2013年06月07日

命の時間には限りがある

最近、はっきり自覚できるほど難聴が進んでいる。青々とした樹木から聞こえる虫の声も私の右耳には届かない。いつまで聞こえるのだろう、この耳は。こんな時「命の時間には限りがある」と、ある覚悟が生じる。

哀しい哉、万物の生命には「生」の限りがある。知り合いの中には、不慮の事故や病で若くして天国に逝った人もいる。いつどうなるのか分からないのが人生である。

だからこそ、今聞こえる風や川や虫の音、生活の音、音楽、そして友達や家族の声を大切にしたいと思う。

音だけではない。楽しさ、うれしさの幸福感はもちろん、哀しみ、落ち込み、恐怖、空腹感、温かさや涼しさ、味、触感、仲間と過ごす時間、隊長と共に悩むこと、隊長と一緒に飲むビール、娘の反抗と成長…すべてが愛おしくなる。そんなひとつひとつの小さな瞬間を大切な人と共有できたらどんなに豊かだろう。

もちろん、一緒にいたくないという人もいる。反りが合わない人は必ず存在する。地球には71億人という人々がいて、そんな無数の中で気の合わない人がいるはとても自然なこと。理解しあえない人がいるのも当然。それは自然の摂理である。雪や雨が降るのと同じ。ゆえに自然の摂理で落ち込む必要などない。

だから無理に近づくこともない。ものの本にあるように「苦手な相手の短所を見ずに長所を見る」なんて無理する必要もない。縁があれば、ある時に近づいて理解する時がくるだろう。それも大地に雨が降るのと同じく、自然の摂理でそうなっていく。

どうせ限られた人生であれば、大切な人や事に目を向けた方がいい。自分の存在を厭う人よりも、有難く思ってくれる人の方が大切だ。何より限りある人生の中で、少しでも自分が生きたことを喜んでくれる人がいたら、それこそが天寿を全うすることだろう。

そんな大切な人たちに、ハッピーと感じてもらうことが生きている間の恩返しかもしれない。

「幸福」という大きいものじゃなく「ハッピー」という軽くて、ささやきのようなもの。私にできることはあまりにも小さい。それでも何かできることがきっとあるはず。何かあるはず。

今日一日、大切な人たちがハッピーで過ごせますように…。

posted by Sue at 06:43| Comment(2) | TrackBack(0) | 干物女の行水 | 更新情報をチェックする
この記事へのコメント
その日、その日が忙しくて大変でも、色々なハプニングがあっても、最後は笑って終わりたいものですね。
私の為にと苦い事を言ってくる人も、実はもしかしたらその人自身の問題と重ねている気がする時もあります。
本当のところはその人にしか解らないものだったりしますね。
自分の存在を疎ましく思う人より、気持ちが通い合え、顔を会わせて言える人達を大切にしたいと、私もそう思う出来事がありました。
自分が自分自身を大切に出来てこそ、周りの人を楽しく出来るのもだと思います。
と言いつつ、Sueさんも多分回りに気を遣い、頑張る方のように思いますので、あまり無理されないように。
Posted by さやまま at 2013年06月15日 20:11
さやままさん
性分なんでしょうね、周りに気を遣うのって(笑)。実家が商売をしていたこともあるかもしれません。
今のような量販店とは違い、昭和の商売は商品の説明より、地元ニュースネタ、近所のこと、家族のことなど、会話をするのが目的でお店に来てくれた人が多かった。何も買わずにしゃべって帰るお客さんも少なくなかったです。今では触れられない時間がそこにありました。
今はそれが少なくなり、人と自分の考えが合わなければ、他を探すこともできる。そんなネットサーフィン的な人間関係が多くなってきたように思います。
だからこそ、昭和の小売店的な人間関係を大切にしたいな~と思ってます。
Posted by Sue at 2013年06月18日 16:28
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