2018年01月13日

重なっていくモノ

新しい年を迎えた。
ということは、またひとつ年を取るということ。
めでたくもあり、めでたくもなし。

どの時代も世の流れは若者が中心である。
ファッション、ヘアスタイル、家電、レストラン、フード、人気タレント、街で流れる歌…挙げればキリがない。

今の若者たちは「ゆとり世代」と言われるが、私の頃は「新人類」と呼ばれた。そんな新人類の私たちも、今となっては年を重ね、ゆとり世代の流行についていかねばならない。

どんどん生活に新しいモノが入ってくるため、それについていかなければ生活に支障を来す。たとえばテレビもブラウン管からリモコンを経て地デジへ、そして今や携帯で見る。もはやブラウン管テレビは姿を消し、カセットテープなんかは再生器すらない。モノは更に軽く、コンパクトに、スピーディーに、快適になっていった。

モノは減っているのではなく、増えている。言わば「ないものがない」のだ。寒い時は暖かく、暑い時は涼しくできる。ひとり1台の電話。プライベートも保たれる。すべてに快適だ。

こうして私たちが長年世話になったブラウン管テレビやカセットデッキやレコードは、骨董品となっていった。

モノが増え続ける一方、人は年を重ねると失うものが多くなる。
体力が落ち、筋骨がもろくなり、髪も薄くなり、見た目はしぼむか垂れるか。

ハリ! ツヤ! 活力! パワー! 食欲! どんなに食べても太らない筋力!
あ~あ、無くなっていくものが多いこと!
増えるはシワ、シミ、贅肉・・・

他に増えていくものはないだろうか…

新人類と呼ばれた頃の自分と比べてみるべく、あたりをぐるりと見渡してみる。
フムフム。ある、ある。

主として守るべき家庭という居場所ができた。
心の底から語り合い、笑い合う人ができた。
一緒に泣いてくれる人ができた。
自分の意見を押し通そうとしない柔和な気持ちが生まれた。
人の考えを聞く耳ができた。

メラメラと燃えていた若い時の炎は、感情が向き出た「焔」であった。
しかし年を重ねていくごとに、火の勢いは弱くなる。と、同時に大きくて、しっかりとした、周囲全体を暖める暖炉になる。

哀しい出来事や嬉しい出来事を重ね、やがて自分を受け入れ、相手を受け入れ、感謝することで、恨みや嫉みが薄くなっていく。そして事ある度に静かに想うようになった。
「これでいいんだ」

笑いが増えた。涙が増えた。感謝が増えた。
目の周りにあったハリは、しぼんだのではなく、穏やかに柔らかくなったのだ。

年を取ることは確実に温かいモノが増えていく。それは目に見えないモノ。
「焔」から「暖炉」になる。
年を取ることって、案外と心地いいかも。


あ~、でもやっぱりハリやツヤは欲しいっ!!!

posted by Sue at 08:18| Comment(0) | 悪妻のボヤキ | 更新情報をチェックする