中学受験に挑む小学生の物語で、親、本人(小6)、塾講師の3人からの視点で構成された小説だ。そんな娘も中学受験を経験したうちの一人である。
娘が挑んだ中学は、カッパCLUBの愛娘Aちゃんが通っていた学校で、Aちゃんのお誘いで文化祭を見に行った時、「ここに行きたい!」と強く思ったらしい。「絶対にこの学校に行くんだ!」と心に決めた瞬間だ。
それまで、自分から何かをやりたい、習いたいと言ったことのない娘だが、なぜかこの学校に関しては強い意志を持った。中学受験は親子受験とも聞く。普段やりたいことを意思表示しない娘が初めて主張してきたのだ。できる限りのことはやろうと思った。
しかし、緊張感は長く続かない。10年分の赤本を買ったものの、なかなか進まない。受験の時期が迫ると、娘の生活パターンとインフルエンザ対策に翻弄され、自分が受験するわけでもないのに、気持ちだけが焦燥していった。
「過去問もまだ残っているし、漢字だって間違っている。これじゃ落ちてしまう!!」
日々迫る焦りから娘との会話も小言ばかりになり、大切なことがすっぽりと抜け落ちた。
その大切なことを、この小説で思い出すこととなる。
受験を決めた少年の言葉だ。
「勉強を限界までがんばりたいから。限界まで頑張れは、見たことのない景色に出合うことができる。自分自身が想像もしなかった場所まで行けるって、うちのお父さんは言うんだ。飛行機が時速200キロ超のスピードで滑走路を走るといつしか空を飛んでいるように、人間だって限界まで走ればどこか違う場所に辿り着ける。生き方が変わるって、お父さんに教えられたんだ」
一方、自分の息子は今の志望校が無理だと決めつけた父親に対しての塾講師の言葉。
「もし息子さんが不合格になったら、あの子への信用を失くしますか?ダメなやつだと見損ないますか?二月の合格発表後には、積み重ねてきた努力だけが残ります。合格、不合格。そんな判定とは関係なく、あの子がここまで頑張ってきた時間が残るんです」
物語の主軸はたまたま中学校受験であるが、この塾講師には社会に馴染めない弟がいる。その弟への視点も交えて物語は進む。いわば、これは大人にも通じる話なのだ。
53歳の隊長はまだまだアスリートとして上を目指している。おこがましくもキングカズと同じだ。体力のある若い世代がどんどん出てくる中にいたら、いわゆる不合格=負という結果になるかもしれない。それでも挑み続けている。
「もし彼が負けたら、彼への信用を失くしますか?ダメなやつだと見損ないますか?大会後には、積み重ねてきた努力だけが残ります。勝ち、負け。そんな判定とは関係なく、彼がここまで頑張ってきた時間が残るんです」
塾講師の言葉を借りると、こうなるかな。
本の中に、受験を決めた子の同級生の言葉がある。
「中学受験なんて意味がない。勉強を頑張りたいなら、中学に入ってからでも遅くないってうちの父ちゃんが言ってたぞ」
なるほどね。私も言われたよ、そんな様なこと。
でもね、じゃぁどうしてこの子はサッカーをこんなに一所懸命にやるの?
サッカーは大人になってからもできるのに。
同級生の言葉に悩んだ少年に対して塾講師はこう言った。
「人は挑むことで自分を変えることができる。12歳でそんなことができるなんて、中学受験に意味のないわけがない」
すべてにおいてそうかもしれない。
人は挑戦することを止めてしまうとき、その理由を探す。そして自分に言い聞かす。
「〇〇をやるには早すぎる」「〇〇をやるには遅すぎる」「〇〇をやるのは大変だ」「〇〇をやるには高すぎる」「〇〇をやる時間がない」
なんでもいいじゃない。いつだっていいじゃない。
挑戦してみたいことが見つかったら、やれない理由なんか探さないで、目的地に向かって一直性に延びる滑走路を全速力でひたすら走ってみようよ。
周囲は自分の『ものさし』で測ろうとするかもしれない。でも、それはその人の『ものさし』。30センチの『ものさし』で滑走路なんて測れやしないよ。
そんなことを想いながら、この小説を読み終えた。
さて娘はこの本を通して、私に何を伝えたかったのだろうか?
それを聞いた時、娘はこういった。
「あ、まだそれ読んでないから、ネタバレやめてね」