2013年04月05日

人と人との距離

先日、隊長がおもしろいことを言っていた。

「アドベンチャーレースでは、チームがまとまっているとメンバー間の距離が狭い。チームがギクシャクするとメンバー間の距離が広がる。その距離は、その時のギクシャク度合に比例する。前方にいるメンバーが後方のメンバーとの距離を短くするためにペースを落とすと、後方メンバーもなぜかスピードを落とす。逆に前方メンバーが後方メンバーの後ろの回ると、後方メンバーはスピードを上げる。だから距離は一向に縮まらないんだよ」。

なるほど。それは社会生活でも同じかもしれない。磁石のN極同士がくっつかないように、人間関係もある程度以上は踏み込めない。そこには見えない防御壁みたいなのが存在するように思うのだ。平成になってからは、いわゆる「近所の世話好き」という人を見かけなくなった。それも、その防御壁が厚くなったからかもしれない。

人と人は、どれくらいの距離があるだろう?

5歳の娘とは事あるごとにムギュ~(抱きしめること)をする。歩くときは手をつなぐ。しかし、彼女が成長するにつれ、それもしなくなるだろう。少しずつ距離が生じる。親にとって寂しい現実でもあるが、彼女が独り立ちしている証拠でもあると喜ぶべきであろう。

友達とはどうだろう?信頼する友とは1か月に数回連絡を取るくらい。頻度は少ないが、会う度に深い話ができる。毎日深い話をしていたら、きっと私たちは互いが重い存在になり、付き合いも息切れしてしまう。これが私たちの適度な距離なのだろう。

人と人との間には必要な距離があり、その距離は縮まるべき時には自然と縮まり、離れるべき時には自然と離れる。無理に縮めようとしたり離れようとしたら、ギクシャク度は徐々に増していき、やがて疎遠になり、最後は絶縁という遠距離になる。さだめられた距離は無理に縮めようとせず、縮まる時を待てばいい。

さて話をアドベンチャーレースに戻す。レース中、4人の距離も縮まったり、広がったり。それを数日間繰り返す。一旦離れた距離も、最後に縮まれば4人揃ってゴールできる。

明日はイーストウインドのPER2013報告会。過酷な状況下、4人の距離にどう変化があったのか。そんなところも聞いてみたい。

イーストウインドのPER2013報告会は席に若干の余裕がありますので、お申込みはお早目に。

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2013年03月30日

TJAR実行委員会

トランスジャパンアルプスレース(TJAR)2014が始動した。新たに2名を実行委員に迎え、あわせて9人の実行委員でTJAR2014に挑む。

レースの規模の割に実行委員は少ない。なかでも山に入らない私が、どうしてここにいるのか?いてもいのか?とも思ったが、まだ実行委員もない時代であったTJAR2004から隊長が出場している関係で、このレースの壮絶さと意義を知り、自分なりに選手を支えていく方法があるはず、と考えた。

それから出産、育児という、実行委員をするにはマイナス要素を抱えたが、実行委員会はそれを受け入れた上で、私に居場所をくれている。だから精一杯やる。

TJAR2012は細かい課題は残ったにせよ、選手たちに事故もなく無事に終了した。選手数も増え、テレビ撮影が入り、いつもとは違ったTJARになったのは言うまでもない。ゆえに、選手の気持ちにも何等かの影響はあっただろう。しかし、どんな状況下であれ、力を最後まで出しれる切れる舞台を作ることは、大会実行委員の冥利に尽きる。

そして「こんなとてつもなくデカい大会をたった7人(2012までは7人だった)でよくできたものだ」と改めて思う。全員ボランティアであり、金銭的な利益はない。では、どうしてこんなことができるのか?

もちろん、大きな箱(会場)は要らないし、選手数も少ない。しかし、長期間にわたり大自然の中に選手たちが放り込まれているのだ。いくら腹をくくったとはいえ、大会期間中、実行委員の心中は穏やかではない。最後は選手を信じるしかない。そのために厳しい選考会が課されているのだ。

私たち実行委員は、互いを尊敬し、信じあっている。それが会議やらメールのやり取りから、ひしひしと感じるのだ。内容はハードであれ、その空気がとても気持ちいい。

団体に加盟人数が多ければどこかで摩擦が起きる。自分の意見を押し通そうと思う人も出てくる。考え方や性格が合わないという人も出てくる。徐々に互いへの尊敬は消滅していく。金銭が絡めばなおさらだ。お金の価値感は人それぞれ。

いわばTJAR実行委員には「金銭的利益」はないが、「自己存在意義」がある。

これには面倒な課題であっても決して逃げない飯島浩実行委員長の姿があるからだろう。彼には大きな負荷がかかるが、それでもひとつひとつ丁寧に対応する。その実直な姿勢が実行委員たちを惹きつける。これこそが団体トップのあるべき姿なのかもしれない。

そんな飯島実行委員長の背を見て、各実行委員が自分の持ち場に責任を持つ。TJAR発起人の岩瀬幹生さんは豊富な経験をひけらかす事もなく、それをアドバイスとして使い、後は自分の役どころに徹する。人は自分の経験を比較に持ち出すことが往々にしてあるが、岩瀬さんは謙虚に、上手に使いこなす。

だから実行委員全体に「自分のすべきことには責任を持つ」という意識が浸透していく。「あれはあの人の担当だから知らない」などの言葉は、この実行委員会には存在しない。担当外であろうと、自分ができることはフォローし合っていく。それがあれだけの大会を、少数でやっていける秘訣だろうと感じる。

今までの経験上、なかなか他の団体ではなかったことだ。団体であると、どうしても人任せにしてしまうことが多い。それではいけないと、自分が責任を持ってやり始めると、かえって「あの人がやってくれるから」と負荷が一人に偏り、理想である「全員が責任を持つ」というところまでいかない。

人の考えは様々。経験や過去も異なる。だから人の気持ちはとても複雑にできている。社会生活で戸惑うことはある。どうしたらTJAR実行委員会のようにできるのか?今回もこの実行委員に所属して、色々と勉強していこうと思う。そんな機会が与えられたことに感謝。今回も精一杯やろうと思う。

TJAR2012が本になる!

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2013年02月16日

チームは化学反応

以前、我が家にアメリカから友達が遊びにきた時のこと。

彼は某有名ビジネスコンサルティング企業に勤めているエリートサラリーマン。日本に留学経験があり、日本語も流暢に使いこなす。私はその時に知り合った。もう15年以上の付き合いになる。その彼が、隊長と私におもしろい話をしてくれた。

ビジネスにおいて最も大切なもののひとつに「チームワーク」というのがある。一人ずつの力は微力でもチームになるとその力を発揮することも少なくない。もちろんチーム競技の世界にも通じる。

あるアメリカのプロバスケットボールチームがあった。ある日、オーナーが大枚をはたいて最強のプレーヤーを他チームから引っ張ってきた。

その選手のおかげでチームは得点を稼ぎ、強くなっていった。が、監督はあることに気がついた。チーム全体が得点をその選手に頼ってばかりで、他の選手が動かなくなった。

それどころか、チームがよく見えたのは最初だけ。次第に不和が起き始め、とうとうチームとしては崩壊してしまった。

もし、自分が監督だったら?
強い選手と合わない選手を辞めさせ、合う選手を引っ張ってくる?
もっと強い選手を引っ張ってくる?

その監督がとった措置は、せっかく大枚をはたいて入団させた最強選手を解雇したのだった。その結果、チームの和はめきめきと良くなり、その年はとても良い結果を出したということだ。

さて、友達は続けてこういった。「タイチョウ。チーム ハ カガクハンノウ デス。メンバー ヨニン ナラ ヨニン ノ カガクハンノウ ガ アリマス。モシ ソノ カガクハンノウ ガ ウマクイカナケレバ バクハツ シマス。シカシ カガクハンノウ ガ ウマクイケバ キット スゴイブッシツ ヲ ツクリマス」。

どんなに強い選手であろうと、化学反応を乱せば、そのチームには不要な選手なのである。逆にそこそこの力量である選手であっても、その選手を入れることで、強いチームになることもある。それを正しく見極めるのが監督やキャプテンの役割と彼は言う。

以来、私は隊長とチームという化学反応について話をするようになった。すでに19年もレースを続けている隊長は、次第に化学反応が読めてくるようになったようだ。

さて、今回のパタゴニアレースでのカギはヤマキーだと私は思っている。 一見、天然とも言えるくらいふんわりとマシュマロのような感じだけど、中学から親許を離れて生活している彼の芯は強い。

「今回は優勝を狙う」と公言し、グイグイと攻めの姿勢を見せる(であろ)隊長とヨーキ。「レースに対する不安もある」という海外レース初挑戦のあけちゃん。この3人は性質は異なるが、化学反応を起こすのは、さほどに時間はかからないだろう。

しかし、ふんわり型のヤマキーがいつこの反応に加わるか、そして加わったらどんな展開になるのか、それが楽しみで仕方ない。

11チームでスタートしたレースは5日目にして既に4チームとなった。疲労、睡眠不足の上に悪天候が覆いかぶさる。現在、カヤックの夜間行動禁止区間に差し掛かった後続2チームは、2年前のレースと同じく、強風が止んで主催者より待避命令が解除されればスタートできるという、なんとも歯がゆい展開になってきている。

幸い、トップのAdidasとイーストウインドは、ここを時間内にすり抜けている。このまま行けば一騎打ちとなる。差はある。しかし、あきらめなければ、その差は縮む。あきらめるな。イーストウインドにとって、ここからが正念場だ。

1人の学反応も欠けてはいけない。4人の化学反応があってこそ、トップの背に追いつき、追い越すことができる。だから思い切り反応させてきて欲しい。

がんばれ!超・がんばれ!!

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2013年02月10日

アドベンチャーレースは旅である

アドベンチャーレースはいろんな事を教えてくれる。けれどそれが教えてくれる事を受け取るも拒否するも自分次第だ。

アドベンチャーレースはレースゆえ順位を競う。が、レース中は観客もいないし、手持ちのライト以外には電灯もないし、もちろんレストランやコンビニだってない。たった4人で未踏の地をさまようのだから、ある種の回峰行かもしれない。

そう言えば、レースから帰ってくる度に隊長は微妙に変わっている。とても僅かな変化であっても、話の端々で考え方が変わってきていることが読み取れる。

世界的にスピードを求める最近のアドベンチャーレースの中で、パタゴニアレースは、初代アドベンチャーレースのレイドゴロワーズ(フランス人主催)ように、とても冒険的で、その名の通りアドベンチャーだ。

5年前、主催者だったアンが日本にプロモーション活動で来た時、「日本チームに出場してほしい」と、わざわざみなかみ町まで足を運んでくれた。その時に見せてもらったレースのビデオで、まだ初期のアドベンチャーレースの真髄を受け継いでいるレースが、本当の冒険レースが、この最果ての地にあった事に身震いした覚えがある。

隊長も同じことを思ったという。「パタゴニアレースは日本人の気質に合っている」と彼は言っていた。欧米人に比べ、日本人は体も小さいし、アウトドアスポーツにも慣れ親しんでいない。しかし昔から回峰行はあるし、起伏の激しい国土の中を人々は歩き通していた。冒険的な旅ならば日本人にも合っている。

十分な睡眠や食事を摂らずに厳しい旅をしていると当然ストレスが溜まる。そのストレスを発散すべく自動的に当たり所を探す。通常の生活であれば様々な発散法もあるが、旅の最中に発散する場所などない。周りには制御できない自然とメンバーしかいない。ストレスがたまり始めると、メンバーの一挙一動が気になってくる。

嫌悪、嫉妬、利己、怒りで自分の心を制御できない時に、人は正しい判断力を失う。チーム内のもめごとはそんな時に起きるのだ。

アドベンチャーレースという小さな回峰行を行い、果たして聖人となれるか?聖人と言うにはおこがましいが、細かいことは目をつむり、あえて言わせてもらうとしたら、ひとつの旅でもあるアドベンチャーレースが終わった頃、その旅で教えられた事を受け入れた時、聖人に一歩近づくのかもしれない。「聖」の字には「耳」と「口」がある。極限の中でも人の話に耳を傾け、正しい見解を口に出せれば、ゴールは見えてくる。

パタゴニアレースのスタートまであと2日。今年はどんな冒険になるだろう。

Patagonian Expedition Race 公式サイトはこちら

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2013年02月08日

私自身のレース

間もなくPatagonian Expedition Raceが始まる。

イーストウインドは、昨年2位まで上り詰めた。一時はチップチームの背を捕えた。その時のことをトップチームの選手は「後ろにイーストウインドの影が見えたとき、正直とても焦った」と言っていたと記憶する。

フィールドに立つ選手たちは時間、自然、主催者、他チームと競う。アドベンチャーレースの課題だ。しかし彼らが戦っているのは時間でもなく、自然でもなく、主催者でも他チームでもない。彼らが本当に戦っているのは「己」なのだ。

疲労、痛み、睡魔、渇き、寒さ。極限状態に陥った時、横にいるメンバーが足を引っ張るとなれば、そのメンバーに対して湧いてくる怒りとの戦いになる。背後にチームが見えた時は冷静さを失うこともある。そこにトップに立つことへの重圧がのしかかる。

私には4人が感じる外敵はいない。それでも戦っている。4人と同じ船に乗り、同じ方向を向き、同じ目的を目指している。

私にできることは限られている。ならば限られたことを精一杯やろう。彼らの勝利を精一杯信じよう。彼らの勝利を強く信じることが私の戦いなのだ。

先日、師と仰ぐ友人にこう言われた。
「隊長と出会う前からのSueを知っているオレにとって『行ってらっしゃい』と見送ったSueの、Sue自身のレースがそこから始まってる。いつもSueは見送る側にいるけど、オレはそれがSueのレーススタートだと思うんだ」


posted by Sue at 16:16| Comment(0) | TrackBack(0) | 干物女の行水 | 更新情報をチェックする

2013年02月01日

パタゴニアレースに向けて

イーストウインドのパタゴニア遠征の日も近づいてきた。

今回で4回目となるPatagonian Expedition Race。4回目とは言え、もちろんコースは毎回変わるし、天候、状況、特性も異なる。そしてメンバーも異なれば、心情も異なる。選手にとっては毎回新鮮であり、大勝負であり、命がけであり、その一瞬一瞬が人生に影響を与えている。

今回レースに共に参戦する田口あけちゃんとヤマキーも、それぞれの想いを背負ってスタートラインに立つ。新しい世界に踏み入った二人。そんな二人の手を引く隊長とヨーキ。それはパタゴニアという地だけではなく、もっともっと深くて大きくて長い旅である。

そして四人を待つ人たち。無事でいることは当たり前。その上に果てしなく大きな何かを掴んで帰ってきてくれることを願う。だから笑顔で送り出すことができる。

四人は支えてくれる人を日本に置いていくのではない。支えてくれる人の心を深くて大きくて長い旅に背負っていくのだ。

このレースの最大の難点は主催者である。ともかく運営がいい加減。だからレースの最中にルールも、装備も、コースさえも変わる。しかも選手に告知なく。そして読めない天候と自然の猛威がさらに追い打ちをかける。

ならば、どうしてそんなレースに出るのか?

自分でコントロールできないことに、いかに順応していくかが自分を成長させるからである。社会の中では「や~めた」で済むことが、このレースではそうはいかない。すべてを受け入れ、順応していくしかないのだ。だから彼ら四人は益々強くなる。ならざるを得ないのだ。

だから、ね。

先のとおり、レースはルールもコースもコロコロと変更する。日本のようにルール重視の環境にいれば当惑することばかりだろう。もちろん他のチームだって当惑している。

勝負はその時。

「ありえない、できない、無理」なことは皆同じ。無理なことを言い合っても前に進まない。ありえないことを数えてもレースタイムは止まらない。愚痴ならばレースの後で私がいくらでも聞いてあげる。

その時、自分には何があって、何ができるのか。それを出し合って行ってほしい。あなたたちは、たった四人だけど、その背中には大切な人がいつもいるから。

※レース出発は2月3日。スタートは12日。情報をできる限りの集めてイーストウインドのHPにアップしていく予定です。

posted by Sue at 06:43| Comment(0) | TrackBack(0) | 干物女の行水 | 更新情報をチェックする

2013年01月23日

貨物列車

近所に踏み切りがある。一日に数本しか通らないが、一旦遮断機が下りるとかなりの時間、開かない。

駅に近いその踏切は、電車が駅を発車する前から下り、通過した後もなかなか上がらない。貨物列車ともなると遮断機が下りている時間はカーステレオから流れる曲がフルに聞けるほど時間を要する。急いでいる時は貨物列車に出くわさないことを祈る。

先日の買い物の帰りのこと。踏切でちょうど警報機が鳴った。遮断機が下りて上がるまで、アキラのお気に入りの童謡なら最後まで聞けるだろう。夏ならエンジンを切るところだが、外気温が氷点下ではエンジンを切ることをためらう。

待つこと1分。貨物列車が見えてきた。「はぁ」。たった数分なのに、数時間もそこにいる覚悟をした溜息。冷凍物が溶けちゃう。

悠々とした態度で貨物が目の前を通りかかった時、人の貴重な時間を盗るヤツの恨めしい態度をイライラしながら目をやる。

問答無用に前を通り過ぎる貨物列車。突然、あの日のことを思い出した。
東日本大震災。

震災が起きた後、しばらく物流が寸断された。私たちの町でも長い列を作ってガソリンや灯油を待った。幸いにも物は買えたため、物品を持って現地に赴くプロジェクトが結成された。

現地から帰ってきた隊長の言葉は想像を超えるほど過酷なものだった。ともかく現地には物がない。そんな状況がしばし続いた。

そんなある日、近所の踏切で貨物列車に出くわした。この貨物列車に、どれだけ期待を寄せたことか。「どうか東北まで無事に届けて!」そう願った。

その路線は新潟に続く。でも、どこ経由であろうと構わない。ともかく東北に…そんな想いだった。

しばらくして燃料タンクらしき物を積んだ貨物に出くわした。「ありがとう。本当にありがとう」。遮断機が下りてるいる間ずっと頭を垂れて泣いた。

あの時、貨物列車が長ければ長いほど、うれしく思った。1時間でも喜んで待てるほど貨物を眺めていたかった。

あれから時間が流れた。今では数分待つ貨物に苛立つ。忘れかけていたな~、あの時の貨物への気持ち。震災前も震災後も貨物列車は変わらなくて、ただ見る側が良かったり悪かったりと都合をつけてるだけなのに。

私たちが生きていくことも同じかもしれない。善し悪しを自分の都合で決めていないだろうか。人間関係はどうだろうか。人の善し悪しを自分の都合で決めていないか。

「あんたが良く思おうと、悪く思うと、どうでもいいよ。自分はいつもすべきことを精一杯やる」通り過ぎる貨物列車に言われているようだった。





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2013年01月14日

東京タワーにて想うこと

私の敬愛する夫婦のお宅にアキラと私で一泊旅行。渋谷区にある彼らの家の付近は夜も眠らない。お日様とともに寝起きをする私たちにとっては異国である。

「東京観光をしよう」ということで、彼らの自宅から比較的近い(と言っても東京は公共交通手段が発達しているから、どこに行くにも近いように思うけど)東京タワーに行くことになった。東京タワーは中学の修学旅行以来だ。

中学生の時「東京タワーからは世界のすべてが見える」と思っていた。三河地方の商店街で育った私にとって、東京は憧れの場所だった。テレビで流れるものはすべてここから配信されている。アイドル達もここにいて、お店も、遊ぶところも、美味しいものも、ともかくなんでもある。そう、「なんでもある、すごいところ」だった。

そんな憧れだった東京タワーを真下から眺めた。あれ?東京タワーってこんなんだったっけ?なんだか東京タワーが年を取ったように見える。次世代のスカイツリーができたからなのか、あの時より自分が大人になったからなのか。そこにはあきらかに存在する「時」という魔法が目の前のデカい憧れを小さくしてしまったような感じ。

なんだか少し寂しい気持ちで展望台へ行くと、しぼみかけていた気持ちが少し膨らんだ。夕暮れに、そこから見た景色はあの時に憧れたままだった。

哀しい事が新聞、テレビ、インターネットのニュース欄を埋め尽くすこの国だが、それでもこの国の夕暮れはこんなにも美しい。神様は愚かな罪を犯した人間が住むこの国も、最後の一瞬までちゃんと照らしてくれる。
yakei.JPG

空は水色から茜色に代わり、そこからすぐに群青色になった。それが濃くなれるにつれ東京の街はますますキラキラしていった。
みなかみ町の夜の空は深い濡羽色になる。そこに星がきらめく。
東京の夜は濃い紺色になるが濡羽色にならない。キラキラ輝く無数の光が東京タワーの足元に絨毯のように広がり、光の海を作っている。その光が空に映し出されるのか、私の目には同じ色に見えない。

ある日、娘が教えてくれた事を思い出す。
「ねえ、おかあさん。どうしてお空と海は青いか知ってる?お空は海が大好きだから海色に、海はお空が大好きだからお空色にしてるんだって」。

いずれにしても東京の夜景は芸術的なほど美しいと思う。
そしてそんな芸術を見ていて思うのだ。「一粒一粒の光の中に、どれだけ多くの涙があるんだろう」と。

その昔、自分の力を試してみたい!と東京に出ることを憧れた時もあった。お金さえあれば何でも手に入る国(ひとつの「国」と言えるほど、当時の私には大きい場所だった)、何もかもがある国だと思っていた。

群馬に越して、愛知より少し近くなって(住居環境は離れたけど)、そこに住む知り合いもでき、仕事などで足しげく通うようになって、憧れの国を少しずつコマ切れで見るようになった。

そのコマ切れをまたコマ切れにしてみると、その小さなコマの中にも無数の悔しさ、嫌悪、嫉妬があることがわかってきた。あの美しい光の中には、どれほどの人々の欲望や哀しみが織り交ぜられているのだろうか。もっと拡大して見れば、この小さな一粒の光のために命を絶った人もいる。「この光はすべて虚飾されていて、その美しい光には、それ以上に流れた涙がある」と思うと、東京の夜景を怖いとさえ感じる。そんな事を思う私は負け組なのかもしれない。

足元にある小さな一粒の光を作るのに汗だけではなく、血や涙も混ぜて作られたものを「綺麗」と感じているとしたら、私はどれだけ罪深き人間だろうか。どうかこの光は人々の汗や希望の賜物であってほしい。

そんな事を思いながら見た東京の夜景は、ため息がでるほど美しい。しかし私はライトを消すと何も見えなくなる濡羽色の夜の方が好きだ。見下ろしても何も見えないが、見上げると無数に輝く星がある。それは人が血や涙を流すずっとずっとずっと前からあるもの。あの東京タワーで見た夕暮れと同じく、神様が最後の一瞬まで輝きを与えてくれる星々。

星が出始める頃、いつも娘が言う。
「おかあさん、ほら、きらぞら!」

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2013年01月07日

年賀状に押し込んだ1年

送られてきた年賀状を見ていると、その一枚一枚から差出人の1年の様子が伺える。

そうは言ってもハガキという小さな枠の中に1年の出来事など収まるわけがないが、それでもその小さい枠から、その人との関係を再認識することができる。

そんなハガキサイズに押し込んだ昨年の出来事を見ながら、ふと考えてしまうことがある。
「私はこの人たちの何をどこまで知っていて、どこまで正しく理解しているのだろうか」

多くの人はコンプレックスを抱える。そしてそのコンプレックスを石膏で固める。しかし、いくらガチガチに固めたところで、ふとした瞬間に鋭い刃で貫かれてしまうときがある。

タイトルは忘れてしまったが、ある本に「ムカっとくるときは、隠しておいた自分の嫌な部分に触れられたときである」とあったのを思い出した。

普段、何を言われても穏やかな人が、ある一言で激昂することがある。周囲を「そんなことで?」と思わせる事であっても、その人が誰の目にも触れないように石膏で固めたコンプレックスを尖った刃で突いてしまったのだ。偶然に。

もちろん突いた側に悪意があったわけではなく、むしろ良かれと思って伝えた言葉に過ぎないとしても、突かれた側の傷は深く、そしてそれが芯に達している場合、いくら悪意がなくとも嫌悪になることもある。

人が人を注意したり、物申す機会は多い。仕事でも部下を育成していくためには注意をすることも必要だし、学校教育や友達関係もしかり、育児は毎日がその繰り返しである。

しかし気を付けなければいけないことがある。その人の性格や人格までもを否定する言葉である。

私たちは、他人が今まで経験してきたこと、育った環境、命がけで守ってきたモノなど、知らないことが多い。増してや心の奥深くに石膏で固めたコンプレックスなど知る由もない。人生を半分以上連れ添った夫婦ならともかく、新婚や恋人ですら数枚分のハガキサイズのその人しか知らない。

「いじめ」も同じ。その子のことを何一つ知らないのに、見たままの一コマだけを掻い摘んで攻撃する。そして何一つ知らないその子の生い立ちに対しても、自分とのその差異をいじめの武器にする。

それが大人社会に入っても続く。部下と自分の経験値や環境と比べ、その差異で仕事のできるできないを決める頭の悪い上司。最近では、部下がそういうことをする場合もあるらしいが、それこそ「先輩の何を知っているのだろう」である。学校で起きるイジメの質となんら変わりない。

私もこの年になると人に注意をすることも出てくる。特に娘には毎日何かを注意している。そして、つい「のろい」「おしゃべり」「怖がり」などと、性格を否定してしまうことある。4歳児には普通の行動であっても、親はわが子の「大人みたいにできない事」に苛立ち、つい否定的な言葉を口走ってしまう。これこそが、娘がやがて持つかもしれないコンプレックスを形成させているのかもしれない。そう思うと、子育ての責任と重圧を強く感じる。

そういう娘だって人の石膏を突いてしまうこともあるかもしれない。既に出てくる4歳の子どもの無垢な質問は、大人にとっては辛辣な質問であることもある。今はまだ無垢な言動として許されることも、物事の分別がついてくる頃には笑って済まされなくなる。

突いたことで怒りが出るだけなら、まだマシなのかもしれない。「なんだ、あいつ!」で済めば、まだいいのかもしれない。多くの場合は、そこで止まり、そこで踏ん張って、そこで考え、そこから成長していく。

最も怖いのは、割れた石膏からジクジクと膿が溢れ出し、傷がどんどん広がり、やがて手の施しようがない程までに開いてしまう事である。

石膏を突くだけなら、ただのストレス発散であり、低レベルで陰湿なイジメと変わりない。しかし良かれと思い、その人の人格や性格を突くのであれば、その人の生い立ちや経験、抱えてきた哀しみ、守ってきたもの、そして未来…その人の傷を背負う覚悟が必要である。

もし偶発的に突いてしまったのであれば、その責任を負いながら、共に傷を治していく事に従事する必要がある。

な~んて、深く深く考えてしまった年賀状の整理作業。
私が考えるほど人はそんなに弱くないし、もっと前向きだし、もっと温かい。実際、そんな優しくて温かい人は周りにいくらでもいる。「周りはそんな人ばかりだ」と言ってもいい。

しかし、せっかくの新年にそんな無駄なことを考えたのなら、今年はひとつ、その無駄な考えをテーマにしてもいいかもしれない。

「私はこの人の何をどこまで知っていて、どこまで正しく理解しているのだろうか」




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2012年12月31日

2012年を振り返り

2012年も今日で閉幕。例年のごとく仕事に忙殺される時もあり、育児に悩む時もあり、人間関係に悩む時もあり、病いに苦しむ時もあったが、今年は比較的に穏やかな年だった。

こうしてみると1年は早いもので、スノーブーツとジャケットを脱いで薄着になったかと思うと、生命を脅かすような猛暑が訪れ、「暑いね」と言っている間に周囲の山々が黄金の紅葉と化し、一面が白くなると再びスノーブーツとジャケットを引っ張り出す。あっという間だ。

今年も多くの人に出会ってきた。そのほとんどが素晴らしい人たちで、日々頑張り、豊かに笑い、そしてどこかで傷つく。私も傷つき、傷つけてきた(と思う)。

しかし1年前の喜び、怒り、感謝は忘れている。人間の脳は、時間の経過とともに過去の痛みを忘れていくようにできているのかもしれない。そうやって人は成長しているのかもしれない。

傷ついた心は次第に癒えて薄くなっていくが、厄介なのは、傷つけたことはずっと残ることだ。傷つけることは、自己防衛であったり、ストレス発散であったりもするが、何一つ良い結果を生むことはない。「あの時は仕方なかった」と自分を正当化したところで、結局すっきりすることなどない。

ネットが普及してきてから、人は益々無機質な物となり、冷たくなってきた。見えないところでの悪口や書き込みは卑劣さを通り越して、血の通う人間が無機質な機械に操作されてしまった哀しい結果に思えるのだ。そうして人はどんどん冷たくなってくる。

人は人を傷つけてしまうものなのかもしれない。傷つき、傷つけて生きてきた。意図せずに。

それでも私たちは血が通い、温かいハートがあり、人を敬い、助け合い、笑顔になる。無機質な機械が蔓延っても、人はそれに負けない力を持つ。

今年1年、私も傷つけてきた。それは仕事関係であり、友であり、そして何より大切な家族であった。それは鋭い痛みとして心に残っている。家族に与えられた傷はすっかり癒えているというのに。家族とはそういうものかもしれない。

そんな今年を反省して迎え入れる巳(蛇)年。古来より、脱皮をすることから「復活と再生」を連想させ、餌を食べなくても長く生きることから「神の使い」として崇められてきた。蛇は恩を忘れず、助けてくれた人には恩返しをすると言われている。

過去に傷つけた事を反省し、助けてくれた人に恩返しする年にしていこう。



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2012年12月27日

歯車の人生

最近、自分は大きな世界の中にある小さな歯車のような存在であることをしみじみ思う。

以前は自分のアイデンティティを探していた。自分の自己重要性を求めていた。周囲全体がそれを求める雰囲気もあり、負けたくなかった。

その答えを出す手段として私たちは人と比較をしていた。それは数値にも出るし、もっとも分かり易いし、社会の基準ともなるし、自己判断の基準ともなる。それがどんなに息苦しい手段であろうと社会は関係ない。比較することで自分のアイデンティティを誇示し、やがて比較がゲームのようになり、今度は中毒のように比較対象を求めるようになった。息苦しいとは解っても、次第にその息苦しさにも慣れる。人間は何にでも慣れることができる生き物だ。

しかし最近、そんなことはどうでもよくなってしまい、自分はただの歯車でいいと感じているのだ。競争社会に追いつけない負け犬と言われるかもしれない。しかし、負け犬とは少し違った感覚。

世界の人口は1分に137人、1日で20万人、1年で7000万人増え、1年で1万6000人が亡くなるそうだ。現在の世界人口は70億8000万人以上。これだけの人でこの世界は成り立っている。ひとくちに70億8000万人と言えど、そのひとりひとりが誰かに愛され、掛け替えのない命であることは間違いない。

人の命を約80年としよう。たった80年という短い時間である。争っている時間はない。ましてや領土なやら権利やらなどで他人と争っている時間はない。そんな時間があるなら、大切な人が喜んでくれるような事に時間を費やした方がいい。

果たして社会における私の自己重要度はいっこうに上がっていない。しかし娘にとっては、私の持つ数値など無意味で、ただただ大切な存在。父と母にとっても掛け替えのない命であり、隊長にとっては共に苦労しながら、笑いながら、泣きながら、励ましあいながら一緒に年を重ねていく大切な存在でろう。

だからね。社会的な数値は低くとも、大切に思ってくれる人のために歯車としてその人生をまっとうすることも大きな大きな意味のあるように思うわけ。

「人が何をするか」ではなく「自分は今、だれのために何をするか」を考えると、歯車の重要性をしみじみ感じる。自分を幸せにするための歯車がどこにあるかを探す事より、自分こそが歯車であり、そこに存在する大切なものを発見したような感じなのだ。


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2012年12月22日

バッチ博士の遺産

威張れることではないが、私は友人が多いほうではない。しかし、その少ない友人の中でも、奥底に仕舞った自分を分かってくれる芯の友人がいる。それは胸を張って威張れることである。

この秋、その友人に会った。年に一度会えるかどうかの友人は、ふんわりとした不思議な力を持ち、心の奥底に仕舞い込んでガンジガラメに封印しておいた心の痛みの袋の紐をやわらかくほどく能力がある。

友人によって私の心の痛みの袋口が小さく開いた瞬間から、怒涛のように汚い言葉が出る。うまく言葉に表せていないのに、その友人はゆっくりと、真っ直ぐにこちらを見て聞いてくれた。

その後、彼女から一冊の本が届いた。「バッチ博士の遺産」。医学者であるエドワード・バッチ博士は「病は生活習慣を教えてくれる。自分の犯している過ちを正すため、体が教えてくれている。病を取り除くには、手術ではなく、生活習慣を見直す必要がある」と説く。ナチュラルセラピストである彼女が大切にしている一冊で「今のSueに読んでほしい」とメッセージが添えられていた。

送ってもらってから時間が経ってしまったが、読み始めたら一気だった。
人は生きている上で、様々な困難に遭う。仕事、生活環境、対人関係…。しかし「この困難にはすべて意味がある。自分の過ちを正すために与えられた課題だ」と博士は言う。

せっかく封印した痛みを引き出すのは怖い。嫌だ。見たくない。しかし、それを真正面から見つめることで、すべては自分の中にある問題であることを思い知らされる。

たとえば「『憎しみ』がある人は、心に孤独を抱えていて、その孤独の寂しさが抑制できな暴力感情、脳神経の騒乱、ヒステリー状態といった症状を引き起こす。『傲慢』は、心の思い上がりであり、それが体を硬直させ、身体的、精神的に害を及ぼす」と、バッチ博士。

「私たちが悪とか誤りとかと呼んでいるものは、場違いなところにおかれた善である。人への干渉は病気を作る役割になる」ともある。あの人は正しいとか間違っているとか、そんな裁きをすること自体が無駄であり、無意味な裁きを訴えることで、自分の体を痛めつけているのかもしれない。

子育ても同じ。親は子に道徳を教え、保護するのが義務。親の願望通りについ作り上げることが子育ての目的ではない。子どもを支配したい、という強欲な気持ちが、親だけではなく子どもの体の不調の引き金となる。

人にはそれぞれ悩みがある。そんな悩みから解放されて生きていけたら、どんなに楽なことだろう。しかし、私たちはこの世に生まれた時から、様々な困難にぶつかるように定められている。そんな暗黒の世界をいかに正しく生き抜き、浄土に行くために修行するというのが仏教の教えである。仏教的観念から言えば、困難に出遭うのは当たり前と考えておいたほうがいいかもしれない。

だからバッチ博士の説くことは、私たちが少しでも楽に生きる手段のひとつであると捉えられる。

バッチ博士に従って自分を癒す力を身に着けるには時間がかかりそうだが、説いていることは腑に落ちているゆえ、ゆっくりだが、きっとできると確信している。

今年、そんな友人と再会したことは偶然ではなく、必然だと思えるのは、耳鳴りの調子が少しよくなってきている(ように感じる)から?かもしれない。


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2012年11月30日

優しさは連鎖する

先日、愛知より戻るため、娘とふたりで新幹線に乗った。

新幹線に慣れない私は「当然、先頭車両と後方車両は自由席」と思い込み、先頭車両の16号車に乗った。連休明けの月曜日ともあり、新幹線はかなり混んでいた。荷物やらすれ違う人やらでごった返す車内。蒸し暑い。アキラも少々不快な様子。

そんな中で空いていた2座席をやっと見つけ、腰を下した。後ろの人に声をかけ、アキラの座席を倒す。「席があってよかったね」とアキラに声をかける。ほっとするのも束の間「あの~…間違ってません?」と年配のご夫婦に声を掛けられた。ん?しまった、指定席だった!!

「すみませんでしたっ!間違えましたっ!!」と慌てて座席を元に戻し、荷物を持ち、アキラの手を引いて一路自由席へ。車内販売のお姉さんに「自由席、どこですか?」と聞くと、アキラを見て眉毛を下げ「…1~5号車なんです」と申し訳なさそうに言う。え~!そんな後ろなの!?

確認せずに乗ったのはこちらの落ち度。歩こう。16号車から満席状況が続く指定席を抜け、空き空きのグリーン車を抜け、そして5号車に到着。混雑した車内を、荷物を持って、子どもの手を引いて歩くのは意外と疲れる。

案の定、自由席も込み合っていた。とは言っても2列シートには1人とその人の荷物が、3列シートには真ん中を空けて両端に座る人ばかりで、人数的には多くない。そういう配列が延々と続き、結局1号車にたどり着いても同じ状況が続いた。

仕方ない。2人乗りのシートで、片方に荷物を置いてない人の隣に座り、アキラを膝に乗せた。2時間もこの体制はツライが、子どもを立たせておくよりいい。

ほっとしたのも束の間、今度はお兄さんに「あの~…代わりましょうか?」と声をかけられた。彼は3列シートの真ん中空きの通路側に座っていたらしく、アタフタとやってきた私たちを気の毒に思ってくれたのだろう。なんと優しい人だろう。見た目は20代後半から30代前半というところ。

せっかくの好意。「ありがとうございます!助かります!」とお礼を言って、そのお申し出を喜んで受理した。混雑した車内で声をかけるのって少し気恥ずかしいとも思う。しかし、この人の行動は私たち母子をどれだけ助けてくれたことか。アキラはゆたりとおやつを食べたり、塗り絵したりと、おとなしく座っていてくれた。

席に着いてしばらくし「あのお兄さん、本当に優しいね。きっとあのお兄さんも、大変なことがあったら、誰かが助けてくれるよ」と娘の耳元で言うと、彼女は何かを思い出したように「おかあちゃんの言ってた通りだね」と言った。ん?何のことだ?

その数日前、ショッピングモールに買い物に行った際のこと。
お歳暮の販売特設会場を通りがかった時、「ちょっとお伺いしますが…」と年配の女性が声をかけてきた。実家の母と同じくらいの年齢だ。特設会場で試食担当のようで、黒いエプロンをしていた。

「ここから駅まではバスが出てると思うんだけど、バス停はどこか、知ってますか? 何行きのバスに乗ればいいかわかりますか?」とのこと。お仕事でここまで派遣されたようだ。

このモールは駅から離れている。車で来る人がほとんどだ。私も実家から歩いて行ける距離にあるため、バスを利用したことがない。バスは数種類が周回しているため、初めての人には分かり難い。分かる範囲で答えてみたものの、あまりいい加減なことを言ってもよくないと思い、結局他の人に聞いてみる、ということになり、その場は収まった。

しかし後味がどうにも悪い。その時、娘が「あのおばあちゃん、ちゃんとお家に帰れるかな」とつぶやいた。そうだね。心配だね。

娘とサービスカウンターに行き、駅に行くバスとバス停を聞き、時刻表をもらった。そして念のためにバス停を確認しに行き、そして特設会場に戻った。女性は試食コーナーに立っていた。

サービスカウンターで聞いたことと、バス停の位置を説明し始めると、女性は「あなた!それをわざわざ…」と声を詰まらせた。そして一通り説明を終えると、おばあちゃんは、何度も何度もお礼を言ってくれた。

娘はその話を思い出したのだ。「困った人を助ければ、今度は自分が困った時に誰かが助けてくれる。それはグルグルってずっと続くんだよ」と言ったのを覚えていたのだ。

1人席であれ座れたんだからいいじゃん。バスなんて知ってる人に聞いた方が早いじゃん。そう思えばそうだ。それはお節介なのかもしれない。人によればウザい行為になるのかもしれない。

しかしお節介も、たまにはあってもいい。個人保護法などが横行し、ますます薄くなっていく人情。お節介のありがたさを強く感じるこの頃だ。

そんなことを思いながら、私たちは上毛高原駅まで戻った。駅ではカッパクラブのじゅんじゅんが、家路への足のない私たちを迎えに来てくれていた。ここには、じゅんじゅんの優しさがある。ありがたい。もし誰かが足がなくて困っていたら、今度は私がお迎えに行こうと思う。

優しさは連鎖していく。





posted by Sue at 06:53| Comment(0) | TrackBack(0) | 干物女の行水 | 更新情報をチェックする

2012年11月23日

ロウソクのような人

今日、友達のお義母様(84)の告別式に参列した。帰郷中の出来事だったため、慌てて母に喪服や靴を借りた。母と娘の服のサイズが合うというのは、こういった時に便利である。

実家が商売をしていたこともあり、亡くなったおばあちゃんは、よくウチに買い物に来てくれていた。おとなしくて、品の良いおばあちゃんだった。表に立って目立つこともなく、穏やかな口調で優しく話しをする人だった。

葬儀場の担当者が彼女の人生をかいつまんで読み上げる。いつ、誰と誰の間に生を受け、戦争時代を耐え忍び、何年に誰と結婚し、何人の子どもを育て、どのように生きたか。そんな彼女の人生の大半を、私は知らない。

ただ「穏やかな人だった」という印象が残る。しかし、それは決して薄くない。友達のお姑さんというだけで、おばあちゃん自身とそんなに親しいわけではないし、私が群馬にお嫁に行ってからは、ほとんど顔を見ることはなくなった。

のだが…。故人の「いつも穏やかに微笑んでいた」という印象は、かなり強烈に残る。

こういう印象で昇天されたというのは、その人の生前の人柄を物語る。私は、そんな印象を残せるだろうか?娘には「怒った顔お母さん」としか印象に残らないとしたら…。隊長には「不満顔の妻」としか印象に残らないとしたら…。

周囲の人はどうだろう?私の顔はどんな印象なんだろう?

ふと目を向けた先にロウソクが灯っていた。どこだったか忘れたが、寒々した長い渡り廊下で見た「ロウソクは 自身を削って 辺りを灯す」と書かれた張り紙を思い出した。ロウソクは心静かに、穏やかに周囲を明るくする。電気のような派手さも明度もないが、何とも言えぬぬくもりがある。自分自身を溶かして、ぬくもりを与えるのがロウソク。その言葉に胸を撃たれたような感覚があり、今でも覚えている。

「おばあちゃんは、ロウソクのような人だった」そんな気がする。そして自分もそう在りたい、と願う。自分がこの世界を発つ時は、ロウソクのような人になっていたい、と願う。

村上春樹の小説にある一文『死は生の対極としてではなく、その一部として存在している』。彼女の残した印象も、また存在している。

おばあちゃんのご冥福を心よりお祈り申し上げます。

posted by Sue at 19:16| Comment(4) | TrackBack(0) | 干物女の行水 | 更新情報をチェックする

2012年11月20日

豊富な選択肢は創造力を破壊する?

穏やかで暖かな小春日和、アキラと、カズ(アキラと同じ4歳の男の子)と、よっちゃん(カズのママ)と公園に行った。

公園はとても広く、子供たちには魅力的な遊具がたくさん設置されていた。アキラはその公園が大好き。開放的だし、子どもが多いし、何といっても遊具が充実している。

遊具はアキラの年齢で「ちょっとハードだけど挑戦して楽しいもの」がラインアップされている。子ども心だけではなく親心までもくすぐる。アキラよりうんと小さい子も楽しそうに遊ぶ。

しかし、アキラはほとんどの遊具が怖い。滑り台とブランコくらいはどうにかなるが、手の込んだ遊具は皆目ダメ。「アキラは、ホントにチキンなんだから」とよっちゃんに言うと、「カズもなんです」と答える。普段は勢いが良く、男の子らしいカズでも怖いらしい。

そんな怖い(?)遊具があふれる公園で、カズとアキラはかくれんぼをし始めた。なんとレトロな!隠れる場所を探すにも一苦労の広大な公園で、二人は思い切り走り回る。

ふと見渡すとカズとアキラ以外に走り回っている子はいない。みんな巨大でチャレンジングな遊具で遊んでいる。ふーん。なるほど。これだけ遊具が充実しているというのに、それには目もくれないでただひたすら走り回る二人は、どうせ遊べる遊具の選択肢がないんだから、ならば、どうやったら楽しく遊べるかを創造してるんだね。そもそも、そういった事を創造する力は、どの子どもにも備わっているはず。子どもは遊びの天才だもん。

子どもたちの遊具だけではない。私たちの社会は選択肢が豊富にある。衣、食、住、ライフスタイル、趣味、生活品、金融機関に至るまで、社会生活にネットが踏み込んでからというもの、その選択肢は無数のごとく増えた。便利になった。今やネットが無くては生活できないくらいだ。しかし選択肢が多くなることで、失ってしまうことも出てくるのではないだろうか。

遊具の選択ができない子どもたちは、彼らなりに楽しく遊ぶ工夫を生み出す。しかし、もしその公園に4歳児用のゲーム機が設置されてたら?それでもカズとアキラは、遊具に目もくれず、二人だけの遊びを考えて走り回っていただろうか?

ゲーム機は怖くない。むしろ楽しいだろう。しかし「友達と遊ぶ=ゲーム機」が普通になってしまったら、何もないところから楽しさを生み出す子どもたちの天才的能力は、そこで断ち切られてしまうかもしれない。

選択肢が飽和している現代だが、与えられた中だけから選択するのではなく、自分で創造する力は、より豊かで強い未来を創る。そんな力を育むのが親の役目でもあろう。

さて、こちらは大人の社会。
衆議院総選挙が間もなく始まる。今回の選挙はともかく政党が多い。選択肢が多すぎる。しかし多い割には政策に大差はない。ご当人たちに言わせたら真っ向異なるのかもしれないが、日々家族の世話で手がいっぱいの主婦には僅差としか思えない。一介の主婦がそう思ってしまうのには、政治家やマスコミの説明が不明瞭である事に一理ある。

総選挙がゲームのように思える。ゲームの中では強い弱いのキャラクターもあるだろうし、それぞれ得意技もあるだろうが、ゲームをまったくやらない私にとっては、キャラなどどれも同じ。

選挙となれば、世間的に名の通ったタレントを擁立させるという、有権者をバカにしているかのような政党すら出てくる。

どの道、その差がわからないのであれば、自分なりに正しいと思う事を選択していくしかない。それには与えられた選択肢からだけではなく、自分で考える「創造力」を養うことも大切であろう。


…などと、ぼんやり思いながらも、今夜のおかずすら思いつかないほど創造力が欠如している私でありました。

posted by Sue at 22:40| Comment(2) | TrackBack(0) | 干物女の行水 | 更新情報をチェックする

2012年11月11日

苦手は慣れる

好きなことはいつまでもやり続けられるし、時間もあっという間に経つ。逆に嫌いな事をしている(させられている)最中は時間の経つのがどんなに遅いことか。

しかし、どんなに嫌いな事でもやらなくてはいけない時がある。学校の授業においては音楽、体育、英語、理科…苦手な科目があってもやるしかない。

私は小学校の時、肥満児で体育が苦手だった。走力もなく、逆上がりもできず、運動という運動は何であろうとクラスで最下位だった。

中学に入り、どういうわけがバスケット部に入部した。未だに理由は覚えてない。おそらく直感だったんだろう。入部当時は玉拾いとランニングをひたすらやらされた。ランニングの終盤は競争で、ここでドベだと更に一周という罰が課される。当然のことながら私は毎度みんなより一周多く走っていた。

どうしてもラストから脱出できないことが悔しかった。これまた部活動で悔しい想いをしていた友達(彼女は体操部)と二人で部活後に校庭を何周も走った。

そのうちに走力がつき、中学3年の時は校内マラソン大会で準優勝した。また市民マラソンに当中学校から代表選手に選ばれ、アンカーを務めた。

嫌いな物を好きになる事は結構難しい。しかし、やり続ければ見方が変わるかもしれない。ランニングの経験はそんな事を教えてくれた。

複数の種目をこなさなければいけないアドベンチャーレースも人それぞれに苦手な種目がある。「自分はこれが苦手だから」と自己限定しがちだが、それをあえて挑戦し続けること、練習し続けることでその種目に慣れ親しむことができ、結果、海外レースでは他チームと互角に戦えるのだ。

人間関係も似た部分がある。
「あのタイプは苦手だから」と最初から自己限定せず、ありのままを受け入れ、話かけるのを続けてみれば、その人を理解できるようになる、かもしれない。

さて。
我が家の窓からも見られる紅葉一面の山々。その景色もそろそろ終わる。これが終わると紅や黄の葉が落ち、そして雪が積ってすべてが白で覆われる。私の苦手な冬がやってくる。

この地に越してき10回以上も冬を迎えるが、いまだに膝まで積もる雪の中の生活に慣れない。いや、慣れようとしていないだけ。雪が嫌だから実家(愛知県)に逃避すること毎冬。

しかし、これほどに四季折々の美しさを見せる里山生活は、大変な分、たくましさが身に付く。オカシイもので多少の雪が降れば、あらゆる交通機関がマヒしてしまう実家の環境が、今では弱々しく見えてしまうのだ。

と思うと、この10年で少しは雪の生活に慣れたのかな。


jimny2.jpg
冬、朝になると愛車がこうなっている。


2003.1.4_M棟.JPG
「つらら」は階上から階下まで伸びる








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2012年11月04日

初・トレラン合宿にて想うこと

愛知県知立市からみなかみ町に嫁に来たのは11年前のこと。

嫁ぐ前は自分で稼いだお金の使途は自由。交通機関も便利だった。名古屋に出ればおしゃれなお店もたくさんあって、週末ごとに開拓した。友達と雑誌で紹介されたレストランにランチに行った。通りがかりの映画館で、たまたま上映中の映画を観たりした。

そしてみなかみ町へ。どこに行くにも車が必要、近所に友達もいない、買い物すらどこに行っていいかわからない、お休みの過ごし方もわからない、映画館もない、スキーやスノーボードもしないから雪が降るとひたすら家に籠った。隊長が長期で遠征に行くと、ひとりぼっちが不安で「帰りたい」と幾度か思った。

やがてカッパクラブの仲間たちと出会い、アウトドアが何かを学び、アドベンチャーレースを仕事とし、少しずつではあるが地元で知り合いもでき、新しい町での生活も徐々に慣れてきた。

そして11度目の秋を迎えた今年、CISVで活動してた時の仲間を迎えた。20年来の仲間で、当時はCISVを通して共に青春を謳歌した、大切な大切な友達。

当時、まったくアウトドアと縁のなかった私たち。なのに、なぜだか彼らとランニングチームを作る事になり、本人の同意もなく隊長を監督に祭り上げ、最初の合宿場所をみなかみ町とした。チーム名は「チーム・ブカツ」。

ド級な初心者向けのランニングコースを隊長に教えてもらい(当の隊長はエジプトで取材のため留守)、合宿を試みた。ほとんど人のいないそのトレイルは、まさに紅葉真っ盛りで、一面に広がる黄色の落ち葉の絨毯の上を走りながら、そのフカフカした感触や頭上に広がる紅や黄色の自然を楽しんだ。

この10年で私がちょっぴりだけど身体で覚えた山での生活を、彼らは感じたのか「Sue、山の人になったね」と言った。その言葉で、改めて自分がこの地の民になったんだと実感しながら、フカフカした落ち葉から視線をあげてみた。

目の前にあるのは雄大な岳。燃えるような紅色。じきに真っ白になる。やがて白の中からポツポツと緑が出始め、上着を脱ぐ頃にはゆでたてのブロッコリーのような碧々になる。

日本の四季は人の生涯を表わしている。

種から芽を出しす春は出生から幼児期。たくましく、力強く、まっすぐに育つ。
その葉をもっとも美しく輝かせる夏は青年期。恋愛や仕事など意欲的に取り組み、親としても成長していきながら、一段と輝きを増す。
今まで積み重ねてきたことがゆっくりと紅く熟成していく秋は壮年期。その積み重ね(紅色)はゴールドにもなる。
そしてすべてを白で覆う冬は老年期。人生終盤を静かに、そして美しく迎える時期である。それまでに起きた万事を優しく受け入れるその瞬間は、ダイヤモンドダストのごとく光り輝く。人生の集大成のようだ。

今の私は夏から秋に入るところにいる(あくまでも自己判断です)。ゴールド色の秋。
変動する貨幣価値と異なり、世界貨幣の基軸でもあり、不変と言われるゴールド。どんな事であれ、それまでの経験すべてはみなゴールドに値する。そう、金メダルなんだ。

やがて訪れる老年期に、ダイヤモンドダストの輝きを放てるおばあちゃんになっていたい。

自然はたくさんの事を教えてくれる。そんな事を身近に感じられるみなかみ町は、人が生活する上での便利さより、もっともっと大切な事を与えてくれているのかもしれない。

この町がとても好きになってきた。

え?「で、トレイルランは?」ですか?
う~ん、そうですねぇ。チーム・ブカツの仲間たちと楽しめればExcellentかな。

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2012年10月17日

『伊豆アドベンチャーレース』から『X-Adventure』へ

『伊豆アドベンチャーレース』は、がんばってきた事の集大成。
辛かった事もあったが、今にして思えば、このとてつもなく大きな挑戦が私を育ててくれた。
このプロモーションビデオを見る度に初心にかえり、また頑張ろうと思える。関わった中でも珠玉のレースである。

伊豆アドベンチャーレース2002



伊豆アドベンチャーレース2004



伊豆アドベンチャーレース2005



そして来年、この大会を上回るレースを生み出すべく、新たな挑戦が始まる。
『X-Adventure』
すでにその準備は始まっている。伊豆アドをグンと上回るレースにしてみたい。

small_white X-Adventure_logo.jpg

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2012年09月13日

自分で出したゴミは自分で片づける

「ゴミはゴミ箱へ」当然のこと。4歳の娘だってゴミはゴミ箱に捨てる。そして知恵がついてくるにつれ、今度はいかにゴミを出さないようにするか、を学んでいく。

アドベンチャーレースは幾日間も自然の中で動き続ける。行動食などのゴミも出るが、当然それは自己責任であり、持ち帰りが当たり前。万が一、捨てたり落としたりしたらレース失格という厳しいペナルティが課される。生態系を守るため、排泄物ですら持ち帰る大会もある。ゴミもかさ張れば重量になり、レース結果を左右することもある。

ゆえに選手は、レースのスタート前から、いかにゴミを出さないようにするかを考える。例えば、隊長の工夫。シリアルと粉末ミルクをジップロックに入れる。水を入れれば食べられる、というようにしておく。また柿ピーなどの袋売りされている物はペットボトルに入れて、随時食べられるようにしておく。

他国の選手も工夫している。長いフランスパンをザックに差し込んで、ちぎっては食べ、ちぎっては食べ。なるほど、時間に無駄がない。また、ミックスナッツを入れた大き目のボトルにノズルを刺し、それを逆さにして、ノズルを口の辺りに持ってくるようにザックに括り付ける。いわば小動物のエサ入れのような物を作った選手もいた。これなら走りながらも食べられて、ハンガーノックを防ぐ。

ともかくゴミは出さない。アウトドアマンの鉄則であり、自然界にない物を持ち込むことに対し、各自が責任を持つ事は当たり前のことである。

さて、原子力発電によって作られるプルトニウムも自然界には存在しない元素。恐ろしいほど毒性の強いものである。私たち人間が「便利だから」と言って、後先の事を考えずに生み出してしまった原発のゴミ。

思えば原発もネットと同じで、なければないで生きていけるが、一度その蜜の味を知ってしまうと、ないと不便だと思ってしまう。そして双方とも使い方を間違えると人間の心に潜む闇を剥きだす恐ろしい物体だ。

今の日本は生活水準から言ってエネルギー源は少ない。ゆえに、石油など他国に頼らざるを得ない状況だ。しかし、いくら経済発展のために原発を生み出したとはいえ、ド素人ながらに「お上は危険性より経済を重んじたのかな?」と思ってしまう。

お上が親で、私たちが子どもたちとしよう。「ボクたちよりお金なの?」と、ついつい言いたくなる。いくら親が「あなたが一番大切」と口では言っても、結局、その行動はお金のためであり、事実上、子どもを犠牲にする。ただの口先だけで行動が伴わなければ、いつかは信用されなくなる。

そんな子どもたちに託したのは、プルトニウムという毒性たっぷりの化学物質のお掃除だ。親はゴミを出すだけ出して、子どもたちには掃除を押し付ける。どこにそんな親があっていいものか。本当に子どもが大切ならば、今、私たちが作り出す物は、子どもたちにとって、その孫の孫の孫たちにとって、真に良いものでなければならない。

自分のゴミは自分で始末する。4歳児も普通に行う。そして知恵がついてくるにつれ、今度はいかにゴミを出さないようにするか。それを教えていくのも私たち大人の責任である。

posted by Sue at 06:57| Comment(0) | TrackBack(0) | 干物女の行水 | 更新情報をチェックする

2012年09月01日

起きる事のすべては自分の選択

自分にとって衝撃的であったり感動的である出来事は、結果がすぐに見えなくても、即効性がなくても、後々ボディブローのように効き目が出てくることがある。

先週末に初めて選手として体験したアドベンチャーレース。その場ではついていくのが必死ではあったが、終わってから見えてきたことがたくさんある。

ひとつは初めてのアドベンチャーレース参戦にてでも書いたように、アドベンチャーレースは私にとって天職ではないが、適職である事の認識。

そして、最近になって想うことのひとつは「人生で起こる様々な出来事は、人のせいではなく、すべては自分の選択にある」ということ。

先週末のアドベンチャーレースでは、何とも恐ろしいシングルトラックに遭遇した。これを越えなければゴールにはたどり着けない。選択肢はふたつ。ひとつは「このまま進む」こと。もうひとつは「ここで引き返してリタイヤを宣言し、迎えに来てもらう」こと。ここで2つ目の選択肢はなかった。どうにも自転車に乗車できななら、担いで降りる。今、自分が最大限にできる事を考えて実行する。それしかない。それは私が決めたこと。私の選択だった。

歩くことさえ危ないと思える登山道らしき道を、タックとあけちゃんの力を借りてなんとか降り切る。この負荷も二人が私の選択に対して「最後まで一緒にやろう」と決めたこと。当然、時間が莫大にかかり、この場で最下位は確定となった。

しかしアケちゃんもタックも「Sueさんのせいで」などと一切口に出さない。常に「大丈夫、大丈夫!楽しみましょう」と言って精神的なフォローに出る。

マウンテンバイクのセクションで上り坂に入ると、タックは何も言わずに牽引ロープを私の目の前に垂らす。着けるか着けないかは私の選択。そして「着ける」と決めたなら、なるべくタックに負担をかけないように、精一杯こぐ。足を休めない。牽引するタックも最大限の力を出す。

そして痛くて、深くて、高くて、果てしなく続く藪。「すみません、藪漕ぎをさせてしまいました…」と地図読み担当のタックが言った。しかしこれはタックの責任ではない。そもそも地図をタックに任せっぱなしにした私の責任でもある。私は「タックが地図を読む」ことを選択したのだ。

このチクチクした藪も、恐ろしいシングルトラックも、すべては私の選択から始まったのだ。

人に罪をなすりつける事で、その場では精神的にラクになる。しかし、それは一時に過ぎないし、そもそもそんなことでは何の成長にもならない。何か起きたらまた人のせいにして逃げ出す。その技が身に付くだけで、成長や進化はひとつもない。

これから私たちは、もっともっと高くて厚い壁(課題)に突き当たるだろう。その度に「あの人が悪い」と決めつけてしまえば、一度はそこで終わるように思える。しかし、すべて自分が選択した道の上にある以上、その壁は終わる事はない。

今、目の前に起きている事のすべては自分の選択である。誰のせいでもないのだ。ならば責任を持って立ち向かうしかない。

レースを終えて1週間。漠然とそんな事を想う日々。

しかし…やはり冷蔵庫のガリガリくんが少しずつ減るのは、どうしても「隊長のせい」としか思えない。あ~悪妻愚母よ、日々精進せよ。


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写真:後方のブッシュから生還した直後の私たち

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TJAR2012が放送されます!
『金とくスペシャル 激走!日本アルプス大縦断 ~トランス・ジャパン・アルプス・レース2012~』
平成24年9月21日(金)午後7:30~8:43 NHK総合(名古屋放送局、金沢放送局、静岡放送局、福井放送局、富山放送局、津放送局、岐阜放送局、長野放送局)

posted by Sue at 13:46| Comment(0) | TrackBack(0) | 干物女の行水 | 更新情報をチェックする