2018年03月03日

教えることの試練

卒業シーズン。先日、娘の小学校の6年生歓送会に行った。娘はまだ4年生なので在校だが、この1年間一所懸命に練習してきた金管クラブの発表会が歓送会終盤にあるというので、彼女たちの1年間の集大成を観に行った。

とはいっても、そこは田舎の小学校。4~6年生で編成される金管クラブは20名強と少ない。卒業する6年生も20名そこそこ。全校生徒が集まっても、広い体育館の三分の一を占める程度。全校生徒が互いの顔を知る。みんな大らかで素直。在校生は精いっぱい出し物を演技し、卒業生は、それを見てたくさん笑う。雪の降るこの日の水上小学校体育館は、いつもより温かかった。

この1年、娘はクラブ活動に勤しんできた。4年生になって初めて触る金管楽器。娘に与えられた楽器はアルトホルン。しかし予算に限界があるのだろう。渡されたのは至る所に傷がある古い物だった。他の子たちも同様で、新品の楽器はない。音が外れていたり、どこか壊れていたり、傷があったり…。それでも初めて自分だけに渡された楽器は特別だったようだ。

娘の小学校は金管クラブに力を入れている。朝30分、放課後1時間の練習が毎日続いた。発表する機会も多々あり、そのたびに夏休みも週末も返上して練習した。先生の指導も厳しかったようだ。うまく演奏できなかったり、熱の入った先生の指導に涙が出てしまった子もいると聞く。

思えば先生、楽器を触ったこともない子供たちに教えるのは大変だったことだろう。子供たちは性格も違うし、練習に温度差もある。それでも金管はひとりひとりの演奏が大きく響く。一音間違えれば、全体に違和感が生じる。間違えは許されないのだ。先生自身に熱が入ってしまう分、つい強い口調になってしまうこともあっただろう。文科省から定められた教科書プログラムを教えることも難しいが、和を感じて音を生み出すことを教えるのもそれと同じくらい、いや、もしくはそれ以上に難しいのかもしれない。

教えることの難しさ。最近、これをしみじみと感じる。娘の勉強も徐々にハードルが上がってくる。
「お母さん、これ、どういう意味?」
ひとまず教える。それでも理解できない娘にイラつき、ついキツい言葉を返してしまう。

「なんでわかんないの?」

このイラつき発言は負のスパイラルへの入り口だ。なんでわかんないかって言われても、解らないものは解らない。理由なんてない。ただ、解らないのだ。頭ではわかっているのに感情が先走り、「なんで」と理由を聞く言葉で娘を攻める。攻められた娘も感情的になる。互いに感情がぶつかり合い、負のスパイラルにどんどんはまる。この後、いつも反省するのだが、また同じことをやってしまう。成長ないなぁ、私。

確定申告の季節。私の場合、仕訳に頭を抱えることが多々ある。ネットで検索してみるものの、専門語が陳列されると余計に混乱する。
「だから結局は何費になるのよ!?」
パソコンに向かって悪態をつく。きっとパソコンは思っているだろう。
「なんでわかんないの?」

同じ内容を検索してみると、その仕訳も含め税金全体について分かりやすい言葉で説明されているサイトもある。数字に弱い私でも理解できる説明だ。
教えるということは、自分がいかにできるか・知っているかを誇示する場ではなく、いかに相手が理解するかを示す場である。相手が理解できないのは、教える側にも原因があるかもしれない。

経験を重ねると、教わる立場から教える立場と変わる。これから私も少なからず教えていく事が増えていく。もし相手が「解らない」といえば、それは相手が劣っているのではなく、自分の説明が悪いということを理解しなければいけない。

経験者が未経験者に教える。子どもによって算数が得意だったり、国語が得意だったり、体育が得意だったり、音楽が得意だったりと、必ず差がある。同じ教科の中にも、細かい差がある。
算数が不得意の人に対し、得意な人が教えることが、実は一番難しいのだと思う。親として、指導者として試される時だ。“教えること”は、親も指導者も成長するチャンスである。

さて、娘の金管クラブ。時には涙も流れた練習だったが、それでもみんな、最後までよく頑張った。でもって送迎する我々家族も頑張った。そんなすべての頑張った先日の集大成演奏は、とてもとてもよかった。本当によかった。演奏を終えた子供たちの誇らしい顔がすべてを締めくくっている。

先生、1年間熱血ご指導をありがとうございました。

posted by Sue at 10:41| Comment(0) | 悪妻のボヤキ | 更新情報をチェックする