日本海をスタートし、北アルプス、中央アルプス、南アルプスを抜け、太平洋を目指す。動力は一切使用しない。使うは己の脚のみ。その距離約415㎞。これを8日間内で走破するレース『Trans Japan Alps Race』。二年に一度のこの大会が、今年もやってくる。今週末はいよいよ選手選考会だ。
このレースが始まったのが2002年。隊長がこのレースに出場したのが2004年(優勝)、2006年(リタイヤ)、2008年(優勝)。
2004年は伊豆アドベンチャーレースの準備の最中だった。
「1週間ほど留守するから」
私ひとりを伊豆に残して自分だけさっさと富山(日本海)に行ってしまった。まだこのレースをよく知らなかった私は、ゴール寸前の隊長から「大浜海岸(静岡)まで下着を持ってきて」という電話にブチ切れた。とは言え、くっさ~い服で戻られても困るから、知り合いの静岡大学のM先生に「100円ショップでパンツと靴下だけ買って大浜海岸に持って行ってやってください」と、やけっぱちのお願いをした。それも朝5時くらいに。驚くことにM先生は快く引き受けてくれた。M先生には感謝しつつも、そこまでの人の良さがいまだに不可解である。
「大学教授を顎で使うな!」
100円ショップ(だと思われる)パンツを履いた隊長に叱られたのは後の祭でホイサッサ。
2006年は取材としてレースに関わった(記事はターザンに書かせていただいた。人生初のライター業)。直前までアメリカのアドベンチャーレースに出場していた隊長は、その影響か、中盤で足が動かなくなった。その年の完走者は2名。関門時間ギリギリ2位で完走した故・高橋香さんは、実は私の中のTJARヒーローである。あの穏やかな顔が、太平洋に近づくにつれ、増していく痛みと残りわずかな時間を相手に、どんどん歪んでいった。それでも足を止めない。ボロボロの脚を引き摺って太平洋を目指す。最後の最後、真夜中の大浜伊海岸で高橋さんを待つ数名の仲間を見た瞬間、歪んだ形相が収まり、いつもの穏やかな顔になってゴールした。
2008年は、私がこの大会に関わり始めた年。当時はまだ公式サイトがないので、外部ブログを立ち上げて、レースの行方を日々アップしていた。24時間パソコンに張り付きの8日間。娘が生まれたばかりだわ、睡眠時間が極端に少ないわ、買い物にも行けないわの8日間。苦しかったけど、なぜか辛くはなかった。更なる苦しみの中でもがく選手の力走を見ると、俄然、力が湧いてきた。
それまでは愛好者だけで運営していたこの大会だったが、以降、実行委員会が設立され、ウェブページも始動し、協賛企業も増え、テレビ番組でも放送され、チャレンジを熱望する人が急増した。TJARは、予想をはるかに超えて大きくなっていった。
大きくなればはるほど、実行委員会の負担も大きくなる。やる事が莫大に増え、責任も怖いほど増える。選手たちが不眠不休で山を歩く間に、何が起きるかわからない。台風が来たり、落石があったり、落雷があったり、滑落だってあり得る。実行委員は神様じゃない。壮大なチャレンジのチャンスをお膳立てしているだけで、自然や選手自身の体調はコントロールできない。当然ながら命の保証はできない。選手は自分の身は自分で守るしかない。逆に言えば、それができる人しか、この大会のスタートラインには立てないのだ。
こんな壮大なチャレンジだが、実行委員は8人だけ。皆それぞれ仕事と家庭を持っている。住むところもバラバラ、年齢もバラバラ。平均すると50代。胸を張るほどの若いパワーは持ち合わせていない。そんな熱き中高年8人が「TJARを成功させる」と言う士気だけを統一させ、この壁に挑んでいる(そもそも、その中に自分がいる事自体、大丈夫なのだろうか?と疑ってしまうのだが)。
私を抜いて(ここは明白!)全員が精鋭。誰ひとりとして受け身はない。自分からすべて能動的に動く。だからイベントに対する疑念がない。互いに「この人、大丈夫かな?」という不安も不信感もない。あるのは敬意と信頼。だから安心してメンバーに仕事を任せられるし、自分の持ち場にも集中できる。
それは「目的がひとつ」だからだろう。私たちは「TJARを成功させる」一点に集中している。自分の持ち場は最初から最後まで責任を持って行動する。言いっ放し(案だけ出して、後は何もしない)とか、責任転嫁のような無責任な言動がない。かといって仲良しグループとは違う。問題点は全員でシェアし、とことん論議する。一人でも納得いかいなら、納得いくまで話し合う。だからだろうか、その場にいると、とても気持ちがいい。空気感がスッと締まり、背筋が気持ちよく伸びるような感じ。でもって穏やかであり、優しくもある。
しかし、切るべきところは切っていかなくてはいけない。時に周囲に対し、我々の判断がきついと思われる事もあるが、2年間すべてを費やしてきた選手の気持ち、山小屋の立場、そして応援者の立場も十分に理解した上での決議である。命のかかった挑戦に真剣に向かい合っていることを分かってもらえたら有難い。
同じような空気を感じる場がもうひとつある。みなかみ町で行うキャンドルナイトだ。こちらは半日完結型のイベントだが、職種様々な町在住の有志が集まり、イベント会場をキャンドルで彩る。単にキャンドルを灯すだけではない。事前にキャンドルの仕込み作業をし、火が何時間もつかを確認し、どこに何個、どのようなレイアウトで置くかなど、細かい仕事がわんさかある。目立ちすぎてもいけないし、目立た無すぎてもいけないのがキャンドル。微妙な存在だからこそ、気持ちがひとつにならないと美しく彩れないのだ。
キャンドルナイトの実行委員会も若いパワーはない。地元のおじちゃんやおばちゃん(私を含む)で構成されている。配置も担当箇所も決まっていない。ただ、スタッフが足りない、キャンドルが足りない、火が弱い、風が強い、など、自分が見つけた問題点は自分がそこに入って対処する。その時の空気感は、とてつもなく心地いい。この実行委員会に入って、この町を一段と誇りに思えるようになった。
TJAR実行委員会やキャンドルナイト実行委員会も、首長がともかくよく動く。組織の中で一番汗を流し、プライベートや仕事を犠牲にしてまで、一銭も入らないイベントに力を入れる。TJAR実行委員会のI委員長は徹夜で書類を書き上げ、時間を見ては山小屋や関係省庁を回る。キャンドルナイト実行委員会のF委員長は重い荷物を運び、細かい作業も進んでやっている。この姿を委員たちは見ている。だからこそ、尊敬すべき首長の指揮に合わせて私たちも個々の楽器を奏でる。その一帯となる空気感は作ろうとしてできたものではなく、自然と生まれてきたものなのだ。
さて、残念ながらイーストウインドに、その空気感に至っていない。至っているのかもしれないが、私はその空気を感じない。思うに、私情(感情)がその一体感を邪魔するのではないかと。目的(レース)があまりにも過酷だし、長時間だからなのかもしれない。準備も含めれば、かなりの時間をアドベンチャーレースに費やすこととなる。そうなるとプライベートの犠牲も多くなる。それがストレスとなり、やがて「私情(感情)」に、自分の都合のいいようにしか行動しない「御都合」が重なる。私情主義&御都合主義のチームになると、その空気は、北京の大気質汚染指標を上回ることとなる。チームワークが鍵となるアドベンチャーレース。すでに準備の段階からレースは始まっているのだ。
では、TJAR実行委員会やキャンドルナイト実行委員会と何が違うのだろうか?
思えば中高年の実行委員会に比べ、イーストウインドは若いパワーが満載。その若さこそが、原因なっているのかもしれない。若い時は「自分はこれがしたい」という想いが強く出る(私もあったあった)。それは決して悪いことではないし、むしろ人生のモチベーションともなる。そこに社会経験が積まれ、どんどん受け皿が広くなり、やがて「これをより良くするためには、自分は何をしたらいいだろう」と言動を考えるようになる。こうして人は組織の中での自分の役割を見出していくのだろう。若い時に抱く「これがしたい」は、大切な取っ掛かりなのだ。
アドベンチャーレースを見ていると、欧米選手は「個」を大切にするようだ。自分が強くなり、メンバーを引っ張っていくと言う意識が働いている。代々培ってきた遺伝子なのだろうか、それら「個」は、きちんと出来上がっている。だから「個」でレースをしていても、互いに通用しあえている。スーパーマンやバットマンのように一人一人がヒーローであり、さながら濃いキャラのピン・ヒーローたちが集まってレースをしているようだ。今の日本の若い世代は、この「個」の感覚に近づいているように思う。
一方、日本人は「和」を大切にする。一人ではできなくても、仲間と一緒なら越えられると信じる。いや、災害時など、実際にいくつもの壁を越えてきた。人を信じること、思いやることができる民。欧米がスーパーマンなら日本は複数のメンバーで1人の敵に立ち向かう戦隊ヒーローたちであろう。無責任な他力本願では成し得ない。この「和」は、きちんと責任を持ち合わせた上に派生した信頼である。
アドベンチャーレースを始めた頃の隊長は正論をぶちかましていた。それがもう中高年だ。その間、正論を振りかざしても人は変わらない事を学んできた。加えて年代のギャップ。特性上、イーストウインドは若いパワーが必要になる。このギャップもうまく活かしていかねばならない。
従って、これからの私たちの課題は、我々のDNAに染み込んだ「和」と、若い世代が持つ「個」をいかに融合させるか、であろう。これが絶妙な配分で融合すれば、より強いチームとなるし、良き部分を引き出せば、必ず結果はついてくる。
それはアドベンチャーレースだけに非ず。一般社会においても家庭内においても、これこそが私たちの世代が立ち向かうべき壁かもしれない。
呑気にせんべい食べてる場合じゃない。おばちゃんの悶絶的苦悩は、まだまだ続くのであります。