2016年04月29日

時は来た

隊長がチリに撮影の仕事に行った時のこと。現地でのスタッフ間のやりとりの手段は、もっぱらスマホだったらしい。搭載された位置ソフトが、かなり有効活用されたとか。ガラケー愛用の隊長は連絡に遅れを取り、皆様に迷惑をかけた事を後悔していた。いよいよ隊長も、スマホを持たねば仕事に支障をきたすようになった。

チリから帰国して1週間後にナミビアに行くことになっていた隊長。
「時は来た」
と言い出した。始まった。はいはい、欲しいのね、スマホ。しかし、自分だけ替えるとなると私が不機嫌になることを察知してか、
「あ、Sueさんのも替えよう」
って。気を使って言ってるんだろうけど、なんだか私のスマホ切替は「オマケ的扱い」な気がしなくもない。

機械に生活を支配されたくはない、と常々思っている。たまに電車に乗れば、半分以上の人がスマホで何かを観てる。この光景が途轍もなく怖い画に思えて仕方ない。ちょっと前なら文庫本やらスポーツ新聞を8つ切りくらいに畳んで読んでたのが、今やどれも似通った端末になっている。何かに憑依されてるようで、ゾクッとする。

機械は使う側次第で善にも悪にもなる。うまく使えば、仕事の範囲も広がるし、生活も潤沢になるし、友人との交流もスムーズになる。機械に支配されるのではなく、機械を利用するのだ。よし、わかった。切替えよう。必然的に私も機械と対決する時がきたのだ。

そんなわけで、私たちは携帯電話ショップに行った。平日の昼間というのに、ショップは混んでいた。スマホ機種を選ぶのに5分。待つこと20分。切替の説明を受けること4時間弱。その間、娘はショップに陳列されたスマホやらiPadやらのサンプルでゲームをして待つ。丁寧に説明をしてくれるのは有難いが、内容の8割はチンプンカンプンだ。もう隊長にお任せ。好きにしてくれ、私の分は。
なんとかスマホを入手し、帰る頃には、娘はすっかりゲームの達人になっていた。

スマホを入手した翌日、隊長はARJS岐阜長良川大会に出向いた。私は誰にスマホの操作方法を聞けばいいのか(と言っても、隊長に聞いたところで解るわけもないけど)。そうか。この手の流行機をプロ級に操るのは女子高生だ。
ということで、近所の女子高生Aちゃんにご教示いただく。イライラ、ボケボケする私に対し、Aちゃんは優しく丁寧に使い方を教えてくれる。あぁ、この子はきっと良い嫁になる。介護も笑顔で引き受けるに違いない。今度お寿司でもごちそうするからね。あ、回ってる寿司だけど。

ご教示を一通り受けた後、気が付いたらスマホの呼び出し音が掲示されていた。しかも同じ人から幾度か。いつの間に?かけ直そうと思うのだが、なにせ時間がかかる。モタモタ。そうしているうちに、今度は違う人からかかってきた。ARJS岐阜長良川大会にいるはずのKさんからだ。そう言えば、幾度も電話をくれたSさんも岐阜にいるはず。何かあったのかな。

電話に出るや否や、Kさんが言った。
「あ、Sueさん?田中さんに代わるね」
ん?どうした?なぜ、自分の電話からかけてこない?何かあったのだろうか。レースを主催する側としては、複数の着信には敏感になる。
「あのさー、スマホの操作方をみんなに聞きまくってるんだけど、ID忘れちゃって。僕のID覚えてる?」
知らん!!他人のIDなんか覚えてる時間があったら、電話の掛け方を覚えてるっての!そんな余裕など、今の私には一切ございません。
「いや〜、レースに来てるのに、スマホの取扱いでみんなを巻き込んじゃって(笑)今日一日、これで終わっちゃったよ〜。はははは」
あーた、皆様に迷惑をかけないためにスマホを買ったんちゃうん?

それでもスマホ。やっとスマホ。きっと何か楽しいことが待っている。GWも近いし(連休とスマホは関係ないけど)。使っているうちにきっと慣れるさ。ラインとか、メッセンジャーとか、聞いたことしかなかったソフトが使えるし、これでママたち間の情報も後れを取らずに済む。ちょっとずつ前向きになってきたぞ。あ〜、よかった、よかった。しあわせ、しあわせ〜。

そんな前向きになった翌日、新聞にこんな記事があった。
『フランシスコ・ローマ法王は、バチカンのサンピエトロ広場に集まった約10万人の若者信徒らに向けて「幸せは携帯電話(スマートフォン)のアプリではない」と語り、「持つ者は幸福」という物質主義に陥らないよう呼びかけた。
その上で「幸せは携帯電話にダウンロードするアプリではない。最新版を手に入れたところで、あなた方が自由になり、大人になるのを手助けしてくれるわけではない」と述べた』

地球上に12億人の信者を持つローマ・カトリック教会の最高司祭であるローマ法王。そこいらの偉い方々と桁が違う偉大なお方というは重々承知だ。
でもね、あえて言わせていただけるのなら、勇気を持って一言だけ言わせていただきたい。
「法王様、今、それ言うかな・・・」






posted by Sue at 07:00| Comment(0) | アドベンチャーな家族 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2016年04月14日

サンドイッチのおいたち

長い冬が終わり、みなかみ町にも良い季節がやってきた。タラの芽、ふきのとう、土筆、ノビル、山の幸が待ってましたとばかり、そこらじゅうで顔を出す。

こんなおいしい物があふれているというのに、娘は口にしない。まぁ山菜は苦味もあるので小学生にはきついのかな(その苦味こそが美味しいんだけど)。

今までは、彼女の苦手な野菜は小さく刻んでカレーやら卵焼きに入れて、味を誤魔化して食べさせていた。『子どもが苦手な野菜もモリモリ食べちゃうひと工夫』などと書かれた料理雑誌やネットを見ては調理。確かに、見た目や色からは、その野菜が入っているとは思えない。しかし、この春から小学校3年生になる。もうこうした誤魔化しは止めようと思う。苦手な人参やピーマンも、小骨の多い青魚も、それが持つ固有の味や特徴をそろそろ知るべきだと思うのだ。



先日、出先で娘とチキンサンドイッチを買った。満開の桜の木の下に座り、サンドイッチ袋の封を切った。ふと「このサンドイッチ、いっぱい具が入っているね」と娘が言った。よくよく見ると、チキンとレタスだけではない。刻んだゆで卵、玉ねぎ、ピクルス、その他にいくつかの野菜が入っている。

「今こうして私たちが食べようとしているこのサンドイッチを作るのに、何人の手がかかったんだろうね」と、何気なく娘に問いかけたのが発端で、しばし二人でサンドイッチのおいたちに遡る。

「まずは、さっきのレジのお姉さんでしょ、このサンドイッチをお店に並べた人でしょ、パンを作った人でしょ、チキンを作った人に野菜を作った人と…」
「このチキンひとつとっても、調理した人や、そのための調味料を作る人、チキンを育てる人、そのための餌を作る人、そして屠畜する人、その設備を作る人。たくさんだね」
「野菜だって、それを作る人、そのための肥料を運ぶ人、その肥料を作る人」
「その野菜が海外からの輸入物だとしたら、それを運ぶための船や飛行機を作る人や、それを運ぶための燃料を掘り出す人。ものすごくたくさんの人がいて、このサンドイッチが食べられるね」
「だったら『いただきます』は、作った人だけじゃなくて、このサンドイッチに関わったすべての人に対して言う言葉なんだね」
そんな思いでいただいたサンドイッチは、超一流レストラン物のようで、とても美味しかった。

飽食の日本では平気で食べ物を残す。もはやラーメンやうどんの汁は残すことが普通にすらなっている。そのスープだって、何人の手が関わってきたことか。

「食べ過ぎで太ったから」とダイエット食品を購入する。世界ではおよそ8億5000万人、なんと9人に1人が飢餓に苦しんでいる一方での出来事だ。

これからは、食材を誤魔化すのではなく、その食材には何人の手が関わってきたのかを想像し、その苦労ひとつひとつに感謝し、しっかり味わっていこうと思う。それが苦かったり、しょっぱかったり、固かったりもするかもしれない。それはそれで良い。それ自体を味わう事は、関わったすべての人の努力に感謝することである。

まず何より残さないこと。どんなにお行儀よく食べたところで、残してしまえば品もマナーもない。感謝があった上に品やらマナーは成り立つ。

ということは、調理する側にも責任がある。せっかくたくさんの人が関わった食材だもの、おいしく作る責任があるのだ。そんな責任重大な役目を任された主婦(主夫)だもの、毎日の献立に心血を注ぐのは、ある意味、使命的なものかもしれない。

さて、今夜は何にしようかな。



posted by Sue at 15:55| Comment(0) | 愚母の苦悩 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2016年04月08日

互助精神

先日開催された「ハセツネ30K」で、トップゴールした選手が、男女ともに義務装備不携帯で失格になったことについて、隊長がフェイスブックでこんな事を書いている(以下、隊長のFBから転記)。

『主催者は英断を下してトレランレースの現状に一石を投じたのだと思いました。
一般的には、「皆の手本となるべきトップ選手がルールを守らなくてどうする」的な意見が多いようですが、私には示唆に富んだ多くの問題意識を与えてくれました。

まずは、義務装備とはどういうものか?ということです。
トレランを安全に遂行するにはどんな装備が必要なのかを、皆で改めて考える良い機会だと思いました。そして、その装備はどんな役割を持つのか?ということを理解することも大切なのではないかと。

自然の中では自己責任で行動する必要があるため、自分の安全を守るための装備という位置付けが大勢だと思います。しかし一方で、他者を助けるための装備と捉えたらどうでしょう?自然の中ではお互いに助け合うという互助精神も必要です。

自分の持っている装備が人を助けるとか、他人の装備で自分が助けられることもあるということが、自然の中では多いのではないでしょうか?

救急法の習得も同様だと思います。特に心肺蘇生法などは自分を助ける技術ではないわけです。しかし、皆が習得していればお互いに助け合うことができます。

人間が自然と対峙することで学ぶことは多いです。その最たるものは、自然は偉大であり、脅威であり、人間はちっぽけな存在であるという畏敬の念を謙虚に持つことだと思います。そうすれば人は助け合って生きていくべきだし、トレランレースにおいてでさえ参加者全員の無事のゴールを願い、気になるようになりたいものです。

トレランを愛する同志に何かあればすぐに助けに行くような連帯感、さらには責任感まで持てるようになったら、トレランは素晴らしい文化になるんだと思います』


Patagonian Expedition Raceで、隊長が自転車転倒でケガをし、イーストウインドは窮地に立たされた。過酷な自然環境の中、それを乗り越えられたのは他の3人の支えがあってこそ、である。まさに互助精神の力に尽きる。

隊長の荷物をメンバーが分担して背負い、カヤックも陽希が主に一人で漕いだ。手が不自由だった隊長の用足し後には、ズボンの紐締めすらもメンバーがやってくれた。文字通り、彼らが助けてくれたのだ。そういった事が、観ている側に感動を伝える。

順位を競うものだから、結果はついてくる。しかし結果ばかりが大切ではない。スポーツをする人全員が持つべき「スポーツ精神」には「互助精神」も含まれると思う。

この夏、トランスジャパンアルプスレース(TJAR)がある(隊長も私も実行委員を務めさせていただいている)。これに出場するには様々な条件をクリアしなくてはいけない。

その中にひとつに「消防署、日本赤十字等の主催する救命入門講習もしくは救命講習(AEDを含む心肺蘇生法)の有効期限内である修了証明書の画像データを提出すること」というのがある。参加選手は、レース中に他の選手だけでなく、すれ違いの登山者でも何かあった場合、すぐに対応できるようにして欲しいという想いからこの条件が生まれた。

TJARは普通の登山やトレイルランに比べ、必須装備はかなり多い。しかし、それは自分たちを助けるばかりでなく、人を助けることにも役立つかもしれない。

結果は大切。されど、結果よりもっと大切なものがある。TJARはスポーツマン精神と互助精神に満ちた戦いである。今年も勇者たちの感動的な戦いを応援できることに感謝し、ワクワクしている。


posted by Sue at 16:04| Comment(0) | 干物女の行水 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

広告


この広告は60日以上更新がないブログに表示がされております。

以下のいずれかの方法で非表示にすることが可能です。

・記事の投稿、編集をおこなう
・マイブログの【設定】 > 【広告設定】 より、「60日間更新が無い場合」 の 「広告を表示しない」にチェックを入れて保存する。