2016年05月11日

愛車のドクター

 私の住む町では車が生活に欠かせない。買い物に行くにも、病院に行くにも、学校に行くにも、クラスメートのお家に遊びに行くにも車。愛知県にいた頃は、公共交通機関の便もよく、友達の家も、スーパーも、病院も、レストランも、衣料店も徒歩圏内にあった。
 免許を取得してもう何十年にもなるが、実家ではほとんど運転することはなかった。たまに必要な時は、父親の車を借りるくらい。それで事足りた。

 しかし、みなかみ町は「車がないと生活が不便」と聞き、嫁入り道具のひとつとして、車を購入することになった。車にこだわりなど一切ない私としては、車種は何でもよかったのだが、観に行った中古車屋さんでジムニーを発見し、隊長がなぜか、そのジムニーを強く推薦。走行距離48000キロほどのジムニーWILD WIND。
「いいじゃん」
何も考えずに即決。

 隊長はアドベンチャーレースをする前、車大好き青年だった。いわゆるドリフト族ってやつ。終業後、ボンネットを開けては部品をいじり、週末は仲間といろは坂に行ってはドリドリ〜っとやるのがライフワーク。それじゃ彼女とか、できないわけだ。
 その頃の彼の愛車はミラ。しかも、かなりの改造車だったとか。あんな小さなミラに隊長が乗ると、フロントガラスいっぱいが顔で、そのすぐ下にタイヤという画が頭に浮かんで仕方ない。気の毒だな、ミラも。

 アドベンチャーレースを始めてからは、自転車やらカヤックやらを積むため、バン(ホーミー)に替えた。もちろんド中古。私たちが結婚した頃は、このホーミーが活躍していた。
 よく「名古屋の輿入れは派手」と言われるが、私の輿入れは買ったばかりの中古ジムニーとホーミーの2台で終わった。当時、「名古屋から嫁が来るから」と、カッパクラブの故小橋社長の指示により、荷物を下ろす準備をしていたスタッフ一同。しかし荷物はあまりにもあっさり。搬入作業は15分ほどで終わった。
「あれ?グランドピアノは?」
真顔で聞かれた。

 ハイエースは、荷物を入れて移動するにはもってこいだが、細い道を行くには大きすぎる。そこで隊長が目を付けたのが四駆・マニュアル・ジムニーだったのだ。大切な嫁入り道具には、いつの間にか脱出器が装着されていた。どうりで強く推薦するわけだ。
「まさか、これで山道に入るつもりなのか!?」
予感はあたった。「レースのコースを調査する」と言う理由で、ジムニーと共にバック、切り返し不可能な、ものすごい山ん中を連れまわされた。
「じゃここから歩いてコースを調査してくるから、(地図で指差して)このポイントに車を回して待ってて」
「へ?私一人でここを運転して下りるの?」
拒否権なし。あざ笑うかのように鹿がピーッと鳴く。そんな事が何年も続いたが、それでも4点シートベルトに替えようとしたのは、何とか食い止めた。

 そんなジムニーはいまだに愛車として活躍中。たまに調子を崩すが、近所の修理工場のYさんに「またおかしくなりました〜」って持って行くと、すぐに治してくれる。そう言えば、真夜中に高速走行中、エンジンから煙が出てきて大慌て。Yさんに電話して状況を説明し、指示通りに誤魔化し誤魔化しで、Yさんの工場まで戻ったこともあった(後、Yさんに修理してもらって回復)。こうして嫁入り道具ジムニーは、軽自動車としては珍しく19万キロを超えた。

 隊長のバンは現在三代目。初代ホーミーは、厳冬のみなかみ町でまったく使えない二駆。いろは坂に行かずとも、自然ドリドリができた。当然のごとく、なんどもYさんの工場に持ち込んだ。しかし、最後は飛び出してきた鹿と衝突し、廃車。
 二代目バンは知り合いから買った白のハイエース。元々ファミリーカーとして使用されていたので、私と娘にとっては快適だったが、アドベンチャーに使用したため、想定より早く寿命を迎えた。
 三代目バンは紺のハイエース(現在)。このハイエースがかなり厄介。横っ腹に大きな錆穴があるわ、床から火を噴くわ、男子ロッカー臭が激しいわ。一度、コース調査で無理やり林道に入り、Uターンするスペースを発見できず、やっと見つけたわずかながらのスペースで試みるも、草に隠れた切株に追突。マフラーが折れた。折れたマフラーを引き摺って走行するのには難あり。致し方なく、足でマフラーを蹴り落し、暴走族のような爆音で帰ってきたこともあった(今は修理してマフラーは健在)。もちろん、すべて隊長の仕業だ。

 前2台は満足がいくほどしっかり乗った。いうなれば、最期まできちんと看取ったという感覚かな。それでも何度もYさんのところに連れていったから、Yさんは掛かりつけのカードクターである。そして今のハイエースも、言うまでもなく何度何度もお世話になっている。ディーゼル排気微粒子の除去装置もYさんに装着してもらった。走行距離は35万キロを越すが、快調だ。

 老体とも言っても過言ではない我が家のジムニーにハイエース。これらがいまだに走り続けているのも、Yさんのお蔭である。毬栗頭のYさんは、背が高く、人懐こく、年下の私に対しても腰が低い。工場に行く度にお茶とお菓子を出してくれる。思えば、Yさんは、私がこの地に来て初めてゆっくり話をしたジモッティである。

「旦那さん、すごいっすね」
Yさんは、いつも目をパチクリさせて隊長を褒めてくれる。のせ上手だ。こちらもついつい乗ってしまうので、すぐに1時間は経ってしまう。だからYさんのところに車を持って行く時は「時間があるとき」と決めている。
 お茶とお菓子をいただき、ひとしきりしゃべった後、さて帰ろうとすると、今度は手土産をくれる。チョコレートだったり、クッキーだったり。
「娘さんに」
Yさんは、ともかく気遣いの人だ。
 先日は隊長がYさんのところに行った際、リポビタンDをもらってきた。しかも1ダース。ほぉ。車好きの二人ゆえ、きっとマニアな話で盛り上がったのだろう。

 愛車ジムニー。何かある度、助けてくれたカードクターYさんは、先日、一足先に天国に逝った。あまりにも急なことだった。
 思えば、私たちは、まだまだYさんにお世話になり得る条件の中で生活している。他にも修理工場はあるけれど、お茶しておしゃべりするカードクターYさんはない。
 今日、YさんにいただいたリポDで献杯しよう。

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2016年04月08日

互助精神

先日開催された「ハセツネ30K」で、トップゴールした選手が、男女ともに義務装備不携帯で失格になったことについて、隊長がフェイスブックでこんな事を書いている(以下、隊長のFBから転記)。

『主催者は英断を下してトレランレースの現状に一石を投じたのだと思いました。
一般的には、「皆の手本となるべきトップ選手がルールを守らなくてどうする」的な意見が多いようですが、私には示唆に富んだ多くの問題意識を与えてくれました。

まずは、義務装備とはどういうものか?ということです。
トレランを安全に遂行するにはどんな装備が必要なのかを、皆で改めて考える良い機会だと思いました。そして、その装備はどんな役割を持つのか?ということを理解することも大切なのではないかと。

自然の中では自己責任で行動する必要があるため、自分の安全を守るための装備という位置付けが大勢だと思います。しかし一方で、他者を助けるための装備と捉えたらどうでしょう?自然の中ではお互いに助け合うという互助精神も必要です。

自分の持っている装備が人を助けるとか、他人の装備で自分が助けられることもあるということが、自然の中では多いのではないでしょうか?

救急法の習得も同様だと思います。特に心肺蘇生法などは自分を助ける技術ではないわけです。しかし、皆が習得していればお互いに助け合うことができます。

人間が自然と対峙することで学ぶことは多いです。その最たるものは、自然は偉大であり、脅威であり、人間はちっぽけな存在であるという畏敬の念を謙虚に持つことだと思います。そうすれば人は助け合って生きていくべきだし、トレランレースにおいてでさえ参加者全員の無事のゴールを願い、気になるようになりたいものです。

トレランを愛する同志に何かあればすぐに助けに行くような連帯感、さらには責任感まで持てるようになったら、トレランは素晴らしい文化になるんだと思います』


Patagonian Expedition Raceで、隊長が自転車転倒でケガをし、イーストウインドは窮地に立たされた。過酷な自然環境の中、それを乗り越えられたのは他の3人の支えがあってこそ、である。まさに互助精神の力に尽きる。

隊長の荷物をメンバーが分担して背負い、カヤックも陽希が主に一人で漕いだ。手が不自由だった隊長の用足し後には、ズボンの紐締めすらもメンバーがやってくれた。文字通り、彼らが助けてくれたのだ。そういった事が、観ている側に感動を伝える。

順位を競うものだから、結果はついてくる。しかし結果ばかりが大切ではない。スポーツをする人全員が持つべき「スポーツ精神」には「互助精神」も含まれると思う。

この夏、トランスジャパンアルプスレース(TJAR)がある(隊長も私も実行委員を務めさせていただいている)。これに出場するには様々な条件をクリアしなくてはいけない。

その中にひとつに「消防署、日本赤十字等の主催する救命入門講習もしくは救命講習(AEDを含む心肺蘇生法)の有効期限内である修了証明書の画像データを提出すること」というのがある。参加選手は、レース中に他の選手だけでなく、すれ違いの登山者でも何かあった場合、すぐに対応できるようにして欲しいという想いからこの条件が生まれた。

TJARは普通の登山やトレイルランに比べ、必須装備はかなり多い。しかし、それは自分たちを助けるばかりでなく、人を助けることにも役立つかもしれない。

結果は大切。されど、結果よりもっと大切なものがある。TJARはスポーツマン精神と互助精神に満ちた戦いである。今年も勇者たちの感動的な戦いを応援できることに感謝し、ワクワクしている。


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2016年02月09日

オーケストラ

先日、群馬交響楽団のコンサートを娘と観に行った。仕事とは裏腹にインドア派の私は、クラッシックやジャズを聴くのが好きなのだが、結婚後は足が遠のいていた。今回は、とても久しぶりのコンサートだった。

2曲目からソロのバイオリンが始まった。26分間にも及ぶ曲の途中、ふと、あることに気が付いた。

ソロの素晴らしさは言う間でもないのだが、ソロ以外の多くの楽器が、そのバイオリンの音を引き立てるために、絶妙な音を奏でていることの奥深さ。

ソロは、多くの楽器の伴奏なくては生きてこない。そして、その伴奏は多くの管楽器、弦楽器が幾重にも重なる。一人として間違えず、間を乱さず、指揮者に従う。音量も大きすぎず、小さすぎず。曲を引き締めるシンバルも出過ぎず、引き過ぎず。それがとても良い塩梅で視聴者に響いてくる。

気が付いたのは、それが今回のチームイーストウインドの姿と重なることである。

イーストウインドの4人がソロだとしたら、その後ろにはたくさんの奏者がいる。レースをうまく運ぶために協力してくれるギア担当者、サプリ担当者、メンテナンス担当者、日常のトレーニングを支えてくれる仲間たち、レースを盛り上げてくれる応援団、そして決して目立ちはしなくとも、その根をしっかり支えてくれる支援者。ひとりとして欠けていたら、イーストウインドは今日のこの舞台には立てなかった。

演奏中、私はソロ(イーストウインド)にとってどんな楽器かな?と考えてしまった。そう思う中、一際目を惹くのがコントラバスだった。奏者は数名で、もちろん旋律担当ではない。しかし、それが一体となって奏でる音とリズムは、オーケストラ全体をきちんと支えている。

とは言え、やはり私自身がどんな楽器なのかは分からないし、あそこまでうまく奏でているとは到底思えないけれど、イーストウインドのコントラバス的存在でいたいと願っている。

同時に、宮澤賢治の「セロ弾きのゴーシュ」を思い出した。思うようにいかない日、心がくじけた日、孤独を感じた日、スランプに苛まれた日・・・。辛いことがたくさん事があったけど、そこから生まれたものは、他には変えられない価値がある。

だから自信を持て。

イーストウインドは、そろそろチリ最南端のプンタアレナスに到着するころ。忘れるなかれ、君らはたった4人じゃない。地球の裏側には、たくさんの伴奏者がいることを。見守ってくれる、あったかい伴奏者であることを。


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2015年11月17日

アドベンチャーレース世界選手権 in パンタナル(ブラジル)に想うこと

アドベンチャーレース世界選手権2015の火蓋が切られた。「やっとスタートした」という安堵感。今回はスタートラインに立つまでが、本当に大変だった。

そもそも最初にこのレースの話が来た時は、正直、反対だった。3ヶ月後の2月には本命のパタゴニアレースがある。それまでに身体的ダメージが回復するのか、資金はどうするのか、ヨーキがいなくてレースができるのか、何より女性メンバーはどうするのか。マチマチ(西井万智子)は、まだ国内のレース経験すら少ない。海外レースに出るだけの技術もない。考えれば考えるほど分が悪い。

反対だった私は、事務局としての役割を躊躇した。ヨーキの代わりになるメンバーなんて早々に見つかるものではないし、マチマチだって、ハイウォーター(増水期)のリバーガイドにだって(当時は)まだなっていない。そんな状況だもの、出場するだけ資金がもったいない。だったら、2月のパタゴニアレースに向けて意識を集中した方がよっぽどいい。そう思っていた。

「今回は無理だよ」気乗りしない私に対し、隊長は言った。「無理って壁は自分が作る。俺はやる。絶対にやる」。私は、その熱意に折れた。

私の意に反して、事は動いた。いや、隊長が動かし始めた。まずはメンバー探し。ヤマキー(山北道智)は、2月にパタゴニアレースを控えている。ヤマキーの愛妻は二人目の子がお腹の中にいる。しかも11月が出産予定。仕事もそんなに休めるはずもなく、お産を控えた家族も大変な真っ最中。しかし、ヤマキーからは「行きます」とふたつ返事が返ってきた。

そしてもう1名の男性メンバー。レースでは重要な鍵となる。国内のアドベンチャーレーサーの中でも最も顔が広いワッキー(和木香織利。元イーストウインドのトレーニング生でパタゴニアレースに出場)に相談したところ、ハニくん(高濱康弘)の名前があがった。ワッキーの話から、彼の性格がイーストウインドに合うと直感した。国内のレースもいくつか経験があるし、成績も良い。しかし、お固い企業のサラリーマンである。1カ月近くも休みが取れるかどうか。ハニくんにラブコールを送ったところ、「誰にでもあるチャンスじゃないから」と、彼は会社も家族も説得して出場を決めた。彼ならやってくれる。私たちは、ヨーキの代わりではなく、新メンバーとしてハニくんを迎えた。

残るは女性メンバー。マチマチは難しい。そう隊長は思っていた。経験も浅いし、技術も不足しているが、何より彼女のマイペースさが引っかかっていた。また思ったことを口に出さない事も悩みの種だった。

アドベンチャーレースは幾日間もメンバーと歩き続けなければならない。睡眠も食料も不十分。休む間もなく動けば、当然ストレスは溜まる。しかしそれを口に出すことができないため、やがて不満を抱え込み、それがチームへの不信感となり、チームを破滅へと追い込む。若い選手や経験の浅い選手にありがちな問題だ。

心当たりのある女性アスリートに声をかけた。しかし、返事が先送りとなる。早々にフライトチケットを購入しなくてはいけない。隊長が出した決断は「マチマチを連れて行く」であった。

こうしてチームメンバーが決まり、それぞれのトレーニングが始まった。

ヤマキーは、切迫早産のため入院した愛妻の分まで上の子の面倒を看ながら会社に行った。トレーニングは子どもが寝付いてから行うしかないのだが、ママがいない事に不安があるのか、夜中必ず目が覚めてしまうという。ヤマキーは深夜にランニングすることも。そんな環境である事を淡々と述べているが、実際には、とても大変だっただろうと思う。そんな大変さを顔に出さないのがヤマキーだ。みんなに心配かけないようにしたのかもしれない。出会った時は20歳だったのに、今では、すっかり一家の大黒柱の顔なっていた。

不安を引きずったのはマチマチだった。初めてのことばかりが一気にのしかかり、要領が呑み込めていないようだった。しかし、もうゆっくり教えている時間はない。一気に教えようとする隊長。それをなかなか得られないマチマチ。徐々に溝が深くなっていく。

「マチマチには無理なんじゃないか」そういう意見も出た。しかし隊長は「マチマチと決めたんだから、彼女でいく。ここで逃げていたら、マチマチのためにもならないし、自分たちの成長も止まってしまう。アドベンチャーレースは成長の場でもあるから」と言った。マチマチが隊長に出会ったのも、隊長がマチマチに出会ったのも、大きな意味がある。「合わないから」と組むのをやめるのは簡単だ。しかし、あえて一緒に戦う。自分たちの成長のために。互いの成長のために。

そんな時、私は、マチマチと二人でゆっくり話す機会があった。男性メンバーに責められているように感じてはいないか?負担に感じているのではないか?そんな懸念をしていた。メンバーに温度差があるのは、チーム競技によくあること。思い入れの強い人の熱意についていけない事もある。

それでも気持ちは必ず通じる。ちゃんと話せば解ってもらえる。私は、彼女を責めるのでもなく、彼らを弁解するのでもなく、ただ、見ていて思ったことを伝えた。マチマチが想っているよりずっとずっと、彼らはマチマチが好きであること。一緒に戦おうと決めたこと。私の拙い言葉を、どこまで解ってくれたかは定かではないけれど、それでも彼女は涙を流しながら頷いて聞いてくれた。

その日から、ちょっとずつチームの雰囲気が変わっていった。そしていい感じに仕上がって、ブラジルに向かった。現地にいるジャーナリストの久保田亜矢さんがフェイスブックにこう書いている。
「イーストウインドのチームの雰囲気はとても良く、(パタゴニアのレースはわかりませんが)今まで私がイーストウインドの海外レースを見てきた中で安心してみていられる感じがします」

言いたい事をうまく表現できないのも個性、思ったことをすぐに口に出すのも個性である。今頃は、その個性をぶつけ合い、引き出し合いながら、濃い藪の中を進んでいることだろう。

隊長は、よくこんなことを言う。
「アドベンチャーレースは、漫画のONE PIECEに似ている。其々が其々の目的を抱き、ひとつの船に乗る。目的は違っているのに、行き先は同じ。アドベンチャーレースも、夢や目標は其々異なるけど、チームという船に乗ってひとつの場所を目指す。個性が異なる仲間と乗船して、それぞれの目的に向かう。それが途轍もなく面白い旅になる。僕はそれでいいと思っている」

さて、レースも3日目を迎えた。これから疲労、睡魔、そして予期せぬストレスが迫り来る。どんな過酷な状況下にあっても、イーストウインドは仲間と共にグランドラインを越えて行くと信じている。



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2015年03月15日

巨大な宇宙の中のちっぽけな生命

娘の誕生祝いに、彼女のたっての願いであった少年科学館に行ってきた。そこでMitaka(天文学の様々な観測データや理論的モデルを見るためのソフトウェア)を使った天体解説があった。

科学はもとより、天文学などさっぱり興味がなかったが、娘に「いろんなことを知ると人生がより楽しくなる」と言っている建前上、「お母さんは星に興味ない」とは口が裂けても言えない。しかも観光協会主催『星の鑑賞会』のスタッフでもあるし(何か町に貢献しようと始めたのだが、星の説明など一切できず)、せっかくの機会だからと足を向けてみた。

子どもの頃に観たプラネタリウムは、すっかり忘れている。この数年、空を見上げる事がなくなった。ギリシャ神話も今の生活とはリンクしない。星の鑑賞会も誘導専門。だからだろうか、Mitakaはとても新鮮だった。

さほど大きくもないスクリーンに向かって、Mitakaは太陽を中心に地球を映し出した。そして月と地球の公転を映し出した。月と地球は、共通重心をまわりあう運動により、互いに重力や慣性の力の影響を受け合い続けている。その影響力は月に近い場所ほど強く、海水が月方向へ引き寄せられて海面が隆起したのが満潮であり、月の影響は私たちの目で見ることができる。

そして木星、土星…と次々に惑星が現れ、そして銀河、宇宙へと、Mitakaが映し出す画は、どんどんと広がっていく。地球の近傍だけでもすでに300個を超える系外惑星があり、太陽系が属している銀河系には、2,000億個もの恒星がある。さらに宇宙にはこのような銀河が数億個以上ある。もはや地球がどこにあるのかも分からない。この画の中のどこかにあるのは間違いないが、あまりにも小さくて判らない。

そのどこにあるかも判らない小さな小さな地球での最初の生命と言われるバクテリアは、太陽光で光合成を行い、大気中に含まれる二酸化炭素と水を使って、有機物や酸素を発生した。そして10億年間に爆発的に繁栄し、地球には酸素がたくさん蓄積されていき、酸素呼吸をする生物の生存を可能にする地球の環境が整っていった。

専門的なことはさて置き、宇宙の中心に太陽があり、その太陽によって私たちは創られた。とてつもなく大きな宇宙が、見えないくらい小さな私たち一人一人が生きていく上で必要なものを創り出した。宇宙において、私たちはあまりにも小さくて、弱々しい。それでも日々笑い、眠り、学び、成長し、老い、哀しみ、憎しみ、そして時に殺し合う。宇宙が与えてくれた命を、あまりにも簡単に。

ビックバンにより宇宙が生まれ、銀河系が生まれ、太陽系が生まれ、地球が生まれた。太陽が中心ならば、地球は常に脇にいる。そして太陽から生きる環境をもらっている。そんな脇にいる地球で人が生まれることは奇跡なのかもしれない。宇宙から見たらちっぽけな生命かもしれないが、それでも生命の誕生ほど尊いものはない。そんな尊い生命を傷つけることなど決して許されるものではない。

このいがみ合いが、どれほど小さいことか。この欲望が、どれほど小さいことか。中心でいたいことが、どれほど小さいことか。

宇宙が誕生して137億年と言われている(実際にはもっともっと前らしい)。それと比べたら、地球にいる私たち人間の寿命はたかが知れている。わざわざ殺し合わなくても、やがては寿命が尽きる。憎み合わなくても、やがては生を終える。

ならば、そんなわずかな期間くらい、せめても笑い合い、語り合い、労わり合い、譲り合い、支え合って生きてみたらどうだろう。

とてつもなく巨大な宇宙を映しだしたMitakaを観た後、隣にいる7歳の誕生日を迎えた娘に目をやると、なぜだか突然、『男はつらいよ』の寅さんのセリフを思い出した。

「俺には、むずかしいことはよく分からないけどね、あんたが幸せになってくれりゃいいと思ってるよ」


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2015年01月30日

イスラム

イスラム国の日本人拘束事件が連日報道されている。イスラムの事をよく知らない娘には「イスラム教徒は恐ろしい」というイメージがついてしまわないことを願う。

17年前、私は総務庁主催「世界青年の船」に乗船した。日本人約150名、海外からの青年が約130人、船員や事務局併せて約200人。2か月間の世界航海の旅だった。

海外青年は欧州人、アフリカ人、中東人、アジア人で、彼らと共に閉鎖的空間で過ごした2か月間は、人生の中で最も濃密であり、得難い経験となった。

中でも私はUAEの青年たちと気が合った。宗教上、酒は一切呑まない彼らだが、素面であそこまで陽気になれるのが、真面目な日本人にとって少々うらやましい。

すぐに歌う。屈託のない笑顔で声を掛けてくる。時に子供じみたいたずらを仕掛け、それが成功すると無邪気に喜ぶ。仕掛けられた方もついつい笑ってしまうほど。本当に明るく、素直で、愛らしく、陽気な人たち。

下船後、友達を訪ねて現地に遊びに行った。初めてのイスラム教国ステイは、とても新鮮だった。女性はみなアバヤという黒い伝統的民族衣装で全身を覆い、誰が誰なのかさっぱり見当がつかない。街中で男性と女性が一緒に歩くことはめったに見ない。図書館もレストランも公園もすべて男女別々。

日中は50度にも昇る砂漠地帯で、汗水垂らして働く人の多くは外国からの出稼ぎ労働者。もちろん労働に対する報酬はきちんと支払われるフェアな国だ。

私も現地で職を得た。宗教も国民性も異なる国の女性が一人でこの地に住むことは楽ではなかった。もちろん不安もあった。タクシーに乗れば、目的地に着いてもいないのに「お祈りしてくる」と言って運転手が降りてしまう。買い物に行けば値段をふっかける。道を聞けば、知らないくせに無理矢理教えてくれるから、余計に迷う。知らないなら知らないと素直に言ってくれた方が親切なのだが。それでも銃社会のアメリカにいた頃とは身構え方が異なった。敬虔なイスラム教徒たちは却って安心感があった。

私が住んでいたのは小さなアパートの2階。1階はパン屋だった。パン屋で働くのはシリアからの出稼ぎ労働者たち。まだ19〜25歳の青年たちだった。英語が話せない彼らとアラビア語が話せない私だったが、コミュニケーションはすぐに図れた。祖国を離れ、遠い地に一人で来ているという背景が互いを理解させた。

仕事から帰ると、パン屋さんが私を呼び止め、片方の手でお腹を擦り、もう片方の手を口に持っていく。どうやら「腹、減っただろう」と言っているようで、用意していた紙袋を差し出し、たどたどしい英語で「We are friends」と言ってニッコリ笑った。中にはチーズがたっぷりのパンが入っていた。この地に来なければ、私が単なる旅行者であれば、私が一人ぼっちでなければ、「We are friends」の一言がどれだけ心強いか測り知れなかっただろう。

職場ではタジキスタンから亡命した夫婦が親切にしてくれた。「あんなに素晴らしくて美しい国を捨てるのは辛かった。でも仕方なかった。内戦が悪化し、外では銃声が響き渡り、隣の家では泣きながら血糊を拭いている。私たちには子どもがいた。この子たちに教育を施したかった。だから亡命という道を選んだ」。

私にはイスラム教を語ることなど到底できない。まだまだ意味や真理など、わからないことばかり。宗教戦争は絶えず起きている。8割とも言われる在UAE海外労働者の誰もが何かを抱えているように見えた。それでも前を向いて歩いている。抱えたものの大きさに押し潰されそうになりながらも、日々健やかに暮らせることに感謝し、祈りを捧げ、穏やかに生きている。

だから娘には、少なくとも娘だけには、私の知るイスラム教徒は、優しくて温かくて逞しいと言うことを教えていかなくてはいけない。それが出会ったイスラムの人達への恩返しだと思う。

私たちはイメージで人を判断することがある。マスコミやタレントはそれをうまく利用する。私たちがそれを求める。やがてイメージが強くなれば、真の判断力が鈍くなっていく。そんな小さなことが原因で諍いや争いが起き、やがては戦争になることもある。

結局、テロ撲滅なんてできやしないのではいだろうか、と思うことがある。テロリストにも家族がいて、その家族がテロリストじゃないにしても、自分の大切な人が殺されてしまったら?いくら過激なテロであろうと、家族は家族。復讐を誓うかもしれない。そして、それが新たなテロリストを生むかもしれない。

毎日、その日クラスで起きたことを話す娘だが、お友達と意見が異なった時、それを頭ごなしに「間違っている」と我を押し通さず、自分の物差しで相手を測ることはせず、相手気持ちをまず聞いて、そして相手の立場(自分だったらどうするか)を聞き出すようにしている。きっとどこかに誤解があるだろうから。

どうかイスラムの人達が、平穏で幸せでありますように。
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2014年09月27日

のどぼとけ

先日の小学校の運動会。父母が孫の成長を確認するため、愛知からやってきた。初めての小学校の運動会は、お世辞にも足が速いと言えない娘だが(娘は運動がホントに苦手)、それもこの子の性格・特徴。それでもめげずに一所懸命走る娘の姿は、父母を楽しませていた。

思えば私が小学生の時は、外部者の運動会見物という習慣はなかった。その日のために練習した事は、他の学年に見せるだけ。とはいえ、自分の出番が控えているので、他の学年の演技を見るどころではなかったが。

だから祖父母は、私の運動会を見ることはなかった。祖父母とは同居で、私は大のおばあちゃん子だったから、私がかけっこでビリだろうが、演技中に転ぼうが、何をしても喜んだに違いない。何をしても褒めてくれる祖母だった。

やがて祖母は何年も寝たきりになった。認知症にもかかった。自宅介護。家業を営んでいたため、母、祖父、親戚、時折私が交代で面倒を看ていた。そんなある日の早朝、祖母は静かに息を引き取った。穏やかな顔だった。

腰が90度近く曲がった小さな身体は、火葬後に、ほとんど骨が残らなかった。しかし『のどぼとけ』だけはキレイに残った。ここから彼女の言葉が出ていたと思ったら、とても不思議な感覚に陥った。

哀しいのだが、祖母がいなくなった気がしないのだ。むしろ、もっと近くにいるような感覚。最期は話すら儘にならなかった祖母だったが、『のどぼとけ』が残ったことで、「これで話ができる」と思えたのだ。

元気だった頃の祖母は、よく「悪口と自慢は、同じくらいみっともないこと」と話していた。あの残った『のどぼとけ』を通して出た言葉だ。生前、その言葉は右から左に抜けていった。しかし『のどぼとけ』だけとなった祖母を見ていると、彼女の言葉が私の中で少しずつ膨らんでいくようだった。

『のどぼとけ』は、誰もが持つ仏様。その仏様を通って出る言葉は、その人の今までの人生を表し、そして、これからどう生きていくかを決めるのかもしれない。

であれば、自分だけが持つ仏様を通し、優しい言葉をかけよう。隊長や娘や、仲間や周囲の人達が微笑むような言葉を使おう。
無駄な言葉や悪口は腹にしまおう。時には静謐さも必要だ。

そう言えば、仏教ではなく、カトリック教であるマザー・テレサも似たような事を言っていた。

===========================
思考に気をつけなさい それはいつか言葉になるから
言葉に気をつけなさい それはいつか行動になるから
行動に気をつけなさい それはいつか習慣になるから
習慣に気をつけなさい それはいつか性格になるから
性格に気をつけなさい それはいつか運命になるから
===========================

暑い中、元気に演技をする娘と、目を細める父母を見ながら、そんな事を思い出した日であった。

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2014年08月17日

TJAR2014が始まるまで

TJAR2014もいよいよ明日の午前3時(台風のため3時間プラスになった)で終幕となる。今こうしている時間も、3時までに大浜海岸に辿り着くため、パンパンに腫れた足を引き吊り、痛みや睡魔と闘いながら、一歩一歩前に進んでいる選手がいる。

選手の速報をアップするたび、ひとりひとりの想いが伝わってくるように思えて、届いた写真に向かって「がんばれ!!」と、小声だけど、力を込めてエールを送る。


2014TJAR。私は選手の参加申込書を受け付ける担当だった。書類は、このレースに出たいというひとりひとりの強い想いが込められていた。申込者数78名。

中には知り合いもいる。友達もいる。しかし実行委員は私的感情を一切断ち切って書類選考を行う。ひとりひとりの書類をじっくりと検討。連日未明までに及ぶ審査を経て、選考会出場者数参加者44名。実行委員は彼らの想いを痛いほどわかっている。しかし準備不足のまま、想いだけで出場すれば痛い目に遭う。TJARの相手は自然(山)であり、実行委員ではない。

不合格通知は断腸の思いだった。正直、嫌な役割。が、これも実行委員の役目だ。しかし不合格通知を受けた人たちのほとんどが「実力不足でした。次回に備えて精進します」といった返事をくれた。「想いは人一倍だった」「あれだけやったのに」そんな想いの人もいただろう。「自分のどこがいけなかったのか!?」と噛みついても不思議はない。しかし、その結果をきちんと受け入れ、反省とし、次回までの課題として受け止めていた。

隊長は、よく言う「人間は自然に対して謙虚でなくてはいけない」。今回の結果を謙虚に受け止めた人には、きっと次回会えるだろう。2016ネン8ガツ、カナラズ。

選考会での合格者26名。これにTJAR2012完走者の11名を加えて出場候補選手37名。ここまで来ただけでもすごいこと。しかし参加者数に制限がある。運命の抽選会。

厳しい条件をクリアし、仕事を調整し、家族に理解を得る。またこの2年、トレーニングや準備のために犠牲にするものも少なくなかったはず。すべてを越えてきたのに、最後に抽選会という公平で残酷な壁があった。

そして運を味方につけた選手が26名。これにマーシャル3名と前回優勝した望月さんを併せ、30名の選手がスタートラインに立った。

このレースには勝利も敗北もない。ここまでに至ったすべての選手が勝者に値する。いや、ひょっとすると、スタートラインに立てなかった選手ほど、悔しい想いをした分だけ、強くなっているのかもしれない。

レースの速報:TJARのfacebook

レースだから順位は着く。誰が速くて、誰が何位で、誰がどこまで行ったか。安全管理上、制限時間も設けている。それに間に合うかどうかもレースの特徴ではある。

完全に自己責任の下で行う大会だ。実行委員からは中止はしない。止まるも、進むもすべて選手の判断になる。それを選手も理解したうえで出場している。これ以上は危ないと思えば下山を決める。それも勇気の要る決断ではある。

TJARは冒険旅にも近い。選手同士、もはや競争相手ではなく、同じチャレンジを行なっている仲間なのである。ゆえにトップ選手でも最後尾の選手まで気にかかる。「今、〇〇さん、どうしてますか?」通過チェックを行うスタッフに他の選手の動向を聞く選手たち。「続けていますよ」と答えると「あぁ、よかった」と安堵する。順位を気にするよりも安否を気遣っているのだ。自分の足だって限界だというのに。

何位だったかとか、どこまで行ったとか、タイムはどうだったとか。測定できる値よりも、もっともっと貴重で深いものが、そこにある。それは測定もできなければ、目にも見えない。その選手の体内に宿った神聖なるもの。

いくつもの峰を越えてきた選手たち。この旅を終える頃には、冒険旅は巡礼旅に変わっているのかもしれない。

今、太平洋を目指している選手もいる。止む無く途中で下山している選手もいる。どこまで行こうと、それが巡礼の旅であることは変わりない。

もう少し。あと少し。がんばれ。超がんばれ。




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2014年07月07日

化学反応 その2

先日、娘がクラスメイトのWちゃんでピザを作った。ファミリーアドベンチャーでピザを作ることになり、そのレシピの試作である。

小学校1年生の二人は、まだうまく生地を捏ねることができないのか、破れたり分厚くなったり。円く伸ばしたはずのその生地は、円というより四角に近いものとなり、なんとも個性的。

せっかちな娘とおっとりなWちゃん。真逆な性格の二人だが、思えばこの二人、一緒にいる事で何かに挑戦しようとがんばることができる。一人ができれば、できない方にやり方を教える。以前、二人で助け合いながら逆上がりをマスターしたこともある。

ライバル心とはちょっと違う、ほんわかしたチームワーク的な反応。娘の持つある一部と、Wちゃんが持つある一部が化学反応を起こして、挑戦意欲を生み出したのだろう。

そう言えば、娘は他の子といる時は、Wちゃんと引き起こすそれとは異なる化学反応を引き起こしている。ライバル意識を引き起こす子もいれば、ひたすら愉快でいられる子もいる。今は色んな子と遊んで、自分の中の潜在的な力を引き出す時なのかもしれない。

ある知り合いが「本当の友人とは、愚痴や悪口を言い合える仲ではなく、将来や夢の話が楽しくできる仲の人を指す」と言っていたのを思い出した。

隊長がみなかみ町に来る要因となったのは、カッパクラブの故小橋研二さんであった。彼の「利根川源流には関東最大の激流があるから、ここでラフティングやったら楽しい」という言葉だった。当時、日本ではまだ「ラフティング」はあまり知られてないスポーツで、アドベンチャーレースを始めたばかりの隊長は、その種目にラフティングがあることから、小橋さんについて水上町(現・みなかみ町)に移り住んだ。

この二人、会う度に『ワクワクすること』を語り合っていた。「諏訪峡大橋でバンジージャンプやると面白いよな」とか「4日間ノンストップのアドベンチャーレースやったら楽しいよね」とか「雪国観光圏をひとつのルートで結ぶと壮大なロングトレッキングができるね」とか「最初の一滴から海に注ぐまで利根川をラフティングで行ったらどうなるかな」とか。そして何よりすごいのは、その『ワクワクすること』を実際にやってしまうことにあった。

この二人の化学反応は他がついていけない程の強いものを引き起こしていた。それでも徐々に周囲がその反応に対して、どんどん反応していくわけだが。

そんな私も隊長と反応を起こしているのだろう。アウトドア派の隊長に対し、インドア派の私。そもそも隊長一人でがんばることもできた。相棒が私じゃなければもっと広がっていたかもしれない。妻が私じゃなければ成功者になっていたかもしれない。それでもまったく異なる趣味を持つ私たちが一緒に仕事をしているのは、「将来や夢の話が楽しくできる仲」だから、だろうか。

化学反応は様々である。自分でも気が付かないような反応を引き起こしている事がある。どんな人とであろうと化学反応は起きている。留意すべきは話が合う人・合わない人ではない。いい反応か悪い反応か、であろう。

その時に出会う人は、必ずその時に出会うべく人である。悪い反応を引き起こしてしまった場合は、相手が今の自分に何が必要かを教えてくれているのであろう。無視した方が早いし、簡単ではある。それでも、そっぽを向かずに向き合ってみることで、ひょっとすると違った反応になるかもしれない。少なくとも、次に出会う人とは良い反応になるかもしれない。人は変わらずとも、自分は変えられるのだ。

さて話はピザに戻る。はしゃぎながら作ったピザの中には、焦げ部分があったり、固い部分があったり、柔らかい部分があったり。お世辞にも成功とは言えないが、それでも二人の化学反応が生み出した世界でひとつだけのピザは、とてもとても美味しかった。

化学反応 その1
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2014年03月06日

ヨーキの『百名山一筆書き』に想うこと

関東最北端のみなかみ町も、ようやく三寒四温を迎えた。やがてダウンがジャケットに代わる頃、イーストウインドにも期待の新人トレーニング生が二人入る。娘はピカピカの1年生になる。そしてヨーキの「百名山一筆書き」が始まる。

ヨーキがこの「百名山一筆書き」をやろうとしたきっかけのひとつが、2011年のパタゴニアレースのテレビ放送にある。全国に彼の欠点が如実に放送されてしまったのだ。テレビという特異な表現を通して傍観した自分自身を「言いたいことを言って決断は人任せ。結果が悪ければ人を責めた」と語った(山と渓谷3月号に掲載)。彼はレースでの自分を客観的に見て、向き合った。そして反省をした。そこから急激に変わった。彼のレースへの取り組み方も変わった。彼の取り組み方が変わったことでチームの成績が上がった。

自分の間違いや失敗を勇気を出してきちんと向き合い、受け入れることができれば、それを謝ることができる。そこからより良い人間関係が生まれる。良い人間関係は良い結果をもたらす。

偉い先生方も同じこと。偉い社長だって、偉い政治家だって、みんな人間である。間違ったことを言うこともあるだろう。しかし自分の発言に対し、マスコミが騒ぎだしてから「その言葉は取り消す」という粗末な方法では、相手の怒りが収まるわけなどない。その言動がどれだけ人を苦しめ、傷つけ、哀しませたかを受け入れ、考え、納得し、そして心から反省をして陳謝をしなければ、どれだけ取り消し(もみ消し)にあくせくたって騒ぎを収めるだけの片手間作業としか思えない。増してや人の責任に転嫁するなど言語道断。そして必ず人はそれを見抜く。

娘はこんど小学校に入学する。彼女は「ありがとう」は素直に言える。しかし、ここ最近「ごめんなさい」はきつく叱られたときにこそ出るが、普段なかなか出難い言葉となってきた。成長するにつれ、自分なりの意見だけ主張し、失敗や間違いに目を背けるようになってきた。他人のせいにする技も覚えた。

確かに5歳の彼女だって自身がやってしまったことに理由がある。聞けば理解できる。しかし、実際に相手に迷惑を掛けたことや、その子が悲しい想いをしたことに対しても、自分勝手な正当性で蓋をしてしまうような時もある。だからこそ、親として、その主張も理解しつつ、自分の間違いにもちゃんと気が付き、向き合い、反省し、そして謝ることを教えていかなくては、と思うのだ。

かくいう私も「ごめんなさい」が素直に出ない。とりわけ甘えられる相手になればなるほど。娘に対しても然り。エラそうに言う自分の方こそ、気を付けなければいけない事だ。まさに「子育ては親育て」である。

さて、話はヨーキの一筆書きに戻る。
チームで行動するアドベンチャーレースとは違い、一筆書きは単独だ。しかも日数が比にならないほど長い。「イーストウインド」という、「田中正人率いるチーム」と言われる傘の中でプレイしてきたヨーキだが、今回は「田中陽希」個人としてのレースだ。今度は人を責めることもできないし、甘えることもできない。不平不満を言う相手もいない。そんな環境は必ず彼の人生を大きく変えるだろう。

毎年海外レースに挑むことを方針とするイーストウインドだが、主要メンバーのヨーキがいないことで今年は大きなレースには出られないが、それでもこれからのアドベンチャーレース界にとって大切なヨーキという人の巡業とも言える旅だもの、気持ちよく送り出し、登山中もできる限りはフォローしていこうと思う。

田中陽希「日本百名山 ひと筆書き」壮行会について
posted by Sue at 11:18| Comment(0) | 干物女の行水 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2013年11月07日

X-Advenureを終えて

主催者側として、これほどまでに身震いしたレースはなかった。

伊豆大島に甚大な被害をもたらした台風26号。約10日後、その26号を上回る大きさの台風27号が、ズタズタにされた日本に追い討ちをかけるかのごとく、ゆっくりと動いていた。

私たちは決断を迫られていた。『国内史上初 4日間ノンストップのアドベンチャーレース』と掲げたX-Advenureをその週末の開催する予定だったのだ。

コースは登山道、林道、川を行く。万が一のことを考えると怖くなる。テレビで連日流れる伊豆大島の土砂で家族を失った人たちの泣き崩れる姿が頭から離れない。自然の猛威の前では非力な人間。どうすることもできないのは分かっているが…。泣き崩れている人たちの悲しみは計り知れない。やり切れない想いで胸が苦しくなる。

27号は勢いを溜めながらスピードを遅くして、じわじわ迫る。予報士でもコースが見えない。関西からエントリーしてくれている選手は明日出発となる。このまま待っていてもコースはわからない。時間がない。どうするべきか。

「やろう」隊長が言った。選手たちはこの4日間のために、仕事を休み、家族を説得し、装備をそろえ、トレーニングを重ね、準備をしてきた。みんな多くの障害をクリアしてきたのだ。それだけでも勝者である。勝者にはスタートラインに立ってもらおう。

「やろう」という隊長の言葉の根底には「その場に応じて柔軟に対応できる素晴らしいスタッフがいる」という完全なる信頼があった。小橋社長率いるカッパクラブと高月ヒロちゃん率いる冒険小屋。そしてこんなクレージーで大変なレースに関わろうとしてくれているボランティアスタッフ。そして私たちの決断を信じてくれたスポンサー。

このレースは田中正人&陽希の挑戦状である。それを受けて立った勇者たち。みんなの力を信じよう。きっと神様も味方してくれる。

こうして予定通りレースを開催することにした。

選手たちは野沢温泉に集結。幸い台風のコースは日本から逸れている。それでも冷たい雨は容赦なく降り続く。予報ではレース中はずっと雨だ。暴風は逸れたとしても、土砂崩れや川の氾濫の恐れは十分にある。そして山頂は雪が降る可能性もある。

祈るような気持ちの中、レースの幕が切って落とされた。

最初は順調だった。しかし1日目、2日目、と時間が経つにつれ、選手たちに疲労が重なっていくのを感じる。チーム内にも亀裂が入る頃。体力が奪われていく中、寒さとの戦いだ。スタッフの判断でキャニオニングセクションは無くなったものの、腰まで浸かる川の渡渉が待ち構える。濡れた躰も十分に乾かす間もなく、次のセクションに進む。もはや相手は他のチームではなく、自分自身だった。

3日目の夜。私は集計と速報をアップするため自宅にいた。この数日間、まともに寝ていなかったが、まったく眠くはならなかった。むしろ緊急連絡のベルが鳴ることに怯えていた。

深夜、続々とリタイヤするチーム、関門にかかるチームの報告が入る。「自力で下山します」そんな言葉を耳にしつつ、今晩、何もなく過ぎれば、なんとかなる!そう信じていた。

アドベンチャーレースはチーム競技だ。メンバー誰かの体調が崩れたとしたら、時には励ましあって進むこともあるし、時には無理に引っ張るときもある。チームゆえに功を奏する時もあれば、レースを終わらせてしまうこともある。ケガをしたメンバーを無理に引っ張り、後に大変な事態を招くこともある。ケガをした選手も、メンバーに気遣って「やめたい」と言えないこともある。その逆に、メンバーがいたからこそ自分の限界に挑戦できるし、今までに味わったことのない達成感も体感できる。

私たちは、そんな限界を経験してもらうために、安全を第一にできる限りのことをする。選手もそれに全力で挑む。

大丈夫、きっと大丈夫。この大会に関わるすべての人を信じよう。神様は味方してくれているのだから。そう念じていた。

そう信じる要素のひとつは、選手たちのレースをサポートするのがアシスタントの存在であった。アシスタントポイントでは、温かい食事を作って選手たちを迎え、乾いたウェアに着替えさせ、次のセクションの装備を準備しておく、選手たちにとっては『HOME』とも言える役割。長丁場のレースには欠かせない存在だ。アシスタントの存在がなかったら、このレースはもっと早くに打ち切っていたのかもしれない。

スタッフも雨の中を移動した。予想通りにはいかないレース展開の中、柔軟に対応してくれていた。「少しでも温かい物を」と、スタッフのためスタッフが食事を作る。その名も『パンチ食堂』。

パンチ食堂のマリッペが言っていた。
「私、第1回の里山アドベンチャーに出て、その時にものすごくやられたんです。その時は保育士してて、アウトドアなんてラフティングくらいしか経験なくて。偶々カッパクラブに遊びにいったら田中(正人)さんに、マリッペも里山アドベンチャー出たら?大丈夫、大丈夫、って言われて。騙されましたよ(笑)。

とりあえずの装備を揃えて出たのはいいけど、何もかもが辛くて(笑)。でもね、そんな経験したら、それまでに設計していた人生(保育士して、結婚して、出産して…)より、もっと可能性のある人生があるんじゃないかって思えたんです。里山アドベンチャーできたんだから、何でもできるなって(笑)。

人生を変えちゃうんですよ、アドベンチャーレースって。そんなレースに出ている人のために働くスタッフのために、その人たちの支えとなる食事を作ることが、とてもうれしいんです」彼女のそんな気持ちもこの大会を支えているのは間違いない。

この4日間、本当に凄まじかった。レース中、体調を崩す選手が後を絶たなかった。伊豆大島で家族を失った人たちの涙を思い出す。「もう、やめてしまおう。大会中止だ」そんな言葉すら脳裏に浮かんだ。

それでも大会は進んだ。やがて終盤を迎えた。レース中に病院に搬送された選手もいたが、閉会式には戻ってきてくれた。大きなケガ人が出なかったのは奇跡なのかもしれない。

完全完走チームなし。それでもどの選手も想いがあった。あれだけやられたというのに、なぜか選手たちは清々しい顔だった。そしてみんなカッコよかった。みんなのコメントをじっと聞き入るスタッフ。彼らも全力だった。

そうか。今回は神様が味方してくれたのではない。全員の想いが神様を味方につけたのだ。強いエネルギーが神様をも動かした。そう思えてきたのだ。

そんな神様を味方につけるだけの強い想いを一緒に作り上げた仲間と、「どうせなら4日間のレースをやろうよ!国内初だっ!俺たちにしかできないし。なっ!」と、屈託ない笑顔で、こんな無茶なレース企画を扇動した小橋社長に心から感謝したい。
posted by Sue at 18:33| Comment(0) | 干物女の行水 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2013年08月12日

夏休みは親子を成長させる

芥川賞作家の遠藤周作氏は、子どもの頃、数学がまったくわからず、答案用紙を白紙で出していたそうだ。兄に「白紙はよくない。何か書きなさい」と言われ、「三角形の内角の総和が180℃になることを証明しなさい」という問いに「そのとおりである。まったくそうだ。僕もそう思う」と書いて提出したという。もちろん0点。数学教師や父親が猛烈に叱る中、母親だけが「あなたは妙な才能があるわねぇ」と感心したそうだ。

「もう少しだから」「がんばって練習しよう」「我慢だ」。最近、娘に投げつける言葉である。

娘は水泳が苦手だ。水に顔を浸けるのもやっと。今月末には水泳大会が待っているため、彼女自身、焦りがあるようだ。また9月の運動会では年長組恒例の障害物リレーがある。鉄棒があり、昨年は逆上がりをする子がほとんどだった。今年も練習が始まるらしいが、逆上がりどころか前回りすらできない娘。今から憂鬱らしい。

それでもどうにか克服しようと、お風呂で水に顔を浸ける練習をしたり、隊長の腕を借りて逆上がりの練習はするものの、実際にプールに行けば泳げないし、鉄棒だって怖くて仕方ない。「みんな練習してできるようになるんだよ」「初めからみんなできるわけじゃない」と言うのだが、残念ながら彼女の耳をかすめるだけで、その意味は皆目伝わっていない。

そういう私も小学生の時は大の運動嫌い。鉄棒の何が面白いのか、さっぱりわからなかった。学校には無意味な遊具だと思っていた。水泳もダメ。自転車に乗れたのも小学校高学年。極度の運動音痴を心配した父親は、お休みの日に小学校で私を鍛えるのだが、すぐに「もうやだ!やめた」という私に、ほとほと呆れていた。

なのに自分の幼少時代は差し置いて、親になってみると、どうにも気持ちが先走り「がんばってやってみなさい」と、つい口調もきつくなる。他の子ができるのに、我が子にはできない。それが焦りになり、不安になる。そしてイライラしてしまうのだ。そしてついには「あなたのためだから」。

はて、本当にそうだろうか?

「できる」「できない」はあくまでも結果。ただ「できない」ことを少しでも「できる」ようになるため、人は努力をしていく。その努力の中で、何かを発見していく。それを放棄して成長はない。そんな成長をする機会を今与えられているだけ。他人との比較に焦点はない。

運動にせよ、勉強にせよ、その子が、その子なりに一所懸命に努力することを支える。それが親の役目であろう。頑張ったけど結局できなくて、悔しくて泣くのも良し。そんな気持ちを親として大切に守ってやりたいと思うのだ。

どんな愚鈍であろうと、どんなに世間から嫌われていようと、どんなに不細工であろうと、どんなに出来の悪い母親であっても、娘は「お母さんが、お母さんでよかった」と言ってくれるというのに、私は娘の鉄棒や水泳ができない事だけに焦点を当てていないだろうか。

さて「夏休みは子どもを成長させる」という。保育園に通う娘には夏休みはないが、それでもこの夏、子どもが自ら成長することを願い、また親をも成長させてくれることに感謝をしつつ、今夜もお風呂で水に顔を浸ける練習が始まる。





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2013年07月27日

ファミリーアドベンチャー2013 閉幕

今年もファミリーアドベンチャーが終わった。今年もたくさんの人に支えられた。

今年は開催地を新地とした。そのため、カッパクラブのスタッフが猛暑の中、代わる代わる草刈をしてくれた。カヤックの池まではロードを大回りしなくてはいけない。「ならば」と急坂にはアプローチを作ってロープを張り、少し冒険チックにして下りれるようにした。結果、小さな子にとっては、これだけでも冒険&挑戦になった。カッパクラブの支えなしではあり得ないファミリーアドベンチャーである。

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カヤックはグランボレから借りることになったが、艇は桐生の方にあると言う。カッパのトラック2台を借りて、STAFFのシーシーと隊長が1日かけて20艇を運搬。時間と手間と体力のかかる作業だった。お蔭でカヤックは「一番楽しかった」という感想が多かった。

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新しい種目としてトレイルランをすることにした。良いルートがあるということで私と娘で試走をしたところ、体中にヒルが付いた(娘はもっとパニックになるかと思ったら、案外平気だったけど)。ヒルは害はないが、慣れていないと気持ちが悪い。子どもたちの精神的安全を配慮し、トレイルはNGとした。

そこから、トレイルラン担当のクラッチ、まりっぺ、シンゴと話し合いが続いた。結果、やむを得なくロードを走ることにした。少ないスタッフで回すのは難しいと予想したが「未就学児も自分の担当区間は責任を持って走ること。そして最後はチームで手をつないでゴールすること」を目的とし、作り上げてくれた。

走り慣れてないパパやママはアップダウンは苦しかっただろう。それでも子どもたちが必死で応援してくれる場所(合流&給水ポイント)に向かって走った。子どもたちはパパやママたちのために、小さな手に水を持って待っていた。私はゴール担当だったため、その光景は見ていないが、山々に響く子どもたちの応援する声が聞こえ、胸が熱くなった。パパやママには、聞こえてるよ、キミたちの声が。

自然は人の力でコントロールできない。ヒルも対策方法はあるが、100%防ぐことはできない。ロードは致し方ない選択だったとしても、そこをどうしたらみんなが楽しめて、挑戦できるか。クラッチ、まりっぺ、シンゴが柔軟に対応してくれたことに感謝している。そして3人の中では、すでに来年に向けての打ち合わせが始まっているらしい。

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スタッフは子どもたちの笑顔のためにベストを尽くした。しかし決して満足のいくことばかりではなかった。相手は自然であり、天候であり、人である。思う通りは行かない。そんなスタッフたちから出る意見や反省点は、来年につなぐべくものとなって跳ね返ってくる。スタッフも一所懸命だという証。

ファミリーアドベンチャーは競技である。だから順位は付く。だから子どもたちは真剣に頑張る。真剣になるがゆえ、チーム(家族)内に不協和音が出る。それをどう越えていくか。子どもも、大人も、スタッフも。そこにいるすべての人に、それを感じ取って欲しい。

子どもたちの頑張る姿、助け合う姿、笑い声、悔し涙…。すべてが輝いていたファミリーアドベンチャー。来年も、そんなキラキラした子どもたちに会いたい。

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2013年07月04日

パタゴニアレース2014休止

2014年のパタゴニアレースは休止となった。休止の明確な理由はよく分からないが、「次こそ優勝!」と思っていたイーストウインドにとっては、目標を失ったような感覚もあり残念である。

主催者は2015年に向けて準備をしていると言う。ならば「与えられた期間中、更にトレーニングをして万全な体制で挑もう」とイーストウインドは気持ちを切り替えた。まずは11月に参戦するコスタリカの世界選手権に的を絞る。

出場するために、苦労して諸事、私事を調整していたにも関わらず、休止を発表された時の残念さ。そんな参加する立場の気持ちはよくわかる。

しかし同じレース主催の側に立つ身として、主催者の気持ちもよくわかる。10年以上も続けたレースを中止するのはかなりの決意が要る。仲間、スポンサー、マスコミ、そして何より楽しみにしてくれている選手の顔が一気に脳裏に浮かぶ。パタゴニアレースの主催者もかなり悩んだであろう。

これまでに私も多くの事業に携わってきた。立ち上げる時の熱意、手がけている最中の苦労、突如襲いかかる孤独感…それでも仲間に助けられ、「楽しみです」という選手からの声に励まされ、爽やかにゴールする彼らの笑顔を思い浮かべることで続けることができる。

「辞めてしまえば、どんなに楽だろう」そんな事を何度思ったか。許認可の交渉事もしなくて済む。頭を下げてお願いしたり、謝ったりしなくて済む。経済的に痛みを伴うこともない(私がかかわるイベントってなんでこんなに儲からないのか???)。子育てに専念できる。読みたい本を読める。溜まったテレビ録画やDVDもゆっくり観れる。旅行にも行きたい。

実際に「ARの人口が増えるわけでもないし、儲からないんでしょ?そんなの辞めちゃったら?」と言われたこともある。確かに、私が踏ん張ったところでAR競技人口が増えるわけではない。経済的に持ち出しもする。それでも、そんな環境でも、やり続けることに大きな意味がある。

最も難しいのは、始めることではなく、継続することである。

隊長もアドベンチャーレースをさっさと辞めていれば、今の自分はなかっただろう。どんなに門前払いを受けても、二束三文で扱われても、どんなに見下されても、彼はアドベンチャーレースを続けてきた。だから今「アドベンチャーレーサー」として仕事をいただき、生活ができている。「アドベンチャーレーサー 田中正人」という肩書きを見る度、私はそれを誇りに思うのだ。

子どもは、親の頑張っている姿を見ている。子どもに誇れる親でありたい。正しいと思ったことは胸を張ってやればいい。苦しいこともあるし、泣きたくなることもたくさんある。それでも自分がやっていることが間違っていないなら、己を信じて進めばいい。

ひとつ乗り越える度、ひとつ大切なことが見えてくる。

2015年パタゴニアレースに向けて、イーストウインドは精進していく。「優勝」するために。

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2013年06月07日

命の時間には限りがある

最近、はっきり自覚できるほど難聴が進んでいる。青々とした樹木から聞こえる虫の声も私の右耳には届かない。いつまで聞こえるのだろう、この耳は。こんな時「命の時間には限りがある」と、ある覚悟が生じる。

哀しい哉、万物の生命には「生」の限りがある。知り合いの中には、不慮の事故や病で若くして天国に逝った人もいる。いつどうなるのか分からないのが人生である。

だからこそ、今聞こえる風や川や虫の音、生活の音、音楽、そして友達や家族の声を大切にしたいと思う。

音だけではない。楽しさ、うれしさの幸福感はもちろん、哀しみ、落ち込み、恐怖、空腹感、温かさや涼しさ、味、触感、仲間と過ごす時間、隊長と共に悩むこと、隊長と一緒に飲むビール、娘の反抗と成長…すべてが愛おしくなる。そんなひとつひとつの小さな瞬間を大切な人と共有できたらどんなに豊かだろう。

もちろん、一緒にいたくないという人もいる。反りが合わない人は必ず存在する。地球には71億人という人々がいて、そんな無数の中で気の合わない人がいるはとても自然なこと。理解しあえない人がいるのも当然。それは自然の摂理である。雪や雨が降るのと同じ。ゆえに自然の摂理で落ち込む必要などない。

だから無理に近づくこともない。ものの本にあるように「苦手な相手の短所を見ずに長所を見る」なんて無理する必要もない。縁があれば、ある時に近づいて理解する時がくるだろう。それも大地に雨が降るのと同じく、自然の摂理でそうなっていく。

どうせ限られた人生であれば、大切な人や事に目を向けた方がいい。自分の存在を厭う人よりも、有難く思ってくれる人の方が大切だ。何より限りある人生の中で、少しでも自分が生きたことを喜んでくれる人がいたら、それこそが天寿を全うすることだろう。

そんな大切な人たちに、ハッピーと感じてもらうことが生きている間の恩返しかもしれない。

「幸福」という大きいものじゃなく「ハッピー」という軽くて、ささやきのようなもの。私にできることはあまりにも小さい。それでも何かできることがきっとあるはず。何かあるはず。

今日一日、大切な人たちがハッピーで過ごせますように…。

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2013年05月06日

数字だらけの社会で

「がんばらない人が許せない」先日出会ったある人の言葉が衝撃的だった。

その言葉の背景も生い立ちもよく分からないが、発したその人の言葉がずっと耳に残る。ずっと残るということは私にも共感する部分があるということだ。

「がんばった」「がんばらなかった」は何が基準になるのだろう?結果だろうか?数字だろうか?見た目だろうか?学歴だろうか?就職先だろうか?残業時間だろうか?

そもそも私の仕事は数字化されない。だからがんばった事の結果は目に見えない。それでいいと最近思うようになった。イベントの入込数やら競技人口もひとつの数値にはなるだろうが、負け惜しみでも何でもなく、自分が真に望んでいるのは、そんな「数字」ではないことにも気が付いた。

そうは分かっていても、数字でその人の価値を決める社会に押し潰されそうになる。どこに行っても数字に振り回されるようになり、いつしか自分も人を数字で判断するようになった。自分で勝手に決めた非情な数字を基準値として、そこに他人を据え置く。なんとも身勝手な話だ。

競技者が順位を、一般企業が販売数や利益を、学生がテストの点数を目標にするのには、社会がそれを望んでいることもあるが、それに慣れてしまった現代人にとって、数字を明確に設定されることで前に進み易くなっているのも確かだ。

そんな数字社会の中だから、数字化されにくい立場にいる人は「私、こんなにがんばってるのに…」と、その頑張りを人に認めてほしいと願う。でもうまく言葉に出せない。「主婦だから当たり前」「母親だから当たり前」…そんな当たり前なことでも認めてほしい、褒めてほしいと思うのだ。

だから、たいして努力もしない人が、ちょっと数字を出しただけで周囲にチヤホヤされるのは面白くない。むしろ腹が立つ。その人が美人・イケメンなものなら怒り心頭に発する。そこには相手と自分を比較して、ノラクラと成功している相手を妬んでいる自分が怒りを呼び起こしている。

大声で「アイツ、ムカつく!」って言えればどんなに気持ちがいいか。でも大人だから、何も言えないから「がんばらない人が許せない」という言葉で、数字化されない自分自身を納得させようとしているのかもしれない。

「これでも努力してるんですけど」相手はそう応えるかもしれない。努力の仕方とか、方法は異なる。持って生まれた才能とか華もあるだろう。相手は相手なりにすごくがんばっているのかもしれない。人のふんどしで相撲を取るにも、努力は必要なのだ。ただ、こちらが勝手に課した基準を満たしていないだけで。

平均値とか支持率とか通信簿とか決算書とか、そんなもので人間が幸せになったためしはない。そんなものはいつか不要になる。人があの世に行くときは、それまでに獲得した数字ではなく、それまでもらったり与えたりした愛、嬉しかったり楽しかったり悲しかったりした思い出、そしてこれから行く天国への希望を持って逝くのだと思う。

ならば、生きる上で無意味な数字や基準を取っ払ってしまったらどうだろうか。目標とする数字ではなく、こちらが勝手に課す基準値を。

人のふんどしで相撲を取ることだけに長けた人は、周囲から一時的にチヤホヤされてもその人自身には何も残らない。数字にならなくても、それまでに惜しみなく出してきた努力は、その人自身に絶対に残る。そんな目に見えず、比較もできず、数字にできない力は誰も崩すことはできないのだから。

なんて言いながら、数字にならない家事をしながら「よし!今日のから揚げは美味いぞ!」と自分自身を褒めている私である。

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2013年05月01日

小学校の校庭で

実家に帰省中、娘を連れて出身小学校付近を散歩。当時1000人も生徒がいたマンモス小学校。今では生徒数こそ少なくなっただろうが、相変わらずの元気な子どもの声を聞くと、自分がここにいたことを思い出す。

ふと脳裏に蘇る少年がいる。5年生だったと思う。その日、私たちは体育の授業で校庭にいた。突然「キャーッ」という悲鳴が聞こえた。彼の体に蜘蛛がとまっていた。彼は振り払うこともなく、ヒャーヒャーわめいていた。その事件を境に彼は「カマ」と言うあだ名がついた。彼は別段傷ついている様子はなかったし、根が明るい子だったためか、「おい、カマ」と呼ばれれば、普通に「ん?」と返事をしていた。

それからというもの、蜘蛛や虫を発見する度に、わざわざ彼に見せに行くヤツらが現れた。人が嫌がるのを面白がる低俗なヤツらだ。どの時代にも、子どもの間に存在する幼稚ないたずらだ。彼のお約束のように「やめろよぉ」と力の抜けた応対からして、今思えば、蜘蛛を見せて喜ぶバカどもの幼稚な行動に辟易していたのかもしれない。

彼は優しく、穏やかな少年だった。字も絵も上手だし、手先も器用だった。男の子特有の粗暴な面も彼にはなかった。そのせいか女子には好かれていた。

彼が性同一性障害だったのかはわからない。しかし、それが医学的に疾患として認識されているのを30年前の子どもたちは知らない。無知であるがためか、当時の子どもたちは、時には幼稚さを通り越し、残酷であった。

しかし、当時の子どもたちは常に一人をいじめのターゲットにするという陰湿さはなかった。いじめられる子も、何か秀でたことがあれば、それはきちんと認められていた。まったく泳げなくて、プールの時間はいつも泣いていたとしても、成績が良ければ「アイツは頭がいい」ということを、周囲もきちんと敬っていた。貧しいながらも、弟や妹の面倒をよく看ていれば、ちゃんと敬意が払われていた。嫉妬心から陰険にいじめることはなかった。

さて、カマと言われていじめられていた彼だが、ルックスは悪くなかった。頭も良かったし、何より運動ができた。だからいじめる側も徹底的にいじめることはなかった。

ある休日。私の家は小学校が近いこともあり、校庭の遊具で遊ぼうと学校に行った。

その時、彼が校庭を黙々と走っていた。私に気が付き、はにかんで手を振ってくれた。私も手を振りかえした。しかし、何の言葉を交わすこともなく、私は遊具で遊び、彼はひたすら何周も何周も校庭を回っていた。

あれから30年。帰省時にふらっと校庭に行くと、その時の彼を思い出す。あの時、彼はいじめられる事から脱出するために、ものすごく努力をしていたのかもしれない、と。

勉強ができたのも、家では人一倍勉強をしていたのかもしれない。実際、彼は進学校に進み、良い大学に行ったと噂に聞いた。

真意はわからない。ただ、あの日の彼の黙々と走る姿は、自分の置かれた残酷な状況からの這い上がろうとするたくましさを映し出していた。もしそうだとしたら…彼はをれを見事に遣って退けた。

あれから校庭の遊具のほとんどが変わった。生徒数も変わった。しかし子どもたちのはしゃぐ声と、チャイム音と、彼が走り続けていたトラックはずっと変わらない。

posted by Sue at 19:00| Comment(0) | TrackBack(0) | 干物女の行水 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2013年04月26日

「やらなくちゃいけない」ではなく「やりたいかどうか」だ

世間的に言えば更年期障害が発生する頃に差し掛かった私であるが、突如として、やりたい事が湧いてきた。
そこでふと思う。何かをするときに、一番大切なことは何だろう?

企業であれば「利益」であることは言うまでもない。しかし利益だけを目的とするなら、いくら儲けがあれば企業は満足するのだろうか?

私たちも利益を主な目的にしていないだろうか?車、家、服、おいしい物、家電、土地…。しかし、お金で買える物は、次から次へと新型が出てくる。お金で買える喜びは、果たしてどの辺りで永遠の満足が得られ、どの辺りで欲求を打ち切るのだろう?

若さ、健康、愛、才能、友情…お金で買えないものも含め、私たちは常に貪欲に求めていく。哀しいかな、人間はそういう生き物であり、ずっと追い求めてきた。それで生活も発展してきたのだから、それはそれでいいのかもしれない。

しかしそれを繰り返す事で、他人を羨ましがったり妬んだりもしてきた。そんな妬みが諍いをお越し、やがては戦争に発展した。その戦争は果たしてどの辺りで満足が得られたのだろう?誰が満足したのだろう?それで幸せになった人はいたのだろうか?そもそも、やるべき事だったのだろうか?

人は何かをする時に、その意義を求める。利益であり、ストレス発散であり、喜びであり、快楽であり、共有であり、安心であり。わざわざ意義を引き出して自分自身を納得させているのかもしれない。すべては自己満足の世界なのかもしれない。

ならば…それをするかどうかを迷った時は「やらなくちゃいけない」でも、「やったほうがいい」でもなく、「やりたいかどうか」で決めるのはどうだろか。「やりたい」と思うだけで幸せな気持ちになるし、どんなに辛くても、苦しくても、続けていける。

やりたい事に年齢制限などない。だから他人を気にする必要も、儲けを気にする必要も、他と比べる必要もない。

「やらなくちゃいけない」でも「やったほうがいい」でもなく、「やりたいかどうか」が一番大切だと思ったら、どんな事でも踏み出せるかもしれない。何かが変わってくるかもしれない。



posted by Sue at 09:49| Comment(4) | TrackBack(0) | 干物女の行水 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2013年04月25日

夢という種にまく肥料

この年になっても世間からのご意見を受ける。凹む。そして再び歩き出す。

思えば、その繰り返し。ドッカ〜ンと落ち込んだこともあるし、泣き腫らしたこともあるし、本望ではないこともしたし、中断したこともあるけど、それでも逃げないように踏ん張ってきた。そしてこれからも、そうしながら、自分の道を歩いていく。

それができるのは理解してくれる人がいるからであり、根性なしの私一人だったら、すぐに逃げていただろう。生きている間は社会や人間に揉まれ続けるのが人間。それでも支えてくれる人がいたからこそ、私たちは生きてこれた。

もし人は…
自分の望み通りのように生きることができたとしたら?
望んだことが楽に手に入ることができたとしたら?

今や成功へのノウハウ本もたくさん出ているし、実際に無一文から大富豪になったり、大成功している人もたくさんいる。しかし、そんな人たちも人知れず苦労をしているのは言う間でもない。

人は望んだものを手に入れるために、痛い目に遭ったり、辛い思いをしたりする。望みへの過程に起きるそういったマイナスなことがあるから、手に入った時には、一際喜ぶ。が、何よりそのマイナスが人を成長させているのだろう。

だから苦しければ苦しいほど、哀しみを知れば知るほど、辛ければ辛いほど、これからの人生に活きてくる。その辛さは「夢という種にまく肥料」とでも言おうか。どんなに大枚をはたいたところで、この夢の種も肥料も買えない。

今抱えている苦しみは、やがて大輪を咲かせるためのもので、決してお金で買えない、とても貴重な「肥料」なのだ。

だから夢を持とう。それに向かっている間に降りかかる苦しみや哀しみから逃げないようにしよう。

…などと自分に言い聞かせ、辛いことがっても胸を張って歩こうと思います。

posted by Sue at 07:54| Comment(6) | TrackBack(0) | 干物女の行水 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2013年04月17日

人は誰でも苦しみがある

昨日は慢性耳鳴りにひどく悩まされた。大きく響き、外音が聞き取りにくい。なんだかものすごい脱力感。イライラしてアキラにあたってしまった。

正直言うと、やがて音が聞こえなくなってしまうのではないか、という不安がある。テレビや音楽も、風も、雷も、雨音も、アキラの話声も…。それを考えるとものすごく怖い。

西洋医学に見放されたこの病。リラックスすることが一番いいと言われても、うまく力を抜くことができない。力を抜くことで、人から指摘されるのも怖いし、怠けることに後ろめたさもある。いや、ただの貧乏性なのかもしれない。

思えば世の中には様々な病を抱えている人がいる。私のように耳を患っている人もいれば、目を患っている人、内臓を患っている人、皮膚を患っている人、歯を患っている人、神経を患っている人…。病だけではない。夢に向かっている人に立ちはだかる障害、困難。自分の力だけではどうにもできない難問。

夢や病種は違えど、同じような苦しみを味わっている人は必ずいる。決して一人じゃない。

自分以外の人は完璧に見えるけど、実はみんな同じ。辛いのは自分だけじゃない。それを支えあって生きていくのが人間の特権。その特権を神様から与えられたのだから、不必要とする完璧な人間などこの世にいやしない。

辛くても苦しくても、人は希望を見出して生きていく。どんな辛いことがあっても笑っていられる。人はそれができる。なんて健気でいじらしんだろう。

ならば私も立ち上がろう。どうせ付き合っていかなくてはならない病なら、せめても、少しでも、気楽に、もっと言えば楽しく付き合っていけないものだろうか。その方法は必ずどこかにあるはず。

夢も、病気も、人への想いも、あきらめたら、そこですべてが終わる。かなうまでには時間はかかるだろう。いい時もあれば悪い時もある。悪い時は投げ出さずに、じ〜っと我慢してみる。きっといい時がくるから。時は滞ることなく、常に流れている。それに費やされる時間に無駄などひとつもない。

まずは決心する。「あきらめない」と。






posted by Sue at 14:16| Comment(0) | TrackBack(0) | 干物女の行水 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする