盆暮れ関係なく現場で戦う医療従事者の事を思えば当たり前ではある。しかし観光業も追い詰められているのが事実で、感染対策をしっかり行いながらもあの手この手で商売を続けようと必死になってきた。
私たちの仕事はアウトドアスポーツ関連事業であるが、これもまた新型コロナウイルス感染の拡大に大きく振り回されている。レース、イベント、取材、講演会、講習会は悉く中止。この惨事がいつ終わるのかわからないが、それでもメンバーはトレーニングに励んでいる。世界の舞台に再び立つ日がいつやってきてもいいように。
アドベンチャーレースでもこれだけしんどいのだから、オリンピック選手のしんどさはどれ程か。現時点で東京オリンピック関係のお偉い様方が開催すると言っているのだから、選手らはそれに向けて必死に練習している事だろう。
詮ずる所、みんな踏ん張っているのだ。医療従事者も、観光業者も、飲食店も、アスリートも。
レースも延期、講演や講習会の中止に加え、お手伝い先の蕎麦屋も人員縮小と、私自身の仕事も激減した。
「どうせしばらくは仕事ができないのだから、空いた時間を自分磨きに使おう」
長期化する自粛生活はある意味チャンスかもしれない。そこで娘の古いピアノ本を持ち出してみたり、凝った料理に挑戦したり、英語のブラッシュアップを始めたり。挙句の果てに「何かを極めよう」なんて思い始めたりして・・・。でも結局、続かない。
私は弱い、と改めて思う。ただの〝弱い″じゃない。〝めちゃくちゃ弱い″のだ。どうやったら隊長みたいな鉄の意志が持てるのだろうか。どうやったら「お金がなくてもどーにかなるさ」と割り切れるのだろうか。
知り合いは得意の料理スキルを使ってテイクアウトを始めた。マイナー競技のアスリート達はSNSを使ってセルフプロモーションをしている。オンライン授業を始めた友人もいる。それぞれが持ち前のスキルと軽いフットワークで、この苦境を乗り越えようとしている。それを目の当たりにすると、何もできていない自分に焦りを感じる。
それだけならまだしも、同年代のタレントがいつまでも若々しく美しかったり、センスが良かったり、ビジネスで大成功していたりすると「何やってるんだ、自分」と焦る。もうコロナ禍とか関係なく、いろんな事項を引っ張り出しては焦る自分がいる。
成功してる(見えてる?)人たちから刺激を受け、私にも何かできることがあるだろうかと考える。きっと何かある。誰にも負けない何かが。その何かを極めている理想の完璧な自分が、何もない今の自分を見下ろしている。
そんな事を思いながらも、時間だけが無駄に過ぎて行くように感じて、また焦る。
ん?なぜ焦るのか?私はいったい何に対して焦っているのか?
この焦りの原因は、常に誰かと比べている事にある。「自分はまだまだダメだ」「こうあるべきだ」「やらねばならぬのだ」と自分を鞭撻する。が、そもそも何をやるかが決まってないから、空っぽの鞭撻になってドーンと重い塊になる。
沈んでいく。しんどくなってきた。あ~もう比較は止めよう。
グイっと理想の完璧な自分を引きずり下ろし、今ここにいる自分がすべてであることを認識する。
いや、そもそも、最初から何ひとつ比較するような物はなかったかもしれない。
今ここにいる自分は「何ができるか」は言えない。でも「何が好きか」は言える。
あり得ない内容の韓国ドラマ、漬物と日本酒、大きな図書館、アロマディフューザー、散歩、足湯、娘との連弾、立ち読み…。
うふふ。なんだかワクワクしてきた。
引きずり下ろした理想の完璧な自分が「それでいいの?」と下から問いかける。
「いいの、いいの。結局何かを極めたところで、好きって気持ちには叶わないからね」
それこそが隊長を見ていて学んだことである。