2021年04月18日

継続は信用なり

私が初めてアドベンチャーレースと出会ったのは1997年のレイドゴロワーズ・レソト大会である。私はチームのアシスタントで相棒は新保政春(シンポくん)。選手は、後に夫となる主将・田中正人(隊長)、当時早稲田の大学生で後にテレビ朝日職員となる鈴木篤(あっちゃん)、カヤッカーの田島健司(ケンさん)、紅一点は、のちに一級建築士となる金子留美(るみちゃん)、そして海洋冒険家の白石康次郎(白石くん)。
あれから四半世紀近くの時を経てもなお、この人たちは私の大切な仲間である。


先日、隊長が神奈川県の某小学5年生を対象に講演をさせて頂く機会があった。縁あることに、そこは白石くんの出身校だった。
隊長が白石くんを「知っているか」と訊くと、みんな「知っている」と答えた。
そこで隊長は、急遽その講演テーマに白石くんの話を挿入した。

白石くんは、この講演があった日、世界一過酷なヨットレース『ヴァンデグローブ』にて海洋との戦いの真最中であった。

ヴァンデグローブとは、4年に1回行われ、単独無寄港で南半球一周(約48,152㎞)を100日程度かけて航海するヨットレースである。強風、荒波、悪天候の中を無補給、無援助で進む。完走率は半分程度。
たった一人で100日間。トラブルもすべて自分で対処しなくてはならない。孤独での戦いという意味ではアドベンチャーレースの何百倍も過酷だと思われる。

そんな強い白石くんも、レソトの陸地では隊長に引っ張りまくられた。足の裏がボロボロになり、痛みというにはあまりにも辛い。そんな白石くんの状況を知りながら、隊長は「みんな痛いのは同じだ」と尻を叩きまくった。

一歩踏み出す毎に激痛が走る。隊長の猛烈な煽りを受けながらも、白石くんはあきらめなかった。
「ちょっと待ってくれ」と口に出したものの、
「もう辞めたい」とは決して言わなかった。

そんな強い白石くんは、少年時代から抱き続けた『船で海を渡る』という夢を叶えた。
2016年に出場した『ヴァンデグローブ』は、レース中にマストが破損し、無念のリタイヤ。あんなに強い白石くんが涙を流した。
その悔し涙から4年。船を新たにして再挑戦。見事に完走を果たした。

さて、話は隊長の講演に戻そう。
少し生々しいけど、隊長は生徒たちにお金の話を切り出した。

「僕が挑戦する世界のアドベンチャーレースに1回出場するのにかかる費用は約300~400万円。
一方、白石くんは今回の新しい船にかかった費用だけで、なんと8億円!!!レースに出場するのにかかる費用を含めたら、とんでもない金額になる。
一所懸命に働いたって、それだけのお金はなかなか稼げない。

じゃ、どうやって稼いでるの?って思うよね。
これはね、すべて彼への『信用の代金』なんです。

信用しているからお金を出す。信用しているから応援をする。信用しているから支える。
これはね、彼がまっすぐに、じっくりと、しっかりと作り上げてきたものなんです。

僕は彼ほどの金額ではないけれど、それでも僕を信用してくれている人がいて、その信用で僕たちはレースに出場している。

もし君たちに夢があるなら、ぜひ『信用』を作り上げてください。
自分の夢に誠実に向き合い、ひたすら努力し続ければ、きっと応援してくれる人が現れる。どうかその人たちから信用を得てください」


今年54歳になる白石くんと隊長。
26歳で最年少単独無寄港世界一周の航海を成し遂げた白石くんと、同じく26歳でアドベンチャーレース日本人初完走を成し遂げた隊長。
人生の半分を夢に賭けた二人は、きっとまだこれからも夢を追い続けるのだろう。

以前、隊長は「アドベンチャーレースで一番大変なことって何ですか?」と聞かれてこう答えた。
「続けることです」
実は一番難しいのは、トレーニングでも資金集めでもなく、続けることなのだ。

途中、資金的にも精神的にも難関に見舞われた。それでも「辞めよう」と思わなかった隊長。きっと白石くんもそうであろう。大好きな事だから辛い事も耐えてきた。

夢に年齢制限はない。あるとしたら、それは自分で決めた限界線である。

一足先に白石くんは『ヴァンデグローブ完走』という大きな夢をひとつ果たした。
白石くんは「想い続ければ夢は必ず叶う」ということを教えてくれた。

改めて、ヴァンデグローブ完走、おめでとうございます!


posted by Sue at 16:46| Comment(0) | 悪妻のボヤキ | 更新情報をチェックする
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