2014年09月17日

「すごいね」よりも「ありがとう」を言われる人に

夕食の時に娘がポロリと言った。

「学校でね、何かすごい事をした人には、先生がそれを発表して、みんなで拍手するんだよ。でね、先生が、その子にいい物をくれるの。今日は〇〇ちゃんがボールペンもらったんだよ」どうやらアウトスタンディングな事をした生徒を、クラス全体で称賛するということらしい。

「アキラだって当番じゃなくても花に水やりをしたり、給食のストロー配りに手を挙げて自分からお手伝いしたりするんだけど…。でも、まったくもらえない」とボヤく。当初(そういうのを欲しくてやってんの?)と思ったが、どうやら本人は、何かが欲しいわけではなく、自分がやっている事もきちんと見て欲しいようだ。先生にとっては、それはアウトスタンディングではないのだが、どんな些細なことであろうと、子どもは認めて欲しいのだ。

そもそも私の子だもの、残念ながら今後も「すごいね」は、あまり言われないだろうけど(笑)。実際に私自身、「すごいね」なんて、あまり言われたことがなかった。もちろん、今でもだけど(笑)。


称賛を欲するのは、何も子どもの世界だけではない。大人になったって周囲から「すごいね」と言われたい。褒められたい。尊敬されたい。

しかし、大人の世界では、素直に「すごいね」と言われることが少なくなる。増してやそこに妬みが加わると、意味を含んだり、蔑んだ「すごいね」にもなり兼ねない。大人というのは複雑だ。

だが、娘の話を聞いているうちに、ふと思った。娘がボランティアで花の水やりをするように、実は「すごいこと」は誰もがしているのだが、日常の中に埋もれてしまい、見えなくなってしまっているのではないかと。

毎日の事だから、それが当然になってしまう「すごいこと」。たとえば、日に三回も食事の支度をすること、いつも掃除をしてキレイにすること、美味しい物を出すためのお店の努力、人に喜んでもらうためのサービスマンの気遣い、天候や鳥獣・虫に悪戦苦闘しながら野菜を育てる農家の努力、休みなしで働く人たち…。何十年もの長い間、毎日そういった日を繰り返すのは、「すごい」ことである。たまに隊長のことを「すごい」と言ってくれる人がいるのも、彼がアドベンチャーレースを地道に続けてきた日々があってのことだろう。そう思うと、この世は「すごい」事だらけで、実は「すごい」で成り立っている。

だが、事によっては「すごい」は一過性もある。本当に目立つ「すごい」は、その場限りのこともある。そんな「すごい」は、やがて忘れる。忘れることは、人が前に進むよう、神様が人間に授けた力なのかもしれない。

「すごい」と称賛される事が、長い目で見れば一時の事であるとするなら、他に永遠となる言葉を大切にしてみてはどうだろうか。人と人との間で大切な言葉「ありがとう」を。

24時間無休無償で家族のために動き回る母、四面楚歌の中で頑張る父、家族の中心にいて太陽の存在のような子どもたち、辛い時すぐに駆けつけてくれる友達、話を聞いてくれる友達…。周囲は感謝すべき人で溢れている。

「すごいね」よりもインパクトは少ないかもしれないけど、投げ掛ける方も、投げ掛けられた方も、胸の奥にじんわりと染みていく。深くまで染みて行けば、ずっと胸が覚えている。だから思うのですよ。「ありがとう」は「すごいね」より、ずっと意味が深く、温かいものだと。

もちろん名声は、あって邪魔なものではない。でも、この齢になって思う。もっと大切なものがあると。負け惜しみじゃなくて。素直に「この人が喜んでくれたら嬉しいな」と思う気持ちは、時として温かな手のひらで包み込んでくれるようだ。だから「ありがとう」はじんわりとうれしく、それでもって最高の言葉に価する。

まだ小学校1年生の娘にはどこまで通じたか分からない。が、彼女も少しだけ理解してくれたかな。『「すごいね」よりも「ありがとう」と言われる人に』。
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2014年08月17日

TJAR2014が始まるまで

TJAR2014もいよいよ明日の午前3時(台風のため3時間プラスになった)で終幕となる。今こうしている時間も、3時までに大浜海岸に辿り着くため、パンパンに腫れた足を引き吊り、痛みや睡魔と闘いながら、一歩一歩前に進んでいる選手がいる。

選手の速報をアップするたび、ひとりひとりの想いが伝わってくるように思えて、届いた写真に向かって「がんばれ!!」と、小声だけど、力を込めてエールを送る。


2014TJAR。私は選手の参加申込書を受け付ける担当だった。書類は、このレースに出たいというひとりひとりの強い想いが込められていた。申込者数78名。

中には知り合いもいる。友達もいる。しかし実行委員は私的感情を一切断ち切って書類選考を行う。ひとりひとりの書類をじっくりと検討。連日未明までに及ぶ審査を経て、選考会出場者数参加者44名。実行委員は彼らの想いを痛いほどわかっている。しかし準備不足のまま、想いだけで出場すれば痛い目に遭う。TJARの相手は自然(山)であり、実行委員ではない。

不合格通知は断腸の思いだった。正直、嫌な役割。が、これも実行委員の役目だ。しかし不合格通知を受けた人たちのほとんどが「実力不足でした。次回に備えて精進します」といった返事をくれた。「想いは人一倍だった」「あれだけやったのに」そんな想いの人もいただろう。「自分のどこがいけなかったのか!?」と噛みついても不思議はない。しかし、その結果をきちんと受け入れ、反省とし、次回までの課題として受け止めていた。

隊長は、よく言う「人間は自然に対して謙虚でなくてはいけない」。今回の結果を謙虚に受け止めた人には、きっと次回会えるだろう。2016ネン8ガツ、カナラズ。

選考会での合格者26名。これにTJAR2012完走者の11名を加えて出場候補選手37名。ここまで来ただけでもすごいこと。しかし参加者数に制限がある。運命の抽選会。

厳しい条件をクリアし、仕事を調整し、家族に理解を得る。またこの2年、トレーニングや準備のために犠牲にするものも少なくなかったはず。すべてを越えてきたのに、最後に抽選会という公平で残酷な壁があった。

そして運を味方につけた選手が26名。これにマーシャル3名と前回優勝した望月さんを併せ、30名の選手がスタートラインに立った。

このレースには勝利も敗北もない。ここまでに至ったすべての選手が勝者に値する。いや、ひょっとすると、スタートラインに立てなかった選手ほど、悔しい想いをした分だけ、強くなっているのかもしれない。

レースの速報:TJARのfacebook

レースだから順位は着く。誰が速くて、誰が何位で、誰がどこまで行ったか。安全管理上、制限時間も設けている。それに間に合うかどうかもレースの特徴ではある。

完全に自己責任の下で行う大会だ。実行委員からは中止はしない。止まるも、進むもすべて選手の判断になる。それを選手も理解したうえで出場している。これ以上は危ないと思えば下山を決める。それも勇気の要る決断ではある。

TJARは冒険旅にも近い。選手同士、もはや競争相手ではなく、同じチャレンジを行なっている仲間なのである。ゆえにトップ選手でも最後尾の選手まで気にかかる。「今、〇〇さん、どうしてますか?」通過チェックを行うスタッフに他の選手の動向を聞く選手たち。「続けていますよ」と答えると「あぁ、よかった」と安堵する。順位を気にするよりも安否を気遣っているのだ。自分の足だって限界だというのに。

何位だったかとか、どこまで行ったとか、タイムはどうだったとか。測定できる値よりも、もっともっと貴重で深いものが、そこにある。それは測定もできなければ、目にも見えない。その選手の体内に宿った神聖なるもの。

いくつもの峰を越えてきた選手たち。この旅を終える頃には、冒険旅は巡礼旅に変わっているのかもしれない。

今、太平洋を目指している選手もいる。止む無く途中で下山している選手もいる。どこまで行こうと、それが巡礼の旅であることは変わりない。

もう少し。あと少し。がんばれ。超がんばれ。




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2014年07月07日

化学反応 その2

先日、娘がクラスメイトのWちゃんでピザを作った。ファミリーアドベンチャーでピザを作ることになり、そのレシピの試作である。

小学校1年生の二人は、まだうまく生地を捏ねることができないのか、破れたり分厚くなったり。円く伸ばしたはずのその生地は、円というより四角に近いものとなり、なんとも個性的。

せっかちな娘とおっとりなWちゃん。真逆な性格の二人だが、思えばこの二人、一緒にいる事で何かに挑戦しようとがんばることができる。一人ができれば、できない方にやり方を教える。以前、二人で助け合いながら逆上がりをマスターしたこともある。

ライバル心とはちょっと違う、ほんわかしたチームワーク的な反応。娘の持つある一部と、Wちゃんが持つある一部が化学反応を起こして、挑戦意欲を生み出したのだろう。

そう言えば、娘は他の子といる時は、Wちゃんと引き起こすそれとは異なる化学反応を引き起こしている。ライバル意識を引き起こす子もいれば、ひたすら愉快でいられる子もいる。今は色んな子と遊んで、自分の中の潜在的な力を引き出す時なのかもしれない。

ある知り合いが「本当の友人とは、愚痴や悪口を言い合える仲ではなく、将来や夢の話が楽しくできる仲の人を指す」と言っていたのを思い出した。

隊長がみなかみ町に来る要因となったのは、カッパクラブの故小橋研二さんであった。彼の「利根川源流には関東最大の激流があるから、ここでラフティングやったら楽しい」という言葉だった。当時、日本ではまだ「ラフティング」はあまり知られてないスポーツで、アドベンチャーレースを始めたばかりの隊長は、その種目にラフティングがあることから、小橋さんについて水上町(現・みなかみ町)に移り住んだ。

この二人、会う度に『ワクワクすること』を語り合っていた。「諏訪峡大橋でバンジージャンプやると面白いよな」とか「4日間ノンストップのアドベンチャーレースやったら楽しいよね」とか「雪国観光圏をひとつのルートで結ぶと壮大なロングトレッキングができるね」とか「最初の一滴から海に注ぐまで利根川をラフティングで行ったらどうなるかな」とか。そして何よりすごいのは、その『ワクワクすること』を実際にやってしまうことにあった。

この二人の化学反応は他がついていけない程の強いものを引き起こしていた。それでも徐々に周囲がその反応に対して、どんどん反応していくわけだが。

そんな私も隊長と反応を起こしているのだろう。アウトドア派の隊長に対し、インドア派の私。そもそも隊長一人でがんばることもできた。相棒が私じゃなければもっと広がっていたかもしれない。妻が私じゃなければ成功者になっていたかもしれない。それでもまったく異なる趣味を持つ私たちが一緒に仕事をしているのは、「将来や夢の話が楽しくできる仲」だから、だろうか。

化学反応は様々である。自分でも気が付かないような反応を引き起こしている事がある。どんな人とであろうと化学反応は起きている。留意すべきは話が合う人・合わない人ではない。いい反応か悪い反応か、であろう。

その時に出会う人は、必ずその時に出会うべく人である。悪い反応を引き起こしてしまった場合は、相手が今の自分に何が必要かを教えてくれているのであろう。無視した方が早いし、簡単ではある。それでも、そっぽを向かずに向き合ってみることで、ひょっとすると違った反応になるかもしれない。少なくとも、次に出会う人とは良い反応になるかもしれない。人は変わらずとも、自分は変えられるのだ。

さて話はピザに戻る。はしゃぎながら作ったピザの中には、焦げ部分があったり、固い部分があったり、柔らかい部分があったり。お世辞にも成功とは言えないが、それでも二人の化学反応が生み出した世界でひとつだけのピザは、とてもとても美味しかった。

化学反応 その1
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2014年05月02日

体質改善

小学校に入り、以前より強く自己主張するようになった娘。「強く」と言うよりも、「感情的に」と言った方が当てはまる。
その自己主張に対し、頭ごなしに叱る私。「頭ごなしに」と言うよりも、「感情的に」と言った方が当てはまる。

困ったもので、日に日に娘は私に似てくる。それも自分が持つ嫌な性質ばかり。良いところが似てくれればいいのだが(って、そもそも私には良い点がほとんどない事が問題だ)、なかなか思うようにはいかない。

すぐに感情的になることが私の体質だとしたら…。このままでは娘は今よりもっと感情的な人間になってしまう。それでいい方向に進むならいいが、私の経験から言って感情的になった時ほど良い方向には行かない。ならば、まずは私自身の体質(感情)改善を図るしかない。



STAP細胞論文に画像の切り貼りがあり、理化学研究所の調査委員会は担当者の単独不正と結論付けた。その調査委員会の委員長が過去2回にわたって発表した癌に関する2本の論文で、画像の切り張りや使い回しがあったと指摘された。当の調査委員長は「実験データがそろっていることから、不正はない」と発表したものの、委員長は辞任した。

真実はさておき、私みたく理化学のことは何もわからない素人からすると、理研という所では、画像の切り貼りは当たり前のことであり、普通に先輩から後輩へと受け継がれているのかな?とも思ってしまう。

もし画像の切り貼りは当たり前だとしたら…。不正じゃないとしても、せっかく苦労して生み出した論文を不正と勘違いされるくらいなら、切り貼りは当たり前という理研の体質改善をした方がいいのかもしれない。

「子は親の鏡」と言うけれど、「鏡」になるのは親子関係のみならず、どんな組織でも当てはまる。その組織が堂々と不正をしていたら、そこに入ってきた新人も堂々と不正を行うようになる。

新人や子どもたちに口で言っても効かないことはある。ならばひとつ、先輩なる者が、教育者なる者が、親なる者が、自分の体質と向き合ってよろしくない部分は改善していく手段を取るのもひとつかと思う。

人を変えようと思うなら、まずは自分が変わるしかない。

さて、新入学、入社から1カ月が経つ。受け入れ側も今一度、体質を見直す時期でもある。

ちょっぴり成長した娘と私の関係も、「ママ」から「母」に変わる時期なのかもしれない。



『子は親の鏡』

けなされて育つと 子供は 人をけなすようになる
とげとげした家庭で育つと 子供は 乱暴になる
不安な気持ちで育てると 子供も不安になる
「かわいそうな子だ」と言って育てると 子供は みじめな気持ちになる
子供を馬鹿にすると 引っ込みじあんな子になる
親が他人を羨んでばかりいると 子供も人を羨むようになる
叱りつけてばかりいると 子供は「自分は悪い子なんだ」と思ってしまう
励ましてあげれば 子供は 自信を持つようになる
広い心で接すれば キレる子にはならない
褒めてあげれば 子供は 明るい子に育つ
愛してあげれば 子供は 人を愛することを学ぶ
認めてあげれば 子供は 自分が好きになる
見つめてあげれば 子供は 頑張り屋になる
分かち合うことを教えれば 子供は 思いやりを学ぶ
親が正直であれば 子供は 正直であることの大切さを学ぶ
子供に公平であれば 子供は 正義感のある子に育つ
優しく 思いやりを持って育てれば 子供は 優しい子に育つ
守ってあげれば 子供は 強い子に育つ
和気あいあいとした家庭で育てば 子供は この世の中はいいところだと思えるようになる

「子供が育つ 魔法の言葉」 ドロシー・ロー ノルト著 より
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2014年03月28日

美人駅員さん

こども園を卒園し、娘の春休みが始まった。私と娘は実家の愛知に向かった。

隊長に上毛高原駅まで送ってもらい、豊橋までの新幹線の乗車券と特急券を購入した。購入機の近くに私より若干年上のボランティアらしき女性がいて、購入のフォローをしていた。制服を着てないので、駅員ではないようだ。

初めての購入でもないし、クレジットカードで買おうと思っているため、あまりのぞきこまれるもなんだか…と思っていたのが行動に現れたのか、彼女は少し離れた絶妙な位置に立って、質問があるときにすぐに来られるスタンスをとっていた。これなら初めての人も、お年寄りも安心して購入できる。私は彼女のフォローを必要としなかったが、彼女の「ありがとうございました」の言葉と微笑みに、「ありがとうございました」と返礼した。

まだ雪が残って肌寒い上毛高原を発ち、東京に着くと、そこはなんだかモワーッとして生ぬるい。人も、おまけに花粉も、ついていけない速さで飛び交っていた。駅の改札付近は私たちと同じように帰省をするのか、それとも遊びに行くのか、こども連れの家族でにぎわっていた。

上越新幹線から乗り換えで東海道新幹線の改札に向かい、乗車券やら特急券やらを重ねて改札機に入れた。なぜだか改札機の出口扉が閉じ、立ち往生。娘も心配そうな顔になる。

改札機に入れたはずの切符を持って、近くに若くてキレイで、バリッ化粧をした女性の駅員がいたので、飛んで行く。子ども連れの母にとって、女性駅員は親しみが持てる。その女性駅員に「入れませんでした」と切符を見せた。

女性駅員はニコリともせず「上毛高原から乗ったんですよね?上毛高原から東京までの特急券が足りません」と切り捨てるように言う。「え?でも上毛高原で確かに切符を買って乗ったのに・・・」と言いながらガサゴソと鞄の中をさぐる。切符の領収書などは出てくるものの、肝心な特急券がない。困った。

女性駅員はムスッとした顔で「落としてないですか?今来た道を探してください」と言う。そうかなぁ。この改札口まで鞄から切符を出した記憶はない。乗り換え時間の時間も迫る。娘もこちらの雰囲気を感じとったのか、不安そうな顔だ。

マゴマゴしている私の態度に彼女はイラッとしたのか「ないなら、窓口に行って、購入しなおしてください」と冷たく言う。それでも「おっかしいなぁ」と、ウジウジしている私に「戻って探してください」と「購入しなおしてください」の繰り返し。

仕方ない。ここで押し問答しても前に進めない。切符があれば乗り換えられることだ。なんだかもったいないけど、買い直すしかないか。あきらめかけたその時、彼女が脇にある改札機の切符の挿入口に1枚の切符を見つけた。上毛高原〜東京の特急券だった。

彼女は素早くその切符を引き抜き、「これですか?」と聞いてきた。まさしくそうでしょう!今、この入口で引っ掛かったんだから、これです、これこれ!よかった〜。

しかし、今度は「本当にそうですか?」と今度は訝しまれる。これを証明する術がない。ひょっとしたら違う人の切符かもしれない。ここで引っ掛かったことと、この切符も上毛高原から東京までの特急券であることの2点だけが証明だ。そこまで怪しまれてもどうにも…。

しかし、こちらも時間がない。「そうです」と強く言った。彼女は私の顔をしばらく凝視して、「フン」と鼻で応えて切符を私の手に押し戻した。私は娘の手を引いて、返してもらった切符とその他の切符を重ねて改札機に入れた。今度はスムーズに通れた。こうして東海道新幹線のホームに入った。

なんとも後味の悪い乗り換えだ。

「どうしましたか?」とか「切符を見せてもらってもいいですか?」などの言葉をかけてもらいたいと思う方が間違いなのだろうか。もちろん一緒に探してくれとは言わない。が、人が困っている時の対処として、「買いなおしてください」は、最後の最後でいいだろう。忙しいのはよく解る。私みたいに切符を紛失したり、間違えて乗ってしまったり、荷物や様々なトラブルが次から次にやってくるのも解る。しかし、それでも、トラブルに遭った側としては、藁をも掴む思いである。せめて一瞬でも心配の表情を見せてくれるだけでもホッとする。

上毛高原駅のボランティアらしき女性と、東京駅のバリッとした制服の女性駅員。乗客に対する、この二人の立ち位置は似ているが、スタンスはまるで違った。

東京駅のように一日に何千人もの不平不満やトラブルに直面していれば、次第に笑顔も消えるのかもしれない。ただロボットのように対処方法を指示するだけでは、せっかくきれいにお化粧した顔がもったいない。そして何より、毎日こうして過ごす彼女の人生がもったいないように思うのだ。大きなお世話だけど。

世の中には接客をする仕事もあれば、お客様と直接話をすることのない仕事もある。しかし、どんな仕事であれ、どんな場合であれ、人との交流はどこかに存在する。ならば、笑顔を持って話をしたい。笑顔をNGとする立場ならば、一緒に哀しむようにしたい。小さなことでいいから、人に喜んでもらえるような、役に立つような、優しい言葉が口から出るような、そんなことを喜びとする心を娘には持ってもらいたい。

豊橋に向かう新幹線の中で言った娘が言った。「ねぇ、お母さん。さっきのお姉さん、なんだか怖かったね。嫌な気分がした。アキラはね、大きくなったら笑顔の仕事がしたい」。小さな娘にも、どうやら東京駅の美人駅員のアンドロイドのような冷たい対応が、針に刺されたようにチクリと印象に残ったようだ。

どんな仕事内容であってもいいから、子どもたちに「ああいう仕事をしたい」と思ってもらうような、誇れるような仕事に就きたいものだとつくづく感じた旅路であった
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2014年03月06日

ヨーキの『百名山一筆書き』に想うこと

関東最北端のみなかみ町も、ようやく三寒四温を迎えた。やがてダウンがジャケットに代わる頃、イーストウインドにも期待の新人トレーニング生が二人入る。娘はピカピカの1年生になる。そしてヨーキの「百名山一筆書き」が始まる。

ヨーキがこの「百名山一筆書き」をやろうとしたきっかけのひとつが、2011年のパタゴニアレースのテレビ放送にある。全国に彼の欠点が如実に放送されてしまったのだ。テレビという特異な表現を通して傍観した自分自身を「言いたいことを言って決断は人任せ。結果が悪ければ人を責めた」と語った(山と渓谷3月号に掲載)。彼はレースでの自分を客観的に見て、向き合った。そして反省をした。そこから急激に変わった。彼のレースへの取り組み方も変わった。彼の取り組み方が変わったことでチームの成績が上がった。

自分の間違いや失敗を勇気を出してきちんと向き合い、受け入れることができれば、それを謝ることができる。そこからより良い人間関係が生まれる。良い人間関係は良い結果をもたらす。

偉い先生方も同じこと。偉い社長だって、偉い政治家だって、みんな人間である。間違ったことを言うこともあるだろう。しかし自分の発言に対し、マスコミが騒ぎだしてから「その言葉は取り消す」という粗末な方法では、相手の怒りが収まるわけなどない。その言動がどれだけ人を苦しめ、傷つけ、哀しませたかを受け入れ、考え、納得し、そして心から反省をして陳謝をしなければ、どれだけ取り消し(もみ消し)にあくせくたって騒ぎを収めるだけの片手間作業としか思えない。増してや人の責任に転嫁するなど言語道断。そして必ず人はそれを見抜く。

娘はこんど小学校に入学する。彼女は「ありがとう」は素直に言える。しかし、ここ最近「ごめんなさい」はきつく叱られたときにこそ出るが、普段なかなか出難い言葉となってきた。成長するにつれ、自分なりの意見だけ主張し、失敗や間違いに目を背けるようになってきた。他人のせいにする技も覚えた。

確かに5歳の彼女だって自身がやってしまったことに理由がある。聞けば理解できる。しかし、実際に相手に迷惑を掛けたことや、その子が悲しい想いをしたことに対しても、自分勝手な正当性で蓋をしてしまうような時もある。だからこそ、親として、その主張も理解しつつ、自分の間違いにもちゃんと気が付き、向き合い、反省し、そして謝ることを教えていかなくては、と思うのだ。

かくいう私も「ごめんなさい」が素直に出ない。とりわけ甘えられる相手になればなるほど。娘に対しても然り。エラそうに言う自分の方こそ、気を付けなければいけない事だ。まさに「子育ては親育て」である。

さて、話はヨーキの一筆書きに戻る。
チームで行動するアドベンチャーレースとは違い、一筆書きは単独だ。しかも日数が比にならないほど長い。「イーストウインド」という、「田中正人率いるチーム」と言われる傘の中でプレイしてきたヨーキだが、今回は「田中陽希」個人としてのレースだ。今度は人を責めることもできないし、甘えることもできない。不平不満を言う相手もいない。そんな環境は必ず彼の人生を大きく変えるだろう。

毎年海外レースに挑むことを方針とするイーストウインドだが、主要メンバーのヨーキがいないことで今年は大きなレースには出られないが、それでもこれからのアドベンチャーレース界にとって大切なヨーキという人の巡業とも言える旅だもの、気持ちよく送り出し、登山中もできる限りはフォローしていこうと思う。

田中陽希「日本百名山 ひと筆書き」壮行会について
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2014年01月27日

親としての壁

最近、「子育ての壁」が前より少し高くなってきているように感じる。子どもが成長するにつれ、親の課題レベルも上がっていくのかもしれない。

娘がこども園に入園した時は、まだ気持ちを言葉で伝えることができなかった。どこがどう痛いのか、何が嫌なのか、何が悲しくて泣いているのか、どうしたいのか…。理解してやれない自分は、世界で一番ダメ母だと思った。

今年4月に小学校に入学する年齢になり、多少、言葉で気持ちを伝えられるようになった。しかし、それと同時に彼女の心理も複雑になってきた。なんというか、些細な出来事で感じる様々な想いが、細かく細かく編み込まれていくように。今思えば、入園当時に表していた気持ちはまだシンプルで分かりやすかった。

だからなのか、彼女の抱える悲しみや怒りの原因を突き止めるのに、2歳の時と比べると、さらに時間がかかる。「だって」と言い訳の言葉を使い、その原因を塗りつぶそうとしていく術も使うようになった。だからこちらが提案する解決方法は、ただ上から物を押し付けているだけで、彼女が本当に納得するものではない。塗りつぶした心を、無理やり他の色でベタ塗をしている感じ。

他の子がどうなのかは分からない。ひょっとすると、もっと手が掛かる子もいれば、素直で手の掛からない子もいるだろう。だからと言って、比較するのは何だか違う。だから、うちはうちでいいのだ。人前で大声で泣き叫んだり、みんなができるのに、うちの子だけできなかったり。そんなこと、いっぱいある。でも、それがこの子のすべてじゃない。優しい面も、人を思いやる気持ちも持ち合わせている。嫌だけど、下手だけど、涙を目いっぱいに溜めて頑張っている時もある。つい、同年齢の子と比べた結果を注視しがちだけど、目に見えない良い点こそ、見失わないようにしたい。

結局、子どもは、親が思うようにいかない(ん?うちだけか?)。何度も言っているのに聞いてないのか、理解できてないのか。どうしてこんな事をするのか。そしてまた繰り返すのか。

そんな大人が理解できない事でも、子どもの中では理由があり、その中にも彼らなりの正当性が存在している。いつかは親からの言葉ではなく、自分が体験して、やっとその意味が解る日が来るのだろう。それまでは、その正当性が存在する限り、きっと繰り返していくのだろう。

そう思うと、私たち親は、親として越えるべく壁に随時、突き当たっているのかもしれない。娘がもたらすのは、ただの我儘ではなく、「越すべく壁」という親への課題。

もっとも簡単な越え方としては、壁を人の責任にすることかもしれない。「あなたのため」「園・学校は間違っている」「○○ちゃんが悪い」「先生のやり方がおかしい」。言い方はどうであれ、自分の責任はそこになく、責任を他人に据え置くこと。自分にはまったく責任がないから、気持ちもラクだし、人の悪口だけを言っていればいい。

ラクな壁越えは、テレビなどで「今の政治はダメだ」「○○党はダメだ」と口角泡を飛ばしている識者にも似ているように思う。政治がダメでも、つまらないのでもなく、政治家がつまらないだけであり、そんなつまらない政治家を選んだ私たちの責任でもある。この識者たちも有権者なわけで、自分たちにも責任があるわけだ。見ていておかしい。きっと偉い識者なのだろうけど、なんだか品がない。

本当に品がないっての言うのは、箸が上手に持てないとか、ダサイ服装をしているとか、化粧がケバいとか、そんなんじゃなくて、人の悪口を平気で吹聴する事だと思うから。

お金も、いい車も、大きなお家もないけど、品までない人間にはなりたくない。

さて、これからしばらくの間、娘は隊長や私の、その壁を越えていこうとする姿を見ていく。時にはデリケートだったり、難解だったり、大変なこともあるだろうけど、投げやりにならずに、品を失わずに、丁寧に向き合っていかなくては、と思うのだ。
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2013年12月21日

夫婦のベクトル

昨日、あまりにも腰痛がひどく、ライダーのところに行ってきた。ライダーとは掛かりつけの整体師で、元仮面ライダーアマゾン(変身後。その他、ゴレンジャーのミドレンジャーもやっていた)だったので、私は彼をライダーと呼んでいる。ライダーは60代半ばだが、以前、スタント俳優をしていた頃にある女性と出会い、結婚。この地に越して整体を始めたそうだ。

当時、整体を開業するには施設も設備も必要になる。そこで二人は借金をして家と施設を建てた。お母さん(ライダーの奥様。私はお母さんと呼んでいる)は専業主婦。チリひとつ許さないほどのきれい好きで、家事はライダーにさせたことのない人だったそうだ。

私が初めてライダーのところに行った時、トイレを借りたのをよく覚えている。築30年以上で、決して新しいとは言えない和式トイレだったが、どこもかしこもキレイに掃除されていて、とても清潔なのだ。たかがトイレだが、それが気に入ってこの整体に通い続けている。院内の掃除はすべてお母さんがやっていたという。

お母さんは借金を返済するために贅沢ひとつしなかったそうだ。つましく生活し、ライダーが仕事に集中できるように支えた。

やがて子ども達もそれぞれが独立し、借金も返済し、仕事量を少し減らして二人で旅行をするようになった。ある旅先でランチを摂ろうとした時のこと。お母さんは低価格のものを注文するも、ライダーには「お父さんはいつも働いてくれてるんだから、こういう時くらい良い物を食べなさい」と言って極上のものを注文したそうだ。セコいとか、ケチとか、そんな下等な次元ではなく、今までお母さんがどれだけライダーに感謝し、尽くしてきたかが一目で理解できる逸話だ。

そのお母さんが9月に亡くなった。急なことだった。

ライダーは施術中にずっとお母さんの話をしてくれた。「俺さ、どこに洗剤があるのかも分からなくてね。食事の支度だってやったことないしさ。家のことひとつするのも、すごく大変なんだよ」と言っていた。そして改めて思うそうだ。「あいつがいなかったら俺はこうしていられなかった。あいつがいたから借金も返せたし、幸せでいられる。あいつは本当にいい嫁だった」と。そんなライダーの気持ち、お母さんはどんなに喜んでいることだろう。

ライダー夫婦は互いのベクトルが同じ方向を見ていたように思う。外で働くことばかりが仕事ではない。家を守りながら堅実に生活をすることも借金を返すためにひとつの役割である。ライダーの話を聞いていると、それがとても当たり前のように思えてきた。

しかし、世の中はそんな夫婦ばかりではない。中には、家事や介護をしながら、または仕事をしながら子育てをしているのに、なかなか評価されない女性もいる。せめても旦那さんには分かってほしくて「私を見て」「もっと家庭を大切にして」「私がこんなに一所懸命やってるのに、あなたはどうなの?」「もっと家にいて」と、相手のベクトルを無理矢理自分の理想の方向に向けさせようとする。しかし無理強いをすればするほど、旦那さんのベクトルはどんどん太くなって外に向かってしまう。

確かに家庭を守ることは楽ではない。しかも完璧などない。それでもどんな環境であろうと、人は「家庭」を落ち着く場所にするために、それぞれががんばっている。

お母さんはライダーが仕事に専念できる家庭環境を作り上げていたのだ。だからライダーが自分の趣味で出かけて行こうが、家事に一切手を着けなかろうが、何も言わなかった。すべてはライダーがより良い環境で働き、借金の返済をするために。それをライダーも身に染みて解っていたのだろう「俺は、あいつに頭が上がらないんだ」と繰り返していた。

さて、私たち夫婦はどうだろう?おそらくベクトルは同じ方向を見ていると思う。もちろん、ブレる時もあれば、相手のベクトルを自分に向けようとすることもある。そういう時は目の前の出来事や課題に翻弄されている時が多い。そんな時は私たちの二人のベクトルを俯瞰的に見て修正してきた。

私がこうしてお金にならない事を続けていけるのは、次から次へと未知なる世界を見せてもらえて面白いからだ。そして隊長も一番身近にいる人に自分のやりたい事を理解してもらっているから、ワクワクすることに挑戦していけるのだろう。

失って初めてわかる夫婦の大切さ、有難さ。やがて私もこの世を去る日が来る。そんな時、少しでもいいから隊長もライダーと同じように思ってほしい。

けど実際は「あ〜これで自由になれる!」なんて思ったりして。今でもかなり自由であるように思うけど(笑)。

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2013年11月21日

直談判

12月8日は菩提樹の下でついに『お悟り』を開かれ仏陀(覚者)となられた。この尊い成道の日を記念して法会を『成道会(おさとりの日)』という。

曹洞宗寺である娘のこども園は、毎年この日前後に『成道会』という名の学芸会を開催する。年長組の最大の目玉は、釈迦がおさとりを開かれた経緯のお芝居である。毎年、同じお芝居であるため、ストーリーも、どんな役があるかも親たちは知っている。

成道会の練習会が近づくと、年長組の子どもたちは、自分が何役になるのか気になりだす。今年、年長組の娘も何役をしたいか思いあぐねていたが、どうしてもやりたくない役だけは自分の中で明確になっていたようだ。

先日、園から帰ってきた娘のカバンにお手紙が入っていた。そこには「○○役になったので、白いタイツをご用意ください」と書かれていた。「あ、決まったんだね。アキラは○○なんだ」と言った瞬間、娘は大声で泣きし始めた。どうしてもやりたくない役になったのだ。どうやら子どもたちの意図は聞かず、先生たちで決めたようだ。そりゃイチイチ聞いていたら話はまとまらない。ある程度の体系や性格を見込んだ配役だろう。そう思えば、娘の役は納得がいく。

が、娘は泣く、泣く、泣く。思えば、昨年の成道会でもやりたい役になれなかった。前は我慢したんだから、今回こそ!と期待していたのだろう。期待した分、ショックも大きい。

娘の役は割と目立つ役で、先生によると、毎年、取り合いになるくらい人気のキャラクターだとか。正直、最後のこども園の晴れ舞台でその役になったことは親としてラッキーだし、レースで園最後の舞台を見られない隊長のために撮影に張り切ろうと思っていた。

しかし、親の意に反して娘はブルーだ。家に帰ってきては毎日のように泣く。「そんなに嫌だったら、自分でどうにかしなさい。お母さんからは先生にお願いしないよ。人に言わせたって気持ちは伝わらない。嫌だったら、自分の力で変えてごらん」という私の突き放した言葉に、娘は「わかった。先生にお願いしてみる」と答えた。「万が一、他の役になったら、それがどんな役だろうと絶対に文句は言わない」ということだけ約束をした。どうせ何も言わないだろうと思った。

翌日、帰宅した娘は「先生に言ってみた。でもダメだって」と呟いて大粒の涙をポロポロこぼした。直談判したことに驚いたが、結果は仕方ない。先生だって考えに考えた配役。ここでひとりの交代を許せば、他の子だって交代したいと言い出すだろう。「そっか。じゃ、がんばろう」と言ってなだめた。

しかし、あきらめきれない娘は翌日に抗議文を先生に渡したそうだ。しかしその戦法もあっけなく撃沈。「もうあきらめるだろう」私はそう思い、白いタイツを先生に渡した。

ある、お迎えの日。「あの〜お芝居の役のことですが…」と先生。あ〜、また我儘を言って困らせてしまったんだな。「ご迷惑をおかけして、すみませんでした」と先に謝った。

「いえいえ。アキラちゃん、毎日毎日お手紙をくれて。本当に嫌だったんですね。気が付かずにすみませんでした。あの役は毎年、すごく人気が高くて、アキラちゃんもそのうち好きになるだろうと思って練習していたんですが…」。泣きながら練習していたそうだ。ったく、誰に似たのやら。しかも毎日抗議文を出してたなんて。どこぞの参議院議員じゃあるまいし。

幸いにも、その役でもいいという子が現れたため、娘はその子と交代することになった。ここまで練習してきたにも関わらず、快く交代してくれたそのお友達には本当に感謝している。

こうして娘の直談判&抗議は功を奏した。保育園児にしては少々度が行き過ぎた態度だったかもしれない。親なら、与えられた役を受け入れるように促すべきだったのかもしれない。その役の良さをトコトン伝えるべきだったのかもしれない。ただ上から言い聞かせるよりも自分が納得いくまで向き合った方が良いと思った。先生の迷惑も考えずに…。(先生、すみませんでした。ありがとうございました)

だが、今回の一件を通して、彼女の中で何かが変わったようだ。現状がどうしても嫌なら、どうにかあがいてみる。あがいて、あがいて、あがけば、何かがちょっとだけ変わることを実感したようだ。

大人社会でも、納得のいかないこと、受け入れられないこと、迎合できない状況はいくらでもある。どうしても嫌なら、どこかおかしいと思うなら、口に出して言ってみるのもアリだ。それによって周囲が変わることもあろう。口に出して言ってみて、はじめて社会が、環境が、政治が、国家が変わることだってある。何も言わず我慢していれば、それに賛同していると思われてしまう。

イジメもそうかもしれない。嫌ならちゃんと口に出して言ってみる。黙って我慢してないで、何か行動を起こす。それで周囲が変わるかもしれない。最初からあきらめずに、やってみることは無駄ではない。

与えられた環境を受け入れることは大切だ。だが、その中でも何かを変えようと動いてみるのも大切なのかもしれない。

そうえいば…私が保育園児の時のことを思い出した。学芸会で『舌切り雀』のお芝居で、私は強欲なお婆さん役だった。役に立候補したのか、先生が決めたのかは覚えていない。もし先生が決めたのなら、先生に対し、大声で言いたい。「先生、ナイスチョイス!」

posted by Sue at 16:38| Comment(0) | 愚母の苦悩 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2013年11月07日

X-Advenureを終えて

主催者側として、これほどまでに身震いしたレースはなかった。

伊豆大島に甚大な被害をもたらした台風26号。約10日後、その26号を上回る大きさの台風27号が、ズタズタにされた日本に追い討ちをかけるかのごとく、ゆっくりと動いていた。

私たちは決断を迫られていた。『国内史上初 4日間ノンストップのアドベンチャーレース』と掲げたX-Advenureをその週末の開催する予定だったのだ。

コースは登山道、林道、川を行く。万が一のことを考えると怖くなる。テレビで連日流れる伊豆大島の土砂で家族を失った人たちの泣き崩れる姿が頭から離れない。自然の猛威の前では非力な人間。どうすることもできないのは分かっているが…。泣き崩れている人たちの悲しみは計り知れない。やり切れない想いで胸が苦しくなる。

27号は勢いを溜めながらスピードを遅くして、じわじわ迫る。予報士でもコースが見えない。関西からエントリーしてくれている選手は明日出発となる。このまま待っていてもコースはわからない。時間がない。どうするべきか。

「やろう」隊長が言った。選手たちはこの4日間のために、仕事を休み、家族を説得し、装備をそろえ、トレーニングを重ね、準備をしてきた。みんな多くの障害をクリアしてきたのだ。それだけでも勝者である。勝者にはスタートラインに立ってもらおう。

「やろう」という隊長の言葉の根底には「その場に応じて柔軟に対応できる素晴らしいスタッフがいる」という完全なる信頼があった。小橋社長率いるカッパクラブと高月ヒロちゃん率いる冒険小屋。そしてこんなクレージーで大変なレースに関わろうとしてくれているボランティアスタッフ。そして私たちの決断を信じてくれたスポンサー。

このレースは田中正人&陽希の挑戦状である。それを受けて立った勇者たち。みんなの力を信じよう。きっと神様も味方してくれる。

こうして予定通りレースを開催することにした。

選手たちは野沢温泉に集結。幸い台風のコースは日本から逸れている。それでも冷たい雨は容赦なく降り続く。予報ではレース中はずっと雨だ。暴風は逸れたとしても、土砂崩れや川の氾濫の恐れは十分にある。そして山頂は雪が降る可能性もある。

祈るような気持ちの中、レースの幕が切って落とされた。

最初は順調だった。しかし1日目、2日目、と時間が経つにつれ、選手たちに疲労が重なっていくのを感じる。チーム内にも亀裂が入る頃。体力が奪われていく中、寒さとの戦いだ。スタッフの判断でキャニオニングセクションは無くなったものの、腰まで浸かる川の渡渉が待ち構える。濡れた躰も十分に乾かす間もなく、次のセクションに進む。もはや相手は他のチームではなく、自分自身だった。

3日目の夜。私は集計と速報をアップするため自宅にいた。この数日間、まともに寝ていなかったが、まったく眠くはならなかった。むしろ緊急連絡のベルが鳴ることに怯えていた。

深夜、続々とリタイヤするチーム、関門にかかるチームの報告が入る。「自力で下山します」そんな言葉を耳にしつつ、今晩、何もなく過ぎれば、なんとかなる!そう信じていた。

アドベンチャーレースはチーム競技だ。メンバー誰かの体調が崩れたとしたら、時には励ましあって進むこともあるし、時には無理に引っ張るときもある。チームゆえに功を奏する時もあれば、レースを終わらせてしまうこともある。ケガをしたメンバーを無理に引っ張り、後に大変な事態を招くこともある。ケガをした選手も、メンバーに気遣って「やめたい」と言えないこともある。その逆に、メンバーがいたからこそ自分の限界に挑戦できるし、今までに味わったことのない達成感も体感できる。

私たちは、そんな限界を経験してもらうために、安全を第一にできる限りのことをする。選手もそれに全力で挑む。

大丈夫、きっと大丈夫。この大会に関わるすべての人を信じよう。神様は味方してくれているのだから。そう念じていた。

そう信じる要素のひとつは、選手たちのレースをサポートするのがアシスタントの存在であった。アシスタントポイントでは、温かい食事を作って選手たちを迎え、乾いたウェアに着替えさせ、次のセクションの装備を準備しておく、選手たちにとっては『HOME』とも言える役割。長丁場のレースには欠かせない存在だ。アシスタントの存在がなかったら、このレースはもっと早くに打ち切っていたのかもしれない。

スタッフも雨の中を移動した。予想通りにはいかないレース展開の中、柔軟に対応してくれていた。「少しでも温かい物を」と、スタッフのためスタッフが食事を作る。その名も『パンチ食堂』。

パンチ食堂のマリッペが言っていた。
「私、第1回の里山アドベンチャーに出て、その時にものすごくやられたんです。その時は保育士してて、アウトドアなんてラフティングくらいしか経験なくて。偶々カッパクラブに遊びにいったら田中(正人)さんに、マリッペも里山アドベンチャー出たら?大丈夫、大丈夫、って言われて。騙されましたよ(笑)。

とりあえずの装備を揃えて出たのはいいけど、何もかもが辛くて(笑)。でもね、そんな経験したら、それまでに設計していた人生(保育士して、結婚して、出産して…)より、もっと可能性のある人生があるんじゃないかって思えたんです。里山アドベンチャーできたんだから、何でもできるなって(笑)。

人生を変えちゃうんですよ、アドベンチャーレースって。そんなレースに出ている人のために働くスタッフのために、その人たちの支えとなる食事を作ることが、とてもうれしいんです」彼女のそんな気持ちもこの大会を支えているのは間違いない。

この4日間、本当に凄まじかった。レース中、体調を崩す選手が後を絶たなかった。伊豆大島で家族を失った人たちの涙を思い出す。「もう、やめてしまおう。大会中止だ」そんな言葉すら脳裏に浮かんだ。

それでも大会は進んだ。やがて終盤を迎えた。レース中に病院に搬送された選手もいたが、閉会式には戻ってきてくれた。大きなケガ人が出なかったのは奇跡なのかもしれない。

完全完走チームなし。それでもどの選手も想いがあった。あれだけやられたというのに、なぜか選手たちは清々しい顔だった。そしてみんなカッコよかった。みんなのコメントをじっと聞き入るスタッフ。彼らも全力だった。

そうか。今回は神様が味方してくれたのではない。全員の想いが神様を味方につけたのだ。強いエネルギーが神様をも動かした。そう思えてきたのだ。

そんな神様を味方につけるだけの強い想いを一緒に作り上げた仲間と、「どうせなら4日間のレースをやろうよ!国内初だっ!俺たちにしかできないし。なっ!」と、屈託ない笑顔で、こんな無茶なレース企画を扇動した小橋社長に心から感謝したい。
posted by Sue at 18:33| Comment(0) | 干物女の行水 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

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