2016年09月07日

経験談は他人事

 小学校3年生の娘。夏休みも終わり、2学期が始まった。2学期は運動会やらマラソン大会やら、秋の祭典・スポーツイベントが待っている。楽しみで仕方ない!はずなのだが・・・。

 そもそもウチの娘は運動が得意ではない。今にしてアドベンチャーレーサーなどと肩書を持つ隊長だが、小学校時分、運動はそれほど得意ではなかった。足も遅かった。私と言えば肥満体。走ったら「地面が揺れる」とバカにされ、泳げば「津波になる」と苛められた。運動音痴の代表的存在だった。運動会の徒競走だって、いつだってビリ。父に順位を伝えると「またか」と、呆れられたのを覚えている。

 私が運動らしい事を始めたのは中学校に入ってバスケットボールクラブに入部してからだった。なぜそれに入部したのか忘れてしまったが、部活動では、ともかく毎日走らされていた。自発的に、ではなく、強制的に、だ。
 先輩方は、私たち後輩に気に入らないことがあれば、即座に外周5周ランを命令。部員の中で一番足の遅い私は、いつもドベで、その罰として、1周余分に走らされた。できない部員はとことん追い詰めえられた。きっと先輩方も、そのまた先輩方に同じように追い詰められてきたのだろう。当時の「先輩」と言えば、今でいう某国の将軍様だ。今はこの悪しき風習が消滅していることを願う。
 先輩はもとより、同級生の部員とも、とりわけ仲が良かったわけでもない。あまつさえ、足の遅い私にとって、かなりアウェーな環境だと感じていた。レギュラーには程遠かったし、クラブ自体に何の役にも立たなかった。
 しかし先輩からどれだけ苛められても、同級生に仲間がいなくても、部員としての存在意義がなくても、何故だか辞めようとは思わなかった。ここで辞めたらすべてが負けてしまうように思ったのだ。

 とは言え、この先輩からの冷酷な命令があったからこそ、毎日強制的に走り込み、やがて「肥満」が「標準」になった。それどころか、走力も付き、中学校3年生で市民マラソン大会に中学校代表選手として出場した(結果は覚えてない。程々だったと思う)。運動会のリレーの選手にもなった。ゆえに、あの悪しき風習も悪い事ばかりではなかったのかもしれない。
 逆に「良き経験」と言うべきかもしれない。社会に出てからと言うもの、あの時の非情な先輩方を思うと、どんな上司や同僚であっても温情のある優しい人たちに見えたし、その人たちのために出来る限り頑張ろうと思った。会社が楽しかった。今でも「私は常に良い上司、同僚、友達に恵まれている」と思えるのは、あの時の辛辣な経験があったからであり、受けるべき経験だったのだと思う。



 運動が苦手な娘は、「田中正人の血を引くのだから」とよく言われる。なんと残酷な言葉であろう。本当は運動が苦手だった隊長と私の子なのだから、周囲が言うように「血を引く」で比喩するなら運動ができないのが自然だ。しかし小学校低学年の甲乙は比べやすい運動結果で決めてしまうことがある。ゆえに、運動が苦手な娘にとって、差が明確に出てしまう運動会やらマラソン大会は、あまり歓迎したものではないのだ。
 親として期待がないわけではない。努力すれば、きっと良い結果が生まれる。しかし、それを子どもにどう伝えたらいいのだろうか。経験談はあくまでも他人事であり、結局は、その人自身が経験しなければわからない事なのだ。
 よくしたもので、神様はその人がその時に必要な経験を与えてくれる。辛くて仕方ないことであっても、いずれその経験が活かされてくる事を見越して。
 どのみち、これから成長するにつれ、子どもはたくさんの経験をする。ひょっとしたら娘は、私が経験したこと以上に辛い経験もするかもしれない。しかも、その経験が活かされるのは、ずっと後になろう。
 だからそれまでは、少なくともお家だけは、できないことを咎めて、努力を強いる場所より、できたことを認めて、褒めて、一緒に喜ぶ場所であるようにしたい。
 
 さて、小学校の運動会では、言うまでもなく、今年も娘は花形リレー選手から漏れた。足が遅いのだから仕方ない。仕方ない事は解っていても悔しかっただろう。けれど、それも経験。その悔しい経験は、いつか活きる。
 でもね、アキラ。悔しながらも、選手になったお友達を心底応援しようとするあなたの気持ちこそが、実は私たちをとても豊かにしてくれているんだよ。お父さんもお母さんも、ちゃんと解ってるよ、あなたの「真の強さ」が何であるかを。






posted by Sue at 15:06| Comment(0) | 愚母の苦悩 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
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