2021年08月21日

オトナの無視

先日、知り合いからLINEが届いた。
「職場で無視される」というのだ。しかも後輩から。
小中学生の頃は時々あったけど、まさかオトナになってもあるとは!

当然、世の中には気の合わない人や嫌いな人もいる。
しかし、“どんなに気に食わない人であっても、オトナであれば社交辞令的にあいさつはするでしょ” なんて思っていたのは私だけ?
「いやいや、よくあることよ」と後輩の態度に我慢をしている知り合い。
彼女の話を聞くうちに、なんだか現代社会において人間に備わるべき『人格』というものが、体内からどんどん消滅していくような感覚になる。

さて『無視』と言って思い出すのが娘の小学校時代の話。
(もうすっかり終わった事なので書きます)
「この問題、解る人いますか?」と先生。娘が手を挙げるも、先生は
「誰もいないの?」と、娘を無視。
それでも負けてない娘は、わざと大声で答えを言う。それを聞いた隣の子が
「答えは〇〇」と言うと、先生は「正解」と、その子を褒めた。隣の子は
「あきらちゃんが言ったんだけどな~」と言い返したが、先生はそれすらも無視。
先生の中では、娘は教室内に存在しなかった。

指してもらえない娘にも問題があったと思う。
無視されるには、それなりの理由もあろう。

しかし、娘に対する“気に食わない”という先生の態度はあからさまだった。
そんな先生の態度に対し、娘は一刀両断。
「オトナゲないなぁ」
もしかしたら、先生はきっとこういった娘の大人びた発言が気に食わなかったのかもしれない。
それにしても、相手は小学生である。
大人びた発言は親の責任でもある。
子どもを無視するよりも、親に言ってくれた方が助かったのだが・・・。
先生よ、気に食わない生徒だからって、もう少しうまくやってくれまいか。

幸い気の強い娘は先生の対応を気にもしなかったが、私が同じ立場だったら、その場で泣いていたかもしれない。
いやいや、不登校になったかもしれない。
いいか悪いかは別として、神経の太さが父親に似てよかった。


極太の神経を持つ娘はおいといて、『無視』は人がもっとも傷つく行為である。
ある本に『無視をするのは承認欲が強いから』とあった。
何事に対しても勝手に競争して、勝手に勝敗を決めている。
それはアスリートの『競技人生』ではなく、ひとりで他人と比較して優劣や善悪を決める『競争人生』なのだ。
結局のところ、その人の問題なのである。

こちらに非があるなら、しっかりと反省する。
無視する側は、おそらく話し合いの機会ですら嫌がるだろうから、まずは自分の言動を反省し、それから相手に歩み寄ればいい。
それでも相手が話すことすら拒否するようなのであれば、その人は逃げているだけ。
放っておけばいい。

こちらに思い当たる非がないなら、誰かを傷付けることを目的とした人間と関わること自体が無駄な時間と労力である。
人を傷つければ、いつかしっぺ返しが来るのが世の常。
放っておけばいい。

そこでやるべきことは、その人のご機嫌を伺って、その人に好かれる人生を生きることではない。
まずは自分のすべき仕事をきちんとして成果を出す。
そして自分を大切に思ってくれている人や、頼りにしてくれている人に対し、きちんと応える。
気持ちを向けるのは、自分を無視する相手ではなく、自分を大切に思ってくれる人だ。

オトナの世界にもある『無視』という稚拙な行為。
その行為をすることで何を勝ちとするのか?
強者(先生)が弱者(生徒)を無視することで、どんな利益があるのだろうか?
後輩が先輩を無視したところで、どんなメリットがあるのだろう?

今『無視』をされている知り合いよ。
問題があるのはキミではなく、無視する側である。
だからね、そんな人に神経を注ぐ必要はまったくないんだよ。
神経を注ぐべきはそこじゃなく、もっともっと大切な方だ。


さて、当時の先生の無視など意に介さなかった図太い神経を持った娘。
大好きな中学が夏休み明けに分散登校になることに神経を注ぎ、全員一緒に会えないことを悶え悲しんでいる。

私と言えば、冷蔵庫にずーっと保管されてる夏休みの自由研究品をどう片付けてやろうかに神経を注ぎ、デザート置き場のないことに悶え悲しんでいる。

冷蔵庫を占拠するこれらの研究品も無視できたらいいのに。


posted by Sue at 11:23| Comment(0) | 悪妻のボヤキ | 更新情報をチェックする
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