2018年08月31日

暴力的指導

先日、実家に帰省した時に久しぶりに弟と酌み交わしながら、小・中学校の頃の話になった。

いい悪いは別として、私たちが子供のころは、暴力指導は当たり前にあった。特に力を入れている運動部のコーチや顧問教員は、弛んでいる(と思われた)生徒を張り倒している光景をよく目にした。

私も竹刀みたいなので叩かれた覚えがある。たしか、掃除をさぼって遊んでたとか、宿題を忘れたとか、そんな理由だったように思う。私ら生徒は文句言わず、痛みに耐えてたっけ。自分らが悪いというのを分かっていたし、叩かれるのは許される時代であった。

しかし、不思議なことに暴力を振るった先生の記憶はあまりない。確かに「よく殴ってたなぁ」とは思うものの、その程度の記憶だけだ。

それよりも、言葉や態度で傷をつけてきた先生の方がずっと記憶に残っている。

話は中学生のころ。そもそも運動が得意でもないのに、なぜだか私はバスケットボール部に入部した。いまだ、どうしてそれを選んだのか、まったく分からないし、覚えてもいない。かっこいい先輩がいたとか、仲良しの友達がいたとか、そんな記憶もない。
いつもの「なんとなく」だったのかもしれない。
面白いくらいに運動できないから、当然オミソ。3年間続けていたことすら不思議だ。

そんなバスケ部生活で3年生最後の活動は試合だった。うちの学校は負けていた。勝負は見えていた。最後の試合だし、それならと、顧問の先生は3年生を順番に試合に出した。

私以外の3年生全員を。

勝てる試合であれば理解できる。しかし、どうあがいても残りの時間に勝てる見込みはなかった。
その先生は意図としてそうしたのかもしれない。私を嫌いだったのかもしれない。私の存在を忘れたのかもしれない。いずれにせよ私はそこに居ながらも「いない存在」になった。

その先生とはその後一言も口をきいてない。卒業する日まで顔を見ないようにしていた。見れば「存在しない自分」が映し出されるから。

あれから30年以上も経つ。しかし、その顧問のことは今でも強烈に覚えている。憎しみとか悔しさとかではなく、ただ深い哀しみの記憶として。



さて、最近、新体操界でコーチによる暴力行為が話題になっている。

オリンピック有力候補の選手にコーチが暴力を振ったとか。暴力指導に賛同するわけではないが、熱が入るあまりつい手がでてしまったと思えば、わからなくもない。
未成年のその選手は、それでもそのコーチに指導を乞い、しかも擁護するくらいだから、愛情あっての行き過ぎた加熱指導だったとも思える。
一方で、その選手の話によれば、暴力を振るったコーチより、言葉で圧力をかけてきた強化担当者の方がパワハラ行為だとか。その強化担当者も言い分があるようだから、この件はしばらくは平行線だろう。


ただ大人として覚えておきたい。
言葉の暴力は、肉体の暴力と同じくらい、いや、ひょっとしたらそれ以上に子どもに傷を残すことになるかもしれない。私の心にいまだに哀しみの傷が残っているように。

「あなた(子ども)のためだから」は、本当に子どものためなのか。自分のためではないのか。何のための指導なのか。何のための教育なのか。体裁ではないか。見栄えではないか。その場の感情ではないか。

隊長も、いまや指導する側である。
某番組ではパワハラ全開キャラとされているが、殴り指導は後にも先にも陽希の1回きりだ(たぶん)。それまでの陽希の言動に業を煮やした隊長が「今からお前を殴る。歯を食いしばれ」と言ったら、陽希も陽希で「お願いします!」と直立不動になったと言う。わかっていたのだ、彼自身がやってしまった失態を。

あの二人には、師弟関係を越えた何とも強い絆を感じる。だからそんな行為ですら、安心感もあり、他人には入れないものがある(クラッチは慌てて止めに入ったけど)。
そんな揺るぎない師弟関係って、なんだか羨ましい。

あ、でも暴力はいけません。言葉の暴力もいけません。態度の暴力もダメです。

隊長のパワハラ発言は番組構成上のこと(だと思う)。そもそもアドベンチャーレースは信頼関係なくしてゴールできない。彼ら4人は、互いに敬意を払い、互いを支えあい、互いを信頼しているからこそ、あの過酷な状況を切り抜けることができたのだ。


だから私も娘には優しくします。できたことは褒めていきます。
隊長のレース後の洗濯物をトイレ便座シートと一緒に洗うのもやめます。
態度、改めます。





posted by Sue at 15:26| Comment(0) | 悪妻のボヤキ | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2018年08月05日

素直に「ごめんなさい」と言っていますか?

異常な暑さの今夏。これまでクーラーは不要だった我が家。いよいよ購入を考える時がきた(こうして考えている間に秋がやってくるわけだけど)。

我慢しようと思えば我慢できるが、扇風機の風も生暖かく、嫌な温度で肌に絡みつく。う〜むイライラする。

夏休み中の娘も、宿題しながらこの暑さに苛立つ。
いつもより長い時間一緒にいると、些細なことが気になり、つい口が出てしまう。この暑さが余分なストレスをもたらしているのは間違いない。

その言い争いは、ほんとに些細なことで始まる。だから、すぐに「ごめんなさい」と言えば終わる。しかし、その一言が出てこない。
「ありがとう」は言い易いが、「ごめんなさい」はなぜか言い難い。

自分が間違っていると薄々わかっていても、一所懸命に言い訳を探して、さも正しいのだと主張する。私たちは、そんなことばかりが得意になってきていて、素直に「ごめんなさい」と言えなくなってきている。

「どうしてそんなことをしたのか?」
この質問は言い訳を引き出している。

たとえば宿題を忘れた子どもにとって「どうして忘れたのか?」に深い理由はあまりない。しかも、忘れたことを責めているのであり、その理由なんてどうでもいい。当然、聞いたところで納得のいく回答はまず得られない。つまり、ハナから納得のいく回答を得ようなどと思ってない質問なのだ。

そもそも私が「ごめんなさい」と言えないんだから、娘だって言えるわけがない。結局、素直に謝る姿勢を娘に見せてないのだ。逆に娘に「お母さんだって・・・・」と責められることがある。こうなったら引くに引けない。


「正しいのは自分、悪いのは相手」
その考え方は人間だけだろうか。
相手の指摘に対してカチンとくるという事は、的を射ているという事。的を射ているからこそ、カバーを掛けて隠しておきたい。人は自分自身を守るため、言い訳で武装する。指摘を素直に受け入れることは、思った以上に難しいのだ。


問題となった某大学アメフト監督にせよ、言動がおかしいということは自分自身が一番分かっているはず。
自分がおかしいと思うことは素直に認めて「ごめんなさい」と言えるようになれば、世の中のヘンテコなパワハラはずいぶんと減少すると思うのだが。
なぜかプライドがそれを邪魔する。
やがては、そのプライドによってすべてを失うことを、その時気が付いていたら・・・。


自然と言い訳を探していないだろうか?
悪いと思ったことに対して素直に謝っているだろうか?



さて、5月に参戦したExpedition Africa(南アフリカ)のレースが間もなくテレビで放送される。今回も過酷な環境の中で、余分すぎるストレスに襲われながら、チームや自分自身と向き合って進む姿が映し出される。

どの国のどの選手も素直に受け入れることの難しさと戦いながら、このレースに挑んでいる。そして、その戦いは人を成長させる。そんな成長ぶりもひとつの見どころとして、ぜひ楽しんでほしい。


『クレイジージャーニー ゴールデンSP』
8月8日(水) 夜9時〜
TBS系列にて全国放送


posted by Sue at 11:21| Comment(0) | 悪妻のボヤキ | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする