2016年04月14日

サンドイッチのおいたち

長い冬が終わり、みなかみ町にも良い季節がやってきた。タラの芽、ふきのとう、土筆、ノビル、山の幸が待ってましたとばかり、そこらじゅうで顔を出す。

こんなおいしい物があふれているというのに、娘は口にしない。まぁ山菜は苦味もあるので小学生にはきついのかな(その苦味こそが美味しいんだけど)。

今までは、彼女の苦手な野菜は小さく刻んでカレーやら卵焼きに入れて、味を誤魔化して食べさせていた。『子どもが苦手な野菜もモリモリ食べちゃうひと工夫』などと書かれた料理雑誌やネットを見ては調理。確かに、見た目や色からは、その野菜が入っているとは思えない。しかし、この春から小学校3年生になる。もうこうした誤魔化しは止めようと思う。苦手な人参やピーマンも、小骨の多い青魚も、それが持つ固有の味や特徴をそろそろ知るべきだと思うのだ。



先日、出先で娘とチキンサンドイッチを買った。満開の桜の木の下に座り、サンドイッチ袋の封を切った。ふと「このサンドイッチ、いっぱい具が入っているね」と娘が言った。よくよく見ると、チキンとレタスだけではない。刻んだゆで卵、玉ねぎ、ピクルス、その他にいくつかの野菜が入っている。

「今こうして私たちが食べようとしているこのサンドイッチを作るのに、何人の手がかかったんだろうね」と、何気なく娘に問いかけたのが発端で、しばし二人でサンドイッチのおいたちに遡る。

「まずは、さっきのレジのお姉さんでしょ、このサンドイッチをお店に並べた人でしょ、パンを作った人でしょ、チキンを作った人に野菜を作った人と…」
「このチキンひとつとっても、調理した人や、そのための調味料を作る人、チキンを育てる人、そのための餌を作る人、そして屠畜する人、その設備を作る人。たくさんだね」
「野菜だって、それを作る人、そのための肥料を運ぶ人、その肥料を作る人」
「その野菜が海外からの輸入物だとしたら、それを運ぶための船や飛行機を作る人や、それを運ぶための燃料を掘り出す人。ものすごくたくさんの人がいて、このサンドイッチが食べられるね」
「だったら『いただきます』は、作った人だけじゃなくて、このサンドイッチに関わったすべての人に対して言う言葉なんだね」
そんな思いでいただいたサンドイッチは、超一流レストラン物のようで、とても美味しかった。

飽食の日本では平気で食べ物を残す。もはやラーメンやうどんの汁は残すことが普通にすらなっている。そのスープだって、何人の手が関わってきたことか。

「食べ過ぎで太ったから」とダイエット食品を購入する。世界ではおよそ8億5000万人、なんと9人に1人が飢餓に苦しんでいる一方での出来事だ。

これからは、食材を誤魔化すのではなく、その食材には何人の手が関わってきたのかを想像し、その苦労ひとつひとつに感謝し、しっかり味わっていこうと思う。それが苦かったり、しょっぱかったり、固かったりもするかもしれない。それはそれで良い。それ自体を味わう事は、関わったすべての人の努力に感謝することである。

まず何より残さないこと。どんなにお行儀よく食べたところで、残してしまえば品もマナーもない。感謝があった上に品やらマナーは成り立つ。

ということは、調理する側にも責任がある。せっかくたくさんの人が関わった食材だもの、おいしく作る責任があるのだ。そんな責任重大な役目を任された主婦(主夫)だもの、毎日の献立に心血を注ぐのは、ある意味、使命的なものかもしれない。

さて、今夜は何にしようかな。



posted by Sue at 15:55| Comment(0) | 愚母の苦悩 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
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