2018年05月22日

Expedition Africa 2018

南アフリカのケープタウンで開催されているアドベンチャーレース「Expedition Africa」。イーストウインドはそのレースに出場し、今、まさに苦闘の真最中である。

この大会に出場するにあたり、海外レースが初めてなのはもちろん、国内のレースも出場経験もほとんどない安田光輝(キラリン)と米元瑛(ヨネ)を起用。
ここに紅一点の西井万智子(マチマチ)。今回はマチマチにリーダーを任せた。イーストウインド始まって初の隊長以外のキャプテンである。

実は今大会のメンバー編成にあたり、隊長と幾度も幾度も相談をした。

キラリンは昨年からトレーニング生としてカッパクラブにやってきた。正直、器用ではないが、真面目にコツコツと積み上げていくタイプだ。学生時代は山岳部だったキラリンだが、川の事は未経験。アドベンチャーレースをやりたくて、勤務していた会社を辞め、イチからリバーガイドの修行を始めた。海外レースに出るにはまだスキルが完全ではない。しかし、ともかくひた向きに頑張る。未来に向かって一所懸命だ。こういう青年はきっと伸びる。信頼もされる。

ヨネは今年4月に仕事を辞めてカッパクラブにやってきた。子どもの時からアドベンチャーレースで世界の舞台に立つことが夢だった。学生時代はレースラフティングをやっていたこともあり、川に関してはキラリンよりも経験がある。彼のことを何も知らない私たちにとっても、イチカバチカだ。面接に来た日に「5月に南アフリカのレースに行くから」と伝えた。子どもの頃の夢が目の前にある。驚いていたが、気合も入った。そこから一カ月半、日々トレーニングに励んだ。

そして今年4月にトレーニング生を卒業したマチマチ。初めて海外レースに出たときは自転車に乗りながら泣いていた。そこから幾度もレース経験を重ね、体力もメンタルもずいぶん強くなった。隊長から「今回はマチマチをリーダーにしたいと思う」と言われた時、少し驚いたが大賛成をした。最初は受け身だったが、今では積極性が出たマチマチ。リーダーとして人を引っ張る役割を担うことは、彼女を確固たるものへと導くはずだ。

今回、マチマチもキラリンもヨネも20代。そしてマチマチ以外はレース経験が皆無に等しい。しかし、誰でも「初めて」はある。タイミングを計っていたら、彼らにとっての好機を逃すかもしれない。彼らにチャンスをあげたい。


隊長は、アドベンチャーレースに出会い、熱意があれば人を動かすことができるという事を学んだ。今の科学を駆使してもコントロールできない自然の偉大さ・素晴らしさ・脅威を学んだ。エゴがむき出しになる人間関係から本当の自分・仲間との絆が生まれる瞬間を学んだ。今度はそれを伝えていく(その機会を与える)番だ。

隊長はよく言っている。
「アドベンチャーレースを始めた頃は体力や技術があれば勝てると思った。だから人一倍トレーニングをした。荒れた海にカヤックで出ても技術があれば乗り越えられると思った。でも体力があった最初の頃の方がリタイヤが多かった。
わかってなかった、自然の法則に従うことが大切だったってことを。
自然の力を利用していけるようになったらリタイヤしなくなった」

20代の3人もこれが解るには、もう少し時間がかかるかもしれない。時には痛い目に遭うこともあるだろう。今がまさにそのチャンスである。

大会は今日で3日目を迎える。他のチームもここまで不眠不休で進んでいる。そろそろ疲れが出てくる頃だ。そして一番厄介な睡魔とエゴが出始める。同じ年頃であれば互いに意見をぶつけやすい。ここからだよ、キミたちが最も尊い事を学ぶのは。

一回り大きくなって帰ってくることを期待している。

だから、がんばれ! 超がんばれ!!


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2018年03月03日

教えることの試練

卒業シーズン。先日、娘の小学校の6年生歓送会に行った。娘はまだ4年生なので在校だが、この1年間一所懸命に練習してきた金管クラブの発表会が歓送会終盤にあるというので、彼女たちの1年間の集大成を観に行った。

とはいっても、そこは田舎の小学校。4~6年生で編成される金管クラブは20名強と少ない。卒業する6年生も20名そこそこ。全校生徒が集まっても、広い体育館の三分の一を占める程度。全校生徒が互いの顔を知る。みんな大らかで素直。在校生は精いっぱい出し物を演技し、卒業生は、それを見てたくさん笑う。雪の降るこの日の水上小学校体育館は、いつもより温かかった。

この1年、娘はクラブ活動に勤しんできた。4年生になって初めて触る金管楽器。娘に与えられた楽器はアルトホルン。しかし予算に限界があるのだろう。渡されたのは至る所に傷がある古い物だった。他の子たちも同様で、新品の楽器はない。音が外れていたり、どこか壊れていたり、傷があったり…。それでも初めて自分だけに渡された楽器は特別だったようだ。

娘の小学校は金管クラブに力を入れている。朝30分、放課後1時間の練習が毎日続いた。発表する機会も多々あり、そのたびに夏休みも週末も返上して練習した。先生の指導も厳しかったようだ。うまく演奏できなかったり、熱の入った先生の指導に涙が出てしまった子もいると聞く。

思えば先生、楽器を触ったこともない子供たちに教えるのは大変だったことだろう。子供たちは性格も違うし、練習に温度差もある。それでも金管はひとりひとりの演奏が大きく響く。一音間違えれば、全体に違和感が生じる。間違えは許されないのだ。先生自身に熱が入ってしまう分、つい強い口調になってしまうこともあっただろう。文科省から定められた教科書プログラムを教えることも難しいが、和を感じて音を生み出すことを教えるのもそれと同じくらい、いや、もしくはそれ以上に難しいのかもしれない。

教えることの難しさ。最近、これをしみじみと感じる。娘の勉強も徐々にハードルが上がってくる。
「お母さん、これ、どういう意味?」
ひとまず教える。それでも理解できない娘にイラつき、ついキツい言葉を返してしまう。

「なんでわかんないの?」

このイラつき発言は負のスパイラルへの入り口だ。なんでわかんないかって言われても、解らないものは解らない。理由なんてない。ただ、解らないのだ。頭ではわかっているのに感情が先走り、「なんで」と理由を聞く言葉で娘を攻める。攻められた娘も感情的になる。互いに感情がぶつかり合い、負のスパイラルにどんどんはまる。この後、いつも反省するのだが、また同じことをやってしまう。成長ないなぁ、私。

確定申告の季節。私の場合、仕訳に頭を抱えることが多々ある。ネットで検索してみるものの、専門語が陳列されると余計に混乱する。
「だから結局は何費になるのよ!?」
パソコンに向かって悪態をつく。きっとパソコンは思っているだろう。
「なんでわかんないの?」

同じ内容を検索してみると、その仕訳も含め税金全体について分かりやすい言葉で説明されているサイトもある。数字に弱い私でも理解できる説明だ。
教えるということは、自分がいかにできるか・知っているかを誇示する場ではなく、いかに相手が理解するかを示す場である。相手が理解できないのは、教える側にも原因があるかもしれない。

経験を重ねると、教わる立場から教える立場と変わる。これから私も少なからず教えていく事が増えていく。もし相手が「解らない」といえば、それは相手が劣っているのではなく、自分の説明が悪いということを理解しなければいけない。

経験者が未経験者に教える。子どもによって算数が得意だったり、国語が得意だったり、体育が得意だったり、音楽が得意だったりと、必ず差がある。同じ教科の中にも、細かい差がある。
算数が不得意の人に対し、得意な人が教えることが、実は一番難しいのだと思う。親として、指導者として試される時だ。“教えること”は、親も指導者も成長するチャンスである。

さて、娘の金管クラブ。時には涙も流れた練習だったが、それでもみんな、最後までよく頑張った。でもって送迎する我々家族も頑張った。そんなすべての頑張った先日の集大成演奏は、とてもとてもよかった。本当によかった。演奏を終えた子供たちの誇らしい顔がすべてを締めくくっている。

先生、1年間熱血ご指導をありがとうございました。

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2018年01月13日

重なっていくモノ

新しい年を迎えた。
ということは、またひとつ年を取るということ。
めでたくもあり、めでたくもなし。

どの時代も世の流れは若者が中心である。
ファッション、ヘアスタイル、家電、レストラン、フード、人気タレント、街で流れる歌…挙げればキリがない。

今の若者たちは「ゆとり世代」と言われるが、私の頃は「新人類」と呼ばれた。そんな新人類の私たちも、今となっては年を重ね、ゆとり世代の流行についていかねばならない。

どんどん生活に新しいモノが入ってくるため、それについていかなければ生活に支障を来す。たとえばテレビもブラウン管からリモコンを経て地デジへ、そして今や携帯で見る。もはやブラウン管テレビは姿を消し、カセットテープなんかは再生器すらない。モノは更に軽く、コンパクトに、スピーディーに、快適になっていった。

モノは減っているのではなく、増えている。言わば「ないものがない」のだ。寒い時は暖かく、暑い時は涼しくできる。ひとり1台の電話。プライベートも保たれる。すべてに快適だ。

こうして私たちが長年世話になったブラウン管テレビやカセットデッキやレコードは、骨董品となっていった。

モノが増え続ける一方、人は年を重ねると失うものが多くなる。
体力が落ち、筋骨がもろくなり、髪も薄くなり、見た目はしぼむか垂れるか。

ハリ! ツヤ! 活力! パワー! 食欲! どんなに食べても太らない筋力!
あ~あ、無くなっていくものが多いこと!
増えるはシワ、シミ、贅肉・・・

他に増えていくものはないだろうか…

新人類と呼ばれた頃の自分と比べてみるべく、あたりをぐるりと見渡してみる。
フムフム。ある、ある。

主として守るべき家庭という居場所ができた。
心の底から語り合い、笑い合う人ができた。
一緒に泣いてくれる人ができた。
自分の意見を押し通そうとしない柔和な気持ちが生まれた。
人の考えを聞く耳ができた。

メラメラと燃えていた若い時の炎は、感情が向き出た「焔」であった。
しかし年を重ねていくごとに、火の勢いは弱くなる。と、同時に大きくて、しっかりとした、周囲全体を暖める暖炉になる。

哀しい出来事や嬉しい出来事を重ね、やがて自分を受け入れ、相手を受け入れ、感謝することで、恨みや嫉みが薄くなっていく。そして事ある度に静かに想うようになった。
「これでいいんだ」

笑いが増えた。涙が増えた。感謝が増えた。
目の周りにあったハリは、しぼんだのではなく、穏やかに柔らかくなったのだ。

年を取ることは確実に温かいモノが増えていく。それは目に見えないモノ。
「焔」から「暖炉」になる。
年を取ることって、案外と心地いいかも。


あ~、でもやっぱりハリやツヤは欲しいっ!!!

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2017年09月19日

10年ぶりの講演

 先日、町内の友人Hさんよりみなかみ町での講演のお話をいただいた。平日の昼間ということで、私も聴講に行った。

 産後は仕事で外出することが減った。子供が小学校に入ってからは、更にその機会が減っていった。時折レースの報告会はお手伝いに行くこともあるが、きちんと講演を聞くのはまさに10年ぶりになる。

 さて10年前の彼の講演と先日の講演。アドベンチャーレースをテーマにしている事には変わりないが、コンテンツが少し変わっていることに気が付いた。

 10年前は主にアドベンチャーレースの醍醐味や過酷さ、そして自然の中の自己管理をメインに講演していた。しかし月日が流れると共に、経験が重なり、環境も変わってきた。自然やアドベンチャーレース自体は変わらないが、そこで起きるトラブルや人間関係の話が厚みを出してきているのだ。

 この10年、隊長にいろんな事が起きた。若手・後輩としばし起きる軋轢と、それを乗り越えてきた道程。親子ほどの年齢差の女子メンバーとは、感覚のあまりの違いに戸惑い、悩み、もがいてきた。そして加齢とともに落ちていく体力。自身も父親となったこと。大切な友を失ったこと、…。

 思えば、普段の私たちの生活とさほど離れていない。一般社会の中で50歳に差し掛かると、部下や後輩の扱いに戸惑う。殊に娘くらいの年齢差の女子社員との距離感を縮めるのは難しい。環境は非日常的なアドベンチャーレースではあるが、誰もが出くわす難題に隊長も当たっている。

 スポーツの場合、勝つことが目的である。会社であれば利益を出すことが目的である。しかし、そこまで持って行くのが非常に難しい。「勝利」が目的とは言え、1位が勝利なのか、3位じゃダメなのか?利益はいくら出せば「利」と言えるのか?個人的にライバルに勝てばいいのか?勝ち組になればいいのか?
 結局のところ、目的はそれぞれ。ゆえに目的が異なれば衝突するのは当然だ。

 しかし目的と目標は違う。目標は組織(チーム)で決める。目標に向かうベクトルがひとつになれば、気持ちがぶれた時、そこに立ち戻れば「今自分はその目標のために何をすべきか」が自ずと見えてくる。会社組織はもちろん、家族という更に小さい組織の中にも集中すべきベクトルは存在する。己の目的を達するために目標があり、目標を達成するために手段がある。

 時に目標に辿り着くための考え方や手段が異なり、トラブルも起きる。しかしトラブルは人が成長するチャンスである。また思いがけない絆が生まれる機会でもある。個々がどう成長するか、絆がどう編み出されるのか。きっと過去に起きたトラブルや困難のうちいくつかは、何らかの絆を生み出しているのではないだろうか。

 10年間に起きたトラブルは様々だ。しかし、そこに生まれた絆の強度はテンションがかかった分だけ強くなっている気もする。隊長の講演を聞いていると、彼自身もチームや家族だけではなく、周囲との信頼関係も強くなっているのを感じる。

 これからも何が起きるかわからない。しかし、起こったことには必ず意味があり、絆を更に強くしてくれるだろう。だから面倒くさがらずに、私自身の目的を達成するための目標に向かっていこうと思う。

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2017年06月24日

俯瞰的観点からの現在地

 親というのは欲張りなもので、つい子どもに過剰な期待をしてしまう。私が子どもの時も、(こんなデキの悪い私ですら)おそらく親は期待をしただろうが、時にはその期待が鬱陶しく思えた。

 にも関わらず!親となった今、同じことを子どもに強いているような気がする。だとしたら、子どもはあの時の私と同じように、今の私を鬱陶しいと思っているのかもしれない。いや、思っているに違いない。結局のところ、親にやられて嫌だなと感じたことを、そのまま子どもにやっている。いかん、いかん。

 子どもへの期待は大切だ。時には本人に見せることで、子どものやる気度アップにつながる。しかし、一歩見せ方を間違えると、やる気度を潰しかねない。難しいなぁと思うコノゴロだ。

 しかし、残念ながら、出来ない部分ほど目についてしまうのだ。大人になった今だから出来る事が、自分が娘と同じくらいの時は、もっと不器用だったし、もっとできない事が多かった。なのに、比べているのは今の自分と今の娘。大人になり「もっとやっておけばよかった」と思うものの、つい、その反省を子どもに背負わそうとする。人の反省を押し付けられるんだから、鬱陶しくもなる。
 
 先日、隊長は雑誌の企画で地図読み講習会の講師役を務めた。生徒さんは若い女性だった。その時の印象を、隊長はこい言っていた。
「彼女は地図を俯瞰的に観ることができる。目の前に広がる地形を真上から見るとどう見えるのかが地図と照らし合わせて解るんだ。彼女、ちゃんと読図を勉強すれば、きっとすごいナビゲーターに化けるよ」
 物事を俯瞰的に観る、か・・・。言葉では簡単だが、自分はできているだろうか。目の前の事で手一杯になり、物事を大きく捉える余裕を失ってないだろうか。

 目の前の課題も重要ではある。面倒でもこなさなくてはいけないこともある。しかし、その目の前のことも、俯瞰的に観れば、もっと大きな事に繋がっているのだ。現在地ばかり見ていればと、自分が全体のどこにいて、どこに向かっているのかが分からなくなる。

 子どもへの期待もそれと同じ。できない事ばかりにこだわっていては、どこに向かっているのか、今はどこにいるのかが分からなくなってしまう。
 現在地が地図のどの位置にあるのか。そしてどこに向かおうとしているのか。大きく捉えなければ見落とすこともある。通過すべきポイントのひとつひとつには意味があり、そこがあってこそ進むべき方向を改めて整地することができる。ここはひとつ、地図も子育ても俯瞰的に観ようかと思う。

 隊長は言う。
「地図読みで一番いいのは迷うこと。迷い方にも人それぞれクセがある。迷うことで自分のクセを把握できる。失敗することで改善点を見出すことができる。だから失敗は大切。失敗を恐れず、挑んでください」

 子ども自身も、自分が間違っていることを分かればよいが、大人ほど気が付かない(大人でも自分の間違いに気が付かない人もいるけど)。だからこそ、大人がそれを教えてやるのだ。
しかし、単なるダメ出しは、そこを通過してきた人であれば誰でもできる。なぜダメなのか、どこが違うのかを相手に分かるように教えることが大切だ。

 そして、なぜ今これをやるのか、それはどこに繋がるのかを、本人が納得のいくように説明をする必要がある。ただ「今やっておかないと大人になって困るよ」では、子どもは、ちっともわからないし、叱ったところで、その場しのぎで「わかった」と答えるだけ。
「どうして分からないの!?」の理由はひとつ。教え方が悪いのだ。

 これは子どもだけではない。一般社会においても同じこと。「見て学べ」の職人業ならまだしも、そうでないなら、きちんと教えていくことが大切。相手の覚えが悪いと責め立てるよりも、相手が分かるように説明しないことにも責任があることを自覚したい。
 ことさら会社であれば目標が明確だ。企業として、団体として、人として社会に対してどんな貢献をしているのか、何が目的なのか、俯瞰的観点からの現在地を今一度教える側も把握しておきたい。


 な~んてエラそうに言いながら、もう数年前に隊長が「必要だから」とポチッて買ったお花模様の一輪車に対し、いまだにネチネチ言う日々である。

 体幹トレーニングとでも言いたいのだろうか?脚力アップとでも言いたいのだろうか?どちらにせよ、どうしても一輪車だけは俯瞰的に観られません!


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2017年05月09日

努力は嘘をつかない

 ゴールデンウィークも過ぎ、新入生・新入社員も新たな環境に慣れてきた頃だろう。イーストウインドの母体でもあるアウトドアツアー会社「カッパクラブ」にも三人の新入社員が加わり、雰囲気も一層華やかになった。

 その中の一人がイーストウインドの新トレーニング生K。カッパクラブに来る前は登山用品店に勤め、更に前の大学時代はワンゲル部の主将を務めた、文字通り山男である。いくらイーストウインドの正規メンバーになるにはリバーガイドになることが義務付けられているとはいえ、山男が川で仕事をするのには、当然、不安もあっただろう。

 案の定、Kは苦労している。純粋にリバーガイドになりたくてやってきた二人とは、そもそもの動機が異なる。過去には「こんなはずじゃなかった」とイーストウインドのトレ生を去った人も幾人かいる。去っていった人たちを責めているわけではない。アドベンチャーレースに出るという夢とリバーガイドになるという現実にギャップがあっただけである。新入社員も然りで、夢を抱えて入社したが、実際は雑用業務ばかりという現実にギャップが生じて悩むことも解かる。
 でも、忘れないでほしい。どんな仕事であろうと、どんなに雑用であろうと、それは必ず身になる。そして、それが人の役に立ち、延いては自分の役に立つ。必ず。

 時には上から叱責されることもある。しかし川の上では、楽しさを伝えるのも、命を預かるのもリバーガイドの役目。些細なことを怠ることで命を落とす危険も考えられる。大変なことがたくさんあるし、慣れないこともしなくちゃいけないが、どんな些細なことでも疎かにせずにやっていってほしいと願う。

 カッパクラブは他社に比べてリバーガイドになる基準が厳しいと言う。それだけリバーガイドに求められるスキルは高度だ。また、リバーガイドにならなければお給料がもらえない。だから早くリバーガイドにならなくてはいけない。そのために、新入社員たちは日々努力を重ねる。
 思えば、今までも、カッパのリバーガイドになるために苦労に苦労を重ねたガイドは少なくない。そしてそんなガイドほど、しっかりとしたスキルを身につけている。それが不思議なことにガイドスキルだけではなく、人との接し方、瞬発力、推進力、環境適応力などなど様々な力が自然と身についているのだ。

 現在、リバーガイドになるために努力をしているK。「今が踏ん張り時。頑張ります!」と言う。思っていたこととは違うだろう。どうしても他の新入社員と比べてしまう事もあるだろう。
 でもね、Kくん。キミが今、しっかり受け止めて、逃げずに立ち向かっている事は、やがてあなたの支えとなり、力となる。そして何より、その努力の先にあるものは、キミが抱いている夢という「現実」だ。

 今回は南アに旅立つイーストウインドを見送る立場にいたけれど、この努力の先には、見送られるメンバーにキミがいる。

努力は嘘をつかない。それを信じて強くあれ。


カッパクラブのホームページ
http://www.kappa-club.com/

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2017年03月17日

呑気と心配性

隊長はマイペースである。それが先日のクレイジージャーニー(TBS)の放送で露呈した。もともと呑気な性格ではあるが、レースとなると一変する。では、なぜあの時一変しなかったのか。
その話しは来週のクレイジージャーニーを観ていただくとしよう。

さて、隊長と私は正反対の性格である。呑気な隊長と心配性の私。レースの準備にせよ、仕事にせよ、いつも私が「あれどうなった?」「これやった?」とまくし立てる。何事も早めにやらないと心配で仕方がない私に対し、「まだやってない」と気の抜けた返事をする隊長。これが日常会話。よくまぁこれで夫婦、相棒が務まったもんだ。

思えば陽希も私と同じ心配性。彼も早め早めにスケジュールを出し、それに沿って行動したいタイプ。レースでは陽希が、日常では私が隊長の尻叩き役だ。ところが、どんなに私らに尻を叩かれても隊長のマイペースはあまり変わらない。それどころか、あまりのマイペースさにイライラが募りに募り、こちらがオーバーヒートしてしまう。心配性がマイペースとチームを組むには、忍耐力が要るようだ。

しかし、隊長の感心するところは、最後はどうにかしてしまうこところにある。ほっとすると同時になんだか悔しい気持ちもあるが、あれは彼の天性なのかもしれない。


3月は様々な組織が編成されるシーズン。私も某組織役員(名義は隊長であるが、実務は私)をやっていたが、先日、任期を終えた。任期交代の総会が近くなり、それまでの事がちゃんとできているか、手抜かりはなかったか等々、いつものように在らぬことまで想像し、心配をした。それを見た隊長が一言。

「やるだけの事はやったんだから、自信を持てばいい」

要らぬ心配は無駄な時間を過ごす。やるだけの事をやってどうにもならなければ、またその時に考える。間違っていることに気が付いたら、そこで直していけばいい。そこを面倒臭がらないでやっていけば大丈夫。

レースに勝つためには、体力だけではなく、装備などの工夫も必要になる。しかし、わずかな工夫や確認を怠たっただけで時間をロスし、順位に繋がることもある。一見呑気でいる隊長だが、今までの経験から工夫や確認が生まれている。増してや起きてもいない事に対する要らぬ心配がレースにどんな影響をもたらすかを分かっているのだ。

先日発売された雑誌『山と渓谷』のコラムに隊長が書いた一部分。
「トレーニングをして筋力をつけると、発熱量が増えるから寒さに強くなる。結果、余分な保温着を持たなくてすむ」
寒さが心配なら普段からトレーニングして筋力を身に纏えばいい。

真摯に向き合ってきたのであれば心配することはない。胸を張ってドンと構えていればいい。

もしそこに困難な事が起きたなら、それは今、自分が次の段階に行くためのテストである。逃げずに立ち向かおう。クリアできないテストなど神様は与えないのだから。

と言いつつも、これからも陽希と私は隊長の尻を叩き続けるだろう。呑気な人にはそういう人が必要なのだ。そして心配症を鎮静化させる隊長は私にとっても必要なのだ。様々な角度からぶつかり合いながら前に進む。互いに必要な存在なのである。だから、まぁチームメイトとしても、夫婦としても、相棒としてもやっていけるんだろうな。

あ、でも山に行く時は、保温着を持って行くことをお勧めいたします。上記は、あくまでも一部分抜粋しただけであります。詳しくは山と渓谷4月号を。


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2017年01月19日

プラス・マイナス・ゼロの法則

 先日、久しぶりに結婚式に参列した。始終ニコニコ顔の花嫁さんと、始終泣き顔のお婿さん。とても良い結婚式だった。

 隊長と私は、このお婿さんにとてもお世話になっていて、言葉では言い尽くせないほど感謝をしている。彼は私たちが関係するイベントのGPSトラッキングの表示システムをプログラムしてくれている。
「ここをもっとこうしたい」
「ここをもっと見やすくしたい」
私たちのわがままな要求に対し、
「はいよ~」
と、いとも簡単にやってしまう。ゆえに、ITに疎い私は、とんでもない勘違いをしてしまっていた。このプログラムってそんなに大変なことじゃないんだって。

 ところが、だ。

 このプログラムを普通に企業に依頼をすれば、とんでもない金額になるというのを後で知った。しかも、ここまでのプログラムを開発するには、恐ろしいほど時間と資金が必要となる。それを、このお婿さんは「はいは~い」と、なんとも気軽にこなしてしまっていたのだ。
 レーススタート前に完璧に設定してくれたので準備万端!ところが、レースが始まってすぐに表示が動かなくなり、選手の動向を管理するポジションにいる私は大パニック!スタッフは全員選手を送り出しに出払っているし、真夜中ともあり、サーバー関係者は電話に出ない。私ではどうにもならない。そこですぐさま彼に電話をし(と言っても、この作業は彼の範疇ではなかった)、泣きついて相談をした。
「う~ん、仕方ないから、こっちでやりますね」
と、速攻で新しくサイトを作ってくれたのだ。こうしてレースは無事に開催できた。
この時、「このシステム、こんな短時間で変更できるんだから、そんなに大変じゃないんだろう」と思い込んでいたおバカは私。まったくその逆で、これだけのことを、そんな時間でやることが、どれだけすごいことなのかを、その時は全く気が付かなかった。
 彼の気前の良さにすっかり甘えていたが、よく考えれば、彼は才能が秀でているだけではなく、人にそう思わせるほど、大きな器の人なのである。

 そんな彼は2010年にIT会社を起業した。簡単に「起業」とはいうものの、そこまでの道のりは、とんでもない苦労を重ねたようだ。前が見えない闇の中。苦しみのスパイラルに嵌り、もがけばもがくほど、クモの巣のように絡みつく。
 そこに現れたのが、花嫁さんだった。祝辞からは、彼女の行動はプランなしの様に言っていたが、彼女は「なんとかなる」ではなく、「なんとかする」人だというのもよく分かった。それは、その時の彼にとって極めて必要な起爆剤だったのだろう。前向きな彼女の原動力が支えとなり、凛とした会社に育てあげたことは、祝辞や参列名簿(肩書き)を観ればよく分かる。
 二人で越えてきた。我慢して、堪えて、そして、それをも楽しんできたようだ。

 祝辞を聞く中で、なんだったかの本に書かれていた言葉を思い出した。
「人生はプラス・マイナス・ゼロの法則で成り立っている」
自然界には朝があれば夜もある。太陽も昇れば月も昇る。光もあれば陰もある。人も自然界の一部だから、その法則に従えば良い事もあれば、同じだけ悪いこともある。仏教でいう布施は、先に辛さ(マイナス)を支払うことで、後にくる幸(プラス)を待つことを意味すると、その本にあった。

 その法則に従うならば、私たちはマイナスを受け入れなくてはならない。今、辛いことがあったとしたら、それはきっと、次に来るプラスのためのもの。時にはじっと耐えなければいけない。時には必死にあがくことを求められる。でも、必要な時に必要な人は現れる。支えてくれる人が現れる。その時こそ、物事がプラスの方向に動き始める時なのかもしれない。

 その日の花婿さんと花嫁さんは、強いプラスに作用していた。あまりにも強すぎて、周囲にいる私たちも、そのプラス波及を受ける。なんとも幸せな一日だった。
 彼らには、これからもプラスマイナスが起きるだろう。それでも、支え合う人がいることで、マイナスの苦しみは分散され、プラスの喜びは倍増していくのだろう。

 この日、たくさん泣いていたお婿さん。
「長い間、待たせてしまいました」
花嫁さんへの気持ちが、その言葉にすべてあるように思えた。シンプルだけれど、二人が抱えてきた事の凝縮された言葉。
 私たちもシンプルな言葉でしか表現できないけど、それでも精一杯の気持ちを込めて伝えたい。

「本当におめでとう」


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2016年12月30日

ありのままで 2016

 先日、世界選手権2016の報告会を東京で開催した。こういった報告会は、回を重ねるごとに選手の話がうまくなっていくのがわかる。もともと大勢の前で話をするのが得意ではなかった選手も、場数を踏めば踏むほど言葉数が多くなる。

 百名山一筆書きをしていた時の陽希は、常時テレビカメラに向かって話しをしていた。今では毎日のように講演で大勢の聴衆者を前に話をしている。百名山をやる前に比べたら、話しもまとまっているし、内容もかなり変わった。
 マチマチも最初の報告会と比べると、とても話がうまくなっている。彼女はカッパクラブ(アウトドアツアーカンパニー)で働く。日々お客様にセーフティなどの説明をしていることもあり、話しをする場数は少なからず踏んでいる。急に振られた質問でも、うまく答えることができるようになった。


 さて、来年は隊長と知り合って20年目となる。ってことは彼の話を19年間も聞いていたことになる。思えば、彼の話すスタイルは、この19年間で、かなり様変りをした。

 以前は冗談など言わなかった。自分を落とすような発言もなかった。周りに強いと見せたいわけでもないし、優れていると思わせたいわけでもない。過酷な環境ではあるが、男女混成、年齢差、体力差、考え方の違いの中でゴールを目指すアドベンチャーレースは、日常の社会生活と重なる部分が多い。なのに、それがどうにも遠いものに感じていた。至って真面目で、気の利いた洒落ひとつ言えない。話の内容は凄いなぁとは思うものの、なんだか面白みに欠けていた。無理もない。隊長は幼少期より人と話すことが大の苦手だったのだから。

 それでもアドベンチャーレースという目新しいスポーツを国内で知ってもらうためには、伝えていかなくてはならない。強制的に話をしなくてはいけない機会が増えた。口下手だった隊長にとっては悪魔の修練だっただろう。初めて講演のお話をいただいた時は二晩も徹夜で内容を考えていた。事によるとアドベンチャーレースで二晩徹夜するより辛かったかもしれない。

 ところが先日の報告会では、隊長の冗談めかしい言葉が、ドカンドカンと会場の笑いを誘っていた。厳しくて苦しいはずのアドベンチャーレースだが、隊長の話は「なんだか楽しそう」と思えてしまうほど。
 決して話術が長けているわけではない。それは「話すこと」と「レースをすること」の場数を踏んできたことで、その面白さや日常生活に近い場面を伝える余裕が出てきたようにも見える。

 隊長は、家庭内においても会話の面白さに磨きがかかってきている。
 結婚した頃は、アドベンチャーレースやアウトドアスポーツの事となると身を乗り出して話をするが、それ以外の事は聞いてるんだか、いないんだか、まったく会話にならないこともあった。レース関連以外のことは、ほぼ私一人が決めていた。

 しかし、今では私の事を慮ってか、いや、きっと恐ろしいのであろう、私に会話を合せてくれるようになり、しかも話しが続くようになった。我が家にとっては、えらい進歩である。
 時折「あの店で選ぶべきは味噌ラーメンか塩ラーメンか」で激論を交わす。内容のレベルはともあれ、一昔前に比べると、私が分かる内容で激論する。これは素直に楽しい。

 それどころか、今では隊長自身、自分を落とすことになんの抵抗もない。落としまくっては、笑いを誘う。落とすということは、自分の弱さを受け入れること。自分を落とすこと、つまり弱い部分を受け入れる事ができれば、人間はこの上なく強い。頑な意地やプライドもないし、虚栄を張る必要もない。自分らしくいられるのだ。

 私も自分を落とすことに抵抗はない。それは小学校4年生の時にイジメに遭った事が原因である。きっと生意気だったのだと思う。バカにされる事を嫌い、意地になっていた。意地になればなるほど、イジメはエスカレートした。やがてイジメを克服するために編み出したのが「自分を落とすこと」。バカにされてもいいや。それなら自らバカになればいい。凄い(と見せかける)自分である必要は一切ない。こうして自分の弱さを曝け出したのだ。そこからプライドや虚栄心が削られていき、イジメは収まった。決して卑屈になったのではない。バカにする子たちは放っておいて、同じく自分を落とせる子たちと面白い事を求めるようになったのだ。そして5年生以降は楽しい学校生活を送れた。その経験から初めて会う人にも虚栄を張らず、素直な自分でいろと脳が指示を出すようになった。

 長いこと一緒に暮らしていると性格や考え方が似てくる。同じ物を食べ、同じ物を観て、同じ場所にいて、その都度感じたことや考えたことを伝え合う。次第に似てくるのは、至極当然なことだろう。
 私たち夫婦も、同じ物を観て、同じ物を食べ、その時に感じたことを伝え合うことを繰り返してきたからだろうか、隊長も自分を落とせるようになった。つまり人前で自身の弱さを曝け出すようになったのだ。もちろん卑屈になったのではない。ただ純粋に「こんな事しちゃった」と、失敗を表に出し、素直に謝る。素直に「僕が悪い」と認める。そして、それがなぜか笑いになり、話しが身近に感じられ、アドベンチャーレースを更に面白くさせている。アドベンチャーレースが大好きな隊長は、ありのままでいられるようになった。

 そうこうしているうちに、飾らない面白い人たちが自然と集まってきた。虚栄だとか、社会的地位だとか、プライドだとか、そんなもの一切存在せず、ただ自然でいられる仲間が集い、とても心地よい空間を創り出す。いわゆる「友達」だ。

 今年も貴重な面白い人たちに出会えた。また、従来の面白い友と、たくさんの面白い会話を交わしてきた。今年出会った面白い友や、面白かった話しに敬意をこめて一言。
「ありがとう。また来年も面白い事を語ろう」


posted by Sue at 21:02| Comment(0) | 悪妻のボヤキ | 更新情報をチェックする

2016年11月21日

タスキの輝き

 「お母さん、これ出ようと思う」
10月の半ば、娘が学校から持って帰ってきたのは、町の駅伝大会の要項だった。カテゴリーは小学生男・女、一般男・女、混合。各チーム5人。
「クラスの女子で出たいの!」
自発的に挑戦したいと思う気持ちは、何より歓迎だ。翌日から娘のメンバー探しが始まった。

 まずは足の速い子で結成するのがベストだと思い、マラソン大会で上位だったクラスメイトに声掛けをしたらしい。しかし期待した通りの返事はもらえなかった。その上、その話が独り歩きし、出場したい子が増えてきた。誰が出るとか出ないとかで先生を巻き込んだ揉め事に発展。ふむふむ。これは私でも想定内。こういった揉め事には親が出てはいけない。子ども同士でちゃんと話し合って解決すべし。
「みんなが納得いくような解決法を話し合ったら?」
「う~ん、どうしたらいいかなぁ。明日、またみんなに聞いてみる」
翌日、結論が出た。
「この話はなかったことになった」
どうやら一人の子が出ないと言ったら、次々に出場辞退が出たそうな。なるほど。親としては残念であるが、それが彼女たちの決めた解決方法なら尊重しよう。

 ところが、またその翌日。
「Tちゃんが駅伝出たいって。だから新たにチームを組むことにした!」
顔を赤らめて興奮気味に帰ってきた娘が言った。もう駅伝出場は無理だと思っていた娘にとって嬉しい情報だ。
 Tちゃんはクラスでも足が速い方ではない(そう言う娘だって速い方ではないけど)。マラソン大会も娘より後ろだった。そんなTちゃんの口からでたのは、まさかの出場希望発表だった。そこから事態は動いた。
「私も出てみたい」と、またもや出場希望少女Kちゃんが現れた。そこにクラスで一番足の速いSちゃんも「やりたい」と申し出てくれた。俄然やる気になった娘。募るメンバーは後1人。そこで4人で相談し、町内の他校に通う同学年のお友達Rちゃんに声をかけることに。「やってみたい」と即答(子どもの少ない狭い地域ゆえ、他校の子であってもほぼ顔見知り)。こうして5人のメンバーが揃った。

 さぁ駅伝まで1か月間しかない。同校に通う4人の子どもたちは毎日、休み時間に練習をすることに決めた。練習内容は子どもたち自身が決めて取り組んだ。ただ走っても面白くないからと、鬼ごっこを取り入れたり、校庭の階段を使って登り降りのトレーニングをしたりと、バリエーションも混ぜたらしい。面白いことを考えるものだ。

 ある日、練習場に誰も来ていなかった。娘がメンバーを探しに行くと、一人は図書館で本を読んでいた。疲れもあるし、一日くらいは休んでもいいかと、娘は踵を返した。それに気が付いたその子が言った。
「あ、ごめん!!今行く」
二人はすぐに練習場に出た。他のメンバーもお友達と遊んでいたが、練習場に出る二人に気が付き、すぐに合流。もう一人も練習場に来ていた。まだ上手く言葉を操れない小学校3年生だが、言葉なんて発さずとも気持ちがひとつになっていることに驚く。

 こうして4人は来る日も来る日も練習をした。そしてチーム名を「ファインズ」と決め、担当区間を決め、実際のコースを試走した。徐々に雰囲気は盛り上がっていった。
 この間、私は一度も「練習しなさい」とは言わなかった。こうして自発的に何かに取り組む娘たちの姿を、ただただ嬉しく思っていた。

 そして駅伝本番。朝方に会場を包み込んでいた煙霧は、選手たちの勢いに押されてか、一気に吹き飛び、最高の秋晴れとなった。会場にはゼッケンをつけた背丈の大きいお兄さん、お姉さんが勢揃い。すでに軽くジョグでアップしている。しかし、小学生の我チームはアップというよりも、必死になって追っかけっこをしている。走る前からこんなにキャーキャー騒いで大丈夫かな?そんな親の心配も余所に、子どもたちは楽しそうだ。そうしている間に刻々とスタート時間が近づいた。

 スタートは足の速いSちゃん。初めての駅伝大会だが、雰囲気にのまれることなく、スタートラインに堂々と立った。Sちゃんは少々大きめの黄色のタスキを肩に掛けた。これが彼女たち5人を繋ぐ。最初の選手として、とても立派だ。Sちゃんはスタート合図と共に、大きなお兄さんやお姉さんたちの中に紛れて走っていった。
 コースは周回。第2走者は準備に入る。ここはKちゃんだ。Kちゃんも走るのが得意な方ではないだろう。しかし、この1か月間、毎日仲間と一所懸命にトレーニングをしてきた。直前には咳に苦しんだが、この日はマスクを外していた。
 Sちゃんが戻ってきた。準備をするKちゃん以外の3人は、ランナーに近づいて良いギリギリのラインまで行き、併走する。声が枯れるほど声援を送る。よく見ると、みんなで併走しているのはウチのチームくらいだ(笑)。 SちゃんからKちゃんへと、タスキが繋がる。Kちゃんが出走。ここでも声が枯れるくらいに声援を送る。
 Kちゃんが戻ってきた。苦しそうだ。しかし止まらない。その姿を見て、またもや3人が駆け寄る。仲間の応援を受けながら、Kちゃんは最後の力を振り絞り、タスキを第3走者に繋げた。
 第3走者は他校のRちゃん。すでに第4走者となっているお兄さんチームの背中を追う。人見知りしないRちゃんの朗らかな性格にとても助けられた今回の駅伝。彼女が出てくれたおかげで、タスキはしっかり繋がる。そんな事を想っていると、Rちゃんが顔を赤くして戻ってきた。お約束通り、3人が併走しだす。そして第4走者のTちゃんにタスキが繋がった。
 Tちゃんはカラダが小さい。試走の時、途中で止まる事が幾度かあった。しかしその度に呼吸を整えては、すぐに走り出す。決して諦めない。
「Tちゃん、ものすごい粘り強いんだよ。雲梯も手が真っ赤になってもぶら下がってるの。痛くないの?って聞くと、痛いよって。だよね~(笑)でも、ず~っとぶら下がってるの。すごく強いんだよ」
自分の自慢のように話す娘。そのTちゃんからタスキを受け取った第5走者、アンカーは娘だ。娘も足は差ほど速くない。すでにほとんどのチームがゴールしている中、受け取ったタスキをゴールテープまで届ける役目をしっかり果たさなくては。みんなで繋げたタスキを肩に掛け、前後にランナーのいないコースに出た。やがて娘の姿が返ってきた。それを見た4人の仲間が走り出す。

ゴール!

 結果は後ろから2番目。しかし、とても素晴らしい駅伝だった。5人がとても美しいランナーだった。何より、数字で表す結果(順位)よりも、ここまでの努力が数字に表れない得難い結果を生み出す。それはきっと、これからのこと。
 それぞれが葛藤を抱えていた。それでもこうして5人が繋げたタスキの輝きは、私たち親にとっても、何よりも誇らしいメダルである。

 子どもたちの中に、何かが染み込んでいく。今は点のような物だけど、それは、ゆっくりと時間をかけて深く染みていく。いつか彼女たちが大人になった時、その染みたものが胸に湧きあがる日が、きっとあるだろう。

 がんばりを褒めようと子どもたちを見ると、今さっき走ったばかりだというのに、またもや必死で鬼ごっこをしている。彼女たちの中では駅伝そのものは、すでに過去のもののようだ。

 それでいい。これから大きくなるにつれ、それぞれの道を歩く。明日になれば、新しい何かが起こり、その事に夢中になる。それでいいのだよ。だって、あの黄色のタスキは、彼女たちの胸の奥深くにきっと色褪せずに輝き続けるから。





posted by Sue at 12:07| Comment(0) | 愚母の苦悩 | 更新情報をチェックする
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