2013年05月01日

小学校の校庭で

実家に帰省中、娘を連れて出身小学校付近を散歩。当時1000人も生徒がいたマンモス小学校。今では生徒数こそ少なくなっただろうが、相変わらずの元気な子どもの声を聞くと、自分がここにいたことを思い出す。

ふと脳裏に蘇る少年がいる。5年生だったと思う。その日、私たちは体育の授業で校庭にいた。突然「キャーッ」という悲鳴が聞こえた。彼の体に蜘蛛がとまっていた。彼は振り払うこともなく、ヒャーヒャーわめいていた。その事件を境に彼は「カマ」と言うあだ名がついた。彼は別段傷ついている様子はなかったし、根が明るい子だったためか、「おい、カマ」と呼ばれれば、普通に「ん?」と返事をしていた。

それからというもの、蜘蛛や虫を発見する度に、わざわざ彼に見せに行くヤツらが現れた。人が嫌がるのを面白がる低俗なヤツらだ。どの時代にも、子どもの間に存在する幼稚ないたずらだ。彼のお約束のように「やめろよぉ」と力の抜けた応対からして、今思えば、蜘蛛を見せて喜ぶバカどもの幼稚な行動に辟易していたのかもしれない。

彼は優しく、穏やかな少年だった。字も絵も上手だし、手先も器用だった。男の子特有の粗暴な面も彼にはなかった。そのせいか女子には好かれていた。

彼が性同一性障害だったのかはわからない。しかし、それが医学的に疾患として認識されているのを30年前の子どもたちは知らない。無知であるがためか、当時の子どもたちは、時には幼稚さを通り越し、残酷であった。

しかし、当時の子どもたちは常に一人をいじめのターゲットにするという陰湿さはなかった。いじめられる子も、何か秀でたことがあれば、それはきちんと認められていた。まったく泳げなくて、プールの時間はいつも泣いていたとしても、成績が良ければ「アイツは頭がいい」ということを、周囲もきちんと敬っていた。貧しいながらも、弟や妹の面倒をよく看ていれば、ちゃんと敬意が払われていた。嫉妬心から陰険にいじめることはなかった。

さて、カマと言われていじめられていた彼だが、ルックスは悪くなかった。頭も良かったし、何より運動ができた。だからいじめる側も徹底的にいじめることはなかった。

ある休日。私の家は小学校が近いこともあり、校庭の遊具で遊ぼうと学校に行った。

その時、彼が校庭を黙々と走っていた。私に気が付き、はにかんで手を振ってくれた。私も手を振りかえした。しかし、何の言葉を交わすこともなく、私は遊具で遊び、彼はひたすら何周も何周も校庭を回っていた。

あれから30年。帰省時にふらっと校庭に行くと、その時の彼を思い出す。あの時、彼はいじめられる事から脱出するために、ものすごく努力をしていたのかもしれない、と。

勉強ができたのも、家では人一倍勉強をしていたのかもしれない。実際、彼は進学校に進み、良い大学に行ったと噂に聞いた。

真意はわからない。ただ、あの日の彼の黙々と走る姿は、自分の置かれた残酷な状況からの這い上がろうとするたくましさを映し出していた。もしそうだとしたら…彼はをれを見事に遣って退けた。

あれから校庭の遊具のほとんどが変わった。生徒数も変わった。しかし子どもたちのはしゃぐ声と、チャイム音と、彼が走り続けていたトラックはずっと変わらない。

posted by Sue at 19:00| Comment(0) | TrackBack(0) | 干物女の行水 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
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