましていた。それがもう中高年だ。その間、正論を振りかざしても人は変わらない事を学んできた。加えて年代のギャップ。特性上、イーストウインドは若いパワーが必要になる。このギャップもうまく活かしていかねばならない。
 従って、これからの私たちの課題は、我々のDNAに染み込んだ「和」と、若い世代が持つ「個」をいかに融合させるか、であろう。これが絶妙な配分で融合すれば、より強いチームとなるし、良き部分を引き出せば、必ず結果はついてくる。
 それはアドベンチャーレースだけに非ず。一般社会においても家庭内においても、これこそが私たちの世代が立ち向かうべき壁かもしれない。

呑気にせんべい食べてる場合じゃない。おばちゃんの悶絶的苦悩は、まだまだ続くのであります。





posted by Sue at 10:33| Comment(0) | 悪妻のボヤキ | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2016年06月04日

「夫を支える妻」という見間違い

 私は、よく「夫を支える妻」と見間違われる。どこをどう見たらそうなるのだろう?
夫はただ好き勝手な事をしているだけだし、それがなんだか楽しそうだから放っておいてるだけなのだが、それを「支えている」と言われると、なんだか後ろめたい。なんというか、「100点取りました」と嘘をついて褒められているような気がするのだ。


 先月末からやるべきことが重なり、かなり疲れていた。睡眠時間も少なかったり、食事の支度も適当だったり、散らかった物も片付かなかったりと、そんな小さなこと苛々を積もらせ、余計に気持ちを疲れさせた。
 そんな時に限って、事務所兼住居の我が家で事務仕事をしている隊長。焦りなど一切見せず、マイペースで作業をしている隊長に対し、またもや苛々が積もる。
 それに輪をかけるかのように、宿題も片づけもせずに遊んでいる娘を見ると、更に苛々が蓄積され、先日、とうとう苛々のキャパが限界に達し、爆発してしまった。

「少しはこっちの身になってよ!」
女にこう言われた時の男の顔ってのは、たいていがキョトンだ。
「何をすればいい?」
返事もたいてい同じ。いやいや、何をして欲しいわけじゃない。ただ分かって欲しいだけなのだよ。男ってのは、どうしてこうも解決策を求めるのだろうか?

隊長だけかな?いや、少なくとも、これについて話をしたK家も同じだと言っていた。ゆえに、ここではK家と我が家を男女代表とさせてもらおう。(このブログをお読みくださる方へ。ここでいう男と女というのは、田中家とK家のみとさせていただきますので、あらかじめご了承ください)

 こうして私は隊長にあたる。隊長はまだいい(んー、よくないか)。反省すべきは、ダメだと理解しつつも娘にもあたってしまった事だ。
 小学校3年生ともなると、親に言い返す力をつけ始めている。少し前までは親が一方的に怒り、それを素直に聞き入れていたが、今では一丁前に口論にまで発展する。女同士の口論だからか、論点がズレまくる。相手の話など聞いちゃいない。言葉尻だけ捉えるもんだから、話があっちやらこっちらやに飛びまくる。自分の非は認めず、相手の非を探しては、そこをこれでもかと言わんばかりに攻撃。
 要は自分を正当化したいのだ。こうして論破してスッキリする。そらね、何の生産性も発展性もないですよ。でも、これが女の心理なのですよ。

 ゆえに女が怒っている最中は男が捻出したがる「解決策」など通用しない。だって女は、自分を正当化したいだけだもの。だから男よ、女が何か不満を言っている間は自分から会話(特に解決策)をかぶせないことです。そうか、そうかと同意・同情をしてください。時間が経てば何もなかったようにケロッとしますから。理解し難いかもしれません。でもね、それでもいいんです。『黒の舟歌』でもあるじゃないですか「男と女の間には深くて暗い川がある」って。理解できないんです。
(再度申し上げます。ここで言う男と女は、あくまでも田中家とK家の場合であります)

 
 先日、男の子がしつけとして山中に置き去りにされた事件があった。この親がやったことはとんでもないことだ。が、どうにも子どもが言う事を聞かないとき、そんな気分になるのはまったく解らないわけではない。特に苛々要素がメいっぱい絡んでくると、「もうあんたなんて知りません!」的な気分になることもある。
 とは言え、いずれ子どもは言い返すようになるし、それも成長の過程だもの、親はウェルカムしなきゃいけないのです。それは重々に分かっている。分かっちゃいるが、一度火がつくとなかなか収まらない。沸騰ヤカンのように熱くなる私に対し、隊長が冷静に言う。
「親子のガチゲンカも成長過程に必要だね」
(ほら、また無理矢理解決しようとする!あ〜この冷静さも腹立つ!!)
 それにしてもガチゲンカで山に置き去りにされたのでは、溜まったもんじゃない。しかし、その男の子が自力でシェルターを探し、そこでサバイバルしていたのはあっぱれである。この子は、一旦は入院するということだが、そのうちお家に帰ってママの作る温かいご飯を食べるのだろう。生きててよかった。


 どんな時も温かいご飯と共に迎え入れてくれるのが家族である。八つ当たりしたり、ガチゲンカしたりするのも、結局は何も言わずに受け止めてくれる。どんな事があっても包み込んでくれるゆえ、思う存分、甘えることができる場所なのだ。
 だから爆発できる私は夫や子どもに思い切り甘えているのだ。わけのわからない事で自分を正当化しようとしても、むちゃくちゃな理論で相手を論破しようとしても、一緒にいてくれる。純粋に甘えても許される場所なのだ。

 私は「夫を支える妻」ではなく、実は「夫に支えられている妻」なのである。





posted by Sue at 09:34| Comment(0) | 悪妻のボヤキ | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする