2016年01月25日

娘からの質問

「ねえ、お母さん。なんでテロとかってするの?人をたくさん殺してまで、何が欲しいの?」娘に聞かれた。時々、子どもは大人が答えに窮する質問をさらっとしてくる。

そうだね、何が欲しいんだろうね。自由、平和、しあわせ、満足感、名声、富、権力・・・。テロに大義名分はあるだろうけど、その行為によって彼らが本当に欲しかった物は得られているのかな。

私たち人間は、時折、もの凄く「欲」が強くなるね。恥ずかしながら、お母さん(私)なんかは、その最先端にいるのかもしれないよ。だって欲しい物、いっぱいあるもん。でもね、そんな「欲」が強すぎちゃって、時々目の前にある大切なものを見失う時もあるんだよ。

目に見えるもので、持ってない物が欲しくなっちゃって、目に見えない大切なものが見えなくなっちゃうんだよ。

たとえば、たくさんの富と引き換えに、あなたの笑顔を見られないという取引があったとしたら、お母さんは迷わずにあなたの笑顔を選ぶ。でも世の中には、大切な人の笑顔より富の方を選ぶ大人がたくさんいるんだよ。

「お腹が空いたから、ご飯を食べる」「学校に行って、みんなと勉強や運動や時々ケンカする」「温かいお布団で眠る」「大好きな人といっしょにいる」「ただいま/おかえりって言える場所がある」そんな小さな願いも、国益とやらのために、簡単に潰されちゃう。今、目の前にある人を笑顔にさせられず、誰を笑顔にさせられるって言うんだろうね。

私たちって悲しみや苦しみと常に一緒いると思わない?
この間、お母さんが大好きだった叔母ちゃんが亡くなったでしょ。あの時、お母さんは周りの人が驚くくらい、わんわん声をあげて泣いたよね。

通夜のあと、従弟(叔母ちゃんの息子)が来て、私の肩に手を当てて「ありがとう。母さん、喜んでるよ」と言ってくれてね。その時、大切な人を送り出すことも幸せなことなんだと思ったよ。傍にいなくなってしまう事は悲しいけれど、愛情いっぱいに送り出せるのも、送り出される側にとっても、この上なくしあわせなことだと思ったよ。別れが淋しくて涙をしてくれる人がいる事は、とてもしあわせなことなんだって従弟の言葉でわかったよ。

でもね、戦地では、それができない人もたくさんいる。どこに行き、どこでその大切な命を閉じているのかもわからない。人は必ず天国に行く。でも、その時に「ありがとう」って送り出せない事ほど、残った人間にとって辛いことはないかな。

あなたは「〇〇ちゃんとケンカした」って学校の話をしてくれるけど、そんな話を聞いていて思うんだよ。「ケンカして、仲直りして、また遊べる。そんな事を繰り返せる日々が、そんなお友達がいるってことが、しあわせなんだなぁ」って。だから、そんなケンカ友達も大切にしようね。今は解らないかもしれないけど。

これからのあなたが大人になる過程で、いろんな人たちに出会うだろう。

とても嫌だなって思う人に出会うこともある。でもね、それは自分を成長させてくれる糧になるかもしれない。反面教師として「こうされたら、どう思う?」「こういう言い方をされたら、気分良くないでしょ」と言うのを、身を持って教えてくれる奇特な人。そんな嫌われ役を買って出てくれる有難い人だと思わない?だから怒らない、怒らない。

また、あなたをとても好きになってくれる人にも出会う。あなたのために泣いてくれたり、笑ってくれたり、励ましてくれたり。そして、あなたもその人のために涙を流したり、話を聞いたり、一緒に大笑いする。やがて「ただいま/おかえり」って言える人に出会う。

あなたが出会うすべての人が、あなたにとって意味があり、大切な人になる。

今、私たちがこうしている時間にも世界のどこかで大量の血と涙が流れている。そして哀しみが怒りに変わる。それがテロとなり、また新たな血が流れる。この連鎖は、どこで止まるのか。悲しみを生み出す「欲しい、欲しい」は、どこかでやめられないのか。

ねぇ、あなたには、人を殺してまで欲しいもの、ある?
ないから、欲しくなるのかな?だったら自分が持ってないものを数えるより、持っているものを数えてみようか。結構あるね。しあわせになるのに大義名分なんて要らないね。今ここにある瞬間を想えば、大切な人を想えば、「充分なしあわせ」が見えてくるのにね。


posted by Sue at 09:59| Comment(0) | 愚母の苦悩 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2016年01月11日

ダメだし

先日、ある仕事がうまくいかず落ち込んでいた。隊長と議論するも、「そこが良くない」「もうちょっと上手くやらないと」。出てくるのは落ち込んでいる原因をグリグリと抉るばかりで、気持ちが更に深く落ちていく。哀しい事に、改善するようなアイデアは出てこなかった。

隊長になら落ち込んだ気持ちを言える。しかし、他者には仕事の失敗で落ち込んでいるなどと言えない。いわゆる「ダメだし」を受け続けなくてはならないのだ。

もういいよ。もうその話は止めようよ。心がチクチクするよ。黒くてドロドロした波に呑まれるような気分だった。

そんな中での一本の電話。主は昔から馴染のあるYさんで、私たちのことをよく知っている人物。今回の私の失敗を受け、電話をくれたのだ。

「あれは失敗だね」そんな分かり切ったことをまた言われるのかと構えたのだが、彼はひとつも責めることはなかった。むしろ改善を一緒に考えてくれる励ましに聞こえた。「次はこうしない?」「あ、いいこと思いついた!これってどう?」「僕がこれやるから、すーさんはこれやってよ。大丈夫、うまくいくよ」深く凹んでいた心が、徐々に盛り上がっていくのが分かった。

落ち込む原因であるはずの内容が、彼と話をすると、ともかく楽しい。なんだろう、この前向きな感覚。声のトーン?電話越しの笑い声?

じわじわと救われていく心。「次は巻き返すぞ!」という意欲。失敗のはずが、なぜだかワクワクしてくる感覚。「失敗しても落ち込まなくてもいいんだ。ワクワクしてもいいんだ」なんだかそんな気分になっていった。

「人間はダメだしの天才」と心理学者アドラーは言う。「あれじゃダメだ」は誰でも言える。テレビに出てくるタレントやアスリートはもちろん、会社内や家庭内でも、人は他者の言動に対して簡単にダメだしする。その人がどんな気持ちでそうしたか、どんな理由があるのか、陰でどんな努力があったのかなど、何も知らないのに。

思えば、私も簡単にダメだししている。特に娘に対しては「これじゃダメ」「もっとちゃんとしなさい」など、漠然とした注意ばかりで、改善方法を一緒に探すことはしていない。これじゃ活を入れるどころか、凹ませるばかりだ。

失敗は誰にでもあるし、成功するためにはついて回る。失敗をして一番反省し、凹んでいるのが当人であれば、それ以上責める必要はない。当人が事の事態をしっかり受け止めて、落ち込むだけ落ち込んだら、同じ失敗をしないように気を付けるだろう。ならば、これ以上は責め立てず、娘が顔をあげて、背筋を伸ばして、再び一歩踏み出すよう背中を押すことが、親の役目かもしれない。

今年でアドベンチャーレース歴22年となる隊長。今までに幾度も幾度も失敗を重ねてきた。その度に、多方面からダメだしを食らう。親身になっての温かいダメだしもあるが、中には心無いダメだし、意味不明のダメだし、単に他人事のダメだしもある。そして、これからも新たな失敗と、そのダメだしに苛まれるだろう。しかし、温かいダメだしには愛情と優しさがあり、出された方は、それをきちんと感じるものだ。

隊長が22年間もダメだしをされながらもアドベンチャーレースを止めないのは、温かいダメだし(励まし)をしてくれる人たちによって、常にアドベンチャーレースに対しするワクワク感があるからなのかもしれない。私が感じたYさんからの励ましと同じく、次につなぐ意欲になるのだろう。

さて、2月はPatagonian Expedition Race。これまでの失敗と、親身になった温かいダメだしと、そしてワクワクする意欲と、新たな決意を抱え、これまでの集大成とされるこの大会に隊長は出場する。田中正人48歳、現役アドベンチャーレーサー、まだまだ日々精進。




posted by Sue at 09:28| Comment(0) | 悪妻のボヤキ | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

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