2019年12月18日

桜と母娘

昨日の新聞の片隅にあったニュースが目を引いた。

『某公園で、近くのサービス付き高齢者住宅に住む女性(88)が血を流して倒れているのを通行人が見つけ、110番した。同居する娘(70)は自宅で上半身から血を流した状態で見つかった。2人は搬送先の病院で死亡が確認された。娘は重病のため寝たきりで、遺体には外傷があった。警察署は、介護に悩んだ母親が娘を殺害して、無理心中を図ったとみて調べている。署によると、母親の持ち物や自宅からは「ご迷惑をおかけします。自殺します」などと書かれた遺書が見つかった。母親は約1カ月前から、施設関係者に「介護を続けるのが大変で将来が不安。金銭面も心配だ」と相談していたという』

小さな記事だが訴えかけるものは大きい。
人生の終盤を迎える年齢で、我が子を手に掛ける心情を思うといたたまれない気持ちになる。70年間も寄り添っていた母娘は、他の選択肢はなかっただろうか。

生まれた時は天使がやってきたと思ったことだろう。
初めて食べる甘いお菓子に喜んだ日。友達とケンカしたと落ち込んだ日。いい成績を取って喜んだ日。背伸びしてオシャレした日。熱で寝込んだ日。突然の嘔吐にあたふたした真夜中。些細なことで言い争った日。一緒に買い物に行った日。レストランで食事した日。桜の下で迎えた入園式、入学式、卒業式。
娘と過ごしたいろんな日はどれも、そこにいてくれるだけで幸せと思えたはずなのに。
どうしてこうなってしまったのか。

老老介護や認認介護は今や社会問題である。ゆえに各行政でも対策を施しているし、介護サービスに携わる人たちも日々頑張っている。

新聞は、こんな風に締めくくられている。
『署や施設関係者によると、施設では寝たきりの利用者に対し、定期的に体位変換やおむつ替えを実施。この日の早朝も看護師が2人の部屋を訪れたが異変はなかったという。この件でスタッフもショックを受けている』

体位変換やおむつ替えを実施していた施設スタッフ。この母娘のことを一番見ていたのは身近で世話をしていた彼らであろう。老老介護の大変さも充分すぎるほど解っているはず。この結末に対するショックはいかばかりか。

生命あるものは、必ずいつかそれを閉じる時を迎える。しかし人は人生の最期をそんな形で迎えてはいけない。後悔も反省も含め、最期は幸せな人生であったことを感じて天国に昇るべきだ。


直接は何もできないとしても、それでもこういった行き場を失った人たちに使ってもらうためにも、私たちは税金を出す。税は本当に必要としている人たちに使ってもらうものであると私は思っている。行政からなら弱い立場の人も遠慮なく使えるしね。

一介の田舎の主婦の私には、5500万円もの税金で開催する「桜を見る会」とかよくわからない。きっと偉い人たちがやってることだから、それなりに(先生方にとっての)意味はあるのだろう。

でもね、各界の功績はなかったとしても、あの母娘にも最期の公園では涙じゃなくて桜を見てほしかったなぁと思うわけよ。

集めた税金の使い方は、結局のところ国会議員が決める。「桜を見る会」にいくら使うか、老老介護にいくら使うか、もすべて。
ならば愛する人を手に掛けなければいけない社会にならないように、誰もが幸せな最期を迎えられるように使ってほしい。


この日、母娘のニュースの横には同じくらい小さく70代夫婦の介護疲れ心中のことが、そして上にはその何倍も大きくプレサンスコーポレーション(不動産屋さん)の21億円横領のことが出ていた。なんだか皮肉に感じるなぁ。

posted by Sue at 17:05| Comment(0) | 悪妻のボヤキ | 更新情報をチェックする
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