2015年04月09日

“ない”から学ぶ

先日、久しぶりに20年来の友人に会った。気が置けない数少ない友人で、今では会う機会が少なくなってしまったが、会うたびに新鮮であり、刺激的である。

その友人は長い間、酷い乾燥肌に悩んでいた。洗顔の後にクリームやら液体をグイグイと塗り込んで肌の潤い状態を保っていた。ところが今はクリームやら液体やら、要するに外からの人工物を一切使用していないと言う。しかも乾燥しているようには見えない。「今まではお化粧をして、それを落とすためにゴシゴシ洗うことで肌を痛めて、そこにクリームやら液体を押し込んできた。それによって人間自身が持つ再生力や治癒力を失っていくことがわかった」と友人は言う。

私は激しい耳鳴りに悩んでいるのだが、前に整体師さんに「耳が探してしまうんだよ」と言われた。なるほど。某健康促進テレビ番組でも耳鳴りの原因のひとつには脳過敏症があると言っていた。どうやら脳が聞こえないはずの音を探してしまい、聞こえないから脳自身がその音を作り出すらしい。良かれ悪しかれ、人のカラダは本当によくできている。

私たちのカラダは、“ない”ことにきちんと反応し、きちんと作り出す。しかし即効性や簡易性を求め、外から異物を取り入れることで、人間固有の治癒力が減衰してしまうという友人談は理に適っている。

さて、友人と会った後、春休みを迎えた娘と愛知の実家に戻った。実家には、たいしたおもちゃやゲーム機はない。小学生にとっての娯楽はほとんど皆無である実家滞在中、娘は、じいちゃんと将棋三昧、ばあちゃんには裁縫を教えてもらい、私にエプロンを作ってくれた。もしゲーム機があったら、じいちゃんやばあちゃんとも、こんなにコミュニケーションをとっていなかっただろう。

“ない”ならば、楽しいことを創りだす。そもそも子どもは、その天才である。子どもの頃の私たちもそうであった様に。なぜ今は外的要因や物質に頼ってしまうのだろう。

“ない”ならば、あるものを工夫して使う。今の私にはその力が足りない事が、この数日間でわかった。ないなら買う。欲しいなら買う。今や世界中のおいしいものが手に入る。白髪だって茶色や金色になる。まつ毛だって長くできる。乾燥肌を潤すことができる。若さや健康だって買える。お金があれば何でも手に入る。そんな時代なのだと思っていた。

それで良しとする傍ら、自分の中にある再生力、治癒力、思考力、もっと言えば生きる力を脆弱にしているのかもしれない。

そう言えば、娘はクラスでも大人気のDSを持っていない。以前は欲しがったが、今は言わなくなった。それには理由があった。

学校ではDSソフトに出てくるキャラクターの話題で盛り上がるらしい。そのキャラクターを知らない娘は「それ、なーに?」と聞くと「え〜!?知らないのぉ〜?」と言われると言う。所詮子ども同士の会話、悪意はない。しかし、その一言が娘を哀しい気分にさせたそうだ。「だから、あたしは、あたしが知っていることで、友達が知らないことがあっても『え〜!?知らないのぉ〜!?』って絶対に言わない!! ちゃんと説明してあげるもん!!!」DSを持っていないことで気が付いた心の痛み。それも彼女なりに“ない”から学んだことである。

ひょっとしたら“ない”は、私たちを成長させてくれる素晴らしい要因なのかもしれない。

ふと隊長のこんな話を思い出した。
1995年エコチャレンジ・オーストラリア大会でのこと。レース中、女性メンバーが足首を炎症で歩けなくなった。リタイヤをするかどうかの決断を迫られた時、山岳経験の豊富なメンバーが、ザックの上下をひっくり返すと、それが背負子(しょいこ)のようになることを思い出した。「この方法で彼女を担ぎ、行けるところまで行きます」イーストウインドはレース継続を決めた。

男性メンバーが交代で女性メンバーを担ぎ、標高1000メートルも上った。藪の中もひたすら進んだ。このレース展開は主催者やメディア班を驚かせた。「信じられない!! 彼らは行くぞ!! どんなことがあってもやり遂げるぞっ!!!」イーストウインドの姿を捉えた空撮カメラマンが、思わず声に出したその言葉が映像に残っている。残念ながら完走はできなかったものの、その行動により、それまでになかった「Special Sprits Award(特別賞)」が生まれ、イーストウインドはその初回に輝いた。それは入賞とはまた違ったイーストウインドの誇りとなった。

“ない”は人間力を育む外的要因なのかもしれない。

1995年エコチャレンジ・オーストラリア大会


Team EAST WIND 場面
1) 15:21〜16:50(継続を決断する場面)
2) 20:03〜22:39(標高1000m登った場面)
3) 27:45〜29:51(継続中の場面)
4) 39:00〜42:10(ゴールを目の前にして無念のリタイヤの場面)
『Special Sprits Award』を、苦難と喜びを共にしたメンバーの倉田和輝選手に捧ぐ

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2015年03月30日

ナビゲーション講習会に想うこと

先日、ナビゲーション講習会を開催した。不定期ではあるが、隊長とナビゲーション(地図読み)講習会を始めて10余年になる。

とは言っても、私は事務作業担当ゆえ、当日はバタバタして講習をしっかり聴いたことはない。だから地図読みを私自身がどこまで理解しているかもよくわからない。それでも「継続は力なり」とはよく言ったもので、10年も関わっていると、ぼんやりと地図が解るようになってくる。そんなこともあり、数年前から娘とオリエンテーリングの大会に出場するようになった。結果はとても人に言えたものではないが、山中でフラッグ(目的地)を探す行程を楽しむことができるようになった。

さて、私は、隊長の講習を聞く度、ナビゲーションは人生に似ていると思うのである。

地図読みに正しい方法はない。そもそも地図が完全というわけではない。所詮、人が作成したものである。海外のアドベンチャーレースでは40年も前の地図が配布されることがある。いくら自然の中とは言え、現状とは異なる。当時はなかったであろう路も、今では獣や人が踏み慣らしたことで小径ができていたり、地磁気も永年変化している。地図は必需品ではあるが、最終的には自分のナビゲーションスキルが頼りになる。

人の生き方に正しい方法はない。社会のルールは守らねばならないが、それ以外の基準は個々の道徳意識に任せられる。与えられた環境(地図)に沿って歩いていても、その地図が決して正しいとは限らない。しかし環境(地図)は変えられない。自分の観点で地図の見方を変えるしかない。環境はひとつの指針ではあるが、結局は自身の意識が頼りになる。



アドベンチャーレースでは、必ず決まったチェックポイント(CP)を通過しなくてはならない。しかし特別規制がない限りCPとCPの間はどこを通っても良い。ルールはひとつ、必ずチームで行動すること。あるピークにCPがあるとすると、かなりの回り道としても安全な登山道を行く方法もあるし、距離は短いが濃い藪を突き抜ける方法もある。どちらを行くかはチームの選択だ。

時には選択を誤ることもある。あるはずの登山道が途中で消えていたり、反対に増えていたり。背丈の低い藪ルートも実はトゲだらけの植生であったり。

そんな想定外の時に発生するのがチーム内の不協和音である。

数時間ならまだしも、下手をすると丸一日も迷い続けることになる。その時のナビゲーターの焦りはいかほどのものか。自分のナビゲーション・ミスで長時間ロスし、チームメンバーに余計な体力を使わせている。プレッシャーが自責の念に変わる。やがてメンバーが苛立ち始める。

地図読みをしないメンバーも、ナビゲーターに任せているからと自覚しているうちはまだいい。しかし丸一日無駄に歩き続ければ、それが不満へと変わるのは当然。本当にそのルートチョイスは合っているのか?あとどのくらい進めばいいのか?いつ果てるのかもわからない山中をさまよい続けていると、ナビゲーターへの疑心、蓄積する疲労、そして他チームに対する焦りが重なり、ナビゲーターを責める事も少なくない。

「あの人がこういったから」。人の指図通りに行動するのは、案外、簡単なのかもしれない。しかし、それが思っていた方向と違ってきた時、不安と疑心が生じる。やがて完全に藪の中(困難極める状態)に入ってしまった時、「あの人」の責任にする。人が言った事を選択するもしないも自分自身であったはずなのだが、それを忘れて、人の責任にすることで自分を正当化する。もっともラクで、もっとも卑怯だ。結局、人は変わらない。環境も変わらない。変えられるのは自分自身だけなのだ。



「アドベンチャーレースでは、地図が読める方が断然面白い」と隊長は言う。ナビゲーターは、どのくらいで次のCPなのか、どこをどう行ったら負担が少ないのかなど、戦略が立てられる。しかし地図読みができなければ、ただついていくだけになる。それはアドベンチャーレースの楽しさを半減してしまうことになる。

後で人のせいにするくらいなら、最初から自分で地図を読んで、進むべき道を選び、自己責任を持って進んだ方が楽しいのかもしれない。その方が人生(アドベンチャーレース)の醍醐味を味わえるとも思うのだ。



コンパスは少し角度を変えただけで、進行方角が大きく変わっていく。コンパスの指す方向を見誤ると、取り返しのつかない事になりかねない。間違えた方角にどんどん進めば、やがて正規ルートから大きく離れてしまうことになる。尾根にいくはずが沢に落ちていってしまった、という話はよく耳にする。隊長は言う「間違ったルートに入っているのに、不思議と辺りの地形が地図通りに見えてくる。人は思い込みをする。これがとても怖い」。

私たちは、時に自分の進むべき方角を見誤る時がある。欲が絡めば尚更だ。ほんの数度、欲の方向に向いて歩き出せば、やがて欲の谷に陥り、取り返しのつかないことになりかねない。早期発見、方向修正が必要になるが、ひとつ欲が満たされれば自分の位置が正しいと思い込んでしまう。



アドベンチャーレースはゴールを目指す。CPはその過程である。しかしその過程をひとつでも飛ばすと、ゴールは成立しない。時にCPへのルートは極端に難易度が高かったり、地図と異なる場所に設置されていることもある(レースを主催しているのも、これまた人間。完璧ではない)。それでもCPは避けて通れない。そんな時こそ、支えとなるがチームメイトだ。励まし合い、信じ合えば、たどり着けないCPはない。

人生もゴールに行くには、困難なCPを通過しなくてはいけない時がある。どんなに遠回りしようと、そこは決して避けては通れない場所なのだ。だから進むしかない。しかし一人じゃない。絶対に心励ます人がいる。仲間がいる。



ならば私自身の向いている方向は正しいのだろうか?ペース配分は大丈夫なのか?ゴールまでどうやって行けばいいのだろう?

今はまだ自分のゴールに何があるか解らない。ただ、今、目の前にある「通るべきCP」に向かって、コンパスを合わせ、ブレないように進もうと思う。



ナビゲーションの醍醐味は自分自身で進路を決めるところだろう。人に頼っていては、自分の本来の夢を見失う。自分の中に在る地図とコンパスで、夢の方向に整置したなら、あとはそこに向かって突き進めばいい。


ONE PIECE・ルフィーのセリフを思い出す。
「宝がどこにあるかなんて聞きたくねぇ!宝があるかないかだって聞きたくねぇ!
何もわかんねぇけどみんなそうやって命懸けで海へ出てんだよっ!
ここでおっさんから何か教えて貰うんならおれは海賊やめる。
つまらねぇ冒険ならおれはしねぇ!!!」


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2015年01月17日

リーダーシップ

先日、隊長に「リーダーとして支える」をテーマとした講演のご依頼を頂いた。

イーストウインドのリーダーとしてチームを牽引する役割の隊長だが、昨年はグレートトラバースで主役となる陽希を、カメラマンとして支えたことから「リーダーとしての裏方サポートの重要性」をテーマに企業のリーダー対象に話をすることになったのだ。

17年前、隊長は自己実現のためガムシャラに突っ走っていた。「勝ちたい」という気持ちが人一倍強かった。自分ができることは他人もできて当たり前。だから他人にもそれを求めた。自分に厳しいのはもちろん、メンバーにも厳しかった。

海外のアドベンチャーレースに出場するのは費用がかかる。自らのトレーニング時間を割いて毎日のように回った協賛のお願い。当時、まだ誰も知らないようなアドベンチャーレースであったが、徐々に応援者が増えてきた。しかし、それが「勝たなくてはいけない」という重圧ともなる。レース中、体力的に弱いメンバーへの叱咤が強まっていった。肩肘張っていたわけではない。ただ、その重圧との戦いをチームメンバーは理解し難かった。

それから何度も悔しい思い、辛い思いをしてきた隊長を、私は傍らで見てきた。隊長のやり方について行けず、去ってゆくメンバーもいた。見ているこちらが辛くなった。「もう止めてもいいよ」言いかけたこともあった。でも隊長は投げ出さなかった。どんなに辛くとも、またレースに出る。そしてリーダーシップを試行錯誤する。何度も何度もぶち当たる壁。ぶち当たりながらも進む。まるで、そこには彼にしか見えないレールが敷かれているかのように、当然な成り行きで。

もうひとつ私が隊長の傍らで見てきたものがある。それは「辛い思いは人を成長させる」ということ。「アドベンチャーレースは自分を成長させてくれる」と言う隊長の言葉の意味を、フィールドだけではなく、もっと大きく総体的に捉えることができる。

もう何年も前にアドベンチャーレースから去ったメンバーが、こんな事を言っていた「本格的なアドベンチャーレースに出るなら田中さんと出たい」。隊長のやり方が合わずに去って行ったと思っていた。しかし、そうではなかった。「やり方や考え方が合わない事が度々あった。その時は悔しいとは思っても、田中さんの言うことは勝つためには当然なことだったと後にしてわかった。またいつか田中さん率いるチームで戦いたい」と。

あのストレスだらけの極限の中ではエゴが爆発する。憤懣やるかたないこともあるだろう。レース後、チームが粉砕することは珍しくない。レース中、このメンバーと隊長の間に何が起きたのかは分からない。ただ、生死関わる状況下で、真剣にぶつかり合ったことが、互いを成長させたのだろう。ぶつかり合いが、ただの喧嘩別れで終わるのか、それとも互いの成長となるのかは、当人次第だと思うが、すべての出来事には意味がある。

それでも今なお、リーダーシップの難しさを痛感する隊長だが、グレートトラバースでのサポート経験は、今、隊長がまさに必要とする意識へのヒントを与えてくれたようだ。今回、陽希を主役にカメラを回し続けた事は、隊長の生涯において、最も貴重な糧となった。そしてその時の撮影班のチームワークは、それまでにない種の緊張と感動があった。それを聴講されたリーダーの皆様からいただいた所感が語っていた。

リーダーシップはメンバーがいなければ成り立たない。引っ張っていくだけがリーダーではなく、支えていくのもリーダーである。メンバーの開花のため、肥やしとなり、水となり、陽となり、時には耐久性を保持するために強風となることも必要。メンバーの開花はチーム発展の、否、アドベンチャーレース発展につながる。まさに隊長が目指していたものだ。

チーム内におけるリーダーシップは、社会生活において普遍的な課題であろう。企業、団体、学校、部活、時には家庭内においても必要となる。

これからはチームに加えて、親としてのリーダーシップも私たち夫婦の課題になる。これは手ごわい。人は常に成長する場が与えられるものだ。

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2015年01月04日

謙虚であれ

今冬は雪がよく降る。積もった雪が溶ける間もなく、ひたすら降っている。

雪国に嫁いで間もなく14年目。それでも雪の中の生活は、慣れ切っていない。いまだに車の運転は怖い。家の中も凍てついて、温度は一桁。朝方は窓が凍って開かない。すぐに車を出すこともできない(まずは雪かき)。隊長のトレーニングもままならない。

「現代の科学の力では自然はどうにもコントロールできない。アドベンチャーレースでは、そんなコントロールできない自然の猛威が降りかかってくる。だから人は自然に対して謙虚でなくてはいけない」。隊長が講演でよく題材にしていることだ。

「自然に対して謙虚であること」。
アドベンチャーレースでは、荒れ狂う波に漕ぎ出すこともある。吹きすさぶ嵐の中、前に進まなくてはいけない。肌が焼けるような灼熱地獄をひたすら歩き続けることもある。見渡す限り氷に覆われた氷河を命がけで歩く。いつ果てるかもわからない藪を永遠とこぎ続けもする。「だから人は自然に対して謙虚にならなくてはいけない。人間が驕(おご)り高ぶると痛い目に遭う。まずは自分の能力・技術を知ること。レースで勝つためには、それを補うための努力をしなければいけない」。それはトレーニングであったり、装備であったり、地図読みの技術であったりと、シミュレーションであったり、チームワークであったり。それが不足していたら、身の丈に合った行動を取らなければならない。それは自分自身に対しても謙虚であるということ。こうして自分にない物を補いながら、かつ謙虚に、選手たちはゴールを目指していく。

自然界だけではなく、社会生活も同じかもしれない。
時に自分の力ではどうにもならない巨大な力、空気感があり、そこから逃げようともがいてみるが、どうにも逃げられない。人間社会でも、自分の力ではコントロールできないことがある。増してや、相手をねじ伏せることなど、もっとできない。どうせ相手が変わらないのならば自分が変わるしかない。相手の欠けている部分を指摘するだけではなく、自分に欠けている事を凝視する。それはあまり気分のいいものではないし、できれば避けて通りたい。しかし、それができて初めて、今自分がすべき事、補うべき事が見える。自然と同じく、謙虚で素直な姿勢で向き合うから、それが見えてくる。

深々と降り続く雪の中で暮らしていると「人は自然に沿って生きている」というのを、じんわりと実感できる。叩きつけるような吹雪でも、人はそこに根付く。だからこそ、そんな環境を迎合するように人は肩を寄せ合う。人を想い、人の温もりを感じ合いながら、極寒の生活に耐えている。そして訪れる春を目指す。雪の下でもしっかり芽吹く麦のように、謙虚で素直に。

「秋に蒔かれて芽吹いた麦は、冬の間、こうして雪の下で春を待つのです。陽射しの恩恵をじかに受けるわけでもなく、誰に顧みられることもない。雪の重みに耐えて極寒を生き抜き、やがて必ず春を迎えるのです。その姿に私は幾度、励まされたか知れない」(高田郁『残月』より)

平成27年、平穏な正月を迎えることができた。今年、大きな展望に向かって、日々を丁寧に過ごしていこうと思う。
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2014年11月25日

『百名山一筆書き』の撮影班

『陽希の百名山一筆書き』への挑戦が幕を閉じた。209日間にも及んだ、まさに「巡礼」とも言える旅を通し、陽希に多くの感動や出会いがあったことは、すでにマスコミにも大きく取り上げられている。想像し難い挑戦に対し、覇者にだけ与えられる達成感と貴重な経験は、今後の陽希の人生をもっと豊かに飛躍したものにしていくだろう。アドベンチャーレーサーとしての彼の活躍も楽しみである。

さて、この『百名山一筆書き』では、陽希を追う裏部隊となった撮影班も様々なドラマがあったようだ。隊長もカメラマンとして陽希を追い続けた一人。隊長から出てくる撮影中の苦労話は、かなり面白い。

ペースはすべて陽希次第。陽希の休息日は撮影班も待機し、陽希がハイペースな時はスタッフもそれに続いてハイペースで動く。天候も大きく関わる。スケジュールが見えない。しかも撮り直しなどあり得ない。どの場面も一発勝負だ。「その一瞬を撮影する」という目的のために撮影班はひとつとなっていく。

そんな苦労を共有する仲間たちは日に日に結束も強くなる。「そんな撮影班の結束が、あれだけ良い番組を作ったのだろう」と、身内のひいき目で見てしまうことは許されるだろうか。

カメラマンには、登山経験が豊富な人たちが集まった。中にはピレオドール賞(優秀な登山家に贈られる国際的な賞)を受賞したクライマーや、以前イーストウインドのメンバーとして活躍した仲間もいた。また、歩荷やドライバーたちも自分の役割をきちんとこなし、しっかりとカメラマンを支えたそうだ。

隊長は撮影経験が浅く、まだまだ技術が不足しているため、よくディレクターさんから指導を受けたそうだ。最近、アスリートカメラマンとして撮影仕事をさせていただく機会もある隊長にとって、「必要な時に必要な人が現れる」のが、まさにこのタイミングだったのだろう。その一瞬に必要な、適切な指導を受けなければ、レベルは上がらない。

長期間、スケジュールの見えない撮影はダレがちになるだろうと思うが、ディレクターさんの決断力と統率力が撮影班をピシっと締めたそうだ。

後日、そのディレクターさんは「毎日が必死の現場だったから、私も撮影班につらくあたったのではないか」とおっしゃっていたが、隊長は「まったくそんは風に思っていない。逆に、しっかり言ってもらえてよかった。しかもリアルタイムでの指導。それが何より身になる。今後も機会があれば一緒にやりたい」と感謝している。

しばし人は、それまでの経験やプライドが邪魔をして、素直に人の意見を聞き入れられない時がある。また、指導する側も時として不満のはけ口になってしまうこともある。一緒にいる時間が長ければ長いほど相手に甘え、その甘えから、やがて互いを受け入れることもしなくなる。

また、隊長は「今回、これだけ長い時間一緒にいられたのは、ともかく笑いが多かったことにある」と言う。撮影時はもちろんピリピリするが、それが終われば常に笑いがある。撮影班という堅苦しい仲間ではなく、本当に「ゆかいな仲間たち」であったそうだ。

そして下山後は「よくやった」と、必ず仲間たちで握手を交わし、互いを讃えあったそうだ。一瞬一瞬の陽希の行動を逃さないよう、ディレクターもカメラマンも歩荷も、それを待つドライバーも必死なのだ。それがうまく行った時の達成感はきっととてつもないものであっただろう。

毎日が行き当たりばったりのような撮影であったにせよ、撮影時は自分の立ち位置を明確にし、OFF時は常に笑いありで、無事に撮影を終えた。互いを認め合い、敬意を払わなければできなかったことだろう。隊長は本当に良い縁に恵まれたのだと思う。

「類は友を呼ぶ」とは良く言ったものだ。異種であろうと互いを引き寄せていく。それは当たり前のごとく。それが良い影響となるか、悪い影響となるかは自分が決める。ともかく自分に必要とされる時にその人は現れる。そのチャンスを受け入れるかどうかも自分次第だ。

隊長の撮影裏話は底を尽きないが、彼が嬉しそうに語る苦労話から、約7か月間、寝食を共にした仲間たちが、どれだけ素敵だったかがよくわかる。隊長が彼らと過ごした時間の話は、過去でありながら夢を語る未来のようでもあるからだ。そして、私にとって、それがとてもうらやましい。

『陽希の百名山一筆書き』は、裏部隊であった隊長にとっても人生に大きな影響を及ぼす仲間ができた類なき旅であった。
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2013年12月21日

夫婦のベクトル

昨日、あまりにも腰痛がひどく、ライダーのところに行ってきた。ライダーとは掛かりつけの整体師で、元仮面ライダーアマゾン(変身後。その他、ゴレンジャーのミドレンジャーもやっていた)だったので、私は彼をライダーと呼んでいる。ライダーは60代半ばだが、以前、スタント俳優をしていた頃にある女性と出会い、結婚。この地に越して整体を始めたそうだ。

当時、整体を開業するには施設も設備も必要になる。そこで二人は借金をして家と施設を建てた。お母さん(ライダーの奥様。私はお母さんと呼んでいる)は専業主婦。チリひとつ許さないほどのきれい好きで、家事はライダーにさせたことのない人だったそうだ。

私が初めてライダーのところに行った時、トイレを借りたのをよく覚えている。築30年以上で、決して新しいとは言えない和式トイレだったが、どこもかしこもキレイに掃除されていて、とても清潔なのだ。たかがトイレだが、それが気に入ってこの整体に通い続けている。院内の掃除はすべてお母さんがやっていたという。

お母さんは借金を返済するために贅沢ひとつしなかったそうだ。つましく生活し、ライダーが仕事に集中できるように支えた。

やがて子ども達もそれぞれが独立し、借金も返済し、仕事量を少し減らして二人で旅行をするようになった。ある旅先でランチを摂ろうとした時のこと。お母さんは低価格のものを注文するも、ライダーには「お父さんはいつも働いてくれてるんだから、こういう時くらい良い物を食べなさい」と言って極上のものを注文したそうだ。セコいとか、ケチとか、そんな下等な次元ではなく、今までお母さんがどれだけライダーに感謝し、尽くしてきたかが一目で理解できる逸話だ。

そのお母さんが9月に亡くなった。急なことだった。

ライダーは施術中にずっとお母さんの話をしてくれた。「俺さ、どこに洗剤があるのかも分からなくてね。食事の支度だってやったことないしさ。家のことひとつするのも、すごく大変なんだよ」と言っていた。そして改めて思うそうだ。「あいつがいなかったら俺はこうしていられなかった。あいつがいたから借金も返せたし、幸せでいられる。あいつは本当にいい嫁だった」と。そんなライダーの気持ち、お母さんはどんなに喜んでいることだろう。

ライダー夫婦は互いのベクトルが同じ方向を見ていたように思う。外で働くことばかりが仕事ではない。家を守りながら堅実に生活をすることも借金を返すためにひとつの役割である。ライダーの話を聞いていると、それがとても当たり前のように思えてきた。

しかし、世の中はそんな夫婦ばかりではない。中には、家事や介護をしながら、または仕事をしながら子育てをしているのに、なかなか評価されない女性もいる。せめても旦那さんには分かってほしくて「私を見て」「もっと家庭を大切にして」「私がこんなに一所懸命やってるのに、あなたはどうなの?」「もっと家にいて」と、相手のベクトルを無理矢理自分の理想の方向に向けさせようとする。しかし無理強いをすればするほど、旦那さんのベクトルはどんどん太くなって外に向かってしまう。

確かに家庭を守ることは楽ではない。しかも完璧などない。それでもどんな環境であろうと、人は「家庭」を落ち着く場所にするために、それぞれががんばっている。

お母さんはライダーが仕事に専念できる家庭環境を作り上げていたのだ。だからライダーが自分の趣味で出かけて行こうが、家事に一切手を着けなかろうが、何も言わなかった。すべてはライダーがより良い環境で働き、借金の返済をするために。それをライダーも身に染みて解っていたのだろう「俺は、あいつに頭が上がらないんだ」と繰り返していた。

さて、私たち夫婦はどうだろう?おそらくベクトルは同じ方向を見ていると思う。もちろん、ブレる時もあれば、相手のベクトルを自分に向けようとすることもある。そういう時は目の前の出来事や課題に翻弄されている時が多い。そんな時は私たちの二人のベクトルを俯瞰的に見て修正してきた。

私がこうしてお金にならない事を続けていけるのは、次から次へと未知なる世界を見せてもらえて面白いからだ。そして隊長も一番身近にいる人に自分のやりたい事を理解してもらっているから、ワクワクすることに挑戦していけるのだろう。

失って初めてわかる夫婦の大切さ、有難さ。やがて私もこの世を去る日が来る。そんな時、少しでもいいから隊長もライダーと同じように思ってほしい。

けど実際は「あ〜これで自由になれる!」なんて思ったりして。今でもかなり自由であるように思うけど(笑)。

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2013年10月19日

その先にあるもののために働く

いよいよ来週はX-Adventureが始まる。今回は国内初4日間のノンストップ。選手はもちろん、スタッフも初めての試みだ。

書類やら地図で埋まった光景に慣れてしまった娘は、いつもの場所にドカンと座ってお絵かきをしている。それでも時が経てば「お腹空いた〜」「おかあさん、これやって〜」と私にまとわりついてくる。大切なデータを入力している最中などは、「今、お仕事中だから後、後!」と、あしらってしまう。気にはなるが、その瞬間になると相手の都合など聞いてはいられないのだ。

「仕事だから」。5歳の子がそんなんで「はい」と引き下がってしまうなら、大人にとっては、なんと都合の良い言葉だろう。「仕事だから仕方ない」「仕事だから我慢しなさい」「仕事だから当たり前」。まるで大人だけが所有する、子ども関所の通行手形だ。

はて、子どもをも黙らせるための「仕事だから」は、一体何だろう。家族のことは後にしてまで向かい合う作業は、労働時間も営業時間もなく、大会に向かって永遠と続いている。

『仕事=professionであるべし』というのが、私の仕事に対するモットーであるが、悲しいかな、私のやることはどんくさい。人と比べて飲み込みが遅い。よく他から「こうしたほうがいい」とアドバイスを頂く。わかっていても、一所懸命にやっていても、なかなか進まない。しかも出産してからは、ペースも遅れ、現場に行けず、輪をかけて人に迷惑を掛ける。それが自分で見えるから始末が悪い。

そんなどんくさい私の「仕事だから」は、5歳の娘にはどう映っているのだろう。
そもそも私はいったい何のために「仕事」をしているのか。

X-Adventureに出場する選手からのメールを開く。質問がツラツラと書かれた最後に「楽しみにしています!」とあった。差出人のワクワクした顔が浮かぶ。

開いたフェイスブックには「X-Adventureのトレーニングを兼ねて○○山へ…」「週末のレースに向けてメンバーと集まり…」などなど、参加予定の選手のページには、レースに向けての意気込んだ笑顔や、トレーニング中の笑顔の写真がアップされている。「楽しみにしてくれている」と、なんだか嬉しくなる。

ふと思う。私の仕事は、この笑顔を作るためのものかもしれない。コースを作ったり、イベント全体を派手にするという大掛かりなことはできないけど、それでも決して欠かせないレース作りの欠片。ほんのわずかな一片ではあるけれど、「楽しみ」の欠片であることから外れてはいない。そう思うと、すべての事が「楽しみにしています」の一言に通じる気がしてくるのだ。

お母さんは、「おいしい」という声のために三度の食事を作る。「おいしい」という声のために、漁師さんは朝早く起きて船に乗って海に出る。その漁師さんたちの命を守るための船体を作る人がいる。その船がしっかり浮かぶように細かい部品を作る人たちがいる。みんな、その先にある「おいしい」の顔のために頑張っている。そんな風に思うのだ。

今では安価で簡単なレトルトもたくさんある。魚や野菜も旬や季節に関係なく売られている。安全よりもコスト削減を重視した方が儲かる。

それでも、毎日毎日食事を作り、時化た海でも漁に出て、万が一の場合を守るために費用をかけることは、「おいしい」の欠片であることに間違いない。

工事現場の交通誘導をする人が、深々とお辞儀して旗を振っていると「こんな蒸し暑い時なのに、ありがとう」と感謝の念が湧く。反対に淡々と流れ作業のごとく旗を振っている人は、なんとなくお金を稼いでいるだけの動作をしているように見えてしまう。即席仮設信号となんら変わりない。同じ作業でも感情が見えるのと見えないのでは、通行する立場の気分は変わる。

そんな光景を目にして思うのだ。どうせ仕事をするなら、「時間内に与えられた業務をこなす」という、無機質な動作はしたくない。その先に、ずっと先になるのかもしれないけど、それでも必ずある「その先のもの」のために働きたい、と。

生活は日々便利になっていく。急ピッチで流れている時代の中だけど、忘れないようにしよう。その便利の裏では、たくさんの人たちが私たちの笑顔のためにがんばっていることを。日々産まれてくる最新技術製品。今使っている製品は、あっという間に「古い型」となるけれど、このひとつを作るために多くの人が私の笑顔のために汗水垂らしてくれたのだ。大切にしよう。



隊長や私の仕事は、世の中に存在しなくても物質的に何の不自由はない。さらに言えば利益とは程遠い。けれど「その先にある笑顔」のために存在している。

だから娘に言う。「仕事だから、ちょっと待ってて。今やっているお父さんとお母さんの仕事はね、みんながワクワクして、楽しくなって、頑張ろうって思うことなんだよ。だからお母さんたち、一所懸命にがんばってるんだよ」


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2013年10月04日

親にできなくて 友達同士にできること

運動に関してパッとしない娘は、水泳大会で撃沈。少しくらい凹んでくれればまだいいが、ケロッとしているから始末が悪い。増してや私も尻を叩いてでもやらせようとしないから、余計にのんびりしてしまうのかもしれない。

さて、運動会では年長組の目玉に『障害物リレー』がある。私たちの子供時分と比べると『障害物』が結構大胆だ。六段の跳び箱、前転、鉄棒。毎年のことだから、全員がクリアできるくらいのレベルを設定しているのだろうが、そこは運動音痴の娘。本番に「お腹痛い」などと言い出すかもしれないと、心構えをしていた。

いくら性格とは言え、撃沈してしまうのも、それに対して凹まないのも、往々にして親にも責任がある。自分の子だけができないことで、当人に「恥ずかしくないの?」と聞くには気が引ける。当人は十分に恥ずかしいと思っていかもしれない。それとも、恥ずかしいと思っているのは子ではなくて、親の方なのかもしれない。「普通でいい」と言いながら、無理な期待をしていないといえばウソになる。

口やかましく言えばやるだろう。しかし、肝心なのは「やらせる」ことではなく「やる気にさせる」ことだとも思う。しかし、それが難しいゆえに、口やかましく言うという端的な手段に出てしまう。

これは大人社会においても同じ。口やかましく言えば「うるさいな」と渋々動くが、納得して動くことはない。そこに成長は存在しない。見ただけでは「ちゃんとやっている」になるが、本来、自分で考えて納得して行動しなければ成長はしない。

水泳大会での撃沈を哀れに思い、大会以降、せめても水に顔をつけられるようにしようと、娘とプールに行きだした。手ごわいほど水が嫌いな娘。隊長や私が強く言えば「もうヤダ」と水から上がってしまう。せっかく教えているのに、こちらのやる気もなくなる。イラっとする。「あんたは才能ないから、あきらめなさい」と、投げやりになりそうな言葉が浮かぶ。そこは私も大人。ぐっと言葉を飲み込み、根気よく練習を続けた。

娘には、水泳大会で同じく撃沈してしまった大の仲良しのお友達がいる。彼女のご両親はお店を切り盛りしていて、週末は多忙を極める。ある日、隊長と私で彼女と娘をプールに連れていくことにした。

顔をつけることすらできなかった二人だが、相乗効果なのか?それともライバル意識なのか?ふたりで「こうしよう」「これやってみよう」と工夫しながら潜る練習すること2時間。わずかではあるがバタ足ができるようになった。

一度潜れるようになってからは自信がついたようで、娘は継続的に練習に行き、数回ですっかり泳げるようになった(傍から見ていると溺れているようにも見えるけど)。今は楽しんで潜水や平泳ぎに挑戦している。

自信がついたのはプールだけじゃないようだ。今度は彼女とふたりで運動会に向かって鉄棒の練習をし始めた。園の帰りに彼女の家に寄り、彼女のパパママに鉄棒を教えてもらった(彼女のお家には屋内用鉄棒がある)。お蔭でなんとか前回りはできるようになった。

まだ運動会までに時間がある。目指すは逆上がり。

園の自由時間にはブランコなどの遊具で遊んでいる二人だが、運動会前は鉄棒に食いついていた。二人の練習は夜(自宅)や週末にも及んだ。やがてお友達はキレイな逆上がりができるようになった。鉄棒のないウチは、初動負荷トレーニング用の竹を使い、両端を私と隊長が持って鉄棒の代わりにした(邪魔で邪魔で、いつ捨てようかと思っていけど、やっと役に立つ日が来た)。なんとか回り込めるようになったものの、着地するのに手古摺っていた。

ある日曜日、彼女と娘は、ふたりで鉄棒練習。彼女はすんなりできた。私が大袈裟に褒めたことが気に食わなかったのか、着地できない娘は憮然とする。やがて着地どころか、お尻もあがらないようになってしまった。

夕方になっても帰るのを拒む娘。なんとかなだめてお友達をお家に送った後、娘は「まだ練習したい」と泣き出した。あたりは薄暗くなっている。夕食の支度もしなくては。洗濯物だって干しっ放し。

その時、ふと乙武洋匡さんの「家事は手抜きをしてもいいけど、子育ては手抜きをしてはいけない」という言葉を思い出した。そして娘が納得いくまで逆上がりの練習につきあうことにした。やっとお尻があがる頃には周囲は暗くなっていた。

そして運動会前夜。直前まで着地に手古摺っていた娘は「着地できないと遅くなって勝てないから、明日は前回りで行く」と言った。それも今まで練習していたお友達と話し合ったようだ。見せ場よりも順位を気にするところは父親似なのか。選択したことはどうあれ、そんな小さな決意が頼もしく見えた。

運動会当日。開会式前、お友達と「今日ね、二人で逆上がりをすることに決めた」と報告しに来た。そうか。やるか。がんばって。応援するよ。

プログラムはつつがなく進行し、終盤に近付いた。いよいよ障害物リレーだ。クラスが2チームに分かれてのリレー。トップバッターが勢いよく飛び出した。声援が場内に響き渡る。まずは鉄棒、そして跳び箱、続いて前転。娘は中盤の走者だ。

「クラスの中でも逆上がりができる子はまだそんなに多くないんです」と先生が言っていたのを思い出す。みんなキレイにコロっ、コロっと前回りをしていく。娘は大丈夫だろうか…。

いよいよ娘の出走番がきた。最初の障害物が鉄棒だ。
もういい。できなくてもいい。ここまでがんばった。よくがんばったね。あなたの頑張る姿は、お母さん、ずっと見ていたよ。本番できなくてもいいよ。そこまでの努力で、あなたはお母さんが思うより、ずっとずっと大きくなったよ。そう思った。

前走者から勢いよくタッチされ、娘はスタートラインを飛び出した。まっしぐらに鉄棒に向かい、棒を逆手でつかんだ。「逆手だ!やる!」私は思わず声に出していた。

あっという間だった。娘はお尻から勢いよくグルッと回り込み、キレイな逆上がりを決めた。周囲から拍手を受け、娘の顔がほころんだ。私は小さくガッツポーズ!

そしてお友達の出走。水に苦しんでいた彼女も、今、まさにある山を乗り越えようとしていた。彼女もまっしぐらに鉄棒に走り、いつも以上にキレイに逆上がりを決めた。そして拍手喝采。やった!二人とも、やった!!乗り越えた!!

水が怖くて仕方がなかったあの二人が、なかなか前に踏み出せなかったあの二人が、揃って見事に逆上がりを成功させた。共に練習し、教えあい、励ましあってきた二人。これは上から物をいいがちな親にはできない、二人の間に芽生えた何か(保育園児にとって「友情」というのはまだ早い?)が背を押したのだろう。

こうしてこども園生活最後の運動会は閉幕した。私にとっても心に残る運動会だったが、それ以上に、娘たちにとって大きな意味があったように思う。

小さな繭が、自分たちの力で未来に向かって紡いていくような、清楚でまっすぐな気持ちになった。






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2013年04月12日

お嫁さんになったら

かれこれ四半世紀以上も前の話。
私はある人に恋をしていた。自分に自信のない私は、話すどころか、その人の前に出ることもできず、ただ目で追うだけ。それだけで充分だった。見ているだけで恥ずかしかった。淡い淡い恋心。

やがてその人は結婚した。当時の年代から言っても早婚。すてきな人だったから早婚に不思議はない。もちろんうまくいくなんて最初から思ってもいなかったけど、それでも落ち込んだ。こうして望んでいたわずかな奇跡も起こらずして私の淡い恋はTHE ENDとなるわけだが、幕が下りる直前に「自分をお嫁さんにしてくれる人には絶対に尽くす」と決めた。その人が残念がるくらい、いいお嫁さんになりたい!そう思った。

それから10年以上が経ち、私はお嫁さんになった。淡い恋心を抱いた人とは程遠く、メガネをかけた真面目そうな青年に嫁いだ。その青年を「隊長」と呼び、二人で軌道のない道を歩き出した。

そしてまた10余年が経った。

ともに年を重ねるごとに、甘えが許される家族となり、自分の我儘や主張を強くするようになった。家事や育児も互いがやって当然と思うようになった。むしろできてないとイラッとするようになった。感謝も「言わなくてもわかるでしょ」と思うようになった。近くにいることでかえって交わす言葉が少なくなった。

先日、嘔吐下痢で私と娘が同時に寝込んだ。娘は1日中吐きまくり、胃の中がなくなったのか、胃液を吐き続けていた。吐瀉物で汚れたシーツを隊長が何度も取り替えてくれたのを覚えている。私はひどい下痢と頭痛。こちらも出すものがないせいか、一口水分を取っただけで、トイレには這うようにして雪崩れ込む始末。ともかく寝ることにした。

夢を見た。あのときの淡い恋の夢だった。その人は四半世紀前のままで相変わらずかっこいい。四半世紀前と同じく話かけることもなく、目が覚めてTHE END。そしてふんわりと思い出した。「自分をお嫁さんにしてくれる人には絶対に尽くす」と決めたことを。

隊長の介護のおかげで私も娘もすっかり元気になった。娘は給食を残さず食べ、その後も調子良く遊んでいたようだ。私の下痢も完治。1日我慢したコーヒーは格別だった。

仕事に戻ると、今度は隊長が浮かない顔。どうしたの?と聞くと「う〜ん、ちょっと…疲れた」と答えた。普段、気弱な言葉など口に出さないはずの隊長の、ボソッとつぶやいた一言に「はっ」とした。

この人には自分にしかできない仕事をたくさん抱えた上に、私と娘の介護という、これまた家族の負担がのしかかっていた。今までに良かれと思って持ち込んだ仕事も実はとても負担になっていたのかもしれない。

アドベンチャーレーサーなんていう屈強な仕事をするくらいだもの、かなり頑丈だと勝手に信じこんでいた。周りに鉄人だのと言われ、相当なことでも平気だろうと思っていた。しかしレースという舞台を下りれば、普通の旦那さんであり、普通の父である。肉体的にも精神的にも疲れる時があって当然だというのに…

なぜ、私はそれを見極められなかったのか。どうして気付かなかったのか。

ともあれ今ここで「大丈夫?」と言えば「大丈夫」と返ってくるに決まっている。そもそも「大丈夫?」という質問は「大丈夫」という返答の枕詞だ。隊長のおかげで復活した腹だ。今度はできる限りのフォローをしていこう。そして嫁として家族を守っていこう。

思えば「自分をお嫁さんにしてくれる人には絶対に尽くす」は淡い恋への、あてつけのような閉幕であった。でも、あのTHE ENDがあってこそ、新たな章の幕開けになった。

あれから四半世紀。第1章閉幕時に沸いた「自分をお嫁さんにしてくれる人には絶対に尽くす」という強い決意は弱まった。新たな章になってからは「自分をお嫁さんにしてくれる人には絶対に尽くす」というよりも「支え合いながら歩いていきたい」と思うようになった。やがて私たちが老い、この章がTHE ENDになる時まで、やり通していきたい。









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2013年03月06日

家族の理解

パタゴニアレースは無事に終了。イーストウインドは元気に成田空港に到着した。まだまだ寒いみなかみ。『お帰りなさい会』は温かい物がいいだろうと思い、鍋を準備して待っていた。

しかしその晩、隊長は家に帰ってこなかった。東京方面でいろいろと用事があると言う。一番凍てつくこの時期、ふたりで「もうじきお父ちゃん帰ってくるから、それまで協力してがんばろうね」と励まし合ってきた。きっとお父ちゃんは春を持って帰ってきてくれる。そう信じていた。

結局、帰ってきたのは帰国してから3日後のことだった。

「『本当にお帰りなさい会』は手巻き寿司がいい」と娘がいうので、その日は二人で買い物に行き、帰ってきたら行き違いに隊長が戻っていた。娘は大喜びだった。

小さな晩餐会だったが、父ちゃんが無事に帰ってきたことは娘も私も嬉しかった。しかし「明日からまた出る」という隊長の言葉が、再び私たちを切なくさせた。

その後、隊長からは、春どころか、乾いた事務的な連絡しかない。留守の間にあった出来事や、娘の様子、レースの話もする時間もない。この人は家族のことをどう思ってるの?私やアキラはどうでもいいの?徐々にストレスが溜まった。

ガミガミ言うという手もある。しかしガミガミ言ったところで、この人には柳に風。結局この人は自分のやりたい道に進む。諦めの境地かな。

「家族をどう思ってるの?」と突き詰めたところで私が満足する答えは出るはずがない。だってこの質問の真意は隊長にわかってほしいという自分のエゴが入っているから。自分のさみしい気持ちを表現しよとしてもプライドが邪魔をして、結局は娘を引き合いに出した卑怯な質問なのだ。

そもそも娘は父親が日本にいることは理解している。そして用事があってずっとお家に帰れないことも理解している。小さなカラダで目一杯に寂しさと戦っている。理解しようとしないのは私の方なのだ。

そして隊長も十分に私たちのことを想っている。何より私たちがいるからこそ、隊長も自由に動くのだ。家族に甘えているとしたら彼の方かもしれない。

家族の様はひとつひとつ異なるが、どの家族も互いを想い、互いを理解することで成り立っている。家族には甘えていいのだ。泣きたければ家族の前で泣けばいい。悪態をつきたければつけばいい。家族は無条件にそれを受け入れるから。それが家族だから。

それでも娘は父親が帰ってくることをとても楽しみにしているようで、朝目が覚めると「今日、お父ちゃん、帰ってくる?」と最初に聞く。「ううん」と答えるのは、やっぱり切ない。

そんな娘に「アキラへのお土産、ない…」という父ちゃんの言葉は、もっと切ない。


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2013年02月22日

PER2013閉幕

Patagonian Expedition Race 2013が幕を閉じた。

去年のPER後、「次は優勝を狙う」という目標を掲げた。しかしクラッチとワッキーの退団により、その目標の現実味が薄れかけた。陽希も隊長も私も心穏やかではなかった。そこに運命的とも言える出会いを経て、あけちゃんが現れた。そしてまっすぐな光に導かれているように、あたかもそこにいるのが自然なように、ヤマキーが来た。まるで「こうなるのは決まっていた」かのごとく。

陽希は来年、1年をかけて百名山全部に単独登山をする予定。それには今年の大会で結果を出し、有終の美を飾りたい。ヤマキーも普段の生活を犠牲にしてまでこのレースに挑む。あけちゃんは運命という荷を背負ってスタートラインに立った。そんな3人を引き受けて隊長は最果てに向かった。「俺より3人の方が気持ちが強いかもしれない。だから負けられない」と言っていた。

時系列だけを淡々と追う側として、レースで何があったか、どんな思いだったかは計り知れない。それは帰ってから聞くとしよう。

ただ、彼らが今回のレースで背負ったことはあまりにも大きい。彼らなりの巡礼の旅であったようにも思う。

見渡す限り冷たく広がる氷の大地や、うざったいほどに絡みつく植生が蔓延る森や、四肢をしびれさせるくらい冷たい湿地帯であっても、偉大なるThe Mother Natureは彼らを温かく迎えてくれたと、待つ身としては祈りたい。

そして今日、レースは終わった。どんな想いであったかは、ゴール後の写真が語っている。

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まずはその荷を下ろそう。急がなくていいから。ゆっくりでいいから。今回の巡礼で刻み込んできたことを想いながら、時間をかけて。

そして優しく迎え入れてくれる温かい場所に帰っておいで。

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2013年02月04日

夢に終わりなし

隊長、ヨーキ、あけちゃん、ヤマキーで構成されたチームイーストウインド。昨日、それぞれが、それぞれの想いを胸に、氷の大地に向かって出発した。

45歳になった隊長がアドベンチャーレースを始めて今年で19年目になる。そんなに長く続けてはいても、残念ながら海外の大型レースではトップの表彰台に立っていない。

「もう辞めたら?」「そろそろ引退したら?」何度となくそんな事を言われた。「アドベンチャーレーサー田中正人」ではなく、「トレイルランナー田中正人」と紹介されたこともある。「田中さんはもうダメだね」そんなことも言われた。

傍で支えるべき私でさえ辛くなって「もう辞めたい」と弱音を吐いたこともある。

しかし隊長は辞めなかった。誰に何を言われようとと、ひたすらアドベンチャーレースに打ち込んだ。「僕はこれで行く」という隊長の一言に、私も迷いが吹っ切れた。ならば、とことんついていく。たとえ、あっちに行けって言われても、最後の最後までついていく。

先日、パタゴニアレースの主催者とチャットで装備などのやり取りをしていた時のこと。担当者(イギリス人)の打ち込んだワードを見て、矢継ぎ早に質問を打ち続ける私の指が止まった。

「僕個人の中ではイーストウインドは常にナンバーワンなんだ。彼らのレースのやり方はすごく気持ちがよくて、僕はとても好きなんだ。だからここで会えるのがとても楽しみなんだよ」

どんな競技でも結果が物を言う。選手は結果ありきだ。しかし海の向こうに「このチームが大好き」と思う人がいることに、19年がんばって水や肥料をやり続けてきたことに花が咲いたような、そんなうれしさがこみ上げた。

19年という歳月をかけ、隊長が育ててきたものは何であったか。惨敗なレースもあった。ゴールはしたがレースに敗北を感じたこともあった。隊長自身、パフォーマンスが下がって情けなく思うこともあった。有望な選手がイーストウインドを離れてしまったこともあった。それでもチームがひとつになる瞬間も感じてきた。下ではあったが表彰台に上がったこともある。トップチームの背を捕えたこともある。そして陽希がどんどん育っていくのも目の当たりにしている。

ひとつひとつの涙を積み重ねてきたから、こうして軌道のない世界でアドベンチャーレーサーとしてやってこれたのかもしれない。

引退年齢は人様が決めることではない。自分で決めるものでもある。

だから隊長が遠征に行くたびに、私たちが歳を重ねるたびに想うのだ。どんなことがあっても人の夢には閉幕はない。ましてや他人が変える事などできやしない、と。


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2012年12月05日

「ダメだと思っても信じる心を共有することで限界を越せる時がある」

先日読んだ『ディズニー そうじの神様が教えてくれたこと』の中に「ダメだと思っても 信じる心を共有することで 限界を越せる時がある」という一文があった。私がアドベンチャーレースで経験したあることを思い出させてくれた。

私が初めてアドベンチャーレースの世界を知ったのは1997年レイドゴロワーズの南アフリカ大会だった。その大会でイーストウインドのアシスタント通訳を務めたのがきっかけだ。約700qにも及ぶ行程を11日間で走破するレースであった。その時のメンバーは隊長、山岳を得意とするあっちゃん、川を得意とするケンさん、プロ・トライアスリートのルミちゃん(女性)、そして海洋冒険家の白石くんだった。

白石くんは世界単独無寄港を果たしたヨットマン。しかしこの南ア大会は山岳地帯を抜け、海岸でゴールという、ヨット種目とは縁のない大会だった。案の定、海の人は陸では思い通りにいかなかった。

レース中盤、極端に白石くんのぺースが落ちた。それをきっかけにチームの和は崩れかけた。窮地に陥った私たちはこの後のことを一晩かけて話し合った。

そして私たちが出した結論は「田中正人をゴールさせよう」だった。隊長のアドベンチャーレースに対する情熱をメンバー全員を突き動かしたのだ。

その後、白石くんは慣れない山岳地帯をボロボロになった足裏を引き吊りながら、ただひたすらチームのために、隊長をゴールさせるために進んだ。そんな白石くんの姿に、今度は隊長が突き動かされた。「最高のメンバーを絶対にゴールに導く!」隊長はそう決意した。

そしてイーストウインドはゴールを果たした。377773_307361375943612_19733405_n.jpg


不眠不休で幾日も進み続けるアドベンチャーレースはチーム競技である。当然、体力差も技術レベルも経験も異なる。メンバーの不足した体力や技術は、それを持ち合わせるメンバーが補うことでゴールが見える。

途中で精神的にも追い込まれるのは、どの選手も同じ。そんな時には技術や体力のない、足かせ状態の選手を非難してしまうケースも多い。

技術・体力が不足している選手も補助してくれるチームメイトに甘んじるのではなく、その場では自分の最大の力を出すことが必要だ。「助けてくれるから」と甘えていては補助してくれるメンバーの反感を買うだけだ。

団体で何かに取り組んでいる時、うまくいっていれば良いが、ひとつ乱れると、そこから総崩れになることもある。その乱れは「もうダメだ」と誰かが思い始めた時に起きる。

南アで窮地に陥った時、メンバーの誰かひとりでも「もうダメだ」と思い始めたらレースは終わっていただろう。あの時、私たちには「棄権」という選択肢は存在しなかった。全員が「いかに前に進むか」を考えていたから、最後まで戦うことができたのだ。

『「もうダメ」は自分が決めた限界である』とその本にはあった。そう、限界は自分で決めたことであり、他の誰が決めたことではないのだ。

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2012年10月27日

「心配じゃないですか?」

先日、志木市(埼玉県)で開かれた隊長の講演会に同行した。志木市は彼の出身地であり、そこで話をすることは、隊長にとってはもちろん、義母にとってもとても名誉なこと。亡義父もどれだけ天国で喜んでいたことだろう。

その昔、吃音(どもり)に悩んでした少年。授業中に当てられても言葉が出なかった少年。その少年が今や講壇に立つ姿を、あの時の先生や同級生たちには、どう映っているだろうか。

アドベンチャーレースは逃げられない環境の中、人間関係がむき出しになる。一般社会にも通じるところがある。しかし、アドベンチャーレースという非日常的な世界観がPTAの方々に伝わるだろうか。

結果、講演は高評価をいただいた。親や教師は「子育て」「教育」という逃げられない環境下に置かれ、常に試行錯誤しながら子どもたちとぶつかり合っているからだろう。アドベンチャーレースも、人を育むこともガチンコ勝負だ。そう思うと、娘の通うこども園の先生方に感謝でいっぱいになる。

講演後の会食にて、ある役員さんに「ご主人がこういうことされていて、心配じゃないですか?」と聞かれた。実はこの質問、かなりの確率でいただく。

この質問に対する回答をYesかNoかで言えば「No」である。私は冷たい人間なのかもしれない、と自分でも思う。しかし気持ちがどうにも「No」なのだ。

質問を頂いたその場ではなんとなく曖昧に「へへへ」と笑って済ませてしまったが、後から「なんで心配しないんだろう?」と、しばし考えてみた。気持ちを頭で理解するのは難しいが、それでも「気持ち」と対話をしてみると、少しずつ糸口が見えてくる。見えてきた糸口をたどると、この14年間でかなり選手の立場に近づいてきていることがわかった。

当然のことながら私はアスリートではない。しかし「マネージャー」という立場は、「アスリートの妻」という立場よりも一歩選手に近い場所にいる。選手の声を聞き、考えを聞き、気持ちを聞き、夢を聞き、それを理解してから動き出す。

隊長は厳しい環境の中でのレースを何十回と経験している。ひとつひとつのレースを丁寧にこなしていく中で培った類い稀な精神力と自己管理術。それがあるから、それを知っているから、私は心配しない。

それは受験勉強と近い。受験本番はどんな問題が出るかわからない。どんな出題にも答えられるように、あらかじめ勉強して少しでも心配の種を摘み取っておく。あらかじめ勉強を積み重ねておけば本番も心配はない。勉強は受験に対するお守りでもあるように、トレーニングや経験値はレース本番に対するお守りである。

後は本人次第。家族や応援団ができることは、選手や受験生にとっていかに良い環境を作るか、であろう。が、残念ながら私は良い環境は作れていない。

マネージャーとしては素人同然である。「奥さんの支えがあってこそですね」などと人には言われる度に調子に乗ってしまうが、実は真逆。こうして「アドベンチャーレーサー」として私たち家族が生活できているのも、隊長の努力と能力のお蔭である。彼の地道な努力が私の未熟なマネージメント力を支えてくれているのだ。マネージメント経験もない私をずっとずっとマネージャーとして使ってくれていることに感謝している。

妻としても三流である。家事も完璧にこなすワケでもないし、電池交換みたく面倒なことだって隊長にお願いする。掃除もいい加減なせいか、娘は軽度のハウスダスト・アレルギー持ち。自分なりにやっているつもりでも、客観的に見たらかなりの怠慢な悪妻。それでも本人はいっぱいいっぱい。あ〜まったく残念な妻である。

「この程度の誇りで死ぬことはない」「味はイマイチでもカラダにいいんだから」などと自分に言い聞かせ、手抜きな主婦業務を肯定してる私。それでも隊長も娘も病気ひとつしないんだから。ま、いっか。

こんな手抜きな悪妻を隊長はちゃんと養ってくれている。なんとも良い夫である。

そんな悪妻ができること。それは隊長の留守中は、しっかり娘を守ること。これだけで隊長は安心してレースに挑めるという。そして娘には留守の多い父親について「父ちゃん、すごいね〜」と言いまくる。留守であることの愚痴は言わない。な〜んにもしない妻だけど、これだけは徹底している。その甲斐あってか娘も素直に父親を尊敬し、寂しいのをガマンして応援している。何のお仕事してるかをイマイチ理解してないようだけど(笑)。

だからこうして続けていけるんだろうね、私たち夫婦の仕事も人間関係も。

さて「心配じゃないですか?」の話に戻す。

良いか悪いかは別として、私は根拠なく彼は大丈夫と思っている。「絶対に大丈夫」そう信じきっている。それよりも心配なのは「若きチームメンバーの心の傷」である。

一回一回のレースは若者たちの経験の場でもあり、成長の場でもある。メンバー間でぶつかり合っていく中で、それを受け止めて成長してくれればレース自体は成功。しかし「こんな競技、二度とやらない」となってしまうのが最も恐れる事である。

まだまだマイナーな競技であるが、せっかく門戸をたたいた若者たちに、この壮絶で素晴らしい競技をずっと好きであって欲しい。イーストウインドのマネージャーとして、そう願っている。

「アドベンチャーレースで日本を元気にしよう!」これが私たち夫婦の合言葉であるがゆえに。

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2012年10月06日

類は友を呼ぶ

近々スノーカントリートレイル(SCT)の一大事業を打ち上げることになりそうだ。

先日、SCTプランの会議を湯沢にて行った。集まったのはSCTのコアメンバー。私以外はすべて男性。職業は様々だが、そこにいるのは、これからやるべき壮大なトレイル事業を抱えるエネルギーの塊のような存在。当然ながら、どんどん構想が大きくなり、とても私たち数名では手に負えない程のプランとなっていった。

そんなトテツもなく大きな構想をイメージしながら、ふと一歩引いて彼らを見てみる。彼らは実に生き生きとして、楽しそうで、降りかかる障害も跳ね飛ばしそうな勢いがり、そしてこれから冒険にでも出る少年みたく輝いている。

職業も、住んでいる場所も、能力も、ノウハウも、人脈も、社会的役割もバラバラ。つながっているのはただひとつ「SCTを実現しよう!」という気持ちのみ。ったく、男ってのはショーガナイね。

ふと、そんなエネルギーの塊の中に自分がいることを思う。いつも一歩引いて「また面倒な事を持ち込んで!」と隊長に対して怒りと、ため息と、それでもやらなくちゃという覚悟と諦めを腹に溜めるのだが、ひょっとすると自分からもエネルギーを発信しているのではないか?と。

もしも…これまでにも隊長がやろうとしてきた事を、怒りと、ため息と、それでもやらなくちゃという覚悟と諦めを持って仕えていたら、きっと14年間も続かなかっただろう。もとよりどこぞに就職していただろう。だが実際に贅沢はできないが、こうやってなんとか生活できている。

ならば、どうしてこの場に自分がいて、彼らが放つエレルギーを受け止めているのか?

それはきっと、そのエネルギーに応対できるくらいの物を、おそらく自分からも発信しているからだろう。私だけでなく、その場にいる人、全員が同じくして巨大なエネルギー発信し、受け止めている。だから、壮大な構想が机上に飛び出し、それに向って動き出す。実に面白い。

私の腹に溜まる「怒り」と「ため息」と、それでもやらなくちゃという「覚悟」と「諦め」を剥がしていくと「ワクワク」という、これまた少女のような気持ちがそこにある。面倒だと思う事は表皮であり、固い実である「ワクワク感」を潰すことはできないのだ。

『類は友を呼ぶ』と言うが、SCTのメンバーはまさにその言葉に当てはまる。そして、エネルギーを発信すればするほど、『類』が『友』を呼んでくれる。エネルギーをキャッチするエネルギーに辿り着くのだ。こうしてもっともっと巨大なエネルギーとなって、もっともっとワクワクしてくる。

「軌跡のないことをやるのってさ、かなり大変だし、めちゃくちゃ面倒じゃん。自治体やら行政やらアンチやら、利害関係やら…ともかく敵を作る事にもなるじゃん。なのに、どうしてやるの?やり続けられるの?」と隊長に聞いたことがある。

彼の答えは驚くほどシンプルだった「こんな事ができたら面白そうじゃんって思うから」。降りかかる大変な作業は「できたらスゴイじゃん!」という一文に負けるのだ。

男ってのはショーガナイね。でもさ、人生の楽しみ方を知ってるからうらやましいとも思うわけ。そして、そんな楽しみを、気が付いたら自分ももらっていたんだよね。


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2012年10月04日

上毛新聞『オピニオン21』全稿終了

9月24日、最後の上毛新聞「オピニオン21」が掲載された。これで6回分の投稿すべてが終了。長い様で短かった。

この話を持ってきたのは、当時地元記者だった上毛新聞社のKさん。物静かで温厚な人柄をいいことに「こんなイベントあるんですけど…」と厚かましくも毎度電話をして、取材に来てもらっていた。そんなKさんは、このブログを時折見ていてくれて、「視点が面白い」と言ってオピニオン21の事務局に私を推薦をしたそうな。

「田中正人じゃなくて、ですか?」何度もそう聞いたが、「いいえ。国内第一人者として活躍する旦那さんを、ずっと傍らで支えてきた竹内さんに書いて欲しいんです」とKさん。

レースを経験した選手の言葉(文字)は新鮮で、強く、現場の香りが伝わる。が、レースに参戦していない私は、どれだけ間近でレースをみていたとしても、どうしても「いつ、誰が、どうした」レポート的な文になってしまい、匂いを伝えるまでにはいかず、どうにも面白みに欠ける。

「このコラムはレース参戦記ではないんです。竹内さんの経験した事を、竹内さんでしか見れない事を、竹内さんの言葉で書いてもらえればいいんです」。

早速、知り合いの執筆家に相談した。「Sueは十分にアドベンチャーレースを経験してる。レーサーとしてではなくても、イーストウインドのサポーターとして、そして第一人者の妻として、ずっとレースを見てきた。

隊長には隊長の経験があるけど、それと同じくらいSueにはSueの経験がある。Sue自身がずっと観てきたアドベンチャーレースを伝えればいい。きっとKさんは、隊長じゃなくて、Sueの持つ『エネルギー』を感じたんじゃないかな。文書は上手にまとめようと思わなくていい。思う事を発信していけばいい」

以前、プロの物書きの人に「文字使いが乱雑だ」と言われたことがある。いくらエネルギーがあっても、その乱雑さを公開されるのは恥ずかしい。ゆえに、そのエネルギーはひっそりとこのブログに発向している。

物事には表舞台に立つ立場と、裏舞台でそれを支える立場がある。常に選手を表に立たせ、前に出ないようにするのが、裏舞台に居続ける私の美学である。だからこそ、その裏舞台を見てきた者にしか分からないことも多い。ならば、あまり表に出ない裏舞台を少しだけ発信したら意外と面白いかもしれない。こうして今回、今年度のオピニオン21を受けることとなった。

こうして6回のオピニオンが終了した。5回のオピニオンはあらかじめ書く内容を考えていたが、最後のオピニオンだけはノープランだった。何を書こうか、締切日が過ぎてもパソコンの前に一日中座っているだけで、アイデアが浮かばない。

「上手にまとめようと思わなくていい。思う事を発信していけばいい」友人のその言葉を思い出した。そうか、きれいにまとめなくてもいいよね。裏舞台で見続けてきた者の言葉で、裏舞台として思う事を書こう。

最後の投稿文は、こうなった。

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 子どもたちの間で不動の人気を誇る戦隊ヒーロー番組。幼いころは欠かさず見ていた。あれから30余年、今では私の子が欠かさず見ている。ヒーローの種類は変わったが、仲間と助け合いながら悪に立ち向かう、いわば「和」を重んじる内容は30年以上たっても同じだ。

 以前、米国にこれを持ち込もうとした企画があったが失敗に終わったという。スーパーマンやスパイダーマンなど「個」のヒーローを好む国で「和」を大切にする戦隊物は受け入れられなかったらしい。「個」を大切にする欧米文化と「和」を大切にする日本文化。古来、日本人は他との調和を重んじる民族である。いくら海外から新しい文化やスポーツを取り入れても、DNAに刷り込まれた意識は随所に出てくる。

 今年のロンドン五輪において日本は団体種目やチーム競技での活躍が目立った。比較的新しい種目である女子サッカーは瞬く間に世界のトップレベルに立った。女子バレーボールは身長差という壁を越えて銅メダルを獲得した。競泳、卓球、体操、フェンシング等も次の選手へつなぐ団結力でメダルを取った。この根底には、もちろん選手のたゆまぬ努力があるが、もうひとつは日本人が最も大切にする「和」を正しく重んじたことにあると私は思っている。

 アドベンチャーレース(AR)はアウトドアスポーツの種目を複合するチーム競技である。メンバー全員で全種目をこなさなければならない。一人でもレースを継続できない場合、そのチームは棄権となる。一度スタートしたら選手交代はできない。四六時中チームで動くことがルールだ。しかし、仲間割れが原因で途中棄権するチームも少なくない。不眠不休で進み続ければ、当然あちこちに故障が出始める。肉体的にも精神的にも追い込まれたメンバーが漏らすささいな言動でチーム内に摩擦が起こり、摩擦がやがて割れ目となり、その割れ目が修復できなくなった時点で、チームはレース棄権を余儀なくされる。メンバーの現状をチーム全体でどれだけ把握・理解し、フォローし、助けられるか。文字通り「和」が鍵となる競技だ。

 日本ではアウトドアスポーツ自体なじみが浅く、パワーや技術もまだ欧米には追いついていない。しかし、どんな時もチームでこなしていかなくてはならないARの競技形態は、「和」を大切にする日本人の気質に適している。チームイーストウインドが今年のパタゴニアエクスペディションレースで準優勝を成し遂げたのも、彼らにしっかりと根付いている「和」の気質、すなわち互いを思いやる気持ちが、不足したパワーや技術を補強したからだ。

 未来のアスリートを目指す子どもたちには、「和」を大切にする日本の美しい文化を正しく活かしながら、新しいことに果敢に挑戦してほしい。

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第2稿「信じた道へ踏み出して アドベンチャーレースへの第一歩」
第3稿「信頼し合い目標へ進む チームイーストウインド準優勝の鍵」
第4稿「家族イベント通し育む ファミリーアドベンチャー」
第5稿「己に打ち勝つため挑む TJAR」

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裏舞台、今後もしっかり表舞台を支えて行こうと思う次第。日々、精進である。








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2012年09月22日

奇木に学ぶ自力治癒

先日、新潟県湯沢町にある雪國奇木館(ゆきぐにきぼくかん)に家族で行ってきた。風雪・豪雪、雷雨など、あらゆる自然の猛威に耐え抜いた巨木を見ていると、木というのは、たくましいほどに自然治癒力が備わっているものだと、つくづく感じた。

この木は落雷に遭い、ど真ん中が空洞になった。しかし、その後もどんどんと成長をしていた。
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成長する過程で、その場にあった石を巻き込んでしまった根。
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雪の重みで横に広がった木。どんな重圧を受けようと、それを受け入れてたくましく生きた。
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自然を迎合し、その猛威に耐えてきた木々たちをみているうちに、先日治療をしてもらった鍼灸の王先生の言葉を思い出した。「治るも治らないも、全部『氣』のせい」。

先生は冗談交じりにおっしゃっていたが、実はとても真意を突いた言葉に思えてならないのだ。受け入れるも、拒否するも、痛いも、痛くないも、実はすべて『氣』がコントロールしているのではないか、と。

王先生は「治す」という言葉を使う。「間違った状態や具合の悪い状態などを本来あるべき姿にする」という意味を持つ。鍼灸は西洋医学とことなり、体を切除したり、体内に機具を付けたりはしない。まさに「鍼灸は、カラダを元通りにするもの」だと思うのだ。

人類は何千万の精子から生き残った強い精子が生命となり誕生する。だから私たちのカラダは、ちょっとやそっとじゃヘコタレない、強くて丈夫なはず。しかし生きているうちに、様々な習慣により、強いはずのカラダが壊されていく。

例えば暴飲暴食。せっかくカラダを癒しに温泉に行っても、夜は遅くまで酒をガブ呑み。朝食がバイキングであれば、なぜだか「食べなくちゃ、もったいない」という気持ちになって、また暴食。

長年、培ってきた習慣により、大人はそれができる。しかし、まだその習慣のない子どもはカラダが素直で、夜はいつもの通りの時間に眠くなる。お腹が空いていなければ、どれだけ美味しそうなバイキングであっても食べない。まるでその小さいカラダで計量でもしているかのようだ。

科学的な事はさっぱり分からない。しかし、彼らなりに無理をした時に襲ってくるウイルスと、その小さいカラダは熱を出してウイルスと闘っているんだな〜と、暴飲暴食を重ねる私に教えてくれているようだ。

私たち大人は、暴飲暴食を重ね、そのツケの支払いを他に頼るようになってしまう。高額なサプリ、ダイエットエステ、健康器具、痩身器具…。病気ならば別な話。しかし、健康な人用に販売して売り上げを伸ばしているという宣伝を見ると、なんだか哀しい気分になる。まずは根源を自分で断ち切らなくては、これらに頼っていても治癒にはならない。

健やかなカラダに健やかな魂は宿る。生まれたばかりの赤ちゃんの、その神聖で美しいカラダには、とても健やかな魂が宿っている。

だからこそ、私たち大人は、生まれ落ちた時に自分が備えていたカラダに戻すことが、ストレス社会に生きるうえで、必要なことなのではないだろうか。


何度も痛い目に遭ってきた奇木たちが「まずは自分のカラダの声に耳を傾けなさい。どこか悲鳴をあげてないですか?その悲鳴を聞き取りなさい」とでも言っているように思えた。

posted by Sue at 07:26| Comment(0) | TrackBack(0) | 悪妻のボヤキ | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2012年08月18日

自分自身で乗り越えるTJAR

TJARも4選手がゴール。後続選手も佳境に入った。

すでに正念場を経て、今は痛みや睡魔との闘い。この2つはどれだけ周囲が応援したところで、そう簡単にコントロールできるものではない。戦地に出向いた経験のあるおじいちゃんが言ってたのを思い出す。「戦場では、飯の時間があるなら眠りたかった」

家族や友人の顔を思い浮かべ、沿道で出会う人たちの温かい応援に、「辞めたい」との一言が出せなくなることもあるかもしれない。「このまま大雨で実行委員から下山命令でも出ないだろうか。その方が気がラク」そんなことまでも考えてしまうかもしれない。疲労も限界に来ているころ。選手たちは、様々な想いを胸に自分と、そして無情にも止まってくれない時間と苦闘している。

このレースはスタートラインに立つまでもが厄介だ。家族や職場の理解を得て、休暇を取り、厳しい選考会にパスし、切りがない準備に追われ(こだわればこだわるほど、目途が立たない)…ともかくクリアしなくてはいけない課題が多い。

たとえゴールラインに踏み入れなかったとしても、スタートラインに立つだけで、すでにゴールと等しいくらいの困難をクリアしてきたようなもの。本戦は沿道で応援をしてくれる人がいるが準備は孤独だ。

だから「TJARはスタートラインに立つだけでも勝者である」と私は思っている。今回出場している28名の選手も、大きさや内容は異なれど様々な壁を乗り越えてきたことだろう。

しかしどれだけ事前準備が大変だったとしても、目的は本戦にある。本戦がすべてだ。

相手は自然。現代の科学ではまだコントロールできない。実行委員会は神様じゃない。だから天候、気候はどうにもならない。だからこそ、このレースはあらゆる自然環境での自己管理能力が求められ、最終的には各選手の自己判断にすべて委ねられる。

多くの壁を乗り越え、多くの人に応援されて出場したTJAR。そんなレースゆえ、途中で止めるのは極めて苦しい決断である。しかし人類がコントロールできない自然の下、危険と判断すればレースを止めざるを得ない。自然には逆らえない。自然は受け入れるしかないのだ。

長丁場であるこのレースは完全完走すら難しい。想像以上の痛み、予測していなかった悪天候、何より一番辛い自分との闘い。しかしルールが設定されている「レース」だからこそ、自分を追い込み、『自分と戦う=自分に向き合う』ことができるのだ。

一度出場した選手のほとんどが「また出たい」と思う。それだけ強い何かカタルシスのようなものがこのレースにはある。

隊長も過去3回ほどこのレースに出場した。私も取材させてもらった経験がある。そして今は夫婦で実行委員をやらせてもらっている。食事中、車で移動中、1年に1回あるかないかのデートでもTJARの議題は極めて多い。それだけ私たちの生活に影響しているレースだ。

そんな話を横で聞いている娘も「ビバークするなら…」な〜んて、普通に話題に入ってくるようになるのも遠い先ではないのかも。

さて、「TJAR2012」。今現在、28人中、4人がゴール、7人がリタイヤ、17人が継続中。太平洋は待っている!

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2012年08月11日

TJAR今夜スタート

世界中がオリンピックで湧き上がっている裏で、今夜、たった28人が出場する競技がスタートする。その開幕は静かで、厳かで、そして個々の選手の心に秘める勇気は身震いするくらい壮大である。トランスジャパンアルプスレース。

28人の勇者たちは、日本海を背に、太平洋に向う。これから彼らを待ち受けるのは、壮大な山脈、大自然、緑まぶしい木々、穏やかな空気、温かい応援、感動…。

しかしそれだけではない。闇、猛暑、睡魔、疲労、痛み…。これらとの闘いも彼らの必須課題だ。どうか強い気持ちで踏ん張って欲しい。

さて。最初の私の課題は、いかに娘を早く寝かせながらも自分が起きていられるか、である。選手と比べると小さいなぁ〜。

TJARのGPSトラッキング(位置情報)開始は今夜(11日)23:00を予定している。

posted by Sue at 06:58| Comment(0) | TrackBack(0) | 悪妻のボヤキ | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2012年07月17日

TJARにて想うこと

この夏、トランスジャパンアルプスレース(TJAR)が始まる。微力ながら私は実行委員の一人として、選手の連絡係を担当する。

※トランスジャパンアルプスレース(TJAR)
日本海/富山湾を午前零時にスタ−トし、北アルプスから中央アルプス、そして南アルプスを越え、太平洋/駿河湾までの距離:約415Kmの道程を交通機関を一切使わず、自身の足(走り、歩き)のみで1週間 (+予備日1日)以内に踏破することをめざす、ちょっとハ−ドな山岳アドベンチャ−レースです。(大会HPより)

この大会には少々思い入れがある。

第二回(2004年)、第四回(2008年)の大会では、隊長が優勝している。

第二回(2004年)の時は、いったい何が何だか分からず、ともかく「とんでもないレースに旦那が出る」くらいしか聞かされてない私。気が付いたら隊長の留守が続き、幾日か後に象のように足をパンパンに腫らした隊長が帰ってきた。

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(第二回ゴール寸前の隊長。走るというより歩く程度。足は破壊寸前。)

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(レース後の足は足首などなく、象のようになってしまった。)

第三回(2006年)はプライマルクエスト(アメリカ)での遠征後だったため、長丁場であるTJARまでに調整が間に合わず、出るには出たが、早々にリタイヤをした。

この時の参加人数はたった6名。参加者数28名の今年に比べると、認知度もなく、情報も極端に少なかった。情報がないゆえ、適した持ち物すら模索しながら挑戦しようという6人。どんだけ好奇心旺盛なのか!かなりの冒険人間が揃ったものだと今にして思う。

第三回(2006年)の大会で私は取材に入った。その時の原稿第1稿があり、このレースが始まる前には読み返すのが私の習慣になっている。私にとっては初めてのレースレポートで、第一稿はかなり力が入っている感あり。結局は、ここからかなり添削して(文字数をぐっと減らして)「ターザン」に掲載されたけど(笑)

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【TJAR2006 レースレポート】
文:竹内靖恵
誌:ターザン

日本には様々な冒険を考える人がいる。それが「想像を超えるもの」だったり「不可能に近いもの」だったり「バカバカしいもの」だったりする。しかし何故だか大の大人が、そんな冒険に遊び心をくすぐられ、真剣になって挑戦して、泣いたり笑ったりしてしまうのだ。

そんな冒険のひとつ『トランスジャパン・アルプスレース』。2年に1度開催される長距離レースで、今年は8月13日〜20日に開催された。ルールは至ってシンプル。8日間以内で、富山県魚津市の日本海をスタートし、北アルプス、中央アルプス、南アルプスを縦走し、静岡県静岡市の太平洋まで、ひたすら走る。

スタートしてからゴールをするまで競技時間は止めないので、寝る場所や時間も自分で決める。事前にスタッフに預けた補充荷物の受け取り(デポジット)はコース中盤の市野瀬の1箇所のみ。それ以外はサポートもないので、食事は携帯するか途中で購入するしかない。

ルールはシンプルではあるが、誰からの補助もない分、自己管理もできなくてはならない。実はこのレース、走力だけではなく、山の知識、サバイバルスキル、体のメンテナンス知識なども必要となるのだ。

この大会に参加するにはクリアしなければならない条件がある。その条件とは@2年以内に、標高2000m以上の場所において1回以上のファーストビバーク体験があること。A1日に、コースタイム20〜34.2時間以上の山岳トレイルコースをコースタイムの70%(14〜24時間)以下のタイムで走りきれる体力と全身持久力を有すること。このたった2項目ではあるが、かなり厳しい条件である。(※条件は当時のもの)

今年この大会に参加したのは、考案者の岩瀬幹生、二児のママであり大会参加者で唯一女性の間瀬ちがや、前回6日間2時間という大会記録を出したアドベンチャーレーサーの田中正人、前回惜しくもタイムオーバーとなった高橋香、前回に続き今年も完走を狙う飯島浩、初挑戦でランナーの岩崎勉の6名である。
 
優勝候補の田中正人は「今年は5日間のゴールが目標です」とコメント。しかしスタート直前におびただしく脚全体に巻きつけるテーピングが気になる。前回の大会で田中より25時間遅れて2位でゴールした間瀬は、家族が応援に来る。一家の主婦が長期レースに出場するには、家族が結束しての応援があってのものだ。

8月13日00時00分、いよいよスタート。富山県魚津市早月川河口を6名が一斉に飛び出した。

まずトップに出たのは間瀬。持ち前の走力をスタートから活かし、ハイペースで進む。男性陣も彼女のペースに引っ張られ、異常な速さで馬場島を通過。しかし岩崎のペースだけがあがらない。「この大会に来るために毎晩徹夜同然で仕事を必死に片付けてきたから眠くて…」と言う岩崎は、馬場島で早くもビバーク。他の選手よりかなり遅れをとった。

夜が明け、スタートしてから7時間28分、間瀬と田中が同時に剣岳に到着。前回の田中の記録を1時間更新している。かなりのハイペースだ。そしてここから田中が間瀬を引き離す。

睡眠をあまり取らずに猛進撃を続ける田中。双六小屋に1日2時間20分で到着。槍ヶ岳、上高地と順調に飛ばしていた田中だが、北アルプスを下りた時点で極端に脚が痛み出す。体のいたるところに故障が見え始める。「この痛みを取るには寝るしかない」と、沢渡温泉付近で1時間半程度の仮眠を取り、続く野麦街道ではペースをなんとか盛り返す。

沢渡温泉地点で間瀬は田中より7時間遅れているが、足取りはしっかりしている。続く選手達もあまり時差はなく、淡々と進む。

アスファルトの野麦街道をいいペースで進んでいた田中だが、境峠からペースが落ちる。長く続くアスファルトは選手にとって地獄そのもの。山で酷使した脚に、アスファルトの衝撃は実に耐え難いものがある。実は選手のほとんどは山中ではなく、アスファルトで脚を故障するのだ。田中もこの地獄のアスファルトと戦い続けた。

この大会の約1ヶ月半前に出場したアメリカのアドベンチャーレース「プライマルクエスト」。これに田中はリベンジとチームの名を賭けてすべてをぶつけて戦った。そしてこのレースで受けたダメージで体の至る所に不調を訴え、帰国後は病院、整体、鍼灸などに通い詰めた。今回の大会は完治しないままの出場だった。

スタート時点から体に違和感があり、北アルプスは騙し騙し進んできた。足が重く、すでに神経すら麻痺し始め、着地が骨の髄まで響く。脚をかばっていた為か、腰に負担がかかり、ついにはまっすぐに立っていられない。しかし前回の6日間2時間という記録を更新しなければならないというプレッシャーもあり、意地で北アルプスを抜けた。

だが体は正直でとうとう騙すことができなくなり、やがて体中の筋力が破壊されたように全ての力が喪失されていく。日義木曽駒の道の駅に着いたときには、ついに体が動かなくなった。

2日間4時間44分、日義木曽駒道の駅。田中正人、リタイヤを決断。中央アルプスは目の前だった。記録更新を目標にしていた田中にとって苦渋の判断だった。

田中の無念のリタイヤ後、トップに出たのは間瀬ちがや。「調子が良くない。脚が痛くて登りが辛い」とつぶやく彼女。彼女もまた長いアスファルトと30度を超える気温で体力を消耗していた。

間瀬から遅れること6時間半、飯島がアスファルトにいた。「足底が痛い」と腫れた母子球をなでる。今回は前回ほどタイムがよくない。気合をいれるために道路脇にある焼肉店に入って、焼肉を平らげた飯島。「足は痛いけど、まだまだ続けます」と、足を引き摺って進む。しかし木曽駒ケ岳入口の木曽駒高原スキー場まで登った所で、とうとう限界となった。前回ゴールテープを切っているだけに、あきらめたくない。一晩スキー場で体を休めたが、結局最後まで足の痛みは治らなかった。

3日間4時間、木曽駒高原スキー場にて飯島浩リタイヤ。彼もまた中央アルプスを目前にしていた。

間瀬を追う高橋は日本山岳耐久レースで10時間半を記録するランナーだ。前回、彼は静岡市井川でタイムオーバーという苦汁を飲んでいるだけに、今回はなんとか完走を果たしたい。「眠くて、眠くて、吐き気さえする」と高橋。「途中で眠くてペースが落ち、普通のおばさんハイカーに抜かれた(笑)」この大会は寝る時間は特に規定されていないので、自分で体調を管理しながら休憩を取る。よって無理をして進めば当然睡眠時間は少なくなる。規定時間内のゴールをするため、高橋は睡魔と戦いながら、前回のリベンジに挑戦していた。

この大会の考案者でもある岩瀬は仕事の都合で、3日間15時間目にレースを中止せざるを得なかった。呼び掛け人ゆえに辛い選択だが、ここで岩瀬は中央アルプスを終え、駒ヶ根高原にて終了。

8月17日20:00。デポジットポイントの市野瀬の関門時間である。すでにリタイヤしたのは田中、飯島、岩瀬の3名。そして継続しているのは間瀬、高橋、岩崎の3名だ。既に間瀬も高橋も市野瀬のデポジットを通過。しかし岩崎だけが極端に遅れている。市野瀬は空木岳を下り駒ヶ根スキー場に出て、そこからアスファルトを24.5キロも行かなければならないが、足にダメージがあるため、どんなに早くても5時間はかかる。よって駒ヶ根スキー場には15:00には着いていなければ関門に間に合わない。しかも岩崎のペースから考えると13:00には通過していないと厳しい。時間が刻一刻と迫る。辺りが暗くなるが岩崎の姿はない。結局、彼が駒ヶ根スキー場に姿を現したのは22:00であった。

4日間22時間、駒ヶ根スキー場にて岩崎勉、タイムオーバーでリタイヤ。

「足のマメが悪化して、昨日の午後から急に走れなくなった。実は今までマメで走れなくなるなんて、想像もつかなかった。マメができた事は何度もあるが、走れなくなる程痛くなることはなかった」と岩崎。しかし彼はこのレースで実に深く大きい事を学んだと言う。「途中で一般ハイカーから多くの応援をもらいました。ある山小屋に行った時、そこのおじさんが他の山小屋のおじさんに『こんなレースをしている人が行くから、よくしてやってくれ』と連絡をしてくれて、そこに行くとおにぎりを用意していてくれた。嬉しかった。この大会中、いろいろな人たちに出会った。応援をしてくれた人たちに感謝している」トランスジャパン・アルプスレースは、ただのタイム競技ではない。究極の世界での、自分への挑戦、新しい己の発見、温かい出会い、そして改めて知る感謝でもあるのだ。

中央アルプス・南アルプスを終えた間瀬が6日間8時間42分で畑薙ダムに到着。どうやら左足首に炎症を起こしているようだ。山中で拾ったであろう棒切れを突きながら痛々しく引き摺って歩いている。「あの足はかなりきてる。最後までもつかどうか・・・」既にリタイヤした田中が心配をする。しかし間瀬は一言も弱音を吐かない。応援に来ている子供たちにも笑顔を見せる姿は、真に強い母の姿を思わせる。前回7日間3時間55分でゴールした間瀬は「今は7日間を切る目標だけが頼りです」と言って歩き続ける。

南アルプスを越えた後は80キロ以上もある長いアスファルトを通って太平洋を目指す。この80キロは下り基調なので、筋肉の同じ場所に負荷がかかる。トランスジャパン・アルプスレースで一番堪えるのが、この最後のアスファルト「畑薙ダム〜大浜海岸」である。「・・・足、痛いです(笑)」と足を引き摺りながら、相変わらず笑顔を忘れない。

と、その瞬間、信じられない事が起きた。精魂尽きているはずの間瀬が走り出したのだ「今日中(7日間以内)に太平洋に着きたい」その思いが間瀬の足に拍車をかける。彼女の目標タイムの残り時間から計算すると、このアスファルトを15時間程度で突破しなければならない。ちなみに2年前のレースで、田中でもここは17時間かかっている。間瀬の最後の賭けが始まった。

足を速める間瀬がアプト式汽車で有名な井川駅に到着したのは6日間15時間34分。炎症で足の痛みが増してきたため、家族が見守る中、ここでアイシングをするためしばし座り込む。パンパンに腫れ上がる足首。もう立つ事さえ困難だ。精神的にも肉体的にも限界がきたのか、ここで間瀬がつぶやいた。「みなさん、応援してくれていているのに、この時間では7日間以内は無理そうです。申し訳なくて・・・ここでリタイヤしようかとも思っているんです・・・」今回のレースで初めて弱気になった間瀬。そんな時、彼女をずっとずっと見守ってきた子供たちが言った、「ママ、止めないで!」。驚いた事に、間瀬はこの声で再び立ち上がり、そして歩き出したのだ。

とうとうレース7日目0時間00分を回った。間瀬には太平洋は見えていなかった。ひたすら続く峠道のアスファルトを気力だけで進んでいた。7日目の朝を迎えた時点で長かった峠道をやっと終えた。「もう足が動かないんです・・・どうしよう・・・」何度も座り込んでアイシングをする。そしてまた立ち上がり、歩き出す。彼女が止まる度、家族も立ち止まり、励ます。一晩中、その繰り返しだった。

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そして静岡市内。間瀬が最後の力を振り絞る。その足は、痛みではなく、ゴール出来る事の嬉しさと家族への感謝を持って、力強く突き進む。いよいよ大浜海岸(太平洋)だ。じんわりじんわりと海に向かう。

7日間10時間48分、大浜海岸。間瀬ちがや、ゴール!

「遅くなって皆さんをお待たせした事を、本当に申し訳なく思っています」が第一声だった。レース中に左足を挫いて足首の筋を損傷したにも関わらず、最後まで本当によく戦った。「家族がいなければゴールできませんでした」と目を細めて我が子を見る間瀬はレーサーではなく母親の顔になっていた。文字通り家族とともにゴールをした 間瀬だった。

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間瀬が太平洋に着いた時、最後のレーサー、高橋は井川駅を通過し、80キロの「地獄のアスファルト」の中間地点にいた。高橋が畑薙ダムに到着したのは7日間5時間6分。このタイムでは今日中(規定時間の8日目)にゴールが厳しいと予想されていた。

ところが、周囲の予想を覆すかのように、高橋はどんどん追い上げている。なんと、高橋は「地獄のアスファルト」をひたすら走り続けているのだ。とても山から下りてきたばかりとは思えない程のスピードである。高橋は、前回のリベンジとして、自分自身と最後の時間を賭けて戦っているのだ。ただひたすらゴールを目指して・・・。

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やがてあたりが暗くなってきた。しかし高橋は立ち止まる事はもちろん、歩く事すらしない。ただ走る。彼の走り続ける姿に周囲の関係者も熱くなり、感動し、応援をし続ける。そして「無理だ」と予想していた誰もが、この時点で高橋の勝利を確信した。

7日間19時間25分、大浜海岸。高橋香、ゴール!高橋は遂にやった。自分自身に勝ったのだ。

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この大会は、まさに「自分と戦う冒険」である。完走した選手もリタイヤした選手も支えてきた家族も全員が一丸となってこの「冒険」を成功させた。

このレポートを続け、私はある事に気が付いた。参加している選手は、悪天候、肉体的な痛み、満足に取れない食事(見つけた店が閉まっていたなど)など、多くの困難に遭遇した。しかし誰一人として不満を言わないのだ。「行けるところまで行きます」と笑顔で言い、たった一人で漆黒の山に入っていく選手たち。どんな状況にも笑顔でいられる選手たち。

自然に対して敬意を払い、仲間を励ましあう。自分の選択に文句を言わない。この大会を通し、真のスポーツマンシップを垣間見たような気がする。

再来年はどんな勇者が挑むのか、どんな感動を見せてくれるのかが楽しみだ。

(以上がナマ原稿)
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高橋さんに会ったのは2006年12月の忘年会だった。
高橋さんは、ターザンの原稿を読んだらしく「ボク、そんなにかっこよくないですよ〜」と照れ笑い。そんな高橋さんの顔は、あの地獄のアスファルトと戦う猛虎な姿はどこにもなく、とても穏やかで優しかった。

この約半年後、高橋香さんは他界した。

ご両親は彼の短かった生涯を一冊の本にした。私のターザンへのナマ原稿の一部も冊子に引用してくれている。

この夏も、高橋さんの心は私たち実行委員と共にアルプスに行くだろう。

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posted by Sue at 11:28| Comment(0) | TrackBack(0) | 悪妻のボヤキ | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする