2013年08月23日

その昔、ある人からこんな話を聞いた。
「ある心理学者が、大人に『手は何をするものか?』と聞いたところ、ほとんどの人が『仕事をするもの』『食事をするもの』『筆を持つもの』など、手を道具とする回答をした。一方、子どもにきいてみると、ほとんどが『つなぐもの』という回答だった」

5歳の娘は、私と歩くとき、自然に手をのばして握る。お友達と歩くときは、互いが自然に手をのばしてつなぐ。示し合せなど一切なく、とても自然に。そこにいるのだから当然という、まるで青い空に浮かぶ無数の雲が流れてひとつになるがごとく。こんなにも自然に手をつなぐのは、いつまでだろう?

やがて彼女も独り立ちをするだろう。私ではなく、友達と買い物に行き、やがて恋愛をして、その人の手を握る。それが分かるから、今のこの時が愛おしくもなり、のばした手に力が入る。できればずっとずっと、つないでいたい。

ここ数日、暑さのせいか、少々持病が思わしくない。夜は苦しくて何度も目を覚ます。そんな時、横で寝息を立てる娘を見ると、あとどのくらいこの子の寝息を聞くことができるのだろう…と考えてしまうこともあった。

そんな風に持病と向き合う日が続いていたある日。いつものようにこども園まで手をつないで登園。通り道にあるお地蔵様に合掌し、「今日もよろしくお願いします」とお願いするのが日課になっているのだが、この日、娘は「お母さんの病気がよくなりますように」と合掌した。そして帰り道も同じく、「お母さんの病気がよくなりますように」とお願いをした。その夜、娘は私の患部に手を当て、「きっと治るよ」とおまじないのようにつぶやいた。

つないだその小さな手は、母のために合掌し、母の痛みにかざす。

ある末期患者の娘さんの話を思い出した。「母は、激しい痛みで眠れず、ただ苦しみ悶えていました。注射を打っても何をしても痛みは取れない。何もできない私は、ともかく患部をさすり続けました。そしたら、あれだけ苦しんでいた母の顔が少しずつ穏やかになり『さすってもらうとラクになる』って言ったんです」

バーレーンの友人の家に遊びにいった時の話。食事は箸やスプーンを使わず手で食べる。客の私にもご飯を手渡し。見真似で食べようとするのだが、ボロボロ落ちてしまい、なかなかうまく食べられない。友人に「スプーンとかを使わないの?」と聞いたら、「手はね、消化を助ける分泌物が出るの。だから私たちはあえて手を使って食事をするの」と彼女は答えた。

そう言えば、私たちの食文化にもおにぎりがあり、遠足や運動会などに食べる冷めたおにぎりは、すごく美味しかった。あの味はどれだけ計算されて作られたコンビニのおにぎりでも叶わない。母の手から「愛」という消化に良い酵素でも出ていたのかもしれない。なんとも不思議な話だ。

娘のちいさな手は私の患部を癒してくれる。私を想ってくれている。落ち込んではいられない。考え込んでいる場合じゃない。彼女の気持ちに応えよう。

私自身が信じなくてどうする。自分の力を、彼女の祈りを信じよう。娘の手があるかぎり、きっとよくなる。娘の寝息をいつまでも聞くためにも。

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posted by Sue at 11:11| Comment(0) | TrackBack(0) | 愚母の苦悩 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
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