2016年10月26日

リンゴ畑の中心で愛を叫ぶ

 夏日が続いた10月初め、リンゴ農園のお手伝いに行った。日頃お世話になっているHさんが所有する広大なリンゴ農園では、文字通り手作業でリンゴを育てる。

 お手伝いの内容は葉摘み。日光が実に当たるように周囲の葉を落とす。気をつけなくてはいけないのは、葉を落としすぎないこと。葉はリンゴの甘みを作る大切な要素でもある。「日光と葉」。どの葉を摘むか。そのバランスが難しい。

 リンゴは落葉することで秋を感じ、実を赤くするそうだ。農園によっては落葉薬を使うところもあるらしいが、Hさんちのリンゴ園は薬は使わず、すべて手作業。ひとつひとつのリンゴに陽が当たり、赤味と甘みを出すように気を配る。高木の上部に生る実は脚立を使って作業。大変だけれど、その分、リンゴへの愛着が増す。

 農作業は時間がきちんと決まっている。10時と15時はお茶の時間。程よい日光を浴びるリンゴの木の下で、温かいお茶を頂く。昼夜問わずにアクセクしている生活から見ると、規則正しいルーチンワークは実に心地よい。そもそも人間は、お日様が出ると伴に起きて、お日様が沈むと伴に眠り、空腹になったら食す動物である。  

 だが、現代の生活と言えば、空腹でもないのに時間が来たら食を摂り、真夜中まで起きている。お日様と共に暮らしてきたルーチンが崩れてしまったことで、我々は生活環境も考え方も性格までもが変わったのかもしれない。なんだか殺伐としている。

 Hさんのリンゴ農園では肥料は与えない。昔はドカドカと肥料を与えていたそうだ。そうしないと木はやせ細ってしまっていたとか。しかし、それではリンゴ自身が持つ力が育たない。そこで施肥をストップ。危機感を感じたのだろうか?リンゴは種の保存のため、自ら赤く熟し、甘みをつけ始めた。そんなリンゴたちを援護するかのように、それまでに施し続けていた肥料は土に還り、何も与えずとも肥沃な土壌となった。

 こうしてHさんちのリンゴは日光が作り上げた自然の甘さをたっぷり含んだ実となり、やがて寒さから自身を守るために『蝋物質』を出す(ワックスのようなベタベタした成分。これはリンゴ自身が持つ成分で、熟したサインにもなる。自然のものであり、もちろん害は無い)。自ら頑張っているリンゴだからこそ、私たちは敬意をこめて、手作業で葉を落とす。

 リンゴ育ては子育てに似ている部分もある。肥料をドカドカ与え続けなければ、いつかやせ細ってしまう。だが永遠と肥料を与え続けることはできない。世の順として親が先に逝くのだから。だからこそ今、「学びの場」である学校でしっかり身に着けて欲しいのだ。

 勉強ではない。人間関係や社会生活など、身に起きる多くの出来事から学んで欲しいのだ。人が集まればトラブルは起きる。そんなトラブルが起きた時こそ、学ぶチャンスである。きちんと寒さも受け入れ、そして自身を守る『蝋物質』を出すことができるよう学んでいく。逃げずに自分で乗り切っていかなければ良い実にならない。我が子には、しっかりと甘い良いリンゴになって欲しいと願うのである。

 さて親として私はどうだろう。子を過保護にしていないだろうか。逆に放ったらかしていないだろうか。時に日光となり、時に雨となり、時に葉となり、時に寒さとなっているだろうか。適格にできているだろうか。

 隊長はこう言う。
「人間が学ぶものは全て自然の中にある」
リンゴ畑の真ん中で、黙々と葉摘みをしながら、そんなことを考えさせられた一日であった。


posted by Sue at 22:45| Comment(0) | 愚母の苦悩 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
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