チリから帰国して1週間後にナミビアに行くことになっていた隊長。
「時は来た」
と言い出した。始まった。はいはい、欲しいのね、スマホ。しかし、自分だけ替えるとなると私が不機嫌になることを察知してか、
「あ、Sueさんのも替えよう」
って。気を使って言ってるんだろうけど、なんだか私のスマホ切替は「オマケ的扱い」な気がしなくもない。
機械に生活を支配されたくはない、と常々思っている。たまに電車に乗れば、半分以上の人がスマホで何かを観てる。この光景が途轍もなく怖い画に思えて仕方ない。ちょっと前なら文庫本やらスポーツ新聞を8つ切りくらいに畳んで読んでたのが、今やどれも似通った端末になっている。何かに憑依されてるようで、ゾクッとする。
機械は使う側次第で善にも悪にもなる。うまく使えば、仕事の範囲も広がるし、生活も潤沢になるし、友人との交流もスムーズになる。機械に支配されるのではなく、機械を利用するのだ。よし、わかった。切替えよう。必然的に私も機械と対決する時がきたのだ。
そんなわけで、私たちは携帯電話ショップに行った。平日の昼間というのに、ショップは混んでいた。スマホ機種を選ぶのに5分。待つこと20分。切替の説明を受けること4時間弱。その間、娘はショップに陳列されたスマホやらiPadやらのサンプルでゲームをして待つ。丁寧に説明をしてくれるのは有難いが、内容の8割はチンプンカンプンだ。もう隊長にお任せ。好きにしてくれ、私の分は。
なんとかスマホを入手し、帰る頃には、娘はすっかりゲームの達人になっていた。
スマホを入手した翌日、隊長はARJS岐阜長良川大会に出向いた。私は誰にスマホの操作方法を聞けばいいのか(と言っても、隊長に聞いたところで解るわけもないけど)。そうか。この手の流行機をプロ級に操るのは女子高生だ。
ということで、近所の女子高生Aちゃんにご教示いただく。イライラ、ボケボケする私に対し、Aちゃんは優しく丁寧に使い方を教えてくれる。あぁ、この子はきっと良い嫁になる。介護も笑顔で引き受けるに違いない。今度お寿司でもごちそうするからね。あ、回ってる寿司だけど。
ご教示を一通り受けた後、気が付いたらスマホの呼び出し音が掲示されていた。しかも同じ人から幾度か。いつの間に?かけ直そうと思うのだが、なにせ時間がかかる。モタモタ。そうしているうちに、今度は違う人からかかってきた。ARJS岐阜長良川大会にいるはずのKさんからだ。そう言えば、幾度も電話をくれたSさんも岐阜にいるはず。何かあったのかな。
電話に出るや否や、Kさんが言った。
「あ、Sueさん?田中さんに代わるね」
ん?どうした?なぜ、自分の電話からかけてこない?何かあったのだろうか。レースを主催する側としては、複数の着信には敏感になる。
「あのさー、スマホの操作方をみんなに聞きまくってるんだけど、ID忘れちゃって。僕のID覚えてる?」
知らん!!他人のIDなんか覚えてる時間があったら、電話の掛け方を覚えてるっての!そんな余裕など、今の私には一切ございません。
「いや~、レースに来てるのに、スマホの取扱いでみんなを巻き込んじゃって(笑)今日一日、これで終わっちゃったよ~。はははは」
あーた、皆様に迷惑をかけないためにスマホを買ったんちゃうん?
それでもスマホ。やっとスマホ。きっと何か楽しいことが待っている。GWも近いし(連休とスマホは関係ないけど)。使っているうちにきっと慣れるさ。ラインとか、メッセンジャーとか、聞いたことしかなかったソフトが使えるし、これでママたち間の情報も後れを取らずに済む。ちょっとずつ前向きになってきたぞ。あ~、よかった、よかった。しあわせ、しあわせ~。
そんな前向きになった翌日、新聞にこんな記事があった。
『フランシスコ・ローマ法王は、バチカンのサンピエトロ広場に集まった約10万人の若者信徒らに向けて「幸せは携帯電話(スマートフォン)のアプリではない」と語り、「持つ者は幸福」という物質主義に陥らないよう呼びかけた。
その上で「幸せは携帯電話にダウンロードするアプリではない。最新版を手に入れたところで、あなた方が自由になり、大人になるのを手助けしてくれるわけではない」と述べた』
地球上に12億人の信者を持つローマ・カトリック教会の最高司祭であるローマ法王。そこいらの偉い方々と桁が違う偉大なお方というは重々承知だ。
でもね、あえて言わせていただけるのなら、勇気を持って一言だけ言わせていただきたい。
「法王様、今、それ言うかな・・・」