2016年05月11日

愛車のドクター

 私の住む町では車が生活に欠かせない。買い物に行くにも、病院に行くにも、学校に行くにも、クラスメートのお家に遊びに行くにも車。愛知県にいた頃は、公共交通機関の便もよく、友達の家も、スーパーも、病院も、レストランも、衣料店も徒歩圏内にあった。
 免許を取得してもう何十年にもなるが、実家ではほとんど運転することはなかった。たまに必要な時は、父親の車を借りるくらい。それで事足りた。

 しかし、みなかみ町は「車がないと生活が不便」と聞き、嫁入り道具のひとつとして、車を購入することになった。車にこだわりなど一切ない私としては、車種は何でもよかったのだが、観に行った中古車屋さんでジムニーを発見し、隊長がなぜか、そのジムニーを強く推薦。走行距離48000キロほどのジムニーWILD WIND。
「いいじゃん」
何も考えずに即決。

 隊長はアドベンチャーレースをする前、車大好き青年だった。いわゆるドリフト族ってやつ。終業後、ボンネットを開けては部品をいじり、週末は仲間といろは坂に行ってはドリドリ〜っとやるのがライフワーク。それじゃ彼女とか、できないわけだ。
 その頃の彼の愛車はミラ。しかも、かなりの改造車だったとか。あんな小さなミラに隊長が乗ると、フロントガラスいっぱいが顔で、そのすぐ下にタイヤという画が頭に浮かんで仕方ない。気の毒だな、ミラも。

 アドベンチャーレースを始めてからは、自転車やらカヤックやらを積むため、バン(ホーミー)に替えた。もちろんド中古。私たちが結婚した頃は、このホーミーが活躍していた。
 よく「名古屋の輿入れは派手」と言われるが、私の輿入れは買ったばかりの中古ジムニーとホーミーの2台で終わった。当時、「名古屋から嫁が来るから」と、カッパクラブの故小橋社長の指示により、荷物を下ろす準備をしていたスタッフ一同。しかし荷物はあまりにもあっさり。搬入作業は15分ほどで終わった。
「あれ?グランドピアノは?」
真顔で聞かれた。

 ハイエースは、荷物を入れて移動するにはもってこいだが、細い道を行くには大きすぎる。そこで隊長が目を付けたのが四駆・マニュアル・ジムニーだったのだ。大切な嫁入り道具には、いつの間にか脱出器が装着されていた。どうりで強く推薦するわけだ。
「まさか、これで山道に入るつもりなのか!?」
予感はあたった。「レースのコースを調査する」と言う理由で、ジムニーと共にバック、切り返し不可能な、ものすごい山ん中を連れまわされた。
「じゃここから歩いてコースを調査してくるから、(地図で指差して)このポイントに車を回して待ってて」
「へ?私一人でここを運転して下りるの?」
拒否権なし。あざ笑うかのように鹿がピーッと鳴く。そんな事が何年も続いたが、それでも4点シートベルトに替えようとしたのは、何とか食い止めた。

 そんなジムニーはいまだに愛車として活躍中。たまに調子を崩すが、近所の修理工場のYさんに「またおかしくなりました〜」って持って行くと、すぐに治してくれる。そう言えば、真夜中に高速走行中、エンジンから煙が出てきて大慌て。Yさんに電話して状況を説明し、指示通りに誤魔化し誤魔化しで、Yさんの工場まで戻ったこともあった(後、Yさんに修理してもらって回復)。こうして嫁入り道具ジムニーは、軽自動車としては珍しく19万キロを超えた。

 隊長のバンは現在三代目。初代ホーミーは、厳冬のみなかみ町でまったく使えない二駆。いろは坂に行かずとも、自然ドリドリができた。当然のごとく、なんどもYさんの工場に持ち込んだ。しかし、最後は飛び出してきた鹿と衝突し、廃車。
 二代目バンは知り合いから買った白のハイエース。元々ファミリーカーとして使用されていたので、私と娘にとっては快適だったが、アドベンチャーに使用したため、想定より早く寿命を迎えた。
 三代目バンは紺のハイエース(現在)。このハイエースがかなり厄介。横っ腹に大きな錆穴があるわ、床から火を噴くわ、男子ロッカー臭が激しいわ。一度、コース調査で無理やり林道に入り、Uターンするスペースを発見できず、やっと見つけたわずかながらのスペースで試みるも、草に隠れた切株に追突。マフラーが折れた。折れたマフラーを引き摺って走行するのには難あり。致し方なく、足でマフラーを蹴り落し、暴走族のような爆音で帰ってきたこともあった(今は修理してマフラーは健在)。もちろん、すべて隊長の仕業だ。

 前2台は満足がいくほどしっかり乗った。いうなれば、最期まできちんと看取ったという感覚かな。それでも何度もYさんのところに連れていったから、Yさんは掛かりつけのカードクターである。そして今のハイエースも、言うまでもなく何度何度もお世話になっている。ディーゼル排気微粒子の除去装置もYさんに装着してもらった。走行距離は35万キロを越すが、快調だ。

 老体とも言っても過言ではない我が家のジムニーにハイエース。これらがいまだに走り続けているのも、Yさんのお蔭である。毬栗頭のYさんは、背が高く、人懐こく、年下の私に対しても腰が低い。工場に行く度にお茶とお菓子を出してくれる。思えば、Yさんは、私がこの地に来て初めてゆっくり話をしたジモッティである。

「旦那さん、すごいっすね」
Yさんは、いつも目をパチクリさせて隊長を褒めてくれる。のせ上手だ。こちらもついつい乗ってしまうので、すぐに1時間は経ってしまう。だからYさんのところに車を持って行く時は「時間があるとき」と決めている。
 お茶とお菓子をいただき、ひとしきりしゃべった後、さて帰ろうとすると、今度は手土産をくれる。チョコレートだったり、クッキーだったり。
「娘さんに」
Yさんは、ともかく気遣いの人だ。
 先日は隊長がYさんのところに行った際、リポビタンDをもらってきた。しかも1ダース。ほぉ。車好きの二人ゆえ、きっとマニアな話で盛り上がったのだろう。

 愛車ジムニー。何かある度、助けてくれたカードクターYさんは、先日、一足先に天国に逝った。あまりにも急なことだった。
 思えば、私たちは、まだまだYさんにお世話になり得る条件の中で生活している。他にも修理工場はあるけれど、お茶しておしゃべりするカードクターYさんはない。
 今日、YさんにいただいたリポDで献杯しよう。

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posted by Sue at 08:46| Comment(0) | 干物女の行水 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2016年04月29日

時は来た

隊長がチリに撮影の仕事に行った時のこと。現地でのスタッフ間のやりとりの手段は、もっぱらスマホだったらしい。搭載された位置ソフトが、かなり有効活用されたとか。ガラケー愛用の隊長は連絡に遅れを取り、皆様に迷惑をかけた事を後悔していた。いよいよ隊長も、スマホを持たねば仕事に支障をきたすようになった。

チリから帰国して1週間後にナミビアに行くことになっていた隊長。
「時は来た」
と言い出した。始まった。はいはい、欲しいのね、スマホ。しかし、自分だけ替えるとなると私が不機嫌になることを察知してか、
「あ、Sueさんのも替えよう」
って。気を使って言ってるんだろうけど、なんだか私のスマホ切替は「オマケ的扱い」な気がしなくもない。

機械に生活を支配されたくはない、と常々思っている。たまに電車に乗れば、半分以上の人がスマホで何かを観てる。この光景が途轍もなく怖い画に思えて仕方ない。ちょっと前なら文庫本やらスポーツ新聞を8つ切りくらいに畳んで読んでたのが、今やどれも似通った端末になっている。何かに憑依されてるようで、ゾクッとする。

機械は使う側次第で善にも悪にもなる。うまく使えば、仕事の範囲も広がるし、生活も潤沢になるし、友人との交流もスムーズになる。機械に支配されるのではなく、機械を利用するのだ。よし、わかった。切替えよう。必然的に私も機械と対決する時がきたのだ。

そんなわけで、私たちは携帯電話ショップに行った。平日の昼間というのに、ショップは混んでいた。スマホ機種を選ぶのに5分。待つこと20分。切替の説明を受けること4時間弱。その間、娘はショップに陳列されたスマホやらiPadやらのサンプルでゲームをして待つ。丁寧に説明をしてくれるのは有難いが、内容の8割はチンプンカンプンだ。もう隊長にお任せ。好きにしてくれ、私の分は。
なんとかスマホを入手し、帰る頃には、娘はすっかりゲームの達人になっていた。

スマホを入手した翌日、隊長はARJS岐阜長良川大会に出向いた。私は誰にスマホの操作方法を聞けばいいのか(と言っても、隊長に聞いたところで解るわけもないけど)。そうか。この手の流行機をプロ級に操るのは女子高生だ。
ということで、近所の女子高生Aちゃんにご教示いただく。イライラ、ボケボケする私に対し、Aちゃんは優しく丁寧に使い方を教えてくれる。あぁ、この子はきっと良い嫁になる。介護も笑顔で引き受けるに違いない。今度お寿司でもごちそうするからね。あ、回ってる寿司だけど。

ご教示を一通り受けた後、気が付いたらスマホの呼び出し音が掲示されていた。しかも同じ人から幾度か。いつの間に?かけ直そうと思うのだが、なにせ時間がかかる。モタモタ。そうしているうちに、今度は違う人からかかってきた。ARJS岐阜長良川大会にいるはずのKさんからだ。そう言えば、幾度も電話をくれたSさんも岐阜にいるはず。何かあったのかな。

電話に出るや否や、Kさんが言った。
「あ、Sueさん?田中さんに代わるね」
ん?どうした?なぜ、自分の電話からかけてこない?何かあったのだろうか。レースを主催する側としては、複数の着信には敏感になる。
「あのさー、スマホの操作方をみんなに聞きまくってるんだけど、ID忘れちゃって。僕のID覚えてる?」
知らん!!他人のIDなんか覚えてる時間があったら、電話の掛け方を覚えてるっての!そんな余裕など、今の私には一切ございません。
「いや〜、レースに来てるのに、スマホの取扱いでみんなを巻き込んじゃって(笑)今日一日、これで終わっちゃったよ〜。はははは」
あーた、皆様に迷惑をかけないためにスマホを買ったんちゃうん?

それでもスマホ。やっとスマホ。きっと何か楽しいことが待っている。GWも近いし(連休とスマホは関係ないけど)。使っているうちにきっと慣れるさ。ラインとか、メッセンジャーとか、聞いたことしかなかったソフトが使えるし、これでママたち間の情報も後れを取らずに済む。ちょっとずつ前向きになってきたぞ。あ〜、よかった、よかった。しあわせ、しあわせ〜。

そんな前向きになった翌日、新聞にこんな記事があった。
『フランシスコ・ローマ法王は、バチカンのサンピエトロ広場に集まった約10万人の若者信徒らに向けて「幸せは携帯電話(スマートフォン)のアプリではない」と語り、「持つ者は幸福」という物質主義に陥らないよう呼びかけた。
その上で「幸せは携帯電話にダウンロードするアプリではない。最新版を手に入れたところで、あなた方が自由になり、大人になるのを手助けしてくれるわけではない」と述べた』

地球上に12億人の信者を持つローマ・カトリック教会の最高司祭であるローマ法王。そこいらの偉い方々と桁が違う偉大なお方というは重々承知だ。
でもね、あえて言わせていただけるのなら、勇気を持って一言だけ言わせていただきたい。
「法王様、今、それ言うかな・・・」






posted by Sue at 07:00| Comment(0) | アドベンチャーな家族 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2016年04月14日

サンドイッチのおいたち

長い冬が終わり、みなかみ町にも良い季節がやってきた。タラの芽、ふきのとう、土筆、ノビル、山の幸が待ってましたとばかり、そこらじゅうで顔を出す。

こんなおいしい物があふれているというのに、娘は口にしない。まぁ山菜は苦味もあるので小学生にはきついのかな(その苦味こそが美味しいんだけど)。

今までは、彼女の苦手な野菜は小さく刻んでカレーやら卵焼きに入れて、味を誤魔化して食べさせていた。『子どもが苦手な野菜もモリモリ食べちゃうひと工夫』などと書かれた料理雑誌やネットを見ては調理。確かに、見た目や色からは、その野菜が入っているとは思えない。しかし、この春から小学校3年生になる。もうこうした誤魔化しは止めようと思う。苦手な人参やピーマンも、小骨の多い青魚も、それが持つ固有の味や特徴をそろそろ知るべきだと思うのだ。



先日、出先で娘とチキンサンドイッチを買った。満開の桜の木の下に座り、サンドイッチ袋の封を切った。ふと「このサンドイッチ、いっぱい具が入っているね」と娘が言った。よくよく見ると、チキンとレタスだけではない。刻んだゆで卵、玉ねぎ、ピクルス、その他にいくつかの野菜が入っている。

「今こうして私たちが食べようとしているこのサンドイッチを作るのに、何人の手がかかったんだろうね」と、何気なく娘に問いかけたのが発端で、しばし二人でサンドイッチのおいたちに遡る。

「まずは、さっきのレジのお姉さんでしょ、このサンドイッチをお店に並べた人でしょ、パンを作った人でしょ、チキンを作った人に野菜を作った人と…」
「このチキンひとつとっても、調理した人や、そのための調味料を作る人、チキンを育てる人、そのための餌を作る人、そして屠畜する人、その設備を作る人。たくさんだね」
「野菜だって、それを作る人、そのための肥料を運ぶ人、その肥料を作る人」
「その野菜が海外からの輸入物だとしたら、それを運ぶための船や飛行機を作る人や、それを運ぶための燃料を掘り出す人。ものすごくたくさんの人がいて、このサンドイッチが食べられるね」
「だったら『いただきます』は、作った人だけじゃなくて、このサンドイッチに関わったすべての人に対して言う言葉なんだね」
そんな思いでいただいたサンドイッチは、超一流レストラン物のようで、とても美味しかった。

飽食の日本では平気で食べ物を残す。もはやラーメンやうどんの汁は残すことが普通にすらなっている。そのスープだって、何人の手が関わってきたことか。

「食べ過ぎで太ったから」とダイエット食品を購入する。世界ではおよそ8億5000万人、なんと9人に1人が飢餓に苦しんでいる一方での出来事だ。

これからは、食材を誤魔化すのではなく、その食材には何人の手が関わってきたのかを想像し、その苦労ひとつひとつに感謝し、しっかり味わっていこうと思う。それが苦かったり、しょっぱかったり、固かったりもするかもしれない。それはそれで良い。それ自体を味わう事は、関わったすべての人の努力に感謝することである。

まず何より残さないこと。どんなにお行儀よく食べたところで、残してしまえば品もマナーもない。感謝があった上に品やらマナーは成り立つ。

ということは、調理する側にも責任がある。せっかくたくさんの人が関わった食材だもの、おいしく作る責任があるのだ。そんな責任重大な役目を任された主婦(主夫)だもの、毎日の献立に心血を注ぐのは、ある意味、使命的なものかもしれない。

さて、今夜は何にしようかな。



posted by Sue at 15:55| Comment(0) | 愚母の苦悩 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2016年04月08日

互助精神

先日開催された「ハセツネ30K」で、トップゴールした選手が、男女ともに義務装備不携帯で失格になったことについて、隊長がフェイスブックでこんな事を書いている(以下、隊長のFBから転記)。

『主催者は英断を下してトレランレースの現状に一石を投じたのだと思いました。
一般的には、「皆の手本となるべきトップ選手がルールを守らなくてどうする」的な意見が多いようですが、私には示唆に富んだ多くの問題意識を与えてくれました。

まずは、義務装備とはどういうものか?ということです。
トレランを安全に遂行するにはどんな装備が必要なのかを、皆で改めて考える良い機会だと思いました。そして、その装備はどんな役割を持つのか?ということを理解することも大切なのではないかと。

自然の中では自己責任で行動する必要があるため、自分の安全を守るための装備という位置付けが大勢だと思います。しかし一方で、他者を助けるための装備と捉えたらどうでしょう?自然の中ではお互いに助け合うという互助精神も必要です。

自分の持っている装備が人を助けるとか、他人の装備で自分が助けられることもあるということが、自然の中では多いのではないでしょうか?

救急法の習得も同様だと思います。特に心肺蘇生法などは自分を助ける技術ではないわけです。しかし、皆が習得していればお互いに助け合うことができます。

人間が自然と対峙することで学ぶことは多いです。その最たるものは、自然は偉大であり、脅威であり、人間はちっぽけな存在であるという畏敬の念を謙虚に持つことだと思います。そうすれば人は助け合って生きていくべきだし、トレランレースにおいてでさえ参加者全員の無事のゴールを願い、気になるようになりたいものです。

トレランを愛する同志に何かあればすぐに助けに行くような連帯感、さらには責任感まで持てるようになったら、トレランは素晴らしい文化になるんだと思います』


Patagonian Expedition Raceで、隊長が自転車転倒でケガをし、イーストウインドは窮地に立たされた。過酷な自然環境の中、それを乗り越えられたのは他の3人の支えがあってこそ、である。まさに互助精神の力に尽きる。

隊長の荷物をメンバーが分担して背負い、カヤックも陽希が主に一人で漕いだ。手が不自由だった隊長の用足し後には、ズボンの紐締めすらもメンバーがやってくれた。文字通り、彼らが助けてくれたのだ。そういった事が、観ている側に感動を伝える。

順位を競うものだから、結果はついてくる。しかし結果ばかりが大切ではない。スポーツをする人全員が持つべき「スポーツ精神」には「互助精神」も含まれると思う。

この夏、トランスジャパンアルプスレース(TJAR)がある(隊長も私も実行委員を務めさせていただいている)。これに出場するには様々な条件をクリアしなくてはいけない。

その中にひとつに「消防署、日本赤十字等の主催する救命入門講習もしくは救命講習(AEDを含む心肺蘇生法)の有効期限内である修了証明書の画像データを提出すること」というのがある。参加選手は、レース中に他の選手だけでなく、すれ違いの登山者でも何かあった場合、すぐに対応できるようにして欲しいという想いからこの条件が生まれた。

TJARは普通の登山やトレイルランに比べ、必須装備はかなり多い。しかし、それは自分たちを助けるばかりでなく、人を助けることにも役立つかもしれない。

結果は大切。されど、結果よりもっと大切なものがある。TJARはスポーツマン精神と互助精神に満ちた戦いである。今年も勇者たちの感動的な戦いを応援できることに感謝し、ワクワクしている。


posted by Sue at 16:04| Comment(0) | 干物女の行水 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2016年02月24日

Patagonian Expedition Race への想い

Patagonian Expedition Raceが始まって4日目。朝6時前、自宅に電話が入った。

こんな早くに電話が入るのは、良くない知らかイタズラだ。ふと2013年のコスタリカレースでの自転車転倒事故の事が脳裏をよぎる。嫌な予感がする。イタ電であるといい。

一呼吸置いて、受話器を取る。バサバサバサという音に阻まれ、相手の声が聴き辛い。「・・キタです・・スーさんで・・・」嫌な予感が的中した。電話はヤマキーからだった。「田中さんが・・・田中さんが・・・転んで・・・」風が強すぎて全部が聞き取れない。ともかく何か起きている。

ようやく彼らの居場所と状況を知り、本部に連絡(ヤマキーが医療班に連絡したが、スペイン語だったため、本部に連絡をいれるよう私に電話してきた)。すぐにスタッフが動いた。

スタッフが到着するまでの間に、再びヤマキーから電話。隊長が話せるというので、電話を代わった。「こんなに応援してもらっているのに・・・・ホント・・・申し訳ない・・・申し訳ない・・・もう・・しわけ・・ない・・・」鼻から空気が漏れている感はあるが、安否の確認はできた。しっかりしている。

救急車が到着し、4人は病院に搬送された。その後、ヨーキから電話があり、詳しい状況を聞いた。そして彼の口からでたのは「ここで終わります」という言葉だった。

夢にまで見た優勝。それに手が届くかもしれない。そんな矢先のことである。それを伝える彼も辛かったし、悔しかっただろう。

しばらしくして隊長は鼻骨骨折だという連絡が入った。また、転倒時にかなりのけぞったらしく、ムチウチの恐れもあった。程度はよくわからないが、入院するほどのこともないというので、病院を出たらしい。

その後にコース責任者のStjepanと事務局のTrishが病医院に駆け付けた。隊長が、すでに病院を後にしたことを知らず、かなりの剣幕で隊長を探したそうだ。

こんなハードなコースを設定し、調査し、選手を待ち受けるStjepanだけど、心根の優しい穏やかなレースの総責任者だ。

PERは開催するにあたり、莫大な時間と費用がかかる。国境付近やら氷河を行かせるために、軍に掛け合い、許可を取る。スポンサー獲得も年々厳しくなっていく。2年間のブランクは、それらと戦うための期間だった。そうして苦労した末に開催したPER2016。Stjepanがこのレースにかける想いは、いかばかりか。

ここで止めるには、あまりにも悔しい。
隊長がアドベンチャーレースを始めて22年。始めた当時は、アウトドアスポーツをお家芸とする欧州、オーストラリア、ニュージーランドには、装備も技術も体力もノウハウも、すべてが及ばなかった。大人と子どもくらいの差があった。

そもそも彼らはアウトドアが生活に密着している環境だ。会社が終わればカヤックを楽しみ、道路は自転車専用の道がちゃんと整備されている。最終電車まで仕事をしている我々とは生活スタイルが違う。

しかし、この競技において日本人が決して負けないものがあった。スピリッツだ。体力が及ばずとも、精神力がある。技術はなくとも、学ぶ力がある。体力も技術も徐々に身につければいい。

そして隊長の孤独で長い戦いが始まった。興味のありそうな人に声を掛け、年間300日の練習。会社は休みがちになり、やがて日割り計算での給料形態にしてもらったが、結局は退社。明日からの収入源、一切なし。活動プラン、皆無。あるのはアドベンチャーレースへの熱意だけだった。

協賛をお願いしに行った企業には一蹴されまくった。アドベンチャーレースのビデオをダビングするのに潰したビデオデッキは3台(当時はDVDなんて便利なものがなかった)。でも諦めなかった。このレースをやりたかった。

やがて「話だけでも聴くよ」という人や「面白そうだね」という人が現れた。そこから少しずつ広がっていく人の輪。協力してくれる人が出てきた。レースをやりたいという仲間も集まった。隊長は一人じゃなくなった。


さて、病院から戻った隊長。チームで長い間協議したようだ。そして出した結論は「レース継続」だった。22年にして「優勝」を目の前にした今大会だ。ここで止められない。ひょっとしたら隊長は、今まで長い間支えてくれた人の顔を思い浮かべたのかもしれない。「継続することを今から主催者に伝える」とだけ、電話があった。「リタイヤする」と私には電話で伝えたものの、まだ主催者に言ってなかったのだ。

チームはレース継続の意思をStjepanに伝えた。Stjepanは「自分が何を言っているのか、わかっているのか」と隊長に聞いたそうだ。過去、アドベンチャーレースでメンバーが骨折をしながらもゴールしたことは幾度かある。逆に棄権したこともある。自身が肋骨を骨折しながらゴールした経験もある。そんないくつもの経験があっての判断だろう。何より、Patagonian Expedition Raceに掛ける隊長の想いは凄まじい。医師は継続可能と診断。StjepanはチームにGOサインを出した。

GOサインを出した後、Stjepanは静かに泣いたそうだ。「ここまでMasatoがこの大会を愛してくれていたとは・・・。苦労してこのレースを再開して良かった」と。

たかがアドベンチャーレース、されどアドベンチャーレース。これに、すべてを賭けた人たちが、この世界にはいる。Stjepanも隊長も、孤独に耐えて諦めずに一所懸命に頑張ってきた。

そして、もう一人じゃない。20年前では考えられなかった。こんなクレージーなPERを愛して止まない人がいることを。こんなに多くの人が応援をしてくれることを。なんて幸せなことだろう。

22年にして、届きそうだった優勝台である(まだレースは終わってないけれど)。事務局としては、あるまじき発言ではあるが、妻としての発言を許されるなら、言ってもいいかな?「もう充分だよ」(応援してくださる方、本当にごめんなさい!!)。


さて、レースは残り58q。これから氷河に突入する。きっとStjepanが「どうだ!」と胸を張るくらい、とてつもないコースが待っているだろう。

もう一人じゃない。頼もしいメンバーがいる。22年間、リーダーとして引っ張ってきたが、今度は隊長を引っ張ってくれる3人がいる。Stjepanが仕掛けたコースを、うんと苦しんで、うんと楽しむといい。

posted by Sue at 14:03| Comment(0) | 悪妻のボヤキ | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2016年02月17日

家族の応援

Patagonian Expedition Race (PER) がスタートした。

このレースでは、優勝に手が届きそうで届かない。地球の裏側で行われるこの大会に、どうしてそこまで執着するのだろう。

渡航費は莫大にかかる(特に荷物超過料金)。装備がやたらと多い。配布される地図はいい加減。天候もコロコロ変わる。あるべき道もなければ、あり得ない道もある。時に主催者は押しの強いチームの意見に惑わされる。幾分かマシになってきてはいるけど。

「こんなクレージーなレースによく出るね」シリーズ戦常連チームですら呆れる。それでもこのレースに帰ってくる選手は多い。パタゴニアという手付かずの自然と、チリ人の人懐っこさも魅力のひとつなのかもしれない。

しかし、やはりそれ以上に、PERには『自然に対し、畏怖の念を抱き、それをあるがままに受け入れ、己の力だけで進む』というアドベンチャーレースの真意が凝縮されているのだと思う。だから隊長は挑み続けているような気がする。

近年、アドベンチャーレースはスピード重視となってきた。レースだからスピードが重視されるのは言う間でもないが、付加要素が多いアドベンチャーレースは、スピード以外にも重視されるべく事が多い。男女混成(チーム内ですら体力的に差が出る)、多種目(得手・不得手が生じる)、ナビゲーション(地図読み)が代表的な付加要素だが、何よりナビゲーション力が問われるのが、このPERである。ナビ力がなければ、このレースは勝てない。

しかし、今回は一本道のマウンテンバイクコースが長く取られている。PERもいよいよスピード重視になってきたかと思うと少し淋しくもなるが、どうやら、「確かに存在する道なのに、地図に明記されていない」という事があるらしい。そんなトリック的とも言える地図は「PERにしてやられた!」という感じが否めなくもない。一筋縄ではいかないのがPERだ。

そんな、とてつもなく壮大でエンターテイメントなレースだもの、隊長がこだわる気持ちがわからないでもない。ならば、アドベンチャーレースの真意を追及するために、とことんやったらいい。その生涯を掛けてまで見つけたいものなら、きっと意味がある。家族ができることはフォローする。

・・・なんて見得を切ったことが、娘にしわ寄せが行ってしまった。
隊長がチリ出発間際のある夜、娘が腹痛を起こし、粘血便が出た。翌日はかなり治まり、大事には至らなかったが、ネットなどで調べてみると、ストレスが原因でなることもあるらしい。

装備品で埋め尽くされた狭い我が家。揃って食事を取る時間も少なく、親が深夜過ぎてもゴソゴソ動いているため、寝る時間も短くなった娘。慣れているとはいえ、まだ7歳の子どもにとっては、こんなカオスはかなりの一大事で、大きなストレスになったのかもしれない。

思えば、出発間際は「忙しいから」というバリアを張って、娘の話を充分に聞いてあげてないような気がする。話をしようとしても「後でね」なんてバッサリ切られてしまったら、子どもだってストレスが溜まるのも無理はない。

それを粘血便が出てから気が付くとは・・・。「忙しいから」は大人にとって便利な言葉に想えるが、子どもにとっては一刀両断に邪魔者扱いされたと感じてしまうのかもしれない。

それでも彼女なりにフォローし続けた。空ボトルに柿ピーを詰め、行動食を作った。そして一個一個の蓋にメッセージを書き入れていた。隊長が現地に到着した後も、レーススタート前まで毎日「がんばってね」というメールを送っていた。

しかし、昨日、学校に提出する作文ノートに、こんな事を書いていた。
「お父さんはレースのため、チリにいます。お母さんは、それを中継するために、一日中パソコンに向かっています。ちょっとさみしいです」

そっか。勘違いしてたよ、お母さん。

いつも楽しそうにお父さんとメールのやり取りしてたし、ダブダブの応援Tシャツ着て嬉しそうに応援してるし、私がいつも家にいるんだし、それでいいんだと思ってた。それが二人で隊長をフォローしている事と思っていた。

でも違った。本当はさみしかったんだね。ごめんね。隊長が留守の間、私が本当にすべき事は『あなたを守る』ことだったんだね。

レース中、日本でチームをバックアップすることで、隊長も安心してレースができると思っていた。でも本当は、私が娘を守っていると思うからこそ、安心してレースができているのかもしれない。だとしたら、ごめん。お母さん、勘違いしてた。

今日、学校から帰ってきたら、一緒におやつを食べながら話を聞こう。苦手な跳び箱、飛べた?休憩時間は何して遊んだ?大好きな音楽の時間は何をやった?
お父さん、今頃どうしてるかな?ヨーキとケンカしてないかな?マチマチ、大丈夫かな?ヤマキー、食糧足りてるかな?なんて裏話もしよう。

それがきっと、今まさに日本の裏側で必死で戦っているお父さんが、もっと安心して前に進めるエールになるだろうから。


アキラ作:行動食
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2016年02月09日

オーケストラ

先日、群馬交響楽団のコンサートを娘と観に行った。仕事とは裏腹にインドア派の私は、クラッシックやジャズを聴くのが好きなのだが、結婚後は足が遠のいていた。今回は、とても久しぶりのコンサートだった。

2曲目からソロのバイオリンが始まった。26分間にも及ぶ曲の途中、ふと、あることに気が付いた。

ソロの素晴らしさは言う間でもないのだが、ソロ以外の多くの楽器が、そのバイオリンの音を引き立てるために、絶妙な音を奏でていることの奥深さ。

ソロは、多くの楽器の伴奏なくては生きてこない。そして、その伴奏は多くの管楽器、弦楽器が幾重にも重なる。一人として間違えず、間を乱さず、指揮者に従う。音量も大きすぎず、小さすぎず。曲を引き締めるシンバルも出過ぎず、引き過ぎず。それがとても良い塩梅で視聴者に響いてくる。

気が付いたのは、それが今回のチームイーストウインドの姿と重なることである。

イーストウインドの4人がソロだとしたら、その後ろにはたくさんの奏者がいる。レースをうまく運ぶために協力してくれるギア担当者、サプリ担当者、メンテナンス担当者、日常のトレーニングを支えてくれる仲間たち、レースを盛り上げてくれる応援団、そして決して目立ちはしなくとも、その根をしっかり支えてくれる支援者。ひとりとして欠けていたら、イーストウインドは今日のこの舞台には立てなかった。

演奏中、私はソロ(イーストウインド)にとってどんな楽器かな?と考えてしまった。そう思う中、一際目を惹くのがコントラバスだった。奏者は数名で、もちろん旋律担当ではない。しかし、それが一体となって奏でる音とリズムは、オーケストラ全体をきちんと支えている。

とは言え、やはり私自身がどんな楽器なのかは分からないし、あそこまでうまく奏でているとは到底思えないけれど、イーストウインドのコントラバス的存在でいたいと願っている。

同時に、宮澤賢治の「セロ弾きのゴーシュ」を思い出した。思うようにいかない日、心がくじけた日、孤独を感じた日、スランプに苛まれた日・・・。辛いことがたくさん事があったけど、そこから生まれたものは、他には変えられない価値がある。

だから自信を持て。

イーストウインドは、そろそろチリ最南端のプンタアレナスに到着するころ。忘れるなかれ、君らはたった4人じゃない。地球の裏側には、たくさんの伴奏者がいることを。見守ってくれる、あったかい伴奏者であることを。


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2016年01月25日

娘からの質問

「ねえ、お母さん。なんでテロとかってするの?人をたくさん殺してまで、何が欲しいの?」娘に聞かれた。時々、子どもは大人が答えに窮する質問をさらっとしてくる。

そうだね、何が欲しいんだろうね。自由、平和、しあわせ、満足感、名声、富、権力・・・。テロに大義名分はあるだろうけど、その行為によって彼らが本当に欲しかった物は得られているのかな。

私たち人間は、時折、もの凄く「欲」が強くなるね。恥ずかしながら、お母さん(私)なんかは、その最先端にいるのかもしれないよ。だって欲しい物、いっぱいあるもん。でもね、そんな「欲」が強すぎちゃって、時々目の前にある大切なものを見失う時もあるんだよ。

目に見えるもので、持ってない物が欲しくなっちゃって、目に見えない大切なものが見えなくなっちゃうんだよ。

たとえば、たくさんの富と引き換えに、あなたの笑顔を見られないという取引があったとしたら、お母さんは迷わずにあなたの笑顔を選ぶ。でも世の中には、大切な人の笑顔より富の方を選ぶ大人がたくさんいるんだよ。

「お腹が空いたから、ご飯を食べる」「学校に行って、みんなと勉強や運動や時々ケンカする」「温かいお布団で眠る」「大好きな人といっしょにいる」「ただいま/おかえりって言える場所がある」そんな小さな願いも、国益とやらのために、簡単に潰されちゃう。今、目の前にある人を笑顔にさせられず、誰を笑顔にさせられるって言うんだろうね。

私たちって悲しみや苦しみと常に一緒いると思わない?
この間、お母さんが大好きだった叔母ちゃんが亡くなったでしょ。あの時、お母さんは周りの人が驚くくらい、わんわん声をあげて泣いたよね。

通夜のあと、従弟(叔母ちゃんの息子)が来て、私の肩に手を当てて「ありがとう。母さん、喜んでるよ」と言ってくれてね。その時、大切な人を送り出すことも幸せなことなんだと思ったよ。傍にいなくなってしまう事は悲しいけれど、愛情いっぱいに送り出せるのも、送り出される側にとっても、この上なくしあわせなことだと思ったよ。別れが淋しくて涙をしてくれる人がいる事は、とてもしあわせなことなんだって従弟の言葉でわかったよ。

でもね、戦地では、それができない人もたくさんいる。どこに行き、どこでその大切な命を閉じているのかもわからない。人は必ず天国に行く。でも、その時に「ありがとう」って送り出せない事ほど、残った人間にとって辛いことはないかな。

あなたは「〇〇ちゃんとケンカした」って学校の話をしてくれるけど、そんな話を聞いていて思うんだよ。「ケンカして、仲直りして、また遊べる。そんな事を繰り返せる日々が、そんなお友達がいるってことが、しあわせなんだなぁ」って。だから、そんなケンカ友達も大切にしようね。今は解らないかもしれないけど。

これからのあなたが大人になる過程で、いろんな人たちに出会うだろう。

とても嫌だなって思う人に出会うこともある。でもね、それは自分を成長させてくれる糧になるかもしれない。反面教師として「こうされたら、どう思う?」「こういう言い方をされたら、気分良くないでしょ」と言うのを、身を持って教えてくれる奇特な人。そんな嫌われ役を買って出てくれる有難い人だと思わない?だから怒らない、怒らない。

また、あなたをとても好きになってくれる人にも出会う。あなたのために泣いてくれたり、笑ってくれたり、励ましてくれたり。そして、あなたもその人のために涙を流したり、話を聞いたり、一緒に大笑いする。やがて「ただいま/おかえり」って言える人に出会う。

あなたが出会うすべての人が、あなたにとって意味があり、大切な人になる。

今、私たちがこうしている時間にも世界のどこかで大量の血と涙が流れている。そして哀しみが怒りに変わる。それがテロとなり、また新たな血が流れる。この連鎖は、どこで止まるのか。悲しみを生み出す「欲しい、欲しい」は、どこかでやめられないのか。

ねぇ、あなたには、人を殺してまで欲しいもの、ある?
ないから、欲しくなるのかな?だったら自分が持ってないものを数えるより、持っているものを数えてみようか。結構あるね。しあわせになるのに大義名分なんて要らないね。今ここにある瞬間を想えば、大切な人を想えば、「充分なしあわせ」が見えてくるのにね。


posted by Sue at 09:59| Comment(0) | 愚母の苦悩 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2016年01月11日

ダメだし

先日、ある仕事がうまくいかず落ち込んでいた。隊長と議論するも、「そこが良くない」「もうちょっと上手くやらないと」。出てくるのは落ち込んでいる原因をグリグリと抉るばかりで、気持ちが更に深く落ちていく。哀しい事に、改善するようなアイデアは出てこなかった。

隊長になら落ち込んだ気持ちを言える。しかし、他者には仕事の失敗で落ち込んでいるなどと言えない。いわゆる「ダメだし」を受け続けなくてはならないのだ。

もういいよ。もうその話は止めようよ。心がチクチクするよ。黒くてドロドロした波に呑まれるような気分だった。

そんな中での一本の電話。主は昔から馴染のあるYさんで、私たちのことをよく知っている人物。今回の私の失敗を受け、電話をくれたのだ。

「あれは失敗だね」そんな分かり切ったことをまた言われるのかと構えたのだが、彼はひとつも責めることはなかった。むしろ改善を一緒に考えてくれる励ましに聞こえた。「次はこうしない?」「あ、いいこと思いついた!これってどう?」「僕がこれやるから、すーさんはこれやってよ。大丈夫、うまくいくよ」深く凹んでいた心が、徐々に盛り上がっていくのが分かった。

落ち込む原因であるはずの内容が、彼と話をすると、ともかく楽しい。なんだろう、この前向きな感覚。声のトーン?電話越しの笑い声?

じわじわと救われていく心。「次は巻き返すぞ!」という意欲。失敗のはずが、なぜだかワクワクしてくる感覚。「失敗しても落ち込まなくてもいいんだ。ワクワクしてもいいんだ」なんだかそんな気分になっていった。

「人間はダメだしの天才」と心理学者アドラーは言う。「あれじゃダメだ」は誰でも言える。テレビに出てくるタレントやアスリートはもちろん、会社内や家庭内でも、人は他者の言動に対して簡単にダメだしする。その人がどんな気持ちでそうしたか、どんな理由があるのか、陰でどんな努力があったのかなど、何も知らないのに。

思えば、私も簡単にダメだししている。特に娘に対しては「これじゃダメ」「もっとちゃんとしなさい」など、漠然とした注意ばかりで、改善方法を一緒に探すことはしていない。これじゃ活を入れるどころか、凹ませるばかりだ。

失敗は誰にでもあるし、成功するためにはついて回る。失敗をして一番反省し、凹んでいるのが当人であれば、それ以上責める必要はない。当人が事の事態をしっかり受け止めて、落ち込むだけ落ち込んだら、同じ失敗をしないように気を付けるだろう。ならば、これ以上は責め立てず、娘が顔をあげて、背筋を伸ばして、再び一歩踏み出すよう背中を押すことが、親の役目かもしれない。

今年でアドベンチャーレース歴22年となる隊長。今までに幾度も幾度も失敗を重ねてきた。その度に、多方面からダメだしを食らう。親身になっての温かいダメだしもあるが、中には心無いダメだし、意味不明のダメだし、単に他人事のダメだしもある。そして、これからも新たな失敗と、そのダメだしに苛まれるだろう。しかし、温かいダメだしには愛情と優しさがあり、出された方は、それをきちんと感じるものだ。

隊長が22年間もダメだしをされながらもアドベンチャーレースを止めないのは、温かいダメだし(励まし)をしてくれる人たちによって、常にアドベンチャーレースに対しするワクワク感があるからなのかもしれない。私が感じたYさんからの励ましと同じく、次につなぐ意欲になるのだろう。

さて、2月はPatagonian Expedition Race。これまでの失敗と、親身になった温かいダメだしと、そしてワクワクする意欲と、新たな決意を抱え、これまでの集大成とされるこの大会に隊長は出場する。田中正人48歳、現役アドベンチャーレーサー、まだまだ日々精進。




posted by Sue at 09:28| Comment(0) | 悪妻のボヤキ | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2015年12月27日

ブラジルレースを終えて

今回のブラジルレースは、前代未聞のオンパレードであった。

まずは参加費の国際送金。国際レースにしては今どき珍しい地銀指定。時間はかかるわ、手数料はかかるわ。挙句の果てにブラジル全体の銀行がストライキに入り、入金できずにこちらに戻るわ。すったもんだあって、最終的には、日本出発ギリギリになんとか入金完了。

次にスタート地点までの移動。なんたって遠い!!地球の裏側だもの、フライトに時間がかかるのは致し方ないけれど、現地では最寄の空港から車で6時間のところが集合地。スタートラインはここから軍の船で12時間遡上した場所。

そしてコース。隊長は「アドベンチャーレースを20年以上もやっているけど、ここまでワイルドな地域は初めて。人間が入ってはいけない場所、本物のマザーネイチャーに入ってきてしまったという感覚」と言う。案の定、コースディレクターも調査に入っていない場所がコースになっていた(通常のレースは、コースディレクターが全コースの調査に入り、安全性を確認し、所要時間の見積もりを出す)。

コース調査に入っていないせいか、所要時間の見積もりもかなりいい加減。「早ければ、この日にはゴールする」という日ですら、トップチームで、まだ3割しか進んでいない。後続チームに至っては、時間もないからと、順にセスナで搬送。しかし急な悪天候によってセスナを飛ばせず、イーストウインドは22時間のセスナ待ち。

再スタートしたものの、途中で渡船場所があり、そこで大渋滞が起きた。24時間渡船可能と説明があったのだが、どうやら夜間渡船をしていない。これまたスタッフもいない。選手だけがどんどん集まり、立ち往生。最終的に主催者が下した判断は、ここの到着順でゴール順位が決まる、というものだった。なんともスッキリしないゴールである。

リザルトが出た。釈然としない。なぜ、このセクションの所要時間この時間なのか?11位〜19位の順位の出し方がめちゃくちゃだ。何度見てもよくわからない。どうしてこうなる?解せないことが多すぎる今回のレースだ。

「誰もクレームをつけなかったの?」隊長に聞いてみた。熱中症に倒れ、足のマメや痛みに耐え、噛みつき蟻や、蚊の大群にも耐えてのレース。こんなに必至に戦っているのに、腑に落ちないルール変更で、さぞやみんな怒り心頭かと思った。

しかし、隊長の返事は、拍子抜けするほどあっさり。「うん。誰も言わない。言って何か良い状況に変わるということはないし、それでどうこうなるもんでもない」

言うまでもなく、順位は大事だ。選手たちはそれを競う。しかし、彼らは、どうやらそれだけじゃないようだ。そこには、その場に立った人間のみが得られる計り知れない何かがあるようだ。「人間が入ってはいけない場所に入れたんだ。それだけでもすごいこと。レースの運営はともあれ、環境は大絶景だったよ。二度と行かれないだろうなぁ、あんなところ」と隊長。なんとも呑気な発言にも思える一方で、透き通るほどピュアな響きと、余分なものすべてが削ぎ落とされたような感覚。

私なら、きっと激怒していただろう。「コースに調査に入らないなんて、何かあったらどうするつもりなの!」「この時間設定はおかしすぎるでしょ!」「順位の出し方があやふやすぎる!」怒りの訳を挙げれば、きりがない。

そう。きりがないのだ。怒っても事態は変わらない。だから怒っても仕方ない。怒るだけ体力を使う。ならば、その事態を受け入れ、そこからどうするかを考える。さらには、そんな滅多に陥る事のない窮地を味わう。選手たちは想像以上に大人だった。

「アドベンチャーレースは大人の究極に贅沢な遊び」とは言うが、これは装備にお金がかかるという意味ではなく、このスポーツでしか味わえない醍醐味があり、辛さがあり、喜びがある。彼らはそれを子どものようにストレートに感じられるのである。

なるほど。それだけでも行った甲斐はあったようだ。危ない目には遭いたくないけど、でも、そんな話を聞くと選手がちょっと羨ましい。

私はどうだろう。子育ても、仕事も、人間関係も、家事も、思うようにならないと、イライラして怒り出す。だれかのせいにしたがる。怒ったって何ひとつ変わるわけでもないし、増してや、それが改善されることもない。

ならば、そこからどうするか。偶然起きた事は必然性でもある。悪いのは誰かを探すことより、なぜそうなったのか、そして、そこからどうするかを考えていくようにしたい。

頭では分かっていても、いざとなって実行に移せない。もう少し大人になりたいものだ。
悪妻愚母、来年も日々精進していきます。



posted by Sue at 09:21| Comment(0) | 悪妻のボヤキ | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする