2016年05月30日

子どもたちの暗黙のルール

 今年のGWは実家に戻った。と言っても、その先は毎年のごとくノープラン。そもそも連休中は親に娘を看てもらっている間に仕事をすればいい、などという虫がいい帰郷だった。
 はじめのうちはいい。しかし70代半ばの老人が、小学校3年生の体力についていくには、あまりに過酷だ。1時間も相手をすれば、ヘロヘロになる。これが男の子だったら40分が限度だろう。

 あまりに任せきりだと娘どころか、老親すらグレるかもしれないので、娘と共に近所の公園に出向いた。「近所の公園」と言っても侮るなかれ。そこは、ディズニーランド、ユニバーサルスタジオに次いで入場者数全国3位の遊園地的空間。だだっ広い敷地にたくさんの遊具。ヨチヨチ歩きの子が遊べる遊具から老人用健康器具まで、バラエティに富んでいる。大型の乗り物だって100円。こうした財布への配慮は大人だって喜ぶ。

 少し動くと汗ばむ陽気のその日、駐車待ちの車で大行列。ジモッティの土地勘を活かし、そこは難なく駐車。だが、公園内はおびただしい数の子どもで埋め尽くされていた。ストレートに言うなら「うじゃうじゃ」と子どもがいるのだ。人気遊具などは、やっと歩き始めた子から小学校高学年までが入り乱れて遊ぶ。もはや誰が我が子か分からない。転んで泣く子やら、母を探す子やらで、公園は賑やか。どこぞの子に母親と間違われた。「ママ〜」と言って私の顔をじっと見たあと、勘違いと気が付き、踵を返して、再び「ママ〜」。やっと再会できたママは、どこをどう見ても私より若いし、キレイだし。どうやったら間違えるわけ?

 しばし人気遊具に群がる子どもたちを観察。うーん、やっぱりこの公園も同じだ。日本の公園で目にする光景の「子どもたちの暗黙のルール」がここでも成立しているのだ。
 子どもたちは、滑り台にしてもフィールドアスレチックにしても、きちんと並んで順番を守る。前が自分より小さい子であれば、なおさら。押したり、引っ張ったり、強引に割り込んだりしない。前の子にぶつからない距離を自分で判断し、「もう大丈夫」と思ってから動き出す。これだけカオスな場所でケガがないのは、こうした一人一人の子どもが測る「絶妙なタイミング」のせいかもしれない。たいしたものだ。
 その後、大型の乗り物に移動。人気のアトラクション(というほどでもないが)は60分以上待ちとなっていた。馳せる子どもに親たちは「順番!ちゃんと並んで」と言いつける。なるほど。これが幼少時から染みついて、「きちんと順番を守る文化」を継承していくわけだ。

 電車に乗るのは、先に降車する人を通してから。混雑しているレストランでのウェイティングも名前を書いて待つ。スーパーのレジだって、買い物点数が多かろうと少なかろうと並ぶ。私たちは常に順番を守って生活をしているのだ。
 でもさ、これって人を想い遣る心がなければできないことだよね。日本が世界から「秩序正しい国」と評価される根底には、粛々と「人を想い遣る文化」が受け継がれているからだろう。

 私は「ドキュメント72時間」をよく観る。街角に3日間カメラを据えて、そこを来る(通過する)人々を映し出す番組。先日、仙台にある24時間営業の食堂の72時間を放送していた。5年前に震災に遭った場所。食堂で働くおばちゃんが手を止めずに言う。
「(ここで働いていた)仲間二人が津波に連れて行かれた」
また、そこに来ていた若い女性客の言葉も印象的だ。
「震災直後は乾いたものばかりだった。(震災後)初めて口にした温かい物は炊き出しのおにぎりだった。こんなにおにぎりっておいしかったんだって思った。有難かった」
単身赴任の土木作業員の男性が言った。
「壊滅状態であったこの地に仕事をしに来ていいものかを悩んだ。友達や家族にも非難された。それでも来てみて、働き始めたら、被災者に『ありがとう。助かるよ』と笑顔で言われた。来てよかったと本当に思った」
最後に流れた映像は白いご飯を頬張る幾人もの客の顔だった。大切なものを失った。涙がたくさん流れた。あれだけのカオス状態の中、助ける側も、助けられる側も秩序を保つことができたのは、日本人が幼少から持ち合わせ想い遣る心と、再び歩き出す力があるからなのかもしれない。そう、こうして人は前に進むのだ。

 さて、公園でひとしきり遊んだ後、有名チェーン店のアイスクリームを買いに行った。そこも行列。どうしても食べたい、と娘が言うもんだから、仕方なく並んで待つ。折り返し地点まで来たところ、いきなり60代くらいのおばちゃんが前に割り込んできた。娘は怪訝そうな表情をする。まぁ、どのみち1組割り込んできても、後5分は待つのには変わらない。一人だけなら仕方ないね、と娘とコソコソ相談。
 ところがおばちゃん、「こっち、こっち!」と息子やら孫やらを呼ぶ。へ?なぬ?5人はいるご家族御一行様。う〜ん、ちょっとどうなの?
「みんな並んでますよ!ちゃんと順番を守ってください」
そんな一言が言えればいいのだが、小心者の私は黙って列を譲ってしまった。しかも孫たちがいる前で、そんな事を言ったら、おばちゃんは孫の前で屈辱全開だ。まぁ許そう。
 ただ、願わくば、この孫たちに培われた「子どもたちの暗黙のルール」が、おばちゃんによって損なわれないようにしていただきたい。


posted by Sue at 08:26| Comment(0) | 愚母の苦悩 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2016年05月11日

愛車のドクター

 私の住む町では車が生活に欠かせない。買い物に行くにも、病院に行くにも、学校に行くにも、クラスメートのお家に遊びに行くにも車。愛知県にいた頃は、公共交通機関の便もよく、友達の家も、スーパーも、病院も、レストランも、衣料店も徒歩圏内にあった。
 免許を取得してもう何十年にもなるが、実家ではほとんど運転することはなかった。たまに必要な時は、父親の車を借りるくらい。それで事足りた。

 しかし、みなかみ町は「車がないと生活が不便」と聞き、嫁入り道具のひとつとして、車を購入することになった。車にこだわりなど一切ない私としては、車種は何でもよかったのだが、観に行った中古車屋さんでジムニーを発見し、隊長がなぜか、そのジムニーを強く推薦。走行距離48000キロほどのジムニーWILD WIND。
「いいじゃん」
何も考えずに即決。

 隊長はアドベンチャーレースをする前、車大好き青年だった。いわゆるドリフト族ってやつ。終業後、ボンネットを開けては部品をいじり、週末は仲間といろは坂に行ってはドリドリ〜っとやるのがライフワーク。それじゃ彼女とか、できないわけだ。
 その頃の彼の愛車はミラ。しかも、かなりの改造車だったとか。あんな小さなミラに隊長が乗ると、フロントガラスいっぱいが顔で、そのすぐ下にタイヤという画が頭に浮かんで仕方ない。気の毒だな、ミラも。

 アドベンチャーレースを始めてからは、自転車やらカヤックやらを積むため、バン(ホーミー)に替えた。もちろんド中古。私たちが結婚した頃は、このホーミーが活躍していた。
 よく「名古屋の輿入れは派手」と言われるが、私の輿入れは買ったばかりの中古ジムニーとホーミーの2台で終わった。当時、「名古屋から嫁が来るから」と、カッパクラブの故小橋社長の指示により、荷物を下ろす準備をしていたスタッフ一同。しかし荷物はあまりにもあっさり。搬入作業は15分ほどで終わった。
「あれ?グランドピアノは?」
真顔で聞かれた。

 ハイエースは、荷物を入れて移動するにはもってこいだが、細い道を行くには大きすぎる。そこで隊長が目を付けたのが四駆・マニュアル・ジムニーだったのだ。大切な嫁入り道具には、いつの間にか脱出器が装着されていた。どうりで強く推薦するわけだ。
「まさか、これで山道に入るつもりなのか!?」
予感はあたった。「レースのコースを調査する」と言う理由で、ジムニーと共にバック、切り返し不可能な、ものすごい山ん中を連れまわされた。
「じゃここから歩いてコースを調査してくるから、(地図で指差して)このポイントに車を回して待ってて」
「へ?私一人でここを運転して下りるの?」
拒否権なし。あざ笑うかのように鹿がピーッと鳴く。そんな事が何年も続いたが、それでも4点シートベルトに替えようとしたのは、何とか食い止めた。

 そんなジムニーはいまだに愛車として活躍中。たまに調子を崩すが、近所の修理工場のYさんに「またおかしくなりました〜」って持って行くと、すぐに治してくれる。そう言えば、真夜中に高速走行中、エンジンから煙が出てきて大慌て。Yさんに電話して状況を説明し、指示通りに誤魔化し誤魔化しで、Yさんの工場まで戻ったこともあった(後、Yさんに修理してもらって回復)。こうして嫁入り道具ジムニーは、軽自動車としては珍しく19万キロを超えた。

 隊長のバンは現在三代目。初代ホーミーは、厳冬のみなかみ町でまったく使えない二駆。いろは坂に行かずとも、自然ドリドリができた。当然のごとく、なんどもYさんの工場に持ち込んだ。しかし、最後は飛び出してきた鹿と衝突し、廃車。
 二代目バンは知り合いから買った白のハイエース。元々ファミリーカーとして使用されていたので、私と娘にとっては快適だったが、アドベンチャーに使用したため、想定より早く寿命を迎えた。
 三代目バンは紺のハイエース(現在)。このハイエースがかなり厄介。横っ腹に大きな錆穴があるわ、床から火を噴くわ、男子ロッカー臭が激しいわ。一度、コース調査で無理やり林道に入り、Uターンするスペースを発見できず、やっと見つけたわずかながらのスペースで試みるも、草に隠れた切株に追突。マフラーが折れた。折れたマフラーを引き摺って走行するのには難あり。致し方なく、足でマフラーを蹴り落し、暴走族のような爆音で帰ってきたこともあった(今は修理してマフラーは健在)。もちろん、すべて隊長の仕業だ。

 前2台は満足がいくほどしっかり乗った。いうなれば、最期まできちんと看取ったという感覚かな。それでも何度もYさんのところに連れていったから、Yさんは掛かりつけのカードクターである。そして今のハイエースも、言うまでもなく何度何度もお世話になっている。ディーゼル排気微粒子の除去装置もYさんに装着してもらった。走行距離は35万キロを越すが、快調だ。

 老体とも言っても過言ではない我が家のジムニーにハイエース。これらがいまだに走り続けているのも、Yさんのお蔭である。毬栗頭のYさんは、背が高く、人懐こく、年下の私に対しても腰が低い。工場に行く度にお茶とお菓子を出してくれる。思えば、Yさんは、私がこの地に来て初めてゆっくり話をしたジモッティである。

「旦那さん、すごいっすね」
Yさんは、いつも目をパチクリさせて隊長を褒めてくれる。のせ上手だ。こちらもついつい乗ってしまうので、すぐに1時間は経ってしまう。だからYさんのところに車を持って行く時は「時間があるとき」と決めている。
 お茶とお菓子をいただき、ひとしきりしゃべった後、さて帰ろうとすると、今度は手土産をくれる。チョコレートだったり、クッキーだったり。
「娘さんに」
Yさんは、ともかく気遣いの人だ。
 先日は隊長がYさんのところに行った際、リポビタンDをもらってきた。しかも1ダース。ほぉ。車好きの二人ゆえ、きっとマニアな話で盛り上がったのだろう。

 愛車ジムニー。何かある度、助けてくれたカードクターYさんは、先日、一足先に天国に逝った。あまりにも急なことだった。
 思えば、私たちは、まだまだYさんにお世話になり得る条件の中で生活している。他にも修理工場はあるけれど、お茶しておしゃべりするカードクターYさんはない。
 今日、YさんにいただいたリポDで献杯しよう。

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posted by Sue at 08:46| Comment(0) | 干物女の行水 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

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