2019年01月25日

宝にするか、ガラクタにするか

少し前に目にしたニュース。
こちらは小学校2年生の算数のテスト。不正解の算数の回答の理由が難問すぎる、というので話題になっている。

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三角や四角形の描図が不正解。
不正解の理由は「線がずれているから」と「直角記号がないから」であった。ちなみに小学校2年生は「直角記号」はまだ習っていないらしい。

ぱっと見は正解とも思えるが、よほど厳格に正確性を要するテストだったのだろう。しかも未習内容がテストに出るとなれば、かなり前を行く学校とも見える。相当な進学校なのだろうか。不器用な私が、小学校2年生の時にこの先生に当たっていたら、かなり辛かっただろうなぁ。

もしかすると、この先生はテスト前に「線が少しでもずれたら、それは四角形でも三角形でもありません」と説明したのかもしれない。
でも、もしこの生徒が私くらい不器用であって、それでも精いっぱい丁寧に描いた図だとしたら?
先生はそこを評価してくれるだろうか。それとも厳粛な結果のみを評価するだろうか。

結果は大切だ。それは目標ともいえる。勉強であれ、スポーツであれ、仕事であれ、みんな目標(結果)に向かっている。ゆえに正しく描画すること、つまり結果はそれまでの集大成である。

しかし、本番でどうにもうまくいかない事もある。間違える時だってある。
ならば、せめても努力を評価する人が近くに一人いたとしたら…。どこが違って、どう正していけばいいのかを一緒に考えて、一緒に練習すれば…。
この生徒はきっと次は線をはみ出さずに図形を描くことができるだろう。

間違いは宝である。放っておけばカラクタになる。
間違いからたくさんの学びや気づきがある。奮起する糧でもある。そして、そこを正していく過程で絆や信頼が生まれることもある。言うなれば、子どもの間違いは、本人だけではなく、周囲の大人、特に親や教師にとっても宝である。宝にするかガラクタにするかは、大人次第でもある。

私もいくつかの宝をガラクタにしてしまった。間違いに気付いても、そこから逃げた。あの時、やってしまった間違いに目を背けなければ、もっと大切な友情が生まれていたのかもしれない。もっと信頼関係が築き上げられていたのかもしれない。もっと心の豊かな人になっていたかもしれない。

今からでも遅くない。自分がやってしまった間違いにひとつひとつ向き合い、反省し、ガラクタを宝に変えていこう。やがて娘にちゃんと渡せるように。



posted by Sue at 14:17| Comment(0) | 悪妻のボヤキ | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2019年01月17日

まわるまわるよ、時代はまわる

来年度、イーストウインドには3人の若者がトレーニング生として入団する。それぞれが安定した職を持っているにも関わらず、どうしてもアドベンチャーレースをやりたいという熱い気持ちが煮えたぎったと言う。いいねぇ、その熱き血潮!

彼らは20代。私は実に彼らの親世代になる。
20代の頃は「新人類」と言われた私たちが親となるのだ。バブル全盛期、売り手市場だった新人類社会も、いまや景気回復もぐらつき、大手企業も経営を彷徨う時代。そんな時代だからこそ、安定した職業に就くのは、ある意味「勝ち組」(って言葉もすでに古いけど)なのかもしれない。

もしうちの娘が成人だとして、「どうしてもやりたい」と安定職を投げ捨ててまで身を投じる不安定な未来に向かうと言い出したら?

「やめておきなさい」「生活ができない」「収入なければオシャレするどころか、服も買えない」「貯金もできない」「旅行もできない」などなど。

う〜ん、どんな事を言ったところで隊長と私じゃ説得力に欠けるなぁ。

まぁ、生きていくにはどうにかなるか。ならば、やりたいことをやりなさい。それが人様に喜んでもらえる事なら尚よし。若いうちは苦労をすることも特権だ。
と、言うような気がする。

「すべてを擲ってでもやりたいこと」が見つかるのは、本当はすごく幸せなことかもしれない。たとえそれが周囲に理解されず、誰が見ても「こっち方が絶対に得なのに」と思われても、それでも「これだ!」と思うことに巡り合えるのは、何百分の一の巡りあわせなのかもしれない。

私たち大人は自分の経験で物事を判断してしまいがちだ。もちろん経験に基づく判断はとても大切で、おそらく9割が正しい。そうやって私たちは先人の知恵を継承して安全に暮らしている。

しかし時代は変わる。環境も変わる。
バブリーでやりたい放題ではあった一方で、自分の足でその場に行き、直接人と会い、自分の目で物を観てきた私らの青年時代。
今は動かなくても端末を通して知らない人とチャットし、クリックひとつで欲しい物が手に入る。小さな端末の中に人も物も情報も選択肢が無限に詰まっている。

いうなれば自分の生き方も選択できる。良くも悪くも自分の気持ち次第で動ける時代なのだ。
こうして私たちは先人の知恵をその時の環境に適合させていきながら、生まれた時代を生きていく。

今私たちが経験していることも、やがては「先人の知恵」の一部となるのだろう。その中で、苦労から生まれてくる知恵はもっとも貴重な財産となる。

だから、娘よ。やればいい。苦労しながらも、尊い巡りあわせに感謝し、突き進むがいい。

私たち大人は若者たちにその機会を与えよう。「こうしなさい」と指示や命令するのではなく、道を間違えないように、人を傷つけないように、良い方向に導きながら、穏やかに見守っていこう。
その先にあるものが何かは、若者自身が発見し、意味を学んでいくだろう。大人が教えなくとも、自身が掴んでいくだろう。


そんな事を想う中、相方の「パワハラ上等!」男は、今日も除雪車に対抗し、パワハラ全開で雪掻きしております。



posted by Sue at 10:09| Comment(0) | 悪妻のボヤキ | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする