昨晩、学校の準備をしている最中に不安を煽るような声が!!
「あ~、この宿題やってない! ってか、こんなのあるって知らんかった~。明日(登校時の電車内で)やろ~っと」
先延ばしを好まない私は畳みかける。
「今、やっておきなよ。まだ時間あるでしょ!」
「どうせ一時間は乗ってないといけないんだから、その時にやればいいよ」
誰に似たのか、呑気な子である。
私と娘の性格は正反対の部分が多い。
私は心配性、娘は呑気。
私は朝型、娘は夜型。
私は感情的、娘は理論的。
私はネガティブ思考、娘はポジティブ思考。
そして私の心は弱く、娘の心は強い。
先日、娘に「どうしてそんなにハートが強いの?」と聞いてみると、娘はこう返した。
「世の中にはね、強い人も弱い人もいないんだよ。いるのは"強いと勘違いしている人"だけ。そういう意味では、私は自分自身を強いと勘違いしているんだと思う。
でもね、本当の私は強くも弱くもない。ただ、自分を強いと勘違いしているから周囲もそう勘違いしている。お母さんも私が強いって勘違いしてるんだよ。
だからね、お母さんも勘違いすればいいんだよ。"自分はめっちゃ美人だ!"とか、"私って強い!"とか。そしたら周りは勝手についてくるからさ」
どうしてそう思うのか?
娘はこんな話をし出した。
中学入学直後、数学が苦手だった。テストも平均点程度。しかしある時、ある難問がスルッと解けた事をきっかけに"私って数学が得意かも!?"と勘違いし始めたらしい。そこから数学が好きと勘違いし、今では数学において高得点をどうにか維持している。
中2の娘に励まされるダメな私。
「それが違うんだって!ダメ母と思ったら負け。"こんな風に励ましてくれる娘を育てた私はすごい!"と勘違いするんだよ」
うふふ。なんか面白そう。
うん、やってみる。
まずは「私なんか」を「私だからこそ」って言葉に変換してみる。
「私なんか、誰も評価してくれない」とか「私なんか、どうでもいいと思われてる」とか、その『なんか』を『だからこそ』に入れ替えてみる。
うん、やれそう。
「私だからこそ、やれることがある」「私だからこそ、解ってあげられる」「私だからこそ、この人を幸せにできる」
お、なんかいいかも!
あ、でも。
やっぱり宿題はやっておこう。
そして、平均点をかなり下回る理科においても勘違いすることを、母は静かにススメる。

理論的な性格は父親似。子は親の背中を見て育つ。